第七話:まもののさだめ 中編


 言われた通りヒコは、すずの庵の庭に降り立った。普段ならもう寝ている筈のすずが、囲炉裏の前でしょんぼりと座っていた。その背中は寂しさを纏って、尚のこと小さく見えた。

 ヒコの気配に気づき、すずは庭を振り返った。よほど泣き腫らしたのか、大きな瞳が真っ赤に染まっていた。なぜすずがこんな風になっているのか分からないヒコは戸惑った。するとすずはばたばたと草履を履いて、当惑しているヒコの胸の中に飛び込んで、わあわあと泣き始めた。

 「ど、どうしたのだすず!チャーチに何かされたのか!」

 すずは何も答えず、ただヒコの胸ぐらに顔を埋めて肩を震わせ泣いていた。

 行かないで。本当は言いたかった。でもそれは、一番言っちゃいけない言葉だった。

 これから命を賭して戦地に向かう者を、だれが引き留められようか。

 そうしてヒコも、どうしてすずが泣くのか分かってきた気がした。顔を真っ赤に染めて、すずの頭を、柔らかい髪を、ぽんぽん、と叩く様に撫でてやって、

 「大丈夫なのだ。ちゃんと帰ってくるのだ。まだ今年は貴様のかぼちゃを貰ってないのだ」




 次の日、決戦の日。

 「お袋、今日ヒコと一緒に出かけてくるから」

 部活を終え、帰ってきた司の言葉に、台所に立つ母は振り返らなかった。

 この間、母に上城家とヒコの因果を伝えた。母はくせなのか、片方の頬を押さえて小首を傾げ、暫く何か考え込んでいたが、そう、そんな事があったのね、その一言しか言わなかった。

 それからの母の態度に変化はなかった。

 「そう、何時くらいになるの?」

 「日付が変わるまでには帰ってくる。コロも一緒に連れてくから」

 「そう。気をつけてらっしゃいね」

 母子の会話は、それだけで終わった。

 司は階段を上がり、自室に入った。寒い中窓を開け、黙って半月を見上げているヒコの後ろ姿があった。司が声を挙げる前にヒコは振り向き、すっくと立ち上がると司を見ずに言った。

 「・・・今回は難しいかもしれんのだ」

 「え?」

 「こないだミーシャが言っておった『逃げろ』の意味が知りたくて、今日図書館に行って来たのだ」

 ヒコは司にぽいと何かを投げた。手帳ほどのノートには、古風で流暢な、流した様な字体の文章が書き込まれていた。

 「・・・読めないよ、ヒコ」

 「まぁあくまで文献を漁っただけの話なのだ。真実かどうかも分からぬ。ただ厄介な相手だというのは分かったのだ」

 ヒコは窓をぴしゃりと閉じ、腰に下げた薊丸と海嘯の具合を確かめて、言い放った。

 「そろそろ時間なのだ。着替えて準備が出来る頃にはいい時間なのだ」

 「あ、ああ・・・分かった」


 小門から呉倉城趾公園までは夜半人通りも少なく、マティーナが自己防衛用の硫酸や傷薬、そして簡易霊波結界石を鞄に詰めてエミリオを伴い歩いていても職務質問などされそうにないのが良い所だった。エディット・ピアフを口ずさみながら夜道を行くマティーナは、実のところ先刻ヒコが言っていた「逃げろ」の意味を知っていた。だが、マティーナだってそういう話を伝承としてまとめたものを読んで知っているだけの話であって、確定事項ではない。しかしもし確定事項だとしたら・・・面白い事になりそうだ。思わず口ずさんでいた歌の間にクスクスと含み笑いを漏らして、

 「ねぇ兄さん、もし伝承通りだとしたらどうする?僕等も犠牲かな?」

 まるで他人事の様に楽しんでいる。その辺りマティーナと言う人間は、命というものへの価値観がまるで人とずれている。




 ミーシャが数日前から悩んでいるのを、ガブリエイラは心配を以て見て居た。何を悩んでいるの?等と直球な質問は出来そうになかった。自分には話して欲しかったが・・・どうせ彼はまた何もかも一人で抱え込む心算なのだろう。少し憎らしく思った。

