まもののさだめ
第七話:まもののさだめ 前編
午後3時の日差しが冬の町を暖かく照らしている頃、上城家に来客があった。
ミーシャであった。珍しく私服であった。
「今日は危害をくわえにきた訳じゃないんです。ヒコに用事が」
母にそう伝えて、応接間に上がらせてもらった。出された暖かい緑茶は旨かった。それじゃヒコちゃん起こしてきますから、と母が二階に上がって行って応接間に一人取り残されたミーシャは、思案に暮れていた。
暫くして、どたどたと激しい音が階段の方から響き、荒々しく応接間のドアが開いた。敵意をむき出しにして薊丸を構え、こちらを睨んでいるヒコが居た。
「貴様・・・よくもぬけぬけとヒコの前に姿を現せたものだ!」
「今日はオフだ。待機命令が出されていてね。君に危害をくわえる心算はないよ」
まあまあと宥める母を尻目に、ふーふーと荒い息を抑え、ヒコはミーシャの向かい側の席についた。
「で・・・何の用事なのだ」
「ダンピールの事は、もう使い魔から聞いているね?」
ヒコははっとした。矢張りセルジュとデュファイの言う通り、あの異常な霊波はダンピールのものだったのだ。人間とヴァンパイアのハーフ。想像するだに恐ろしい、呪われた存在。
「あれがうちの最高司令官だ」
ヒコはまさか、と声を挙げた。ヴァンパイアや魔物、神に仇為す者を倒す為の組織が、まさかヴァンパイアのハーフによって仕切られていたとは。
「・・・貴様、それを何時知った?」
「ほんの数日前だ。俺が第十三小隊のやり口に反論しに行ったら、今度は自分達が出ると言い出した」
仮にも小隊長であるミーシャが知らなかったという事は、それ以下の立場の三人が知る由も無い。ヒコは心ならずも緊張しているのか、ごくりと喉を鳴らした。
「で?・・・ヒコに何の用件があるのだ?」
「君は逃げた方が良い」
ミーシャの口から漏れた一言が、ヒコには信じられなかった。ミーシャはヒコを討伐する心算ではなかったのか?しかしミーシャの表情に戸惑いや嘘の陰りは見られない。
「何故貴様がヒコをかばう真似をするのだ?」
ミーシャは母の入れてくれたお茶を一口啜って、質問には答えずこう言った。
「三日後の二十一時、呉倉城趾公園。そこが老師の出してきた決闘場所だ。俺達七人・・・まぁ正確には六人と一台だが、俺達も見物人として見に行く。君も誰を連れてきたって構やしない。俺達は手を出さないと約束する。
来るかどうかは君次第だ。老師は真っ正面からの決闘を望んでいる。それじゃ」
やおらミーシャは席を立ち玄関を出て、コロの水を替えていた母に軽く会釈して、その場を去っていった。後に残されたヒコは、ミーシャの真意が分からずに、ただそこに佇んでいた。
指輪の中からセルジュの声が響いた。
「罠・・・ですかのう」
「でも嘘を言ってる様には見えなかったけど・・・逃げろってどういうこと?」
デュファイも戸惑っている。だがヒコは堂々と、ソファにふんぞり返って、
「逃げるなぞ馬鹿らしい。相手が真っ正面から向かってきたならこっちも真っ正面から向かうだけなのだ」
それから数時間後、陽が沈んだ頃、ヒコはオーピック邸を訪ねた。ダンピールについての情報をもっと知りたかったからである。ダンピール、と聞いて、応接間のペチカの前に居たマティーナは血相を変え、
「Vraiment!?」
「だーから仏蘭西語はやめろと言っておるのだ」
「Super!なんてこった、まさかダンピールが本当に存在するなんて!」
言葉とは裏腹にひどく嬉しそうなのがヒコの癪に障る。
「見物人なら何人連れてきてもいいと言っておったのだ。貴様は・・・」
「Je veux y aller aussi!Il semble amusant !この目でダンピール、しかも双子が見れるなんて!O joir!」
・・・もう早速行く気満々で居るのが、フランス語が分からなくてもわかる位興奮している。
