第七話:まもののさだめ 後編


 それはヒコにもよく分からない現象であった。頭を打ち抜かれた瞬間、ととさまが現れて、謎の言葉を残してまた消えた。その一瞬後、ヒコが見た事も無い街や荒野の光景がハイスピードで周囲を流れてヒコの頭脳に染み込み、気付けば頭の傷は綺麗に癒えていた。

 これはととさまの記憶だ。ヒコは直感的に理解した。ととさまがこの世に生まれ出て読み漁った本、二百年の旅で見て来たものが今、ヒコの頭を駆け巡った。西洋の石畳、埃っぽいアラブの夜市、風吹き荒ぶ荒れ果てたシルクロード。

 そしてヒコにもたらされたものは、旅の記憶だけではなかった。有象無象のチャーチの刺客を倒してきたその戦法、西洋風の剣の扱い方、「薊」自身も忘れかけていたかたち。勿論「蝙蝠の指輪」も以前に増してスピード、羽ばたきの力強さ、ととさまが本気を出した時の二つの秘宝の強大な力をヒコは地面にどろどろと血糊を流しながら習得・・・否、ととさまが言うには「ととさまが今まで経験してきたこと」の殆どを「思い出して」いた。私の全てを受け継いだ筈、との言葉を思い出し、ヒコは再び目覚めた。今判った。ととさまは死んだのではない、ヒコの中で生き続けていたのだ。それが死を前提に行われる「代替え」の本当の意味だったのだ。




 一方胸からレイピアを引き抜かれたサンダルフォンは、ゆっくりと口からも血の雫を垂らしながらその場に崩れ落ちた。

 「ラファエロ、手伝え!」

 メタトロンの悲痛な叫びに、狼狽頻りのラファエロは慌ててサンダルフォンの胸の傷に緑の光を翳す。メタトロンは傷が肺を貫通しているのを、ひゅうひゅうという奇妙な音で察してマグナムを再び作り出し、傷の治癒はラファエロに任せ、意識のないサンダルフォンの左胸に心臓マッサージの様に、霊力の全てを注ぎ込んで撃って撃って撃ちまくった。

 もうこうなったら決闘などというレベルの話ではない。残りのチャーチの隊員は総掛かりでヒコに各々の武器を掲げて攻撃を開始した。それに呼応する様にまずコロが先方を切って飛び出し、図体からは想像もできない素早さでサリエルの眼帯の死角に走り込むと、ガードががら空きだった右上腕に思い切り牙を突き立てた。続いて華炎を叢から拾い上げた司がヒコとコロの居る戦場へと駆け、こちらに気付いて急いで結界を張ろうとしたガブリエイラの胴を浅くではあるが切り裂いた。途端、華炎から灼熱の炎が立ち上がり、斬った部分の軍服を焼き焦がした。兎に角直接攻撃でヒコの間合いに入らねばならない他の隊員よりも銀製の弾で銃撃を仕掛ける奴を先に片付けたい形。一方帰り道の階段をエミリオに抱かれて降りかけていたマティーナは、突如聞こえてきた激しい戦闘の音に気付いて振り返り、エミリオをもう一度城趾公園へと走らせた。そこでまずマティーナを驚かせたのは、一気に四人相手に殺陣を繰り広げるヒコのレイピアの巧みな剣術であった。あんな戦法、見た事がなかった。くるくると踊る様にレイピアで相手の急所を突き、もう片方の手で海嘯を持って相手の攻撃をなぎ払い、時には今までより一際大きくなった蝙蝠の翼で相手の攻撃を防御したり、蝙蝠の爪そのものを器用にはためかせ相手の皮膚を裂く。司やコロの支援を受けて、六対三の死合いをひっくり返し、ふうとヒコは溜息をついて、手の甲に飛んできた誰かの血糊をぺろと舐めた。

 後に残るのは、歴史の片隅に埋もれていた稀代のヴァンパイア、アスフォデルの力を見事に再現しきったヒコの血塗れの立ち姿と、華炎片手に額の汗を拭う司、そして何事もなかったかの様におすわりして後ろ足でぼりぼり耳元を掻いている狼型のコロの姿だった。

