第六話:ととさまとヒコ 後編


 清々しい日曜の昼下がり。チャーチの教会には、怒号が響き渡っていた。

 「ちょっと!庭の植え込みに煙草の吸い殻捨てたのあなたでしょ」

 ガブリエイラは箒を抱えたまま、腰に手を当て仁王立ちして、応接間で新聞を読んでいたラグを強く睨んだ。ラグはその気迫に動ずる事も無く、日本のテレビには面白そうなものがないなぁと思いつつ、

 「はいはい、次からてめーの口の中に放り込んでやるよ」

 「あなたねぇ!信じられない、綺麗な顔して毒ばっか吐いて!!」

 「てめーがブスすぎんだよ、この糞女。刻んで下水に流してやろうか」

 レミーは少し離れたソファの上で二人の口げんかを見ながら、いい加減飽きないのかなぁと思っていた。それ程までに二人の中は険悪だった。ミーシャは居ないし、サリエルは今日の午後退院だから、止める人間など居やしない。ウルとラファエロは近所のスーパーに買い出しに行って居る。


 そのウルとラファエロは、買い物帰りに司と蜂合った。

 「およ、こないだのぼうずじゃねーか」

 司はコロのリードを持つ手をぎゅっと握りしめて、何時でも逃げられる様に及び腰。ウルはハハ、と軽快に笑って両手の荷物をラファエロに押しつけ、つかつかと司に歩み寄ると、ぐいと肩を抱いてこう言った。

 「俺達ゃ今は仕事外のオフなんだ、おめーを人質にしてヴァンパイアを呼び出そうなんて毛ほども思っちゃいねーよ。ま、仲良くやろうや、これから」

 「おっ、お断りしますっ!」

 コロもうなり声を上げて姿勢を低くし、常時でもこのチャーチの男に飛びかかれる様、また後ろの方で計六人分の食料を抱えて難儀している眼鏡が変な真似をしない様に威嚇した。だがこの二人、きっちり仕事のオンオフを切り替えるクチらしく、コロの鼻に悪意の匂いは引っかからなかった。

 「ウールーさーん!早く帰らないとまたガブリエイラさんからどやされますよ!」

 「お、そうだった。あの脳筋女に説教食らうのだけはたまんねえや。んじゃな、ぼうず!今度呉倉の観光案内でもしてくれや!」

 嵐の様にやってきて、嵐の様に去ってゆく。ふたりの背中を見て、司はほうと安堵の溜息を吐いた。


 そしてミーシャは、ようやっと住み慣れてきた教会へと帰ってきた。彼は泥の様に憔悴しきっていた。


 チャーチ本部最寄りの空港に行く前に、老師ふたりに願い出たい事がミーシャにはあった。

 「軍服では目立ってしまいますので、これに着替えて下さい」

 それぞれ紙袋を手渡され、何故か老師は不機嫌顔。

 「なんじゃこれは。ちょっと若々しすぎんかのう」

 「馬鹿者ミーシャ、こんな服など着れるか!」

 「だったらちゃんと専用機で呉倉まで行って、専用車を使って下さい!」

 老師ふたりが言った最初の我が儘、それは「ひこうきとでんしゃとばすに乗ってみたい」だった。老師が十数年ぶりに外に出る、という事で厳重に警備された専用機と専用車を用意していた矢先の我が儘。

 結局民間機に乗り込み機内食を味わい、時差をまたいで午前中に呉倉に着いてからは電車を使って人々の注目を浴び、乗り換えたバス内では老師ふたりの見目形に奇異の目が寄せられ、ミーシャは時差ボケと精神的疲労からへとへとになってしまった。まるで子供の様にあれは何じゃ、あそこにあるのは何じゃと訊かれ、その度にミーシャもよくわかりませんと答える。そのやりとりが十数時間続いたのだからたまらない。


 聖堂の扉を開けると、早速喧々囂々の喧嘩が巻き起こっていた。ガブリエイラとラグが取っ組み合いをしていて、ミーシャから老師が来るとの連絡を受けて急遽退院したサリエルがそれを宥めている。それをケラケラ笑いながら見て居るウルとレミー、そして興味なさげにその辺のコンビニで買ってきた漫画本を読みふけっているラファエロ。ギィと開いた聖堂の扉から差し込む午後の光に、その場の全員が振り返った。

