【完結】 exile 異端《ウィルド》の血を引く魔女であることを隠すため、性別を偽り男装して聖騎士となったのに付き従う部下は超女ったらし亡命者と無表情にグイグイ迫る黒髪黒瞳の鉄血参謀
「こんなちゃちな玩具で私を捕らえたつもりになってたのか」
「こんなちゃちな玩具で私を捕らえたつもりになってたのか」
チェシーは高すぎる背中をゆったりとかがめてきた。まるで子供をあやすみたいにして親指で頬を撫で、そっと人差し指を髪に差し入れる。背筋がざわついた。
手錠の枷が、かちりと二つに割れ、床に落ちる。鎖と金属のぶつかり合う甲高い音が響いた。
「あっ」
ニコルはぞくりと青ざめた。チェシーの腕の中で身をよじらせる。
「どうしてはずれ……!」
「こんなちゃちな玩具で私を捕らえたつもりになってたのか」
含み笑いが、耳元にほそく吹き入れられる。
「人、ひと、人を呼びます!」
ニコルは必死で喘ぎながら手を突っぱねた。ようやくそれだけを口にする。なのに、身体が、言うことをきかない。
「呼ぶがいいさ」
チェシーは投げやりに笑った。
「私は君を欲しいままにした罪で永遠に地下牢へ閉じこめられることになるのだろうね」
まるでしびれ薬をかがされたかのようだった。ニコルは耳まで真っ赤に染めて、ちいさくぶるぶると震えながら、必死でチェシーの腕から逃れ出ようとした。
「っ……イヤ……」
自由になったチェシーの手が、ニコルのメガネを奪った。ことり、とデスクの上に置き去られる。
視界がうるんで、ぼやけた。涙かも知れなかった。
吸い込まれそうな瞳に、ニコルは貫かれてゆく。欲望に揺れる眼差しが、怖いほど近くからニコルを見下ろしていた。
「君に、会いたかった。ニコル・ディス・アーテュラス」
「……っ!」
唇を、奪われる。ニコルは涙があふれてくるのを感じた。
「や……やだ……」
怖い。なのに、身体が動かない。吐息が、何度も、唇をかすめてゆく。
「ますます、君という人間が知りたくてたまらなくなったよ。可憐な女の身で、こんな最前線にいる。薔薇の瞳を持ち、ルーンに護られ、比類なき闇魔術の使い手としての力を容赦なく振るう――君の真実が知りたい」
「はい?」
ニコルは、ぴきん! と身体をこわばらせた。何度も眼を瞬かせ、一瞬、ぽかんとして。
まじまじとチェシーを見上げる。とんでもなく至近距離で、青い意地悪な眼と目が合った。
「……ば、ばっ……バカな妄想はやめてくださいっ!」
チェシーの顔から、ニコルを
「な、何がバカだ?」
チェシーは呆然と口ごもる。明らかに勘違いした、嘘つきの顔をした男の笑い方だ。
ニコルは、割れる寸前の風船みたいに、限界まで息を吸い込んだ。今の今ほど自分の在り方に感謝したことはない。
ぎらりと燃える瞳でチェシーを睨み付けてから、涙をこぶしでぬぐった。振り払う。
チェシーは顔を引きつらせ、あとずさった。
「ニコル?」
「ニコルってなれなれしく、呼ぶなあーーーーッ!」
城砦じゅうの窓ガラスが、ビリビリと振動するほどの大音声だった。ニコルは喚き続けた。
「僕は、男だーーーーッ! この、馬ッ鹿野郎ーーーッ!!」
▼
「……男?」
目元の下の皮をピクピクひきつらせながら、チェシーが繰り返す。
「男だって? 君が? 悪いがどこから見たって年端の行かない小娘にしか」
「ザフエルさん!」
ニコルは、執務室のドアの向こう側で聞き耳を立てているはずのザフエルを
「はっ」
立ち聞きがばれようがばれまいがもはや関係なしと見たか、ザフエルが踵を鳴らして歩み入ってきた。緊迫した雰囲気がたちこめる。
「お呼びでしょうか」
「呼んだから入ってきたんでしょう。何でコソコソ立ち聞きなんかしてるんですか!」
ニコルは怒り心頭の声音で吐き捨てる。
「ごもっともです」
自分が入るなと命じたくせにこの横暴。さすがにどうかとは思うがそれどころではない状況下である。
ザフエルは反駁の愚を犯さず、左手を愛用の黒サーベルの柄に置いた。機械のような揺るぎのなさでチェシーを見やる。
鉄血参謀と称される仮面の表情には、一片のほころびも見あたらない。おそらくニコルの命令如何では神速の抜刀で両断する気だろう。
「ご処断を」
ひくく言い放つ。
切迫する空気に耐えきれなくなったか、再びドアが変な音をさせてひん曲がった。黒山の人だかりがそのままの形でなだれ込んでくる。