 「Oh LaLa・・・」


 ひゅう、ひゅうと精一杯生き続けようとしたサンダルフォンの呼吸が途絶えた。六五十年の歳月を生きたダンピールが、メタトロンの生涯の相棒である筈の弟が、口と胸を真っ赤に染めていた。

 「馬鹿者ラファエロ!もっと真面目にやらんか!」

 泣きそうな顔で、それでも銃を乱射し続けるメタトロンの腕を、ぎゅっとラファエロが掴んで・・・首を横に振った。

 「肺と合わせて大動脈も強い妖力でやられています・・・」

 ぼそと小さな、少し震えた声でラファエロは、これ以上の治癒行為は無意味だとメタトロンに告げた。メタトロンの眼前が真っ黒に染まる。

 だがそうなれば、メタトロンの「いつかやるべき仕事」を達成せねばならない。覚悟はとうの昔に決めていたのだ。メタトロンは銃を霧散させ、胸の前で腕を軽く組むと、震える唇で何をか唱えた。するとサンダルフォンほど強い霊力は感じられないものの、見た目は全く一緒の対の片手剣を両腕に具現化させた。

 「ろ、老師?一体何を・・・」

 狼狽するラファエロを尻目に、僅かにかたかたと震える腕で剣の片方を、あろう事か息絶えた己の弟の首筋にひたと当てた。


 メタトロンは初めて太陽の陽を見た日を思い出していた。サンダルフォンが四つん這いになってメタトロンの踏み台になり、メタトロンはそのまぶしさの正体を見て笑った。

 『はやくかわってよー、ぼくもみたい!』

 そして役割を交代して、今度はサンダルフォンが太陽を目にする番。サンダルフォンも、メタトロンと全く同じ顔をして笑った。お互い初めての事尽くしで、ふたり顔を合わせてニコニコと笑顔を見せた。

 そして時代はずっと後になる。緞帳の裏で指令を与えたあと、教会の奥にある談話室で、ふたりテーブルを挟んでお茶を飲んでいた。

 『お前さん、紅茶にとんがらしせんべいはどうかと思うんじゃがのう』

 『貴様のその砂糖倍増の焼きプリンよりましじゃ』

 常に一緒だった双子は、少なくともメタトロンは、こんな日常があと50年続けばいいと思っていた。


 「馬鹿野郎糞老師!さっさと首刎ねろ!」

 満身創痍で俯せに倒れたまま首だけなんとかメタトロンの元へと向けて、ラグは叫んだ。ラグが最も恐れる事態が、今目の前で進行している。

 だがメタトロンは確かに戸惑っている。己の弟に止めを刺さなければならない。早く、早く今のうちに!

 「・・・っ、」

 思い出と同時にトパーズの瞳から涙が溢れ出る。それが「ダンピールの使命」だと判っていても。

 ヒコも同様に戸惑っていた。図書館で調べたあの伝承が事実だとしたら。

 埒があかないと判断したラグはよろよろと生まれたての子鹿が立ち上がる様にゆっくりと身を起こし、もう両手の剣を作り出す霊力もないのか、己の腰に提げていたサバイバルナイフを鞘から抜き、これもまた覚束ない足取りで徐々にサンダルフォンの亡骸の元に近づいていった。

 その時。微かにサンダルフォンの胸が、呼吸を取り戻した。

 「な、なんで・・・さっき心肺停止状態だったのに・・・」

 信じられない出来事にラファエロは目を見張った。サンダルフォンはうっすらと目を開いた。しかしそのトパーズ色は消え去り、ヒコと同じルビーの色に染まっていた。

 「サナ、安らかに眠れッ!!」

 紅い目を見た瞬間覚悟を決めたメタトロンは首筋に当てた剣をもう一度振りかぶって、己の弟の首を今度こそ刎ねようとした。その刹那、すっかり傷の塞がったサンダルフォンの手が、額に汗を浮かべているラファエロの首筋を引っ掴み、がばと上半身を起こすと、訳もわからず固まって動けないラファエロの首に鋭い牙で噛みついた!その素早さと言ったら、メタトロンの剣は虚しく砂利を叩いただけに終わった位であった。ラファエロは悲鳴すら挙げられなかった。城趾公園内がじゅるじゅると血を啜る気味の悪い音で満たされる。ラグは間に合わなかった悔しさから砂利の床をどんと拳で叩き、他の隊員達は何が起こっているのか、理解できなかった。