 「少佐。老師をお連れ・・・」

 「もうちょっと予算を割いてもよかったんではないかのう」

 「確かに。これはちょっと質素すぎるわい」

 ミーシャを差し置いてつかつかと聖堂に遠慮無く上がり込み、説教台に立って聖堂内を見回す子供。齢十四、五歳といったところか。ふたりは全く同じ顔をしており、白銀の髪にトパーズの瞳。

 呆気に取られる一同の中、まず声を挙げたのは、ガブリエイラであった。

 「み、ミーシャ・・・何?その子達」

 「馬鹿者!老師たる我らに向かって『その子』とは何事か!」

 一同の中、ひとり平然としていた、ガブリエイラに胸ぐら掴まれたままのラグが、憎々しげに呟いた。

 「・・・やっとてめーの手ぇ汚す気になったのかよ、この糞老師」

 どうやらラグだけは、どういう訳か老師の見目形を知っていたものらしい。しかし普段緞帳の奥に引きこもりボイスチェンジャーを使って語りかけてくる老師の姿は、少佐の階級に居るサリエルも知らなかった。

 ふたりの老師は並んで説教台に立ち、同時にこほんと咳払いすると、七人(正確には六人だが)の前で初めてその名を明かした。

 「我こそは第七小隊老師、メタトロンじゃ。貴様等が余りに不甲斐ない所為で日本に来る事になった」

 「そうして儂が第十三小隊老師、サンダルフォン。トロンの双子の弟じゃよ。気軽にサナと呼んで貰って構わんから、まぁ、宜しく頼むわい」

 腕を組んで偉そうにむすっとしているメタトロンと、対照的にニコニコ笑いながら説教台に頬杖ついて、何を思ったかケラケラ笑い出したサンダルフォン。そして、今までの各々の老師像ががらがらと崩れてゆくのを感じて呆けている、ラグを除く五人と一台。




 「あれ?」

 散歩を終えて家に帰ってきた司は、コロの異常に気付いた。リードを外して鎖に繋ぎ換えようとした折の出来事。なんとなく、なんとなくであるが、首輪が以前よりきつそうになっているというか、僅かではあるが、ぷにょんと毛皮が首輪の上に乗っかっている。

 「コロ・・・お前、太った?」

 「なっ!ふ、太ってなんかねーよ!成長期だ、成長期!オレまだ二歳だぞ!」

 否、絶対、太った。試しに背中の肉を握ってみる。ぽよん、と良い具合の脂肪がついている。一回の一時間の散歩では、運動量が足りていないのだろうか。

 緊急家族会議、招集。議長は母、出席者は父、司、ヒコ、コロ。

 「やっぱり缶詰だとカロリー高すぎるのかしらねぇ・・・」

 母は片頬に手をやって、ほうと溜息をついた。

 「俺も散歩一時間くらい行ってるけど、部活もあるしこれ以上コロの散歩に時間割くの無理だよ」

 司が弱った様な声で言う。父は相変わらず空気。そこで視線は一気に、黙って空気になりきろうとしていたヒコに集まる。

 「・・・なっ、ひ、ヒコは無理だぞ!ヒコも狩りで忙しいのだ!」

 「オレだってこんなやつとさんぽなんか行きたかねーよ!」

 そこで黙っていた父が、優しく諭す様にやっと何か言った。

 「コロ、ヒコ君、もうそろそろ仲違いはやめようじゃないか。ふたりとも、同じ上城家の一員なんだから」

 普段何も言わない分、父の言葉は重い。うぐ、とコロとヒコ両方とも同時に言葉に詰まった。

 「そうだよ、俺が散歩連れてった後、ヒコが続きを行ってくれればいいんだよ!」

 「それもそうねぇ。ヒコちゃんも飛んでばかりだと運動不足になるし、昼間寝っぱなしなんだから、少し運動量増やしてもいいんじゃない?」

 「ヒコ君、お願いしていいね?」

 上城一家に迫られ、嫌と言えない空気が場を包む。多数決でヒコ、コロの散歩に強制招集。


 善は急げとばかりに、早速今日からコロの散歩第二部は始まった。以前の様に犬ぞり式で引っ張る様なまねはしなくなったコロだが、それでもどこか急かす様に、リードを引っ張って歩く。目的地は宇部山公園。あそこまでなら充分運動になる筈。