その頃司は、コロの散歩に出ていた。由川の川沿いのあぜ道を歩いていると、奇妙な人物を見かけた。双子だろうか、全く同じ顔をしており、白銀の髪にトパーズの瞳。ふたりは橋の柵から川を見下ろし、この一帯で放流されている鯉を興味深そうに見下ろしていた。
その内のひとり、前髪を鬱陶しそうに掻き上げた方と目があった。
瞬間、どくんと心臓が跳ねた。今までに感じた事がない、奇妙な、激しい、不快な波動を全身に浴びて司は倒れそうになった。
「お、おい司!?」
コロの声がなければ卒倒していたかもしれない程の強い衝撃。これがヒコの言う「霊力」とかいうものなのだろうか。相手はコロの声に反応したのか目を丸くして、隣で鯉を見下ろしていた相方の肩を叩き、こちらに歩み寄ってきた。
「坊。そいつは若しかして人狼か?」
撥ねた髪を中分けしている方が、慇懃無礼にこちらに問うてきた。コロも匂いでチャーチだとわかったのか低く唸る様な声で、
「ぁんだよ。人狼が人間とさんぽしてちゃおかしいか?」
言ったあと、ぱあっと光を纏うと、人型に変身して自分より頭ひとつふたつ分低い双子を見下ろした。髪の長い方がまぁまぁと諭す様に間に入り、
「よさんかトロン、こんな相手に喧嘩を売る事もあるまいて。日本で人狼を見るとは思ってなかったからのう。物珍しかっただけじゃよ。気分を害したら・・・坊?」
司の顔色が極度に悪い。いきなり強大な霊力を浴びた事による中毒の様なものを起こしたらしい。遂には地面に膝をついてしまった司を見て、髪の長い方が、突拍子も無い事を言い出した。
「人狼よ。こやつを担いで儂等の教会に連れてやってくれぬか。案内は儂等がするからのう」
「・・・へ?」
それってチャーチの教会じゃ、と言おうとしたが、司の容体は思った以上に悪いらしい。従うしかなさそうだ。
「こいつになんかしたら、オレが許さねえからな」
「詫びの心算じゃよ。教会なら治すスペシャリストが居るからのう」
へたり込んでしまった司をおんぶして、コロはすたすたと歩き始めた双子の背後をついてゆく。
人狼におぶられてきた司を見て、一同は驚きの色を隠せなかった。特に司をよく見知っているウル。
「ろ、老師!そいつヴァンパイアの連れっすよ!」
「今は病人じゃ、関係なかろう。兎に角寝かす所を頼むわい。あとラファエロ、対霊力治癒を頼む」
ばたばたと場が忙しく動き始めた。ガブリエイラが用意した寝床に青ざめた顔色の司を寝かせてやって、ベッドの傍らについたラファエロが、衛生バッグの中から紫色の液体の入った注射器を取りだし、司の腕に打った。妖力で霊力を中和しようとしているらしい。残りのメンバーは部屋のドアの隙間から、その様子を覗いていたが、ぴったりと司について離れないコロが唸るとびくりと身を震わせた。こんな狭い場所で暴れられたら、もしや老師に傷でも付けてしまう事があるかもしれないと思うと、部屋の中には入れない。
「まさかまた人質を取る心算じゃないだろうな・・・」
サリエルのつぶやきに、ミーシャが言った。
「それはないと思います・・・真っ正面から行くと言ってましたし」
「どーせただのいつもの気紛れだろ。考えるだけ面倒くせえ。ったく糞じじいが」
「なーなーあの犬触ってもいい!?」
「噛まれても金属のおめーにダメージないだろうけど、暴れられたら面倒だろ。触んなよ」
男五人、ドアの隙間から部屋を覗くの図。奇妙である。それを茶化す様に見てニンマリと笑い、サンダルフォンはぱんぱんと手を鳴らして、
「ほれほれ、お前さん等は食事の準備でもせんかい。じーじはぽんぽんぺこぺこじゃ」
一方上城家一同は、司とコロの帰りが遅いのを心配に思っていた。オーピック邸から帰ってきて司の部屋で太宰治を読んでいたヒコは、部屋の壁掛け時計に目をやった。八時半。
その時階段から人の足音が聞こえ、ガタと部屋のドアが開いた。ママ上だった。
「ヒコちゃん・・・司を探してきてくれないかしら?携帯にかけても出ないのよ」
「けーたいでもか?・・・分かった、行ってくるのだ」
