「じゃあ、どこで話せばいいんですか」 「君の部屋だ」

 だんだん話がこんがらがってくる。ニコルは思考停止状態でげっそりと相手を見やった。


「じゃあ、どこで話せばいいんですか」

「君の部屋だ」

「どうしてそうなるんです」


「君が、この城砦を把握し完全な指揮下に置いていると仮定すれば」

 どこにそんな白刃にも似た表情を隠し持っていたものか。チェシーは貼りつけていた薄笑いをごそりと殺ぎ落として、別人の顔を作った。

「君の執務室が最も安全で、かつ、最も機密を保持するに最適な場所だと思われる」


 ニコルは気付かない。あるいは変化に気付かない素振りをし続けている。

「そんな大層な機密を貴方が持っているという証拠は」


 チェシー・エルドレイ・サリスヴァールは、額に乱れかかる長い金髪をふわりと振り払った。顔を上げ、鋭く、そしてあやうい眼差しで、真正面からニコルをのぞき込む。


「君ならば分かるはずだ。《封殺のナウシズ》を持つ君なら、私がこの場で全くの無力であることが」

 ニコルは声を呑んだ。わずかにあとずさって、壁に手をつく。


 取り繕っていた道化の仮面が剥がれ落ちる。あらわれたのはニコルらしからぬ不穏な顔だった。


「《ナウシズ》が無力化するもの……」


 左手にはめた美しいルーンの腕輪をかばい気味に押さえる。動悸が乱れ打った。

「まさか」


「そのまさかさ」

 チェシー・エルドレイ・サリスヴァールは自嘲気味な笑い声を放った。その声はなぜか墓場の枯れ木を吹きすぎる木枯らしの響きにも似ていた。


「私は《紋章》の使い手だ」



「分かりました。責任は僕が持つ。鍵を開けて」

 狼狽える看守たちにむかって、ニコルは珍しくきっぱりと言い放った。


「話の分かる指揮官で何よりだよ」

「つまり、僕が指揮官だと信じてくれるってことですね」

「一番らしくない人間が出てきたら、信じるしかないだろう」


 チェシーは再び皮肉な口調にもどっている。何ごともなかったかのように軽口を叩く神経は、ニコルには到底信じられない。

「相手がバラルデス卿とかでなくて良かった。彼を説得するには悪魔の弁舌が必要だろうからな。うむ、諸君、ご苦労だった」


 牢が開け放たれた。チェシー・エルドレイ・サリスヴァールは手錠を掛けられたまま連れ出される。


「閣下、護衛は」

 おどおどと訊く看守たちに、ニコルは手を振って断った。

「いらない。ザフエルさんがもし来ても、僕の部屋には来ないようにと言っておいて。爆破もダメ。あとで必ず連絡するから」


「世話になったな君たち」

 チェシーは看守たちに向けて陽気にウインクした。

「君らの配慮に心より感謝する」


 通路を二人並んで歩きながら、ニコルはほんの少し、ザフエルの来訪が遅かったことをいぶかしんだ。

「ザフエルさんにしては珍しく反応が鈍かったなあ。こういうことには鋭い人なのに」


「ザフエル」

 チェシーは記憶の糸を手繰っているようだった。

「ザフエル・フォン・ホーラダイン少将か」

「中将です」


「おや、それは失礼。ずいぶん早い昇進だな」

 チェシーは苦笑いして自発言を撤回した。


「そりゃそうでしょう。なんせ、ザフエルさんは僕の優秀な右腕ですからね」

 そうと訊いて、チェシーの眉がぴくりとつり上がった。


「ほう。それはぜひとも一度、お手合わせ願いたいものだ」

 手錠のかかった手をひらひらとひるがえし、剣を抜く仕草をしてみせる。


 ニコルはその挑戦的な所作をちらりと横目に見た。


 当然のことながら、チェシーが所持していた太刀は装着されているはずの《カード》もろとも武装解除済みである。おそらく、ザフエルはその検分作業に携わっているのだろう。が、それにしてはずいぶんと手間取っている。よほど変わった構成にでもなっているのか。