 だがヒコは、宇部山公園の実体を知らなかった。着いてすぐ、異常に気が付いた。しまった。ここの夜は野良犬野良猫のたまり場になっていたのだ。公園に一歩踏み込んで、尋常ではない数の野良犬に睨まれた。無用な喧嘩は不必要と引き返そうとしたヒコであったが、問題のコロがぐいぐいと宇部山の中心部にある広場へと向かおうとする。

 「コロ、この馬鹿者!こんなところで喧嘩を起こしたら近所迷惑なのだ!」

 「だーいじょぶだって。オレが負ける訳ねーじゃん」

 確かにコロの身体はその辺の野良犬より一回りも二回りもでかい。力もある。だが騒ぎ立てられて近所から通報されでもしたら大変だ。ヒコの見た目はあくまでも子供である。警察が来たりしたら、腰に差した薊丸の事で銃刀法違反だとかなんとか云々説教されそうだ。

 そうこうしている内に、コロとヒコは野良犬に四方を挟まれていた。数はゆうに三十匹を越えるだろうか。こうなったらやるしかなさそうだ。薊丸を野良犬の血で汚すのは我慢ならんが仕方なし。

 その内の一匹が、バウッと大きく吠え立ててコロに向かってきた!続く様に後続の犬達も一人と一匹に向かってくる。コロは向かってきた特攻隊の犬の首根っこに噛みつき、バタンと地面に回転させて叩きつけた。やられた犬はキャインと悲鳴を挙げて、しっぽを巻いて後退った。しかし他の犬は遠慮なく攻撃姿勢を崩さず、数で押し切る心算だろうか、コロと薊丸を抜いたヒコに突進してくる。ヒコは出来るだけ犬を傷つける事なく、薊丸で浅く斬って動きを封じる作戦に打って出た。

 ものの十五分程度で、本気を出さずして野良犬の二十匹は黙らせた。しかしそこで、最も恐れる存在がやってきた。

 「こらー!そこのぼうず、何をやってる!」

 近所の通報を受けてやってきた見回りの警官であった。野良犬は普段からこういう事態に馴れているのか、一目散に公園の奥へと逃げていった。残されたヒコとコロは、固まって動けない。

 「君歳はいくつかね!こんな所に夜やってきてそんな刀を振り回して危ないじゃないか!これは立派な銃刀法違反と動物愛護法違反だぞ!」

 「い、いや、これは・・・」

 まさか警察に連行されてママ上に迷惑をかけるなどと考えたら、冷や汗が出てきた。と、ここでコロが機転を利かせたのか利かせる心算などないのか、

 「いーじゃん別に。オレ大した怪我してねーし」

 警官の目が点になる。どでかい犬が喋った。

 「馬鹿コロ!貴様が喋ってどうする!!」

 「えーだってどーせならオレがここの主になってもいいかなーとか思ってたのにさー!」

 「と、ととと兎に角君!ちょっとその刀の事で訊きたい事があるから、署の方まで・・・」

 「あら。只の刀じゃなくてよ」

 こっちは完全に故意だろう、薊丸からデュファイは人間型に変身して、警官の顔をずいと覗き込んだ。刀が変身した。完全に警官の理解の範囲を超えてしまったのか、警官は真っ青に青ざめてばたりと気絶してしまった。

 「さ、若今のうちよ。さっさとこんなとこおさらばしちゃいましょ」

 デュファイの言う通りである。気絶したままの警官はとりあえず安全そうな公園の外まで引っ張っていってひとりと一匹はさっさと宇部山公園から撤退した。


 帰ってきて上城一家は呆れた。

 「あのねぇヒコちゃん・・・運動不足だからって怪我するまで暴れてこなくっていいのよ?」

 次の日からコロの餌はローカロリーフード、という事で決まった。




 深夜まで、ヴァンパイアに関するヒアリングは続いていた。老師がソファに座り、その向かいに六人と一台(その一台は何も考えてない様子だが)がついて、ヴァンパイアに関する今まで得た情報を老師に報告。