玄関に出て軍靴を履き、ヒコは嫌な予感を覚えた。まさかチャーチに何かされてなければいいが。昼間のミーシャの謎の言葉・・・逃げた方がいい、との言葉を思い出して嫌な気分になる。そんな重い胸の内を背負ったまま、ヒコは闇夜に飛んだ。
ラファエロの治療を受けている司の顔を、コロとメタトロンが心配そうに覗き込んでいる。
「珍しいですね。霊力より妖力の方が勝っている人間なんて」
バッグから2本目の注射器を取り出したラファエロのつぶやきに、メタトロンが反応した。
「ヴァンパイアの影響か?」
「分かりません。上城家の血筋的なものもあると思いますが・・・」
メタトロンと、食事に出かけたサンダルフォンは、自らの霊力をセーブする能力も備えている。司が目を覚ました時に再び卒倒しない様、メタトロンは自分の霊力を最小限にまで抑えている。
霊力と妖力・・・似た様なものだが、実際の所は相反する力である。人間が生まれつき差はあれど持ち合わせているのが霊力、主に魔物や霊が備えているのが妖力。ふたつの力は拮抗し合い、霊力や強すぎる妖力によって倒されるのが妖力、そして妖力や強すぎる霊力に下されるのが霊力。武器で言えばロンギヌスや霊刀海嘯が強い霊力をもつものであり、それに反して強い妖力を持つのが薊丸や妖刀夕凪となる。その点で言えば霊力と妖力を自在に操るヒコは、かなりの手練れと言える。そして現在ラファエロが指摘した司の妖力は、本来であれば人間が持ち得ない程の強さであった。いくら妖力増強ビスケットを食っているとはいえ、人間としては異常なほどの妖力と言える。そもそも上城家はヴァンパイアと色濃く接してきた歴史を持つ家である。その影響も受けているのかもしれない。
二本目の注射を打たれて暫くして、司の瞼が柔く開いた。
「司!だいじょぶか!?」
コロが狼形態でも分かる程、心底安心した様子で叫ぶ。司の視線がメタトロンと合って、また心臓がどくんと跳ねたが、先刻のサンダルフォンの時の様に目眩を感じる程ではなかった。
「ここ・・・、まさか、チャーチの・・・」
司の瞳が心配に滲む。まさか何か変な事をされたんじゃないだろうか。腕にアルコールを含んだ綿を当てられて、ひやりとした触感に、不安が過ぎる。
「我慢して下さいね。もう一本余分に打っておきますから」
「なっ、何を!?」
ベッドから飛び起きようとした司を、意外にもコロの両手が抑えた。
「こいつ、さっきからお前の看病してくれてんだよ。大丈夫、なんか変な真似したらオレが喉元咬み千切ってやるから」
司は観念したのか、コロの体重に逆らえないのか、温和しく注射を受けた。ちくりとした痛みが、右腕に奔る。
「どうします?いっそ一緒に採血して科学院に回しますか?」
「馬鹿者、そこまでせんでもええじゃろ。ヴァンパイアを討伐した後で良い」
二人の会話にぞっとするものを感じながらも、まだ頭の中のぼんやり感が抜けない司は、四肢をだらりと弛緩させて再び目を閉じた。とくん、とくんと注射された腕から何か暖かいものを感じる。
ふと目を開くと、壁掛け時計が目に入った。もう9時を回っている。やばい。もしかしたらヒコが探しに来るかもしれない。そうなったら此処・・・チャーチのアジトは危険すぎる。
「ふむ・・・」
こういう時コロが居ればあの鼻で司を楽に追跡できるのだが、とヒコは思案に暮れた。司の妖力の陰りは由川の川沿いの道、橋の近くで途切れて・・・というか、極端に弱くなっていた。ダンピールのものらしき強い霊力の匂いも色濃く残っていた。ここで司に何かあったに違いない。ヒコは段々苛々してきた。
「セルジュ!いっそこの霊力を追ってチャーチの奴等めの所に行けんか!」
「なっ、何を仰います坊ちゃま!相手は分かっている限り最低でも九人ですぞ!」
「ここでチャーチのダンピールに絡まれた事は間違いあるまい!行くのだ!」
