エピローグ

エピローグ


 結局ヒコはこれから人間に危害をくわえない限り無罪放免となり、追いかけられる心配もなくなった。上城家が襲われる心配もない。あの日、サンダルフォンの暴走の日から一週間後の昼間の事、上城家に私服姿のレミーがやってきた。・・・というよりは、庭先でコロを夢中でもふもふしていたところを洗濯物を干しに来たママ上に見つかった、という形。

 「あらまぁ。わんこ好きなの?」

 庭先で外国人がコロをもふっていたところで、もうママ上も動じない。どうせヒコか司に用があるんだろうと思っている。日本語が通じれば、何も問題ない。

 「っと・・・えっと、こんにちは!」

 サリエルに教わった通り、ぴしっと立ち上がって四十五度のお辞儀。ママは司より少し年上なだけに見える少年を見て、こんにちは、と微笑んで自分もお辞儀した。

 「ヒコちゃんに用事かしら?」

 「あ、えっと、これヒコに渡して下さいって、うちの隊長が。あと、これ、おみやげです!」

 紙袋と手紙をママ上に渡し、またお辞儀して、ててとレミーは走り去っていってしまった。ママ上は洗濯かごと紙袋を抱えたまま縁側でぽかーんとしていたが、

 「・・・ねぇコロちゃん、あれがチャーチとかいう組織?の子なの?」

 「そーだよ。しかも人間じゃねーし」

 「まぁ、色々あるのねぇ・・・でもママにはとっても良い子に見えたわよ」


 司が部活を終えて自宅に帰ってくると、ママがリビングでニュースを見ていた。何かもぐもぐしていると思ったら、ママの手には良い匂いのする焼き菓子があった。先刻レミーが持ってきたものだ。

 「あ、お袋ずるい!俺にもくれたっていいじゃん!」

 「ちゃーんと取ってありますよ。それよりこんな手紙がヒコちゃん宛に届いたんだけど、ヒコちゃん今日ずっと今日寝てるのよね。起こすのも何だし、あなたヒコちゃん起きたら渡しておいてちょうだい」

 クリーム色の簡素な封筒。見てみると、たどたどしい日本語で「ヒコどのへ」と書かれていた。裏面を見たら、思わず吹き出した。「めたとろんより」。どこかほっこりした気分になって、二階へ上がって制服から私服へと着替える。確かにヒコは深く眠りいって居る様だ。まぁコロのさんぽが終わったら、手紙を渡そう、そう思って司も敢えて起こすことはしないでおいた。なるべく音を立てない様に着替えを済ませ、静かに部屋を出て行った。




 ヒコは長い夢を見ていた。今までのチャーチとの死闘を、ととさまの分まで思い出していた。ととさまの記憶はそれは凄まじいもので、記憶が確かならばととさまは相当の強さを誇っていた。しかし血は啜っても決して止めを刺さず、いつも口癖の様に「贅沢は身を滅ぼす」と言っていた。結局ととさまが殺したのは、呉倉の村を燃やしたマスティマのみであった。