 「ヴァンパイアには或る程度の仲間が居ます。老師も知っての通りの錬金術師マティーナ=エーダス・オーピック氏、それに人狼、妖刀、山神と」

 「ヴァンパイアをなんとかして一人の状態に持ち込むしかないという事か?」

 「老師が二人がかりで掛かるとしたら、その方が有利かと思われます」

 老師の能力は、この場で知っているとしたらそれはラグくらいのものだろう。しかし何も言い出さない所を見ると、ラグも完全に老師の能力を把握しているとは思えない。まあ彼の性格上、知ってても言わないだろうが。

 「やり方なんぞ決まっておろう」

 メタトロンがソファにふんぞり返って、ふんと鼻で笑い、

 「相手が誰を連れて来ようが、真っ正面からぶつかるだけじゃ」

 お茶を啜りながら、サンダルフォンも同意する。

 「左様。お前さん達なら兎も角、儂等ふたりならば真っ正面から向かうのが礼儀じゃろうて」

 ミーシャが目を丸くする。メタトロンはそういう性格だからいいとして、サンダルフォンが真っ向対決を望むとは思わなかったからである。

 ますますわからなくなってきた。否、疑念がミーシャの胸をふつふつと沸かした。訊いてはならない事なのかもしれないが、訊いてみたくてたまらなくなった。否、老師には説明する義務がある、とも思った。

 「老師・・・貴方方は一体何者なのですか?」

 しんと場が静まりかえる。メタトロンもサンダルフォンも口を開かない。

 歳を取らず、銀髪に黄石の瞳、そして秘宝を使えるかもしれない存在。それではまるで・・・、

 「『ダンピール』だ」

 背後から聞こえた声に、皆が振り返った。窓際で煙草に火を付けて、ラグが発言したのだ。

 「・・・だんぴーるってなんだ?」

 レミーの問いに、放り投げる様にラグが答える。

 「ヴァンパイアと人間の合いの子。ヴァンパイアと違うのは人間より遅くても歳をちゃんと取って、吸血衝動がない事。産まれた時は骨も歯もない奇形児だが、無事に育てば強力なヴァンパイアハンターとして力を発揮する。ただ、」

 ラグはまるで図鑑で調べた事を丸覚えしているかの様にしゃべり続ける。そして一旦間を置き、

 「ただ?」

 ミーシャの一言。黙って聞いていたサンダルフォンが、ひどく何でもなさそうに口を挟んだ。

 「・・・ラグ、言うでない。機密事項じゃ」




 『・・・あ、もしもしヒコ?』

 ヒコの携帯電話に掛かってきた通話の相手は、マティーナであった。

 「なんだ、マティーナか。どうした」

 『最近うちの騒霊食いにきてくれないじゃん。地下倉庫がパンクしそうなんだけど』

 「ふむ・・・わかった。今から行くのだ」

 そうしてヒコは軍靴を履き、オーピック邸へと飛んだ。最高度まで飛んだ瞬間、微かな霊力の匂いを感じた。馬鹿な。こんな高度で感じられる霊力などあるわけがない。不審に思いつつも、今はマティーナの元に行き、騒霊を退治するのが先だ。全速力でオーピック邸へとセルジュの翼をはためかせ、向かった。

 地下倉庫は騒霊でぎゅうぎゅう詰めになっていた。バチバチと結界が爆ぜ、膨れあがった騒霊を焼き切っている。このままでは結界が破れてしまう程の勢いで増殖している様だ。

 「貴様・・・なんでこうなるまで放っておいたのだ?」

 「それが不思議なんだよ。一昨日見たときはまだ充分余裕があったんだけどさ。昨日今日で急に増えたとしか思えないんだよね」

 エミリオに抱きかかえられて、地下倉庫前にヒコと共に赴いたマティーナは頬を膨らませて言った。

 「兎も角貴様は下がっておれ。ヒコが全部食らってくれるのだ」

 「OK、ちゃっちゃとやっちゃって」

 かつん、かつんとエミリオの足音が階段の上へと遠ざかってゆく。バタン、とドアが閉まったのを確認してヒコは結界の鍵を解いた。初めてここに踏み込んだ時の勢いで、騒霊がぶわりと膨れあがり襲いかかってくる。セルジュの羽を最大限にまで広げ、ヒコは薊丸を振り回した。身体中が騒霊の煤だらけになるのも構わず、前へ前へ、室内へとじりじり迫ってゆく。

 大方斬り終えたヒコは、大声で騒霊の親玉を叱りつけた。

 「無限に増える事はまかりならんと言っただろう!」

 『わかんないよ、きょうのゆうがたから、ずっととめられないんだよ』

 「・・・何だと?」

 騒霊がざわざわと親玉の所へ帰ってゆく。

 「どういう事だ」

 『つよいなみが、ばーっときて、ぼくたちふえてとまらなくなっちゃったんだよ』

 先刻感じた最高度での僅かな霊力を思い出した。まさかあれがこんな遠くのオーピック邸地下倉庫の、しかも結界をすり抜けて騒霊に影響を及ぼしたとでもいうのか?