 「矢張り伝承通りであったか・・・ならばこちらもととさまの本気を出させて頂く」

 ヒコはレイピアを、扱いやすい薊丸の姿に変え、海嘯を鞘に仕舞い、一度、二度、大きなセルジュの羽をはためかせると、いつあの「ばけもの」が襲ってきても良い様に構えを作った。

 「司、コロ。もういい、貴様等は下がっておれ」

 「ど、どうなってんだよ、なんであいつ蘇ったんだ!?」

 「伝承は真実だったと言う事だ。

 だんぴーるは死ぬと『ばんぱいや』として蘇る。今までだんぴーるとして生きてきて、血を吸っていなかった分をまず欲する。・・・下手すればこの地区の近くにある繁華街まで出て全員を殺しても650年の飢えには足りるまい」

 ヒコの供述を聞いて、その場の全員が顔色を変えた。そうだ。双子はいずれこうなる事を察していた。だから生涯の相棒であり兄弟であり、『ヴァンパイアとして生まれ変わった元ダンピール』を始末するのが運命られていた。メタトロンのトパーズの瞳から涙がこぼれ落ちる。もうこれ以上は吸えないと思ったのか、サンダルフォンはまるで大きなおもちゃを投げ捨てる様に、動かなくなったラファエロの身体をどんと突き飛ばした。ラファエロの顔に血の気はない。かなりの量を一気に吸われたのだろう、身動きひとつしない。

 「ガブリエイラ!動けるか!」

 コロに襲われて様々な箇所から出血しているものの、ヒコを相手にした4人よりは比較的軽傷だったサリエルが、サブマシンガンの安全装置を外しながらガブリエイラに問う。

 「え、ええ、大丈夫です、師匠!」

 恐らくサンダルフォンは城趾公園内に充満した血の匂いで殊更に我を忘れている。自分達銃撃隊が何とか足止めをしなくてはなるまい。だが狙撃や重火器を使うには、ひとつの障害があった。紅い目をぎらぎらと光らせ肩で息をしているサンダルフォンに、歩み寄るラグが居る所為で、数打ちゃ当たるとはいかなかった。ラグの瞳もどこかうつろで、ナイフ片手に蹌踉めきながら一歩一歩、砂利を踏みしめる様に歩く。

 「・・・まだ・・・まだばけもんになるにゃ早すぎンだろ・・・大事な事あんだろ、一人前になったら教えてくれるって言ったじゃねーかてめー・・・」

 このままだと恐らく次に血を吸われるのはラグだろう。そうしている内に、体力の限界か、足がもつれてどさりと横向きに砂利の上に倒れ込んだ。狙撃するなら今しかない。ガブリエイラはライフルのスコープを覗き正確にサンダルフォンの頭へと照準をあわせた。

 「・・・当たれッ!」

 ぴしっ、ツターン。風もなく、弾道は正確にサンダルフォンの額へと直撃した。この距離なら完全に脳にまで食い込んでいる筈。だがサンダルフォンは何の痛みも感じないのか、たらりと額から血を流したままこちらに歩み寄ってくる。

 第七、第十三小隊全滅か。サリエルがそう思った瞬間、彼の右側を紫色の風がびゅうと駆け抜けた。

 「兎に角繁華街に行かせてはならん!泣いていないで協力しろ!」

 風と思われたのは超高速でメタトロンの元へと飛んだヒコであった。呆然としているメタトロンの肩を掴んで揺さぶると、ようやく我を取り戻したのか、

 「ダンピールがヴァンパイアと共闘・・・か。それもまた・・・一興かも知れんな」

 「なら答えるのだ。どうやったらあの不死身を殺せるのだ?」

 トパーズの瞳が、光を取り戻し始めた。

 「あやつは秘宝を持っておらぬ。日光に当てるまで時間稼ぎするしかない。首を刎ねて・・・この銀の杭を心臓に打ち込む。それであやつは・・・この時間なら・・・夜明けまで足止めできる筈じゃ」