 そしていつの間にかヒコはととさまの乗る馬の鞍の前に座り、背中をととさまに預け、夜の森をカンテラの灯りを頼りに進んでいた。

 「ととさま。ヒコはおっきくなったらととさまの邪魔するちゃーち?なんかみーんなやっつけてやるのだ」

 だがしかし、ととさまの顔はどこか暗かった。

 「殺せば余計躍起になって追いかけてくる。同じ事の繰り返しだ。

 ヒコ、向かってきた相手を斬るだけでは解決しないのだ。いつか人間もそれが判る日が来ると私は信じている」

 当時のヒコには難しい言葉だったが、今なら判る。人間と魔物は、共存できないものだろうか。ととさまはその道を模索し続けていた様に思われる。

 「んー・・・よくわかんないのだ」

 「その内判る。ヒコは頭の冴える子だからな」

 ととさまの声がフェードアウトしていく。気付けばカンテラの灯りも段々しぼんできて、辺りは宵闇に包まれた。それと同時に、ヒコは現実世界へと目を覚ました。




 「あ、ヒコ起きた?」

 むっくりと身を起こしたヒコの気配に気付いて、司は宿題を片付ける手を休めて振り返った。ヒコはまだどこか夢の中に居る様な顔で、

 「起きたのだー・・・」

 「手紙きてるよ。『めたとろん』から」

 苦笑しつつ机の上に置いておいた封筒を、まだ寝ぼけ眼のヒコに手渡し。

 「なんなのだこれは・・・へったくそなひらがななのだ」


 一週間前には世話になった。チャーチには貴殿の生活を、人間に危害を加えない限り、妨害する事はならぬ、と既にこちらからチャーチ本部に伝達してある。隊員全員の怪我の治療も終えた。

 さて三日後の月曜、チャーチは本部へ帰還する予定である。ひいては帰還前の日曜、貴殿や貴殿の友人を招いて、ささやかな会食を行おうと思って居る次第である。貴殿の予定さえ合えば、是非顔を出してほしい。

 それでは、用件のみだがこの辺で。

                                           メタトロン


 「ふむ・・・中身はそれなりに達筆なのだ。多分代筆してもらったのだろうな」

 ヒコも苦笑を隠しきれず、読んでにやにやしていた。

 「友人って・・・俺とかコロも行って大丈夫なのかな?」

 「コロはヒコとは友人でもなんでもないが・・・まぁ大丈夫だろう。マティーナも誘ってやろうか」

 言いながら携帯電話を取り、ヒコはマティーナに電話を掛けた。暫し会話を続けて、大丈夫なのだ、ほんとに大丈夫なのだ、と説得する様な素振りも見せ、出るという合意に落ちたらしく、電話を切ってヒコの口から、はぁと溜息が漏れた。

 「『今度は医者の真似事なんかさせないでよ』・・・だそうだ」




 あの決戦の後日、すずはコロから「もうヒコはチャーチには狙われない」と聞いて、思わず持って居た水桶を地面に落としてしまった。あれだけしつこく、非情な手でヒコを追い詰め続けたチャーチの呪縛から、やっと解放された。それが嬉しくて、否、もうヒコが悲しい思いをすることはないのだ、と悟って、地面にしゃがみ込み両手で顔を覆ってわあわあと泣いた。コロが慌ててきゅんきゅんと小さく心配そうに鳴きながら、顔を覆っているすずの小さな手をぺろぺろ舐めて慰めようとしていた。すずの気持ちが天に通じたのか、静かに舞い降りてきていた粉雪が、ぴったりと止んで、昼の暖かい日差しが庵の庭へと降り注いできた。

 そしてすずは、司から預かった華炎の清めに二、三日を要する事になった。元々司用に力をわざと抑えて作られていたものを、強大な霊力で無理矢理メタトロンが使ったのだ。無理をさせた所為で華炎の刃には目に見えない刃こぼれや霊力の陰りが残っていた。これでは華炎の本来の能力を発揮できない。一週間かけて夕凪が打ち直し、すずが華炎に神通力を込める。 という流れ。

 一通りの仕事が終わって、後は泉に一日浸すだけ。白装束のすずはよいしょと立ち上がり、草履をゆっくり履き、華炎を持って外に出ると、気付けば外はひんやりした夕闇に包まれていた。

 そういえば今日は、ヒコがチャーチの本部でお食事会をやると司から聞いていた。おしょくじかいってどんなのなんだろう。いつも一人飯のすずにはわからなかったが、自分も行ってみたいなぁ、でも無理だろうなぁ、と思って、はぁ、と獣道を歩いてゆく。