 嫌な予感しかしない。チャーチからまた何かやってきた。そうとしか考えられなかった。しかもヒコが今まで遭遇した事のない程強い霊力の持ち主。寒気すら背筋を奔った。


 その頃すずも異常を感じていた。山に棲む動物達が挙って庵の庭先に集まってきたのだ。

 「どうしたの?みんな・・・」

 動物達は皆一様に、何かに怯えていた。その所為か、すずも何やら言いしれぬ不安を感じた。今日は夜通し起きていて、この子達を宥めてやる他ない。もうそろそろすずも寝る時間だが、自分も何かもやもやした怖いものを感じて、眠れそうにない。こんな事、ヒコがちゃーちの人と戦った時以来だ。また自分は祟り神になりかけるみたいな怖い事に巻き込まれるのだろうか。そう考えると、怖くなって、ヒコに会いたくてたまらなくなった。


 こんこん、こんこんこん、と、何処からか音が鳴った。司は勉強机についたまま、辺りを見回した。音は鳴っていない。気のせいか、と思うと、またこんこんと音が鳴った。司は自分のお腹辺りを見た。音は勉強机の引き出しの中から鳴っている。

 机から離れ、引き出しを怖々と開けた。すると案の定、すっぽーんとルルが飛び出してきた。

 「おこんばんはですわー!・・・あら?ヒコ様は狩りにでも?」

 「あ、はい・・・でもどうしたんですか?ルルさんから来るなんて・・・あ、まさか」

 献血、と思ったが、ルルは珍しく手ぶらであった。

 「あのですね、ヒコ様が帰ったら、こうお伝え下さいまし。『ダンピールが遂に動いた』って」

 「だ、・・・だんぴーる?」

 聞き慣れない単語なのですぐ忘れると思い、卓上のメモにダンピールと走り書きした。

 「チャーチの親玉みたいなものですわ。チャーチの教会の方から強い霊力・・・違和感みたいなものを感じません?」

 「違和感・・・ですか」

 まだ司の霊力は、他者の霊力を遠くから感じ取れる程強いものではない様だ。

 「ヒコ様の様なお強いお客様に何かあったら、我が協会としても大きな損失ですもので。お伝えに来た次第ですの。それでは私はこれで失礼しますわー」

 そう言い放って、また開けっ放しの引き出しの中に飛び込んで行ってしまった。司は胸の内で、ダンピール、ダンピール、と、その単語を反芻していた。




 結局ヒコが帰ってきたのは、深夜丑三つ時であった。目を覚ました司が聞いた所によると、戸の上霊園にも大量の悪霊が浮かんでいたという。司はヒコに、ルルの伝言を伝えた。ヒコは首を捻って記憶の中からそんな単語を知っていたかどうか思索の森に迷い込んで居たが、ダンピールと聞いたセルジュが血相を変えて指輪から飛び出してきた。

 「坊ちゃま、今回ばかりはお逃げ下さいませ!」

 「な、何だいきなり・・・ヒコは逃げも隠れもせんと決めたのだ」

 「そんな言い分が通じる相手じゃないわ、若!」

 どうやら使い魔二匹には、思う所があるらしい。ヒコは詳しい説明をする様命じたが、二匹は一瞬目を合わせて言葉を濁した。

 「・・・長い話になるけどいいかしら?若、司ちゃん」

 「構わんから話すのだ」


 アスフォデルに使い魔・・・自分たちふたつの秘宝を与えた「スラヴの女王」は、アスフォデルが秘宝を持って旅立ったその五十年後・・・つまり今から六五十年前に、ひとつの罪により陽の光を浴びて灰になるという処刑を受けてこの世から消え去った。