「お待ち下さいっ!」
それは師団の兵士たちだった。なぜか全員が全員とも、似たような色刷りの紙切れを手に握りしめている。
ニコルは、むっとして振り返った。
「何です」
人間塚の一番下。なだれに押しつぶされ半分ぺちゃんこになった兵士が、空気の抜けたぷぅぴぃ笛のごとくひょろひょろと手をのばす。
「実は」
「待て。言う必要はない」
兵士の顔を認めたチェシーが苦々しく遮る。
「いえ、言わせて下さい」
兵士の山が答える。
ニコルが眼で合図すると、ザフエルは人間塚から一人ずつひっぺがし、廊下にぽいぽい放り投げた。最後にくるりんヒゲの兵士を立ち上がらせる。それは、地下牢の看守だった。
ヒゲの看守は、顔を真っ赤にして口ごもった。
「実は、その」
「はっきり言いなさい、カルロ軍曹」
ニコルはさして怖ろしくもない口調で凄む。いきなり名指しで呼ばれ、看守はいっそう萎縮して立ちすくんだ。
「分かった。分かったよ」
板挟みになり、動揺しきった兵士の様子から察して、チェシーは抗弁の匙を投げた。襟元をゆるめ、胸の内ポケットから四つに折った姿絵らしきものの写しを取り出す。
「これだ」
肩をすくめて絵をニコルに投げやる。ニコルはそれを受け取り、開いて――
そのまま顔をユデダコにして固まってしまった。
「私が彼に、名にし負うノーラスの指揮官とはどんな人物かを聞いたんだ。そうしたら彼がそれをくれた」
「も、も、申し訳ございません、閣下!」
看守は平伏し、額を床になすりつけた。
「勘違いするな。君に責任はない」
チェシーは堂々と言い訳した。
「彼は誠実な人間だ。それは私が保証しよう。誤解したのは私だ。まあ、絵と比べたら少々肉付きが薄すぎるとは思ったが」
絵を持ったニコルの手がぶるぶると震え出した。
「あ、あ……あの……そ、そ、それはいいんですけれどどどももも」
「どうした」
「こっ」
「こ?」
「こっこっここここれはっ」
「ニワトリか君は。それくらいの絵がどうした」
男に対してはおそらく完膚無きまでに容赦ない性分なのだろう。あれほど気障ったらしく口説いておきながら、恐るべき本性への豹変ぶりをみせつけて、チェシーはばっさり切って捨てる。
「ど、どどどうしたって言ったって、これっ」
ひょい、とザフエルは、ニコルの手から絵をつまみ取った。
「ふむ」
じいっと見つめている。
……穴が開きそうなほど見つめている。
……まだ見てるし。
「えっちぃですな」
「誰がですかあっ!!!」
ニコルは憤死寸前のユデダコ顔で、ザフエルから絵をひったくった。一気に破り捨てようとする。
「こ、こ、こんなもの、いったい誰がっ!」
「何ともったいないことを」
すかさず、ザフエルがニコルの手から色刷りの絵を奪い返す。
「ただでさえ冬の長いノーラスの地。兵士たちを楽しませる余興や娯楽の一つや二つ、三つ四つ五つぐらいまでは許されてしかるべきです」
よく見ると、ザフエルのくちびるの端が微妙にぴくぴくしている。気づいた兵士たち全員が、一斉に青ざめた。
――ザフエル笑うとき、世界は破滅する――
などという伝説は当然ないのだが、それぐらいザフエルという男は笑わない仏頂面の人物として名を馳せているのだ。
ニコルは餌を取られて怒り散らすカラスみたいに、ぎゃあぎゃあと突っかかった。
「娯楽がどうしたというんですか! 神の前にそのようなふしだらなっ……!」
「この絵の何処がふしだらだというのです」
ザフエルは妙に開き直って、絵をニコルの鼻先に突きつけた。
首から上だけがニコルにすげ替えられた、「だいなまいとせくしーぐらびあ」。誰が落書きしたものか、「ぁぁん、嫌だよボク……見ないで。恥ずかしいから……」とか横に書いてある――それを。
「バカバカバカ! み、み、見せるな、いかがわしいっ!」
何が腹立つと言って。
ザフエルはじめ、この城砦の兵士全員、ニコルが本当は女の子だと知らないのである。知らないから、こんなはれんちな真似ができるのだ。実際は男なのに、まるで女の子のような可愛い顔をしているという色物扱いで。
もし、本当は女なのだと知られれば、とてもじゃないがこんな笑い話では済まされない。
誰にも明かせない禁忌。知られれば命にすら関わる秘密だ。公国元帥にして最強の
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