 ならば直接本人に聞いた方が早い。


 と思ってニコルは、ぶらぶらと歩きついでに尋ねた。

「ところで貴官は何の《カード》をお使いですか?」

「別段珍しくもない、どこにでもある汎用型だ。《壱式》と《零式》」

 チェシーはぬけぬけと言った。

 神秘を体現する《カード》。それは、文明の進歩とともに生み出された力である。より通俗的な表現で言えば、魔法武器の一種、ということになるだろうか。


 人の手にちょうど収まる大きさで作られた《カード》には、人の手に余る強大な祈りの文言が折り込まれている。目的の如何を問わず、使い手の祈りによって固有の力または能力を引き出すそれは、力そのものの具現化に他ならない。


「当然、君だって所持してるだろう」

「一応はね」

 ニコルはあっさりと認めた。ゾディアック帝国の諜報組織がまともに機能していれば、知られていて当たり前の情報だ。


「なにせ君たちは難攻不落の城砦とうたわれたノーラスの双璧だからな。どれ程のツワモノか期待して当然だろう」

 チェシーのお世辞に、ニコルは意地悪っぽく笑った。

「ずいぶん自信がおありのようですね。鼻っ柱を折られますよ」

「君に?」

「ザフエルさんに、です」

「序列二位ごときに競り負ける気はしないな」

「どんだけ自信満々なんですか」


 並んで歩くと、チェシーはニコルより遙かに長身だった。頭二つぶんは優に超えている。ザフエルも相当な上背があるはずだが、もしかしたらそれより高いかも知れない。


「私から自信を取ったら何も残らんぞ」

 チェシーは堂々とふんぞりかえった。

「そうみたいですね」

「誉めるな」

「誉めてません」

「けなすな」

「どっちなんです」

「両方とも違う」

「何わけわかんないことを」

「まさにそれこそ私という人間の内面を評するに相応しい言葉だ。そうら褒めろ。もっと褒めろ。伏して褒め讃えていいんだぞ」

「性格すごいですね」

「勝ったな」

「はいぃ?」


 肩をそびやかせて勝利宣言する。まったく理解不能。取りつく島もないとはまさにこのことだ。


「ぅぅぅぅ」

 ニコルは強引に押し切られ、絶望のどん底でどよどよとたそがれた。

「もう……何で僕の周りにはこんな屁理屈いう人ばっかりが集まってくるんだ? ザフエルさん一人でも手に負えずにホトホト困り果ててるっていうのに、さらにそれ以上の変なのが来るとか。もうやだ僕くじけそうです」


 廊下のど真ん中で、どんより線をたっぷりしょい込んで座り込み、指先でいじいじを描いている。

 それを見ながら、チェシーはトドメの一発をきっぱりと刺した。

「だったら喜べ。私のは屁理屈じゃない。詭弁だ」

「同じです!」


 もう笑うしかない。というかニコルは言い負かされて逆らえる状態ではなく、すでに半泣き状態なのであった。


「ここです、僕の部屋……どうぞ」

 この上もなく弱々しく、ニコルはチェシーを執務室に招き入れた。

「お茶とかは出ませんからね」

「結構」


 全体的に白と淡い紺で統一された執務室。ティセニア聖騎士団の象徴色と同系統である。まるでここだけは戦時中ではないかのように、涼しすぎる森の風がカーテンをふわりとひるがえらせた。貴婦人のドレスのようだった。

 壁際の花壺には、まだ少し時期が早いのか、やや小ぶりに咲いた純白のバラロサ・アルバ・セミプレナが、すっきりとした香りを振りまいている。


 窓際にはデスクが設えられている。ぎっしり詰め込まれた書棚に収まりきらない書類の束がいくつかと、うず高く積み上がった本。その脇の壁には、ティセニア全土の地図。傍らに青い房のついた軍旗が二本、掲げられている。