 ヒコはくるりと振り返り、公園の隅にいたマティーナに大声をぶつけた。

 「マティーナ!動けそうなやつから応急処置を頼むのだ!」

 兎に角人数が多いに越した事は無い。だがしかし。

 「えー、やだよ」

 「やだじゃない!呉倉の繁華街が血の海に染まるのだ!今度おまけで魔石のでっかいのやるから!」

 マティーナはニヤと笑い、エミリオに車椅子を押してもらって、

 「そこの液体金属の坊や。簡単な止血や縫合ならプログラムされてるね?」

 霊力をなんとか本来の形に戻れるまで回復させていたレミーに問う。

 「え、やったことねーけどォ、一応は・・・」

 「ならそこの銃撃班の止血を頼む。僕はミーシャとウルに付く」

 言いながらマティーナは車椅子から降り、手短に居たウルの上着を剥いで、消妖液を傷口に塗って、縫合を手際よく行っていく。もしウルが本来の力を取り戻せれば、あの小さなヴァンパイアの身体を自由自在に飛ばしまくって足止めさせる事ができる。

 ヴァンパイアと化したサンダルフォンが、初めて口を開いた。ラグのぐったりした身を引き摺り起こし、今にも噛みつかんとしている勢いをなんとか堪える様な笑みを浮かべ、

 「師匠を殺す気か?『ドーリス』」

 ドーリス。その名前で呼ばれる度、胸がむかつく様な気分を覚える。自分よりも背の高いラグの首根っこを引っ掴み、持ち上げて、

 「儂の可愛い弟子じゃから殺しはせんよ。また元の生活の戻ればよいではないか」

 「・・・ッ、あんな所に帰るくらいなら・・・てめーを殺してからにしてやンよ!」

 ヒコは再び駆けた。サンダルフォンの背中を思い切り薊丸で切り裂いた。一種の賭けだった。もし元の秘宝の持ち主であるスラヴの女王の血を色濃く引いているとしたら、薊丸はダメージを与える所か逆に回復させてしまうかもしれない。だがしかし、ダンピールの名残としてまだ霊力で動いているのだとすれば、薊丸はまたとないダメージソースになる。

 途端、じゅうと焼け焦げる様な音が響いて、その後サンダルフォンの絶叫が混じった。効いた。

 サンダルフォンはラグの細身の身体を投げ捨てる様に砂利の上に置くと、再び両手に青白い剣を作って邪魔された事に起因する激怒を表情に滲ませてヒコに斬り込んできた。それを薊丸で器用に捌きながらであるが、ヒコの目がサンダルフォンの剣に異常が発生している事に気付いた。小手から伸びている剣の根元が、うっすらと紫色に染まり始めていた。恐らく今サンダルフォンを突き動かしているのは、僅かに(とは言えその辺の人間の数倍はあるのだが)残った『ダンピール』としての霊力だろう。それはいずれ尽き、霊力が無くなったと同時に今度はヒコと同じ妖力で動く様になる。霊刀海嘯では力不足だ。薊丸が効く内にさっさと首を刎ねねばなるまい。

 かん、かん、きん、きん、と激しい攻防が続く。メタトロンは徐に呉倉城の階段に座って戦いを息飲んで見つめていた司に歩み寄り、驚き半分怖さ半分と言った体の司を見下ろした。司は口をあんぐりさせてメタトロンの顔を見上げ唾を飲み込んだ。隣でコロが唸っている。