 「お邪魔致しますわー!!」

 夜から始まる食事会の準備・・・まぁ即ち着替えであるのだが、着替え真っ最中のヒコと司は突然現れたルルに素っ頓狂に叫んだ。

 「ば、馬鹿者!男子の着替えの最中に飛び出してくるとは何事か!」

 「あら申し訳ありません、御免あそばせ。

 あのですね、ヒコ様がチャーチの老師を片方やっつけたとお聞きして、我が生協内でも特別報償をお送り致しましょう、という事になりまして」

 相変わらず笑顔を崩さずバッグの中をまさぐるルルだが、何処かヒコの顔は不機嫌顔。あの、サンダルフォンが消えた瞬間の複雑な喪失感にも似た感情を逆撫でされた様で、素直に喜べなかった。

 「こちらがヒコ様にはよろしいと思いまして」

 ルルはバッグの中から小さな青い箱を取りだし、それを覗き込むヒコと司の前でぱかとその箱を開けた。中に入っていたのは小ぶりな紅い宝石の付いたペンダント。

 「『霧のペンダント』と呼ばれる逸品ですわ。秘宝のひとつに数えられる事もございますの」

 薊丸や蝙蝠の指輪の様に意思を持つ事はないが、短時間の間「霧に姿を変えられる」という。つまり格子をすり抜けたり、姿を消したりもできるらしい。

 「ふむ・・・」

 「・・・ヒコ、気持ちは分かるけどさ、受け取りなよ」

 ぽんと背中を叩かれ、ヒコは司の方を頷き青い箱に収まったペンダントを受け取った。とは言えペンダントなど付けた事がないヒコは留め金を引っかけるのに四苦八苦、司に手伝って貰ってやっとついた。試しにペンダントに妖力を注いでみると、ヒコの身体がまさしく霧の様に服ごと消え去った。

 「どうでしょう、お気に召したでしょうか?」

 ルルが笑顔のまま問う。司は目の前の出来事に信じられないといった様子で口をぽかんと開けていた。

 暫くすると、しゅうと妖霧が固まって、ぜーはー呼吸を荒げて元に戻った。

 「こっ、これは・・・なかなか、体力を削がれるのだ・・・」

 これにはクスリと声を漏らして、ルルは言った。

 「ですから短時間、ですの。何せ身につけている全てを霧に変えるのですから」

 と、司がふと時計に目をやると、もう六時半。約束の時間は七時。

 「ルルさんすいません、俺等時間ないんで、」

 「お、そうなのだ。と言う訳でこれは有り難く頂いておくのだ」

 「それでは気をつけて行ってらっしゃいましー!お邪魔致しましたー!」




 宵闇をセルジュの翼で切り裂く様に、ヒコは司をぶら下げて飛ぶ。その速さは、対老師戦で一度死んだかの様な後に見せた奇跡の復活から、尚のこと力を増して居る様に司には感じられた。流石にコロまでは大きくて運べないので、仕方なくひとりで走ってこいと言ってリードを外したら、何故か喜んで家を飛び出していった。まぁ犬だから迷う事はないだろう。一度行った場所だし、と司は苦笑してヒコの手を握る手に力を込めた。

 教会の墓地に降り立つと、先日司が運ばれた建物の一角から煌々と柔い灯りが漏れている。

 ふと、開いていた窓から、何かの気配を感じたのか、

 「あら、十分遅刻よ。早くいらっしゃい」

 硬く微笑んでいるガブリエイラが顔を出した。窓から身を乗り出して笑っている彼女の右手には、ライフルではなく赤ワインが部屋の灯りを吸い取ってきらきら光っていた。

 窓から覗いてみると、豪華な色んな国の料理、おつまみにはカナッペ、クラッカーの上に何か黒いつぶつぶが乗っている(ヒコはキャビアなんぞ見た事がないから、それが旨そうとは思えなかった)。食事会はバイキング形式の立式パーティーで、各々好きな食べ物を小皿に取り、飲み物が欲しければ自分でドリンクバーに行く、という何ともフランクなスタイルの食事会であった。服装も全員私服で、司はちょっと畏まりすぎたかな?と思う程自由であった。ヒコはいつもの軍服に司のお下がりのコートだが。