 薔薇と宝石と交差する剣を意匠した旗――ローゼンクロイツだ。


 チェシー・エルドレイ・サリスヴァールは、そこまでを見て取り、油断無く眼を細めた。

「この旗には、信じる者にとって不思議な引力があるのだろうな」

 詩を読むような口調で語りかける。かつて敵軍のものだった旗に手向ける言葉ではなかった。

「ゾディアックは、神を信じないんじゃなかったんですか」

 ニコルは、きっちり閉じていた軍服の立襟をわずかにゆるめた。気安く応じる。


「君たちの神は信じないが、この旗を掲げて戦う君たちの存在はあまりに大きかった。我々にとっては、崩しても崩しても決して崩しきれない巨大な壁だった」

「その理由を探りにでもきたんですか?」


 チェシーの態度は、間諜のそれとはずいぶん違っているように思えた。あまりにも態度が悪すぎる。もしそういう目的なら、もう少ししおらしくしていてもいいはずだ。


 ニコルは花瓶に顔を突っ込み、いつも通りバラの香りをくんくん楽しんでから「ちょっと待っててくださいね」と言った。

 デスクに戻り、書盆に投げ込まれたいくつかの書類に目を通して、すらすらとサインし、そのうち中の数枚はうんうん唸ったあとペンで朱を入れ、未処理の棚へと差し戻す作業を淡々と続ける。


「雑務です雑務」

 視線を感じたような気がして、ニコルはふと顔を上げた。

「師団の指揮統帥は、ザフエルさんにまかせきりですから」


 チェシーは応接用の白いソファですっかりくつろいだ様子だったが、訊かれもしないことをニコルが先に答えたので怪訝な顔をした。

「なぜそんなことを私に言う」


「別に」

 ぐるぐるメガネを取って、軍服のお腹でいい加減に拭く。

「いずれ訊かれるだろうと思ったから」


「なるほど」

 チェシーは笑った。屈託のない声だった。奇妙に和らいだ眼差しでニコルを見つめている。

「君は目が悪いのか。すごいメガネだな」


「ええ、まあ」

 ニコルは、素顔を見つめられていたと気付いて少しばかりどぎまぎした。あわててメガネをかけ直す。


「珍しい瞳の色だ。もしかして、それが薔薇の瞳というやつか」

 ニコルは答える代わりにうつむいて、書類を読んだ。いや、読んでいるつもりだったが、眼が滑って内容が全然入ってこない。

「そうらしいですね」

 上の空で答える。


「君の瞳に魅せられる貴族たちもさぞかし多いのだろうな」

「ご冗談を。まさか、そんなこと」

 ニコルはペン先にインクを付けなおそうとして、つい手元をくるわせ、インク壺を思い切りひっくり返した。デスクから書類へと、べったりとこぼれた黒い墨が走る。


「あっ、と、うわぁ真っ黒!」


 とっさに救出したつもりの書類から、無惨に黒いしずくがたれ落ちた。みるみる書面を汚していく。


「ちょっと貸せ」

 チェシーはこぼしたインクでニコルが汚れないよう、軽く肘で追いやった。襟に結んでいた赤いスカーフをするりと抜いて、広がり続けるインクの滲みをおさえる。

 スカーフの紅が黒い染みを吸い上げた。


「汚れますよ」

 ニコルが思わず声を上げて止めようとすると、チェシーは気にするな、といったふうに肩をすくめて、ニヤリと笑った。

「かまわんさ。どうせ棄てる色だ」


「でもっ洗濯がっ」

 ニコルが慌てるのを見て、チェシーは同じくインクのついた革の黒手袋を脱ぎ捨て、ニコルに向き直った。

 眼が笑っている。

「ちょっと墨が飛んだようだ……鼻の頭が黒い」


「えっ」

「じっとしてろ」

 チェシーの眼が近づいてくる。ニコルはとんでもなく慌て、心臓をばくばくさせながらチェシーを押しのけようとした。


「い、いいです。自分で……鏡が……」

「元帥が鼻のてっぺんに墨を塗ったまま部下に笑われてもいいのか?」

「そっ……それはっ……でも!」

「だったら動くな。拭いてやるから」


「あっ……ちょ、ちょ、ちょっ」


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