 「な・・・何ですか?」

 メタトロンは一呼吸置いて、信じられない一言を放った。

 「貴様のその刀、貸してはくれぬか。生憎妖刀の類いは持ち合わせておらぬでの」

 いいのかな、と思いつつ、怖々と鞘に収まったままの華炎をメタトロンに渡した。メタトロンは鞘から華炎を抜くと、大上段で華炎をぶんと一振りした。すると司が使っている時の炎は見えず、ビリと電流の様なものが刀身から奔り、バチと小さな音を立てて何かが爆ぜた。

 「ほう、名刀だな・・・日本にはこんな銘刀を作れる鍛冶師が居るのか」

 ぱちんと音を立て華炎を鞘に収めると、メタトロンは脚部ブースターを発現させ、一気にヒコとサンダルフォンの斬り合いに突っ込んで行った。

 「そっか・・・使うやつによって力の出方が違うって言ってたもんな、夕凪さん・・・」

 と、司が呟いている内にメタトロンはあっという間にヒコとサンダルフォンの元に辿り着き、駆け抜ける勢いそのまま首を狙って一閃切りつけた。だが気配に気付いていたサンダルフォンはそれを軽く片手の剣でいなし、メタトロンは飛翔した勢いそのまま藪の中に突っ込んだ。だが全くの無傷ではない。剣がぶつかり合った瞬間、メタトロンは華炎の電流を発生させて、斬撃をいなした左腕の自由を奪った。

 「余計な真似をッ・・・」

 唸る様に呟いて、サンダルフォンは一旦ヒコから距離を置いた。左手がびりびりと痺れて痛む。

 その時、一瞬の沈黙を打ち破る様に、どぉん、と地響きが鳴った。瞬間、不思議な事に、城趾公園に敷かれた砂利がふわりと浮き上がり、サンダルフォン目掛けて四方八方から石つぶてが襲って来た!

 「ウルか!」

 「そーだよ、新米ヴァンパイアさんよォ!」

 消妖液と霊力薬の注射を受けて、なんとか十キロ程度のものを操れるまでに回復したウルが包帯まみれで立っていた。しかしウルから発せられる血の匂いがサンダルフォンの吸血欲を刺激したのもまた事実。応急手当をミーシャに行っていたマティーナは、少し拙いとは思ったものの、今やれる事はこれが精一杯。サンダルフォンの軽い身が、ブースターの出力を受けて驚くべき速さでウルに向かってくる。振り下ろされた右手の剣を、大きな十字架でなんとかはじき返した。剣は一本のみ、左手の自由を奪われ、苛立ちが極限まできていたサンダルフォンはガンガンと十字架を盾にしたウルを攻める。

 一方ウルと同じ応急処置を施され、目を覚ましたミーシャは、ひどい頭痛を覚えながらも辺りを見回した。薊丸のヒコと、華炎のメタトロンがタッグを組んで戦っていた様だ。銃撃班の怪我はそれほどひどくはなさそうだ。ウルを援護しに行こうとよろめき立ち上がった。しかしその時、遠くでぴくりとも動かないラファエロとラグを見つけて、思わず覚束ない足で走った。二人とも生きるか死ぬかの重傷を負っているのは見ただけで理解できた。

 「マティーナさん!こっちの治療もお願いします!もう時間が無い!」

 「えー、お断り」

 「お断りじゃないでしょ!今度美味しいポトフ作ってあげますから!」

 マティーナはまたもニヤと笑って、エミリオに医療鞄と自分を抱えて貰って、ミーシャが並んで横にした二人の様子を見る。両方とも酷い怪我であった。ラファエロの喉の咬み傷は一応止血はしたものの、なかなか出血が止まらない。動脈のすぐ近くまで牙は達して居た様だ。一歩間違えれば即死である。マティーナは自分で調合した止血剤を喉の傷に縫って、手際よく縫合の手を勧める。やられたのは急所だが、危ない