 表に回り込み、正式にパーティー会場に乗り込むと、早速やっぱり絡んでくると思って居た奴がきた。

 「おーぼうず、ヴァンパイア!なーに警戒してんだ、飲め飲め!」

 「でっ、でも俺未成年ですし!」

 ウルが司の腕をぐいぐい掴んで引っ張って、酒の瓶が山ほど積まれている部屋の一角へと連れていこうとする。

 「上城さん、お好きなジュースは?」

 新人の仕事か、ラファエロがおぼん片手に問うてきた。

 「あ、オレンジジュースで・・・」

 「了解しました。少々待っててください」

 相変わらずの無愛想さで返答すると、会場を出ていった。

 さて、ヒコは呆然とするばかりである。もう五百歳を過ぎているのだからヒコは酒は飲めるのだが、余り表だって飲まないタイプである。眠れない朝に日本酒をちびりちびりするのが好きな方。と、徐に会場の奥のソファに座っていたメタトロンが、憑き物が取れた様な笑顔でこちらに手招きしている。メタトロンの皿には、これまた旨そうなエビチリが鎮座していた。

 「部屋の隅で固まっておったって仕方ないじゃろ。こっちに来んかい」

 それもそうだと思い、積まれていたコップに日本酒をコップ半分ほど注ぐと、メタトロンの元へ歩いて行き、ソファの空いているスペースへとちょこんと座った。

 「食べ物は要らんか。全部ミーシャの手作りじゃぞ」

 「こっ・・・これ全部?」

 ヒコの驚愕をよそに、エビチリをもぐもぐしながら、メタトロンは何でもなさそうに答えた。

 「チャーチの隊員は色んな所に行かされるもんじゃからのう。現地の旨い食い物くらいしか楽しみがないのじゃよ。ミーシャはあの通りの性格じゃから、各地でレシピを教えてもらってノートに書き写しておる」

 「几帳面にも程があるのだ・・・」

 「今頃厨房でメインディッシュを作っておる頃じゃろうよ」

 と、ばたんと会場のドアが開き、にっこにこのレミーとどこかしょんぼりした狼型のコロが姿を現した。

 「なんか買い出しの帰り歩いてたら、すぐそこでアフガンハウンドの雌に声掛けてフラれてたから連れてきたー」

 「・・・単に遅刻してきたーだけ言えばいいじゃねーか・・・」

 「ま、いーじゃねーか、なぁ!犬に酒飲ませていいんだっけ?」

 既に酔っ払っているのか、司の両腕を握ってぶんぶん振り回しているウルが問う。部屋の隅でひとりビール缶を開けていたラグが、ぼそりと答えた。

 「・・・駄目に決まってんだろ酔っ払い。水でもやってろ」

 と、その時ぴんぽーんと玄関から音が聞こえた。全員のアイコンタクトで、飲み食いできないレミーが行く事になり、すごすごと玄関へと向かった。

 暫くするとギィと扉が開き、マティーナとエミリオがやってきた。マティーナの膝の上には、深皿一個入りそうなバスケットがあった。

 「遅くなって悪いね。これ煮込んでたら時間の調節間違っちゃって」

 車椅子のタイヤをキュイと慣らしながら、マティーナはバスケットの包みを解き、蓋の付いた深皿をテーブルの開いたスペースにひょいと置いた。蓋を取ると、そこには良い匂いの漂うフランスの家庭料理、ポトフ。

 「兄さんの料理プログラムに一番最初に組み込んだ一品だからね。不味くはないと思うよ・・・っと」

 マティーナが口上を述べる前に、一斉に数人分もの箸が玉葱、人参、スジ肉を深皿から連れ去った。

 とりあえず厨房からまだミーシャが帰ってきてないとはいえ、人数は揃った。ビールとカナッペに舌鼓を打っていたサリエルが、徐に部屋の壁に立てかけられていたギターに手を伸ばし、じゃらんと弦の調子を確かめると、