 ガブリエイラは軍服に着替えライフルの調子を確かめて、男連中が軍服に着替え準備している部屋へと踏み込んだ。

 「なっ、何だよガブリエイラのエッチ!」

 ふざけて甲高い声で叫ぶウルにビンタを食らわして、部屋の奥、先日の戦闘スーツとは違い正式の軍服を着付け終わって窓際で煙草を吸っているラグの目の前につかつかと歩いていく。恐らくミーシャが知って悩んでいる事とは、あの時ラグが言おうとして老師に止められた「機密事項」の事だろう。

 「ラグ。説明して頂戴」

 気付けば彼の傍らに立ち、ライフル片手に提げて、問い詰めていた。

 「何をだよ糞女」

 「あの時老師が止めた『機密事項』。私達にも説明して頂戴」

 ふうっと煙草の煙をガブリエイラの顔に吐き、苦い顔をしたガブリエイラを心底阿呆らしいものを見るかの様な目つきで見て、ラグは言った。

 「機密事項ってな秘密にしておかなきゃなんねーから機密事項ってんだ。喋るもんかよ」

 「もうここまで来たんですもの。私達は自衛の為に知る義務があるわ」

 秘密主義はこれ位にして頂戴、と言おうとしたら、背後から声が聞こえた。メンバーの声ではなかった。

 「ダンピールの秘密は今ここで喋る訳にはいかない」

 ミーシャの傍らに現れたアーレフが、主上に命令されずして喋った。ミーシャも驚いた顔で、アーレフのバイザーに覆われた顔を見上げていた。

 「あ、アーレフ・・・」

 「言わねばならない時は私から言おう。ミーシャは関係ない」

 「何言ってんだアーレフ!そんな事したらお前が抹消されるんだぞ!」

 ラグはミーシャとアーレフのやりとりに心底苛々してきた。

 「ばーか!」

 部屋中に響く程大声で叫んだラグの一言に、混乱の様相を呈していた一同は竦み上がった。

 「そんな甘っちょれえ事やってっから糞じじいになめられんだよてめーらは。

 いざとなったら説明する前に俺が問題解決してやんよ、面倒臭え」




 そうして時刻は午後九時。城趾公園の松林の少し開けた場所に、ふたつの集団が居た。

 片方は黒い軍服に身を包んだ七人と、その前に立つふたつの小さな影。銀髪が半月の光を浴びて尚のこと輝き、トパーズの瞳はこれからやってくるであろう百年の沈黙を破る大きなイベントを待ち焦がれて居た様にきらきらと光っている。

 片やそのもう一方、薊丸と海嘯を携え、じっと立って居るヒコの瞳は血に飢えた獣の様に、真っ赤に光っている。その後ろには初めて見るダンピールに興味津々と言った様子のマティーナ、緊張して肩をいからせ華炎に柔く手を添え突っ立っている司、そしてその傍らでおすわりの体勢を取っているコロ。

 「よく来てくれたのう。取り敢えず礼を言うぞい」

 何を思ったかにっこり笑って、サンダルフォンは軍帽を取りヒコに頭を下げた。

 「・・・う、うむ」

 狼狽するヒコを見て、また軍帽を被り直すと、

 「そいではそろそろ始めようかのう、トロン」

 サンダルフォンの問いかけに、メタトロンが周囲に聞こえる様に叫ぶ。

 「この戦いは儂等老師とヴァンパイアのみの対決とする!手出しは互いに無用!よいな!!」

 横一列に並んでいたチャーチの七人が、サリエルの動きを合図に、ばっ、と敬礼の形を取る。

 「軍隊ごっこは気が済んだか!行くぞ!!」

 ヒコが一歩早くセルジュの羽で上空へと舞った。まずは相手の仕手から探らねばならない。薊丸を抜いて双子を見下ろした。すると、

 ブゥン、と低い、蝿の飛ぶ様な音が響き、サンダルフォンの両手と両足が青白く光った。闇夜に浮かんだのは、ラグが使って居た霊力の剣とブースター。サンダルフォンはかつてラグがそうした様に重力に反して空を切り裂く様にヒコの元へとかっ飛んだ。