線は越えてなかった、との言葉を受けて、ミーシャは肩をなで下ろした。

 問題はラグだった。もう霊力による自己治癒力も殆ど残って居らず、右腕と左大腿骨を骨折していた。

 「ミーシャ、どっかから添え木になる様な太い枝を十本ほど刈ってきてくれない?」

 言われてすぐ、ミーシャは城趾公園の雑木林の中に駆けていった。

 「・・・闇医者として生きていくのも悪くないかも。ね、兄さん」

 ウルはなんとか耐えていた。体力には自信はある方だが、余りにも斬撃が激しすぎる。だがチャーチには霊力を持ったヴァンパイアなどという特異なケースを扱った実績がない。サンダルフォンの霊力と最強の霊力を持つロンギヌスを以てしても、恐らくサンダルフォンには通じない。はっきり言うならば、完全に妖力だけしか持たない「普通のヴァンパイア」にならなければ、チャーチは手も足も出せないのだ。

 しかしメタトロンは決意を固めて居た。

 弟に止めを刺すのは自分の仕事だ、と。

 「ヴァンパイアよ。背中を頼む」

 「え?」

 「呪われた血は呪われた存在でしか救えぬ。儂が奴に止めを刺す」

 メタトロンは華炎を構えてこちらを見ないまま言った。

 「貴様に兄弟殺しの罪を背負って生きる覚悟はあるのか?」

 ヒコの問いに、暫し間を置いて、メタトロンは答えた。

 「これも魔物のさだめじゃ」


 どうしてだろう。どうしてみんな、すぐにいなくなってしまうのだろう。

 ぼくがみんなとちがう存在だから?

 それともぼくが

 『まものだから?』


 一気にヒコとメタトロン、ウルが耐えているお陰でがら空きになっているサンダルフォンの背中へと駆け抜ける。砂利の上を駆ける為音が鳴り、サンダルフォンに気付かれたか、サンダルフォンがこちらを振り返ろうとした。が、間に合わなかった。

 第一撃、ヒコの薊丸が背骨すら砕く勢いで深く背中を切り裂いた。紅い血がヒコの頬を染める。唯一動く右手の剣を振りかぶって反撃しようとする。サンダルフォンがヒコの首目掛けて剣を振りかぶる直前、ウルが後退りして距離を取り、ヒコは猫科の猛獣の様なしなやかな動きで地に伏せた。

 そして伏せたヒコの影から、メタトロンが飛び上がり、

 かっと目を見開いたサンダルフォンの首を捉えた。


 ざしゅっ。




 『ねーねー、フェンシングやろうよ。楽しいよ、あれ』

 『俺は銃撃の方が好きなんだよ、相手なら先生にしてもらえよ』

 『えー、やだやだ!先生弱いし!トロンと一緒にやった方が楽しいし』

 『役割分担ってのがあんだろ。お前は剣撃、俺は銃撃。それでいいんだよ』

 『うーん、そうかな・・・そうなのかも。あ、でも今日のお昼ご飯は一緒に食べよう』

 『お前ねぇ・・・いつまで経っても俺のこと追っかけたってどうすんだよ。独り立ちしろよ』




 大量の血を浴びて、銀髪を真っ赤に染め、立ち尽くしているメタトロン。ヒコは何も言わず、砂利の上に転がった生首を丁寧に拾い上げ、眼球がこぼれ落ちるのではないかと思われる程大きく見開かれた瞳をすっとやさしく指で閉じてやり、メタトロンの反応を待っていた。五分位はそんな調子だったのではなかろうか。ウルも空気を読んでその場を立ち去り、初めて行う応急手当に四苦八苦しているレミーの手伝いに行った。

 なかなかメタトロンが喋らないので、ヒコが一言ぽつりと言った。

 「銀の杭は刺さなくてよいのか?」

 はっとした顔で現実に帰り、徐にヒコの腕に抱かれた弟の生首を見た。そうだ。約束したじゃないか。あの日、ダンピールは死ぬとヴァンパイアになる、と説明された大昔、サンダルフォンが言った一言。

