第3話 じゃまもの

 あれから、私の生活は一変しました。

 朝起きたときから夜眠るときまで。寝ている最中ですら、一切気が抜けない日が続きました。

 それは、常に試験という名目で、あの魔導士が私に調教を施したせいでした。

 昼夜を問わず、むしろ暗闇や視界が利かない場所でこそ、私は徹底的に戦闘訓練をつまされていったのです。

 その間、兄さんはカラメーさんが指示したかなり適当な内容の〝訓練〟にうつつを抜かしていました。

 毎日その辺の木々に木剣を打ち込む、それだけの、とても不恰好な訓練をしています。

 だけれど本人は、ひどく満足げで……


「今日は気配遮断の訓練をします」


 その男は、私だけにそう言いました。


「あなたの家の中に、一匹の下級使い魔を放っています。それを誰にも悟られず仕留めることができれば、あなたの勝ちです」

「勝ったところで……なにになるんですか……」

「お兄さんの資質が証明されます」

「…………」


 それを言われてしまえば、私には反論の余地がなかった。


「兄さんの、ため……兄さんのため……」


 まるで免罪符のように何度もそう繰り返し、私はその試験に挑みました。

 自慢の髪を──兄さんがきれいだと言ってくれた髪を──邪魔にならないように頭の上で括って、兄さんからもらった大切なリボンで括って、私は、感覚を鋭敏にする魔術をカラメーさんにかけてもらい、家のなかで使い魔を探します。

 兄さんはいま、カラメーさん監視のもと、外で無意味な試験を受けているはずです。

 使い魔とはいえ、ものを殺すということはとても後味が悪いものです。

 そんなところ、兄さんには見られたくありません。

 だから、私は必死で探します。

 やがて、奇妙な感覚を窓際におぼえました。

 ジッと集中してみると、おぼろげですが、半透明な何かが蠢いているのを感じます。

 使い魔だと思いました。

 私は気配を殺し、カラメーさんから貸し与えられたナイフを逆手に持つと、慎重にその気配へと忍び寄りました。

 じりじりと間合いを詰め、私は一息に飛び掛かります。


『ピギャ!』


 なにかを掴む感触。

 ばたばたとそれは暴れまわります。

 ブヨブヨとしていて、しかし芯のあるそれをがっちりと掴んだ私は、一息にナイフを突き立てようとしました。

 心臓が破裂しそうなほど高鳴りました。

 ナイフを振り上げ、振り下ろす。

 緊張が、ピークに達した瞬間でした。


「ただいまー」


 兄さんの、間の抜けた声が聞こえたのです。


「っ!?」


 そんな!? なんで? 兄さんはまだ外にいるはずじゃ……?

 惑乱した私は、使い魔を引っ掴むと、慌てて窓際に後退します。

 そうして、とっさにカーテンを体に巻き付けました。


「あれ? なにしてるんだい、キリノ?」


 消えってきた彼は、不思議そうな顔で私にそんなことを問いかけました。

 なにって、それは──


『ダメですよ』


 頭の中に、直接あの男の声が響きます。


『これは内密な試験なのです。ばれたらその時点で、失格とみなしますよ……? お兄さんが、騎士になれなくてもいいのですか?』


 そんな、そんなのは困るのです。

 私は必死に、愛想笑いを浮かべて、兄さんをごまかそうとしました。


「えっと、これは、その……ひっ!?」

「どうしたの、キリノ? 顔が赤いよ?」

「べ、別に、ちがくてぇ……」


 語尾が荒くなるのは、組み敷いている使い魔が暴れ出したからです。

 慌ててその喉のような部分を締め付け、鳴き声を上げられないようにします。


『おやおや、自分から腰に足まで回してがんじがらめとは……なんともはしたない』


 くつくつと、男は泥を煮立たせたような声で笑います。

 だってぇ、暴れるからぁ、抑えなくちゃいけないから、仕方なくてぇ……


「ひぅ!? や、動か、ないで……!」


 ビクン、ビクンと脈動する使い魔の咽喉。

 そのぶよぶよで、でも中に芯がある、熱い塊を握り締めていると、不思議な気分になってきます。

 自分が相手の命を握っているのだと思うと──


「キリノ、そんな汗をかいて、病気じゃないのか? 大丈夫かい?」


 やさしく声をかけてくれる兄さん。

 だけど、だけれど、いまは。


「だいじょうぶ、だいじょうぶよ兄さん、ぜんぜん、平気だから、んほおおおおおお!!」

「キリノ? 本当に大丈夫? お医者さん、呼んでこようか?」

「ほ、ほんとうに、だいじょうぶだから、兄さんふぅぅぅぅぅ! だからぁぁはやくうううう!」


 どこかにいって。

 その言葉を口に仕掛けて愕然とします。

 私……兄さんを邪魔だと思っている……?

 ……駄目です、こんなのは間違っています。

 でも、でも、はやく殺したくてぇ……


『正直になりなさい、キリノ。あなたはみられて興奮しているのです。見られてはならない現場をみられて、敏感になっているのです。それが、その視線に対する過敏さが、あなたを更なる高みへと到達させるのです』


 なにを言っているのか、ぜんぜんわかりません。

 だけれど、気が付いたとき、私の口元には笑みが浮かんでいました。

 それを見た兄さんが、急に顔を赤らめるのが解りました。


「ちょっと、遊んでいただけだから、にいさんはぁ、はやく試験に戻ってぇええええええええ!?」


 途端に暴れ出す使い魔。

 打ち付けられる腰!

 むり、これ以上待てない、だめ、だめぇえええええええええ!!!


『そうです、待つ必要などありません。なにせこれは、


 に、兄さんの、ため……?


「ん、んんんんんん!!!!」

「キリノ!?」


 そう、これは兄さんのためなの!

 兄さんを騎士にするためなの!

 だったら。

 そう、だったら──我慢する必要なんて、なかったのです。


「ためなのおおおおおおおおおおおお!!!」


 兄さんのためだからぁ!

 ためだから殺してもいいのぉ!!

 コロシュのおおおおおおおおおおおお!!!

 私はキュッと唇を噛むと、逆手に持っていたナイフを、一息に使い魔へと突き立てました。


「あへぇええええええええええ!?」


 どびゅ!どびゅびゅ!

 我慢した末の殺戮はまさに暴力的な気持ち良さでした。

 噴き出す熱い、不可視のエナジーが、私の身体に大量に降りかかります。

 あちゅい、あちゅいのぉぉぉ、こんなの、こんなのてぇええええ……


『逝ったか……使い魔とはいえ躊躇なく命を奪えるようになってきましたね。これは、やはり見込みがあったようです。そうして、次でとして見せますよ、キリノ?』


「なまへぇ……呼ばないでぇ……」


 エナジーを吐きだし、急速に小さくなり消滅していく使い魔を感じながら、私はだらしなく舌をたらし、唾液をしたたらせていました。

 そんな私を、兄さんは見て、動けないでいるようでした。

 当然です、それは醜態に他ならないのですから。

 ……しばらくして、落ち着いた私は、カーテンの中から姿を現しました。

 もちろん、ナイフは隠して。

 顔を上気させたまま、少しでも身だしなみを整えようと、括っていた髪の毛をおろして、リボンを外して、私は兄さんに微笑みかけます。


「……ね? 大丈夫だったでしょ?」

「──!」


 真っ赤な顔でどこかへ飛びだしていく兄さん。

 それを見送り、私は崩れ落ちます。

 ……私の両足は、スカートの中で、がくがくと殺戮の余韻に震えていたのでした。

 腰が、砕けてしまっていたのです。

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