 それを驚きの目で見たレミーが、隣に立って居るラグの腕を掴んで大声で言った。

 「ら、ラグー、あれお前の技じゃんかよぉ!」

 「ったりめーだろ、あのじじいが俺の師匠なんだから」

 衝撃の事実をあっさり話すラグ。空中戦にもつれ込んだヒコとサンダルフォンの、刀と剣とがぶつかり合う音が城趾公園に響く。ラグと同じ装備、戦法とは言え、並外れた運動能力を持つダンピールの、疾いサンダルフォンの斬撃に、ややヒコは遅れを取り始める。

 「どうしたんじゃ?まだトロンも動いてないのに疲れが出てきたんかのう?」

 「・・・っるさいのだ!」

 薊丸がサンダルフォンの胴体に斬り込む。しかし相手は見切っていたかの様にそれを交わした。だがそれはブラフ。ヒコの狙いはがら空きになったサンダルフォンの顎だった。がつん、と軍靴で蹴り上げると、サンダルフォンの身体がくるりと宙で一回転した。だが意識の混濁は見られず、ブースターの出力を細かく調整してまた元の体勢を保つ。

 「流石はヴァンパイアじゃのう。だがこれはどうじゃ?」

 サンダルフォンの右手首の剣が、ヒコの胸元を一文字に斬ろうとする。ヒコは焦らずに薊丸を持ち直し、刀で弾こうとした。が、

 不思議な事に剣が薊丸をすり抜け、ヒコの胸元を浅く斬った!

 「な、何!?どういう事!?」

 慌てたデュファイの声が薊丸から響く。ヒコも吃驚して目をまん丸くしている。

 「ま、マティーナさん、今のどういう事ですか?」

 地上からヒコを見守っていた司が、隣に居るマティーナに問うた。

 「簡単な事さ。刀がぶつかる一瞬前に剣を霧散させて、刀をすり抜けた所でもう一度剣を出す。簡単に聞こえるかも知れないけど凄い技だよ。一瞬だけ霊力を押さえてまた次の一瞬で復元させるなんて」

 つまるところ、サンダルフォンは自分の膨大な霊力を自由自在に操れる、という事である。霊力の強さは感情に左右されやすい為、扱うのが難しい。勿論チャーチの七人も或る程度は自分の霊力をセーブしたりできるが、ここぞという時に強く霊力を一瞬で放ったり消したりとなると結構な訓練が要る。それを笑いながらサンダルフォンはやってのけた訳である。

 「成る程、下っ端七人とは格が違うという訳か」

 だがヒコも負けてはいない。間合いを取ったサンダルフォンの元へ、セルジュの羽で加速をつけ一気に飛び込む。サンダルフォンは分かっていたかの様に再び剣でガードを固めるが、ヒコの真の狙いはサンダルフォンの足であった。薊丸から2本の蔦を伸ばし、サンダルフォンの足首、丁度ブースターが装備されている所を巻き固める。今まで余裕綽々の顔をしていたサンダルフォンもこれには驚き、剣で蔦を斬ろうとした。だがしかしブースターの自由が利かず、中空で体勢を崩したサンダルフォンを、ヒコは肩口からばっさりと斬り込んだ。

 「くっ・・・!トロン!」

 サンダルフォンが叫ぶや否や、それまで場を見守っていたメタトロンが弟の叫びに呼応する様に、すっと諸手を胸まで挙げ、両の掌に青白い光を作り出した。するとぼやけていた光は一気に場の霊気を吸収し、銃の形を作り上げるとメタトロンの手に収まった。やや大きめのクラシックなデザインの小銃をサンダルフォンとヒコの取っ組み合いに向けると、何を言うでもなく二人に向けて乱射した!

 「セルジュ!」

 飛んできた青白い弾丸を防ごうと、セルジュの羽でガードを固める。ぶす、ぶすん、と音を立ててセルジュの羽に焼け焦げた様な穴が開く。しかしこんな接近戦の場で銃なんぞ乱射したら自らの弟にも当たるのではないか、とヒコは墜落していく中セルジュの羽の隙間からサンダルフォンを見上げた。