 『僕がヴァンパイアになったら、トロンの手で死にたい』

 その時約束したじゃないか。「どちらかがヴァンパイアになったら、もう片方がその手で止めを刺そう」と。

 自分は約束を果たせたのだ。いつ終わるとも知れない永遠の魔物のさだめから、サナを救ってあげられた。それでいい。それで。

 雑嚢から銀の杭と木槌を取り出し、心臓のある場所に慎重に当てて、思い切り力を込めて打ち込んだ。首を切った瞬間のショックと比べれば、どうという事はなかった。時刻は既に午前二時を少し過ぎている。そのまま城趾公園で日の出まで待つことにした、が。

 「貴様等は病院に行ってこい。ラグとラファエロの扱いは慎重にな」

 「了解、老師」

 一糸乱れぬ動きでチャーチの隊員は、サリエルを先頭として敬礼。

 その頃ヒコは、司に華炎を渡して、

 「ありがとう、だそうだ。強い霊力の持ち主を斬ったのだから、一応明日朝一番で夕凪の所に行ってみてもらうのだ。もう遅いから、貴様とコロは帰った方が良い。またママ上に叱られてもアレなのだ」

 「俺達だけって・・・ヒコはどうすんだよ」

 ふとヒコは背後のメタトロンの背中を見て、・・・また司を見て言った。

 「ヒコは日の出まで見届けるのだ。不測の事態がないようにな」

 なんだか不穏な予感がする。もしかしてこれからまたあのダンピールと一戦交えるのでは・・・。しかしそれを察したヒコは笑って、

 「もうこっちも向こうも疲労困憊なのだ。一戦交えるなどするものか」

 けらけら笑ってみせると、司も笑った。コロも笑った。

 と、背後からマティーナの声。

 「じゃあ僕等も帰るよ。怪我は自分で寝て治すか医者に診て貰うかしてくれ。Au revoir」

 「さってと・・・なんかあったら連絡くれよ、ヒコ」

 そう言い残して司はコロのリードを繋ぐと、城趾公園を後にした。


 そして残ったのは、ヒコとメタトロンだけ。ふたり何を言うでもなく、公園の芝生に座って、目の前に並べられた死体を見て居た。

 「特例じゃ。今回の恩での」

 つまり、もうチャーチはヒコに危害をくわえない、と言いたいらしい。

 「貴様は・・・ずっと五百年独りで寂しくなかったのか?」

 突拍子も無い質問に、ヒコは背伸びをしながら答えた。

 「ヒコにはセルジュもデュファイも居る。それにヒコの中にはととさまも居る。だから寂しくないのだ」

 「その使い魔と対等の立場で付き合える精神構造が判らぬ。日本人は皆そうなのか?」

 「んー・・・まぁ、家族みたいなもんなのだ。おかしいか?」

 ぷっ、とメタトロンが吹き出した。悪意はなさそうだ。使い魔を「家族」と捉える主を初めて見たからである。考えれば考える程面白おかしく、遂には大笑いしてしまった。こんなに笑ったのは何十年ぶりだろう、とも思った。

 「何が可笑しいか、このめ、メメタァ、・・・?何といったか」

 「名前か?メタトロンじゃ。トロンで良い」

 今回の特例、チャーチとしては筋が通らない話かも知れない。神に仇為す存在を抹殺するのがチャーチの仕事なのだから。しかしそれが元老院を通るか通らないかは別として、純粋に、話していて楽しいと思えたのはサンダルフォンと、このヒコだけであった。

 空が白くぼやけてゆく。日の出が近づいたのだ。今生の別れ。しかしそれは、サンダルフォンにとっては救いだったのかもしれない。ヴァンパイアとして日の目を見れず暗闇の中で永遠に生きるよりは、ずっと、ずっとましなのかもしれない。太陽の光が完全に城趾公園に差し込んできて、サンダルフォンの亡骸はととさまと同じく砂となって冬の冷たい北風に吹かれ、すぐ傍にある川へと落ちてながされてゆく。気付けばメタトロンはなにも言わず、トパーズの瞳から涙を流していた。寄り添う様に座って居たヒコは、何も言わずにいた。


 魔物には、魔物のさだめがある。

 それに従って生きるだけの事。それは人間より遙かに長い時間だが、中身は人間と変わらない。

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