第2話 うしろでなんて癖になっちゃう

「今日は、戦闘技術の試験をします」


 翌日、くたくたに疲れ切った私たちに、カラメーさんはそう言いました。

 ちなみに兄さんは、あの後なんとかゴールしたものの、そのまま倒れて、さっきまで眠っていました。

 いまも、顔色は良くありません。


「兄さん……だいじょうぶ?」

「こ、これくらい、平気さ! ぼく、頑張るよ!」


 気丈に強気を演じてみせる兄さんを見て、私は泣き出しそうになってしまいました。

 同時に、深く恥じ入ります。

 無意識だったとはいえ、こんなに真剣な彼を抜き去って、ひとりでゴールしてしまっただなんて……

 そんなことを考えている間にも準備が整ったらしく、カラメーさんが私たちを呼び寄せます。

 そこには、1体の案山子がありました。


「これには使役の魔法がかけてあります。わたくしがこれを操りますので、モーブくんは倒してください」

「へへん! カラメーさん、いくら僕だって、棒立ちの案山子ぐらいには勝てますよ!」


 なめてもらっちゃ困ると兄さんは笑います。心なし、元気を取り戻したようでした。

 私はほっと胸をなでおろしました。

 しかし、カラメーさんの、


「それは……どうですかね?」


 その言葉に、言い知れない不安を覚えたのでした。



◎◎



「グワーーーーー!!?」


 嫌な予感は的中しました。

 案山子に剣を持って挑みかかった兄さんは、次の瞬間凄まじい速度で弾き飛ばされてしまったのです。

 そう、案山子が動いたのです。


「だから、言ったではないですか。わたくしが操ります──と」


 不気味な笑顔を浮かべる、王国屈指の占術魔導士。

 私は、慌てて兄さんへと駆け寄ります。


「兄さん!」

「気を失っているだけですよ、ちゃんと加減をしましたから」

「こんな……酷いわ!」

「そう、酷い。やはり彼には才能がないようだ。このままだとモーブくんは騎士にはなれない」

「……っ」


 ほぞを噛む私に、男はまたあの気色の悪い表情で微笑みかけてきました。


「ですが、あなたが案山子に勝てたのなら、モーブくんが勝ったことにしてあげてもいい。なにせ、家族の資質は本人の資質ですからね。もっとも、無理強いはしませんが」


 わたくしも、魔力を使うと疲れますし。

 そう言って、案山子にかかった魔術を解こうとするカラメーさん。

 私は慌てて手をのばしました。


「待って!」

「はい?」

「わ」

「わ?」

「……私が、やります」

「やります、ですか? 口の利き方までいちいち教えなくてはいけませんか?」

「……っっっ! やらせて下さい、お願いしますっ!!」


 私が叫ぶと、男はにんまりと笑い、


「よくできました」


 そう言って、私の髪を撫でました。生理的嫌悪感に泣き出しそうになりながら、私は兄さんの剣を掴んで立ち上がります。

 案山子を前にして、使ったこともない剣の扱いに困りながら、それでも兄さんのために必死で考えます。

 間合いを詰めようとすると、案山子はすっと構えます。

 右に、左にと揺さぶってみるものの、必ずその方向へと向き直ってくるのです。

 正直、まともに打ち合ったら勝てるわけがありません。

 どうすれば、どうすれば勝てるの……兄さん?


「お困りのようですね……そうですね、場合によっては、力を貸してあげなくもありません」


 急に態度を軟化させ、そんな事を言い出す魔導士。


「あなたに補助魔術ブーストをかけてあげましょう。あなたの身体能力を解放する魔術です。これがあれば、或いは」

「……どうすれば、かけてくれるんですか」

「条件はふたつです。ひとつ、もしうまく行ったら、もう一度この試験を受けること。これは確認のためです、間違いがあってはいけないので」


 もうひとつは。


「簡単ですよ。『かけてください、お願いします、マスター』と言ってください。私はあなたたちの師匠のようなものですし、なんの問題もないでしょう?」


 男は平然と言い放ちますが、師匠と呼ぶなんて屈辱的です。

 こんなにもいいようにされて、黙っていることはとても大変でした。

 それでも、私は……


「……お願いします、かけてください、マスター……!」


 羞恥に顔を真っ赤にしながら、そう告げたのでした。

 だって、兄さんが大切だから! すべて兄さんのためだから!

 そう、これは兄さんのためなんだから──


「はい、よくできました──〝制限解除ブースト〟」

!」


 魔術をかけられた瞬間、意識が灼熱してしまっても。

 いままで感じたことが無い感情──が迸ってしまっても、それは仕方がないことだったのです。


 意識が急速に拡張されます。

 神経が周囲の端々まで伸び、すべてのことが手に取るようにわかりました。

 他のなにもかもがどうでもよくなり、ただひたすらにそれを求めてしまいます。

 肉体は貪欲に躍動し、悩ましげに唸り、気が付けば勝手に動き出してしまっていました。  バッと地を蹴り、私は案山子に突進します。

 上段から繰り出す剣──普段の私からは考えられない速度のその剣を、しかし案山子は受け止めます。

 さらに一歩踏み込み、切り上げ、弧を描いて胴を薙ぐ。

 届きません。

 剣が届かないのです。

 私の、小娘の膂力では、ブーストがあっても足りないのです。

 なにか、なにか、方法は。

 どうすれば、いったいどうすれば。

 高速で走る思考は、脳の神経をジリジリと焦らし、私をどんどん昂ぶらせていきます。ただただ、目の前の存在を殺すことを、その死の匂いだけをだらしなく求め続けました。

 呼気は荒く、全身から汗が拭きだし、どうしようもなく昂ぶり。


「弱点を狙いなさい」

「──っ!!」


 男のその言葉に、全身が跳ねました。

 小柄な体躯を生かし、敏捷性を最大限に開放、地を何度も蹴りながら方向転換。やがて、案山子の対応が遅れ始め、そして。

 そして、その背後を、私は捉えて!


 ズブリ!


「あはああああん! おほおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!??」


 私は、獣のような咆哮を上げていました。

 私の手にあった剣は、最小の動作、最速の動きで、案山子の背後を貫いていたのです。


「あへえええええええええ!!!」


 刹那、脳裏を席巻するかつて経験したことがないような無数の光、快楽!

 背中が弓を引き絞ったように反り返り、全身が痙攣します。


「んほぉ、おおおおおおおおおおおお!!」


 ぱちぱちと頭のなかで星が散り、とんでもない喜悦に口元が歪み、はしたない声が漏れ出してしまいました。

 ああ、うそよ。

 なにこれ、こんなの、こんなの知らないぃぃぃぃぃ!


暗殺バックスタブ。これがひとつの極限ですよ、キリノ」

「な、なまへぇ、気軽に、よばないれぇ……」

「おや、ブーストの影響でへとへとのようですね。しかし、どうですか? 気持ちがよかったでしょう?」

「だ、だめぇ……こんなの、癖になっちゃうのぉぉぉ……」

「ですが、約束は約束です。もう一度、いえ、何度でも、この試験を受けてもらいますからね?」

「しょ……しょんなぁ……あへぇぇぇ」


 完全に放心してしまった私は、そのあと男に言われるまま、何度もバックスタブの訓練を積まされました。

 案山子の背後を貫くたび、私は何度も極限へと達してしまったのです。

 ……それが、騎士にはあるまじき卑劣な戦い方だとは、気が付くこともなく。

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