しかしながら、チャーチの教会の場所をヒコは知らない。霊力の陰りからしてここの近くである事は間違いないのだが、こればかりは人に尋ねなければならない。と、丁度犬の散歩をしているおじさんが橋を渡っていたので、呼び止めて聞いてみる。
「ここの道をまっすぐ行って大通りで右に曲がったところだよ。でも坊主、こんな夜中に出歩くなんて・・・」
「ええい、ヒコは坊主じゃないのだ!とりあえず礼は言うのだ!」
叫ぶなりセルジュの羽を指輪から出して、上空に舞った。道を聞かれたおじさんは腰を抜かして、犬にぺろぺろ顔を舐められていた。
町を見渡せるほどの高度まで上がると、闇の中にぽつぽつ住居の明かりが点在する中、一際暗い場所を見つけた。近づいてよく見てみると、どうやら西洋墓地のようだ。間違いない。ここだ。西洋墓地の門の近くには、十字架を屋根に掲げた建物が見える。ヒコは西洋墓地に降り立ち、妖力の気配を殺して建物に近づいた。
と、窓辺で煙草を吸っていたあの女男を見つけた。やばい。物陰に隠れようとしたが、
「あ、糞餓鬼」
そう呟くなり、煙草を窓の外に投げ捨て、光の刃を作りだし、窓から飛び出した。ヒコも覚悟を決めて薊丸を抜き、ラグと対峙する。しかし。
「・・・やーめたやめた。馬鹿らしい。勤務時間外に戦闘なんて阿呆らし」
光の刃を霧散させ、足下に落ちていた煙草の吸い殻を踏みにじった。ヒコは目を丸くして、暫く固まった。
「あの犬と餓鬼を探しに来たんだろ?連れてってやるよ」
無防備な背中をくるりと晒して、ラグは何処かへ歩いていく。ヒコは信用していいものと判断したのか、薊丸を鞘に仕舞い、ラグの後をついていった。
ラグに連れられたのは、教会聖堂の隣にある広い住居であった。無造作にドアを開け、ずかずかと乗り込んでゆくラグに内心警戒しつつ、
「ほれ。この部屋だ。んじゃ俺はこれで」
案内するだけして、ラグはさっさと元来た廊下を戻って行った。簡素な木のドアの前で、十秒ほど悩んで、悩んでも仕方ないと思い、ドアを開けた。
部屋の中には十台程のベッドが並んでいた。どうやら客人用の寝室らしい。その一番奥、寝かされている司とその傍らのコロ、そして眼鏡と見知らぬ銀髪の少年が居た。少年と目があった途端、彼は隠していた霊力を小規模ながら爆発させた。ヒコの視界が一瞬霞む程の衝撃であった。
「・・・ほう、これだけでは流石にびくともせんか」
少年は顔を歪めて笑い、席を立ち、つかつかとこちらに歩み寄ってきた。ヒコより少しばかり背が高いだけの銀髪の少年は、そのトパーズの瞳でしげしげと興味深そうに、ヒコのルビーの瞳を覗き込んだ。
先刻の霊力の爆発、間違いない、昨日感じた不快な波動と同じ匂いがした。
「貴様がだんぴーるか?」
「貴様とは何じゃ貴様とは・・・老師メタトロンと呼ばんか」
ばちばちと一瞬だが、ヒコとメタトロンの間で妖力と霊力がぶつかり合った。睨み合いを打ち消したのは、司の声だった。
「ヒコ!」
ベッドから上半身を起こし、不安げな表情でこちらを見て居る司。ヒコはメタトロンとの睨み合いをやめ、隣をすり抜けると、コロをぽかと殴り、
「この馬鹿犬!司をよりにもよってチャーチの教会に見す見す連れて行くとは何事か!」
「ぁんだよこのくそばんぱいや!いきなり殴るこたねーだろ!」
「ヒコもコロもやめろよ!俺が倒れたから仕方なくこうなったんだ、悪いもくそもない!」
司の叫び声に一人と一匹は押し黙った。ベッドを挟んで反対側で、あまりの騒々しさに耳を塞いでいたラファエロが、しーんとなった場で呟く様に言った。
「どうやら叫ぶ気力が出たならもう回復は充分な様ですね。帰っても問題ありませんよ」
ヒコがそれに呼応して、司の手を強く握るとラファエロに向かって叫んだ。
「問題あってもそうさせてもらうのだ!司、帰るぞ!」
ベッドから起き上がったばかりの司の手を強く引いて、部屋から出ようとした。が、ドアを開けた刹那、鉢合わせる様にドアの向こうに立っていたサンダルフォンが居た。
「おや。ヴァンパイア様のご帰宅かのう?」