 女王が犯した罪。それは、他でもない、チャーチの男、ジャレドを愛してしまった事であった。これまで人間を醜い血の詰まった革袋としか見て居なかった女王に、人間の素晴らしさ、愛を説いたその男を地下牢に閉じ込めていた女王は、いつしか彼の唱える説法に興味を覚え、周囲のヴァンパイアに隠れて地下牢へと逢瀬を重ねる様になった。チャーチの男も女王の美貌、思い切った無邪気な動作に親しみに近い愛を感じ、そうして二人は禁じられた行為へと及んでしまった。

 結果、女王は子を孕んだ。最初の頃こそ人目を憚るだけで済んでいたものの、月日を重ねる毎に大きくなってゆく腹は隠しきれなくなってきた。女王とジャレドは思い切って、城からの脱出を試みた。なんとか身分を隠して女王は城から遠い村の馬小屋で、骨も歯もない奇形の双子を産んだ。

 その時であった。出産に伴う血の匂いと、女王の悲鳴に反応したヴァンパイアの大群が村を見つけ襲いかかってきた。

 『あやつ等の目的は私の抹殺です!あなたはこの子達を連れて逃げて!』

 『馬鹿を言うな!ふたりで、子供達と共に暮らそうと約束したじゃないか!』

 女王は首を弱々しく振り、涙を流した。もう一緒には居られない。元々禁じられた愛であったのだ。その罰が今下っただけの事。だが人間にとっては罪ではない。子を産み地に増えよと命じたのは神なのだから。子供に罪はない。そうして今この瞬間、この無力な子供を守れるのは皮肉ながら、ヴァンパイアを退治するチャーチの元しかない。ジャレドは涙を振り切り、ぐにぐにの双子を手短な布で包んで馬小屋を出て走った。三日三晩途中で馬を駆り、追いついたヴァンパイアを撫で斬りにして、そして何とか一番近いチャーチの教会へと辿り着いた。

 ジャレドはヴァンパイアと通じた罪で、即刻の処刑が下された。しかしこの残された、呪われた子を生かすか殺すか、チャーチの元老院で審議は分かれた。いずれ自分達の敵に回るやも知れぬと言う者も居れば、ダンピールならばヴァンパイアを抹殺するものとして育てていけばいいと言う者もいた。丸一日続いた会議の結果、双子は生かして何れチャーチを背負って立つ者として育てていく事に決まった。

 その子供の片方にはメタトロン、そしてもう片方にはサンダルフォンと名付けられた。


 「・・・いくらダンピールでも、この強すぎる霊力は二人分居るとしか考えられないわ。しかも一寸違わない霊力。間違いない。今若を退治しに来たのは、間違いなくその子供よ」

 「人間の血が混ざっておるとは言え、あの『女王』の血を受け継いだ唯一の子供ですじゃ。先代でも敵うかどうか分からぬ実力で御座いましょう。

 坊ちゃま、どうかお逃げ下さい!」

 二匹の懇願を、黙って聞いていたヒコが、やっと口を開いた。

 「・・・ととさまでも敵わぬ敵と一戦交えるのも一興なのだ」

 「若!そんな事言ってる場合じゃないのよ!」

 ヒコの戦闘本能が、ぴしと場の空気を固めていた。逃げる等とは以ての外、武士として申し込まれた戦は受けねばならぬのが礼儀というものだろう。




 一方その頃、メタトロンとサンダルフォンは、ピザというものを食べてみたいと我が儘を言い始めた。とは言えこんな深夜まで宅配ピザが開いている訳が無い。仕方なくミーシャとウルが買い出し要員として近所の24時間営業のスーパーに出向いて行った。

 うずうずして待っている双子を見て、唯一起きていたラグが窓の外にふうと煙草の煙を吐いて、つまらなさそうに呟いた。

 「・・・てめーら、あのヴァンパイアに簡単に勝てると思うなよ」

 ソファに正座してピザを待っているサンダルフォンが、すっぽ抜ける位明るい声で言った。

 「これこれ、てめーではなくちゃんと師匠と呼ばんかい、『ドーリス』」

 「・・・その名前で呼んだら首刎ねるつったろ」

 ただいまー、とウルの疲れ果てた声が聞こえ、ふたりの会話は中断されるに至った。

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