 「さーてそろそろ大騒ぎしますか!」

 ヒコが敵性音楽だとずっと思って居たアメリカのカントリーを弾き始めた。そのすっぽ抜けた明るい曲調に全員がそれぞれの反応を示す。ラグは何でもなさそうにビールをぐいと一飲み、ガブリエイラは足でリズムを取りながら窓の外をじっと見て居て、司はウルとレミーのもう何が何やら判らないへんてこなダンスに巻き込まれ、コロはラファエロからささみジャーキーと水を頂いて伏せている。マティーナは見た事もない料理にDélicieux、Délicieuxと喰うのに夢中。後でミーシャにレシピを教えてもらおうと思っていた。

 ただ一人、メタトロンはサンダルフォンの事を考えていた。この場にもしも、と・・・否、ifを考えていても話にならない。もうサンダルフォンは居ないのだ。自分の手で。殺した。

 と、目の前にヒコが立っていた。その手にはおかわりの日本酒と、ブランデーを持って。

 「考えるな、トロン。失うことと忘れる事は違う。失わずに忘れろ」

 「・・・そうじゃな」

 皆がギターの音色に踊らされる中、ようやっとミーシャがどでかい皿を持ってきた。

 「いやぁ、遅れてごめんごめん」

 全員の目がミーシャの大皿に向けられる。メインディッシュが来た!

 「ラファエロ、空いてる皿片付けてくれないかな」

 「了解です、隊長」

 そう言って空いている皿やコップをてきぱきと片付けて空いたスペースに、どんとそれは置かれた。一見するとそれは、魚の形ををしたクッキーに見えた。

 「ミーシャ・・・なんじゃこれは」

 メタトロンが不思議そうに問うと、何故かミーシャは軽めのトンカチを腰に提げていた道具入れから取り出し、焦げ目の香ばしそうな所をかつん、かつんと慎重に叩いた。生地に罅が入り、ミーシャが箸で生地をめくる様に剥がしてゆく。ヒコが一番最初に気付いて、目を輝かせた。

 「成る程、鯛の塩竃焼きか!」

 こんがり焼けた塩の生地から出てきたのは、見事な大ぶりの鯛まるまる一匹。皆訳が分からず、ヒコとミーシャの顔を交互に見て首を捻ったりしていた。

 「料理番組で見て、美味しそうだから作ってみようと思ったんだ。結構手間は掛かったけど。何もつけずにそのまま食べるんだそうだ」

 「この白い生地は塩なのだ。鯛の身に塩味が染み込んで旨いのだ-」

 怖々とガブリエイラがまず箸を出した。

 「これ・・・このまま身を食べればいいの?」

 「そうなのだ。塩の部分はしょっぱいから手を出さぬ方がよいのだ」

 ぱくり。もぐもぐ。皆がガブリエイラに注目している。・・・ごっくんと飲み込んで、

 「・・・美味しい」

 そこからはまた男共の箸の乱舞。酒も進んでわいわい騒いで、ギターの音と共にどんちゃん騒ぎ。


 結局騒ぎは深夜丑三つ時まで続いた。酔いつぶれたり、もうそろそろ明日も早いし、と感じた隊員らがベッドルームに入って、残ったのは後片付けしているミーシャとラファエロ、そして相変わらず、眠りいっているコロをなでくりしているレミーと、メタトロンとヒコのみ。