先刻睨み合いしていたやつと全く同じ顔、同じ瞳の色。ヒコは危機を感じて司の手をコロに任せ、柔く薊丸に手を掛けた。ところがサンダルフォンは特段霊力を爆発させるでもなく、ゆっくりと退いて、開けっ放しのドアにヒコを案内する様に手を上げた。
「三日後が楽しみじゃよ。それでは、またの」
そう言ってニコと微笑んだ。二人と一匹は目を丸くして一瞬戸惑いを見せたが、他のチャーチのメンバーが集まらないうちに逃げるのが得策と感じ、何も言わずに部屋を出て、正面玄関から堂々と教会を出た。
「・・・一体どうする心算なのだ?チャーチは」
「わかんねーよ俺だって・・・でも悪い事はされなかったみたいだ」
司とヒコ、そしてコロと並んで歩く。家に着く頃には、時計は九時半を指していた。
「・・・どうして易々と逃がしたんですか?老師・・・」
遅れて食事を取っているメタトロンの正面の席にサリエルがついて、質問を投げかけた。
「ここで殺したって面白くないじゃろうが。真っ正面から向かうと言ったじゃろう」
ナポリタンをもぐもぐ、ごっくんして、口元を懐紙で拭って、メタトロンは笑わずに答えた。
「百年間の暇を持て余した後じゃ。暴れたくて何が悪い」
メタトロンとサンダルフォンは、共にチャーチの大聖堂、塔の中に五百年間ほど幽閉されていた。成長が遅いダンピールの事、いつまで経っても成長しない様に見える子供を預かり育てていたのは、チャーチに選ばれた乳母であった。だが一人の乳母は五十年ほどしか面倒を見てくれない。人間の寿命のはかなさを、双子は幽閉された世界の中で嫌と言うほど味わった。
物心つき始めた頃、二人で協力し合って鉄格子の窓の外を見たあの光景を、双子は未だに忘れていない。窓の外に大きな灯りがあると思い込んでいた双子は太陽の存在を初めて知り、石畳の床と壁しか知らなかった双子は青々とした田園の風景とそこで働く人間の存在を初めて知った。しかし乳母から「念の為だからあまり日光を浴びない様に」と注意され、双子が外を覗くのは月夜の晩になった。ものが巧く喋れる様になった頃には、昼間は教師が付いて外の世界の勉強ばかり、自由になるのは眠る前の三十分ほどという生活に落ち着いた。双子は結局一歩も塔から出ないまま、人並み以上の知識をその頭脳に収め、数々の人間の死を看取り、やってくる教師や乳母を迎え、そうこうしている内に産まれて五百年ほど経った。人間の歳に換算すれば十二、三歳くらいだろうか。
初めて塔を出て、馬車に乗り着いたその或る建物の広間には、ずらりと居並ぶ年寄り達が並んで座っていた。キリストの居ない「最後の晩餐」の絵の光景にそっくりだった。双子は老師達の前に立たされ、老師達は初めて見るダンピールの姿にざわついた。
次の日から、双子の処遇が劇的に代わった。外に出られないのは変わらなかったが、剣術や銃術が生活プログラムの中に誕生した。夕暮れの差し込む大理石の広間で双子は剣を交わし、めきめきと格闘術の腕を上げていった。それは歳の所為などではなく、まさに天才的とも言える程の飲み込みの早さであった。
そして或る晩、再び双子は老師の集まる広間へと案内された。
「お前達の産まれてきた理由を話そう」
そういえば双子は、全ての知恵を与えられても自分達の産まれた理由は知らなかった。魔物と人間の合いの子、ダンピールと呼ばれる生まれついてのヴァンパイアハンターだと初めて告げられても、何故か特段驚きも悲しみもしなかった。自分達が他の人間と違うのは五百年の間で嫌と言うほど知っていたし、勉強や戦闘術の練習の合間にこそこそと教官や他の人間が喋っているのを聞いていたからであった。そして自分達双子はこれから「老師」の職に就き人を指揮する立場になる事、その為一年間外の世界で暮らす事を命ぜられた。
双子は自室に戻り、何も言わずに小さな身体をベッドに潜りこませた。お互い何も言わなかった。ただ、暫くして、すん、ぐすん、と啜り泣く声がメタトロンの耳に入った。
「どうした?」