 それは驚くべき光景であった。まるでラファエロが嘗てヒコとの戦闘の際にそうした様に、弾に当たったサンダルフォンの傷が癒えていく。

 「成る程、標的となる相手が自分と全く同じ霊力を持つ者であれば、それはダメージにならず僕の回復弾と同じ効果を為す、という訳ですか!」

 ラファエロが珍しく興奮した様子で状況を説明する。

 「という事は・・・」

 ウルの問いに、ミーシャが静かに呟いた。

 「老師のどちらかを先に倒さないと、ヒコに勝ち目はない」

 回復役がいるのならば、そちらを倒す方が先決とヒコは考えたのか、セルジュのぼろぼろの羽を何とか繰って着地すると、一気にメタトロンとの間合いを詰めようと駆けた。当然の事ながら、青い弾丸・・・否、エネルギー弾が前方から横殴りの雨霰の様に降ってくる。ヒコの頬や軍服を焦がす。が、ヒコは怯まず間合いに入り、満身創痍のままメタトロンの、自分より少し大きいだけの少年の様な身体を袈裟懸けに斬った!

 「貴様ッ・・・なめるな!!」

 肩口からばっさり斬られて紫色の妖力に染まった傷口を左手で押さえ、メタトロンは距離を取ろうと霊力を一気に爆発させた!びょうとつむじ風が起こり、そして衝撃波の様に周囲に音速で広がる波動をまともに食らったヒコは耐えきれずにどさりと地面に尻餅をついた。しかも衝撃波はそれだけに止まらず、司やコロ、マティーナの居る公園の隅や、その反対側に位置するチャーチの七人をも襲う。


 司がひどい吐き気を覚えて膝をついた瞬間、コートのポケットに入れておいたすずのお守りから暖かいものを感じた。それと同時に吐き気が収まり、動悸が落ち着いてゆくのを感じる。

 「司、どした?なんか今すごいひんやりしたのが来たけど・・・」

 コロには霊力も妖力も感じる能力がないのか、ただ猛烈な風が吹いてきたとだけしか認識していないらしい。強いミントを嗅がされた時と同じ様な感覚でいるらしく、頻りにくしゅん、くしゅんと鼻を鳴らした。

 「お、俺は大丈夫・・・、マティーナさんは!?」

 あの猛烈な霊力に車椅子が耐えきれるとは思えない。何処かに飛ばされたのではと辺りを見回すと・・・平然と元の場所で、翡翠色の結界石を持って肩肘ついて車椅子に座っているマティーナと、それに寄り添うエミリオが居た。どうやらあの結界石で霊力の衝撃波を防いだものらしい。しかしマティーナの膝掛けにはばらばらに砕け散った結界石があった。

 「流石にあの威力じゃ、純正の結界石でも一回が限度みたいだね」

 そう呟いて、わくわくしているとでも感じ取れる様な笑みを浮かべ、司を見ずにヒコと双子の死闘を見て居る横顔があった。その向こうには、強烈なつむじ風に巻かれて髪をばさばさにしたチャーチの七人の姿があった。こういった事象は訓練で馴れているらしく、誰も慌てる様子も見せない。

 が、司はヒコに目線を向けた瞬間、叫んでいた。

 「ヒコ、上だ!」

 起き上がろうとしていたヒコが司の声に反応し上を向くと、先刻までのひとをからかう余裕すら見せていたサンダルフォンが悪鬼の如き表情を見せて剣を振りかぶり急降下してきていた!寸での所で横に転がり剣の直撃を免れたヒコは起き上がると薊丸を構え直してサンダルフォンを睨んだ。先刻蔦で壊した筈の脚部ブースターは、既に元通り青白い光を放っていた。

 「たかが五百年と思って手加減しておれば調子に乗りおって・・・叩ッ殺してくれるわ!!」

 己の兄が斬られたのが、余程頭に来ているらしい。サンダルフォンがここまで豹変する様子を、ラグでさえ知らなかった。




 初めてその「秘密」を老師達から聞いた晩、ふたりは黙ってそれぞれのベッドで眠りにつこうとした。

 暫くして、ぺたん、ぺたんとスリッパが鳴る音がして、メタトロンのベッドに何者かが潜り込んできた。言わずもがな、潜り込んできた相手は分かっていた。サンダルフォンだ。狭いベッドの中、サンダルフォンは何を言うでもなく、背を向けていたメタトロンの、自分と同じ小さな背中に、ぴたと両手と頬を当ててじっとしていた。メタトロンも何を言うでも振り向くでもなく、ただサンダルフォンに背中を貸してやって、その晩は眠った。