 「ヒコ。貴様には悪い知らせかも知れんが」

 「ん?何なのだ」

 ミーシャは二人がまるで酔っていない様に感じた。さすがに魔物の胃袋は常人とは違うのか。

 「・・・」

 メタトロンは押し黙ったまま。ヒコは急かす様に、

 「なんなのだ。言いたい事があるならさっさと言えばいいのだ」

 「貴様には監視役をつける。それが元老院の条件じゃった。

 ミーシャ」

 「え!?」

 積み重ねた紙皿が、ばらばらと床のフローリングに落ちた。

 「監視役の責務、貴様に任す」

 「そ、そんなー・・・」

 「この面子の中で宣教師の資格を持っているのは貴様だけじゃ。教会の仕事と監視役を同時にこなせるのは貴様しか居らぬ」

 ヒコはソファにふんぞり返って、

 「ふん。ヒコには司がおる。血には困っておらぬのだ。安心するがいいのだ」

 「は、はぁ・・・」

 マティーナのポトフで蘇ってきたヨーロッパでの暮らしがまた遠のいた。




 翌日、ヒコと司は空港に居た。全員目立たない様に私服だが、彼等が乗り込むのはチャーチの専用機。もう荷物チェックはチャーチの権限でパスしている。後は搭乗するだけ。搭乗口でチャーチの一団、それに向かい合う様にヒコ、司、居残りのミーシャと立って居た。

 「それじゃあ、儂等の手を患わせぬ様な事はせぬ様に」

 「何を言うか、勝手にひとを患わせておいて」

 ふたり、魔物同士、口は汚いが心の中では別れるのが惜しい気持ちで一杯だった。それを現すかの様に硬く握手を交わして、メタトロンは搭乗ゲートへと歩いていった。他の隊員もそれに続く。

 ただ一人、ガブリエイラだけが振り返った。ミーシャの目をじっとみて、また前を向いて歩く。心なしか彼女の目は、涙が浮かんでいたかの様に潤んでいた。

 「男って鈍感だけど・・・アンタほどの鈍感は若以外に滅多に見ないわね」

 不意に薊丸から声がした。ミーシャに向けて言ったものらしい。

 「え?」

 「気付いてあげなさいよって事よ」

 それっきり、デュファイは口をつぐんだ。デュファイの言いたい事を察したのか、今度はセルジュが喋った。

 「坊ちゃま、そろそろ華炎の仕上げが出来ておると思いますじゃ。すず殿の庵に寄ってみては?」

 「お、そうだったのだ。司、行くぞ」

 「ああ、そうだな。行こう。ミーシャさん、また今度料理作ってくださいね!」

 ふたりの小さな影が、空港の出入り口へと消えてゆく。ミーシャはそれを見て居て、なぜガブリエイラだけが振り返ったのか、あの潤んだ瞳はなんだったのか、考えて途方に暮れた。


 くるり、くるりと旋回しながら降りてくるヒコの気配に、畑仕事をしていたすずはすぐに気付いた。

 「ヒーコーちゃーん!華炎、できてるのよー!」

 とすん、と地面を踏みしめたヒコは、かたじけない、と一言呟いてすずに軽く頭を下げた。司に先に庵の中に入っていろ、と言って、顔を挙げた。

 すずは華の咲いた様な笑みを浮かべ、

 「じゃあヒコちゃん、すずちゃんとけっこんしてくれる?」

 またか、とヒコは顔をしかめていやいやと頭を横に振った。


 夜半時、ヒコは戸の上霊園に行こうと軍靴を履いた。すると玄関先で、司に呼び止められた。

 「俺も連れてってくれないか?」

 華炎の調子を確かめたいらしい。あのガブリエイラの結界(張りかけだったとは言え)をも破り、司は段々刀の腕に自信を持ち始めた様だ。

 「・・・いいぞ。その代わり、自分の出来る範囲で自分の身は守る事なのだ」

 「じゃあ行こう!早く!」

 庭先に出て、いつもの様にヒコの腕を両手でぎゅっと握る。ヒコと司の身が以前にも増して凄まじいスピードで上昇する。




 僕の名前は上城司。何処にでも居る様な、変な趣味もなく、友人もそれなりに居る、只の中学生だ。

 ただ一つ他の人と違うのは、僕の親友は、ばんぱいやだ、という事だけだ。

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ロマネスクバンパイヤ かむいかやな @kayanacamui

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