サンダルフォンは答えない。洟を啜ったり、涙を拭く仕草を背中越しに見せて、呟く様に言った。
「・・・僕達、魔物だったんだね」
そう言ったっきり、サンダルフォンは何も言わなくなった。メタトロンも、心の中で、まもの、と呟いた。そうだ。自分達は人間じゃない。今まで自分を世話してくれていた人達、あの人達とは全く違う存在なのだ、とふと実感して、サンダルフォンと共に世界から仲間はずれにされた様な気がして、自分も泣きたくなった。
が、堪えた。ならば魔物は魔物なりの生き方をすればいい。本来ならば生きる事さえ許されなかった立場だった所を、自分達は生きてこれたのだ。運命のまま、生きればいい。そう自分に喝を入れて、泣くのを堪えた。
初めて見た老師達が全員死去して、双子が最長齢の老師になった頃には、既に双子はチャーチの全権を手にしたも同然だった。外に出るのも自由だったが、双子は滅多に姿を現す事は無く、部下への命令も緞帳の奥、ボイスチェンジャー越しに与える様になった。二度の大戦の時も、姿は現さなかった。あの時は本当に忙しかった。自分が死んだと理解していない地縛霊、それを狩ろうとする悪魔、大戦の裏でチャーチは大変な活躍を見せた。誰にも知られる事なく。チャーチは段々と、メタトロンとサンダルフォンの手で、秘密主義の軍部へと変化していった。
司は家に帰るなりベッドに倒れ込んだ。注射が効いて幾分か楽になったとは言え、あの霊力の爆発を思い出すと、うっと胃の中からせり上がる様な吐き気を感じたからだった。
「どうする?司、貴様はやめておくか。三日後」
「いや・・・俺も行きたい。大丈夫だよ、何かあった時用にコロ連れてくから」
何しろ、遂にチャーチの親玉自らが姿を現したのである。ヒコを知る為にも、上城家の人間として見ておかなくてはならない。そんな気がしたからであった。
ヒコは何処か心配そうな顔で、ベッドに横たわる司の顔を覗き込んで、
「明日か明後日、すずのお守りを貰ってこい。そうすれば少しは安全なのだ」
その二日後、つまり決闘の前日、司は言われた通りにコロの散歩ついでにすずの庵を訪ねた。すずは何かを知っていた様な、張り詰めた顔をして、司を囲炉裏の傍に手招きした。
「これでしょ?つかさちゃん」
先日ヒコに渡したものとはちょっと違う、しかし繊細な刺繍布のお守り袋を渡された。
「こないだから山のみんなの様子がおかしかったのよ。すずちゃん知ってるんだから。またヒコちゃん、変なひとたちと戦うんだって」
どうやら老師の霊波は妙月山にも届いていたらしい。
「今回はすずちゃん、ヒコちゃんを守れないの。相手のひとが強すぎるから。でもつかさちゃんくらいだったら、巻き添えにならないくらいのお守り、つくれるから。持ってて」
「・・・ああ、ありがとう、すずちゃん」
すずは本当は、出来る事ならばヒコの分のお守りも、効くのならば作りたかったに違いない。だが先日山を襲った霊波、あれは防ぎようがなかった。すずの結界も易々と破られたのである。すずは恐怖を感じていた。山も心配だし、何よりそんな相手に立ち向かうヒコが心配だった。
司はすずに見送られ、庵を後にした。山道の坂ですずが見えなくなるかならないか位の距離で、ふとコロが足を止めた。何だろうと思って司も振り返った。
すずが泣いていた。桃の様に紅いほっぺたを涙で濡らして、ひたすらこっちに向かって手を振っていた。まるでもう会えなくなる様な、そんな勢いで泣いていた。司は気付かぬふりをして、山を下りた。そうして山の中腹まで来た所で、司は徐にヒコに電話を掛けた。
『けーたいヒコなのだ』
「ヒコ?・・・すずちゃんに会いに行けよ、今日」
『な、なんでなのだ?急に・・・』
「いーから行ってやれって!」
叫んで司は電話を切った。今すずの不安を拭ってやれるのは、ヒコしか居ない。そう思っての事だった。
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