 「傷は浅い!サナ、我を失うな!!霊力の飛ばしすぎは疲労を増すだけじゃぞ!」

 メタトロンが、ヒコと激しく鍔迫り合いを繰り返すサンダルフォンに叫ぶ。だがサンダルフォンの剣撃は止まず、息の上がってきたヒコに容赦なく剣を振りかぶり、ヒコが少しでも構えの隙を作るとそこを的確に突いてくる。メタトロンは先刻の霊力の放出で霊銃のエネルギー補填に時間が掛かっているのか、苦々しい顔をして戦況を見守るしかなかった。斬られた傷に染み込んだ妖力が霊力の放出と共に吹き飛んでいたのが幸いと言った所だろうか。

 他の人間や魔物には一見分からないだろうが、明らかにサンダルフォンは怒り、否・・・怒りを伴う恐怖に我を失っている。メタトロンにはその理由が分かっていた。サンダルフォンは「死」を恐れすぎる程恐れている。あの「機密事項」を聞いた時からそうだった。自分の、そして片割れのメタトロンの「死」がサンダルフォンは怖いのだ。否、それはこの双子にとってはただの「死」より過酷な運命の始まりだからである。故にサンダルフォンは第十三小隊を秘密裏に構成し、人質を取るといった卑怯な戦術にまで手を染めた。それもこれも、自身達双子が表に出るのを恐れた故の行動であった。そしてそれも失敗に終わり、只の人間にはヴァンパイアは倒せないという結論に至った時、サンダルフォンはより絶望した。今回の出撃も、半分はやけっぱちの行動であった。己の力を試したいという好奇心もないではなかったが、その底では常に恐怖がたゆとうていた。

 そして現実に目の前で己の兄が斬られた時、サンダルフォンの漠然とした死への恐怖が爆発した。自分が死ぬより辛い「兄の死」が眼前に迫って、兄の、そして己の死が現実味を帯びてサンダルフォンの脳裏を焼き尽くした。その結果がこの激怒の爆発である。

 「ほう・・・ヒコが怖いのか?ダンピール」

 ヴァンパイアは微かなサンダルフォンの恐怖の匂いを嗅ぎ取って、にやと笑った。形勢逆転、身を獲物を狙う豹の様に地面に伏せる様に下げ、剣を滅茶滅茶に振りかぶっていたサンダルフォンの足を掬う様に蹴り飛ばした。ブースターで体勢を整えようとするも、うまくいかずサンダルフォンは地面にもんどりうって、初めて自分の頬を土で汚した。

 「この・・・!」

 身を翻し、もう一度剣を振るったサンダルフォンの一撃を難なく躱し、サンダルフォンの地面についたままの左手を、ヒコは薊丸で杭を打つ様に地面に突き刺した!

 「あああああああっ!!」

 初めて覚えた激痛。サンダルフォンは痛々しい悲鳴を挙げた。

 「まだこんなものでは死ねぬぞ。死とはそんな生易しいものではないのだ」

 ざくっと音を立てて薊丸を抜き、怯えの色に染まっているトパーズの瞳を見つめ、薊丸を振りかぶった、その時。

 先刻より大口径の光弾が、ヒコのこめかみをぶすりと、音を立てて射貫いた。

 赤い目をかっと見開き、ゆらりと上体を揺らし、頽れる様にヒコは倒れた。

 誰もが驚きの目でその光弾を撃った主を見つめた。先刻の二丁拳銃より大口径のマグナムの様な銃を手に形作ったメタトロンが、ヒコを、ヴァンパイアを射止めた、

 殺した。




 「ヒコちゃん・・・?」

 布団からがばと起きて、すずはぽろぽろと涙をこぼした。全く無意識の、直感であった。

 ヒコの匂いが、あの大好きな匂いが、呉倉から消えた。




 司は気付けば叫んで華炎を抜き、メタトロンに向かって走り出していた。が、冷徹なトパーズの瞳がきらりと光り、マグナム銃が火を噴いた。華炎が弾かれ、遠く離れた叢にぐさりと突き立った。

