中途半端
北海ハル
中途半端
ある男が、病床に伏していた。
周りには男の息子、娘、妻が立ち、男の顔をじっくり見ていた。
「今夜が峠です。覚悟を決めてください。」
後ろでそれを眺めていた医者も辛そうに述べ、ゆっくりと病室を後にする。
それから三人は何を言うわけでもなく、傍にあった丸椅子を引き寄せ座り、また男の顔を眺め始めた。
何ていうか、と男の息子が口を開く。
「案外さ……あっけないんだな。人が死ぬって。」
それに応ずるように娘も言う。
「そうね……あんなに元気だったのに……いきなりでびっくりしたわ……。」
妻は、何も言わず、ただ少しずつ口を開き始めた二人を見ていた。
男は、昏睡状態にも、ましてや死んでもいない。
かなり前から、起きていた。
起きているのだが、何せ体の自由が利かない。
それゆえ瞼も開かず体も動かない。ただ耳が聞こえ脳がそれを拾う動作のみが男にあった。
────ああ、そうだな。確かに、あっけない。
男は死ぬことを拒んではいなかった。
寧ろこの病苦から早く解放されたいとさえ思っていた。
それだけではない。
物事を理解する頭だけがずっとはっきりしている状況が続き、思い出したくない事も思い出してしまっていた。
それは、男が幅を利かせ歩いてきた人生の中で、本人が唯一自覚していた、短所。
────中途半端な事だ。
生まれてこのかた、何かにのめり込む事が全く無かったのである。
確かに熱中する事はあったが、それも冷めやすく結局飽きるのだ。
人生の分岐点もそうして通ってきた。
システムエンジニアを目指し専門高校に進学したかと思えば、卒業する頃には日本一のラーメン屋として名を轟かせると言い、就職もせずラーメン店を渡り歩き様々なラーメンを食べた事もあった。
だが所詮、中途半端である。一年もせずその夢は潰え、半年近くを無駄に過ごした。
それから今までは同じ小売業の会社に勤めていたものの、会社での評判も「中途半端なヤツ」だった。
それを解消したくても、もう癖のようなものでありそう簡単には行かず、二十代半ばで諦めたのである。
恋に関しても全く同じだった。
「そんな性格の人を放っておけない」と、当時の会社の先輩、現在の妻にプロポーズされた時は、流石に悩んだ。
本当に良いのか、どうか。
そして十秒の思案は決した。
「まあ、いいですよ。」
二人の子宝に恵まれ、それなりによく出来たと誇れるまでには成長したと思っている。
だがそれも、私が手塩にかけたわけではなく、全部妻のお陰だった。
接したくても何だかめんどくさい。
そう中途半端な性格が訴えてきた。
その時は妻も激怒したが、結局焼け石に水である。
それでも別れなかった妻の忍耐強さには感服した。
酷い事をしたとも思っていない。
向こうがどう思っているかなんて、どうでもよかった。
ある時会社の健康診断の結果に「要検査」と書かれていた。
特に何の疑念も抱かず大きな病院を訪れた。
癌だった。
舌癌から始まり、もう全身に転移していたらしく手の打ちようが無いと言われた。
健康診断の意味がないだろうと、その時は会社のシステムに少し怒りを覚えた。
中途半端に不完全燃焼で終わった。
それからはずっと入院生活が続き、少しずつ体から生気が消えて行くのがよく分かった。
妻と二人の息子がこれまで見舞いに来る事は無かった。
ふーん、とだけ思った。
男が意識を失ってから三人が来たらしいが、大体いつ頃からそういった状態なのかも分からなかった。
知る気も無かった。
どうせ死ぬし、と。
中途半端な事は未だに悔やましいが、一種の病気だろうと諦めを再認識した。
死ぬから関係ないか、って感じで。
だんだんと耳も聞こえなくなってきた男の傍で、今度は妻も加わって話す声が聞こえてきた。
まあ、最後くらいは聞いてやろうと耳を必死に傾けた。
「……よね。」
娘の声だった。
「そうね、そうね……っ。」
妻の声が震え、鼻をすするような音が聞こえてきた。────泣いているのか?俺のために?
「ああ、そうだな……ほら母さん、しっかりして。これからなんだからさ。」
息子の声だ。ああ、なんて母想いの子に育ったんだ……。
「そうね……ああ、やっと解放されるわ……。」
────何だって?
「そうよ母さん。こいつのせいで消えた四十年以上の楽しみは、今からでも取り戻せるわ!」
────へっ?
「ああ、ああ!母さん、まずはどこに行きたい?京都かい?それとも北海道?まあゆっくり決めるといいよ!この男が死ぬまで、ゆっくりね……。」
────えぇ?
「ありがとうね……あなたたち……っと、もしかしたらこの男、起きているかもしれないわね。」
────起きてるよ。叫びてー。
「まあ、私たちの苦労くらい少しは聞けって言いたいわよ。……早く死ねっての。」
────……────
耳が聞こえなくなるより先に、意識の糸がぷつりと途切れる。
消えゆく自我と理解する力が、最後に一つの結論を導き出した。
────どうも俺は、恨まれる事に関しては中途半端じゃなかったみたいだな。
中途半端 北海ハル @hata
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