 それでも司の瞳は、闘志を失っていなかった。

 「てめえええ!よくもヒコをおおおお!!」

 「ばか!司落ち着けって!」

 またメタトロンの元に駆け出そうとしている司のコートを、コロが咥えてなんとか引き留める。マティーナはつまらなさそうにエミリオに家路に付く用命じ、司から視線を逸らした。メタトロンの前には、いち早くロンギヌスを具現化させたミーシャが、司の凶行から己の上官を守る様に立ちはだかっていた。

 「お前らだって!お前らだってヴァンパイアのハーフなんて化け物じゃねーか!なんで自分達が許されて純正のヒコが許されないんだよ!!おかしいだろ!!」

 チャーチの列に混じったままのラグは司の悲痛な叫び声を無視する様に煙草に火を付け、ふうと煙を吐いた。取り敢えず「最悪の事態」は免れた。自分の手を汚す事もしなくてよくなる。万事うまくいった。

 徐に、ヒコの死体に目をやってみる。銃弾はこめかみから頭を突き抜け、逆のこめかみから抜けている。横向けの倒れたヒコの頭から、どくどくと血が溢れ出して地面に吸い込まれていくのを確認した。

 呆気に取られたまま地面にへたり込んでいるサンダルフォンにメタトロンは歩み寄り、無傷の方の手を取ると、引っ張り上げる様に起こし、ぺちと軽く頬を叩いた。

 「馬鹿者。調子に乗りすぎじゃ」

 「あ、ああ・・・」

 「もうよかろう。撤退するぞ」

 ぞろぞろとチャーチの面々が、城趾公園を後にする。司はヒコに駆け寄り、ぼうと目を開いたまま息絶えているヒコの顔を覗き込んで、血に汚れた地面にへたり込み、ぐすぐすと泣き始めた。コロも何を言っていいのか分からず、ただ司に寄り添う様におすわりしていた。




 『・・・ととさま?』

 光の中、ヒコは眩しそうに目をぱちぱちさせて、光源の方を見た。余りにも強い、まるで太陽の様な光の中に、見覚えのある、懐かしいシルエットを見つけて、思わず駆け寄った。

 『ヒコ・・・来るんじゃない』

 『え?』

 間違いなくととさまの声だった。だが来るな、という。反射的にヒコは駆け寄る足を止めた。

 『覚えているか?儀式の途中、私が言った事を。

 お前は私の全てを引き継いだ筈だ。薊も、蝙蝠の指輪も』

 『そ、それは・・・聞いたのだ。だからヒコは薊丸も指輪も使え・・・』

 逆光に染まってよくわからなかったが、ととさまは少し微笑んでいる気がした。

 『だったら分かる筈だ。私の記憶の中に身を委ねろ』




 レミーは嫌な予感がして、もう一度ヒコの方を振り返った。妖力も感じ取れない。完全に息絶えている。なのにこのざわつきは何なのだろう。閾値の範囲内とは言え、誰にも、老師にも感じ取れない程の微弱な何かがレミーのCPUに反応している。

 「おいレミー!帰るぞ、遊んでるんじゃない!」

 サリエルの声に急かされる様に、レミーは前を向いて歩き始めた。その瞬間。

 レミーの様子がおかしい事に気付いて自分もヴァンパイアの方に視線を投げていたガブリエイラが、飛んでくる物体を目視した。かっと目を見開き、咄嗟にスパイダー・ネットを一団を囲む様に張り巡らした!物体は鋼鉄の爪でガブリエイラの結界を易々と破り、妖刀でチャーチの面々を切り倒すと、こちらに気付いて振り返ったサンダルフォン目掛けて妖刀を振りかぶった!

 「何!?」

 それは間違いなく、息絶えていた筈のヒコの姿であった。サンダルフォンは一瞬で両手の剣を形作り、ヒコの斬撃を跳ね返そうとした。だが剣がぶつかる直前、薊丸が紫色に光り、ととさまの使っていたレイピアへと姿を変えた!レイピアの「薊」はサンダルフォンの剣をガリガリと削り、薊丸にはない突きの一撃を以てサンダルフォンの右胸を背中へと突き抜けた。

 「どういう事じゃ!頭をやった筈じゃぞ!!」

 メタトロンの叫びに、ヒコは静謐の表情を以てサンダルフォンの胸からレイピアを抜いた。サンダルフォンの身が、どさりと地面に倒れる。

 「さあな。ヒコの中のととさまが代わりに目覚めただけの事なのだ」

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