また会えたら
朝海 有人
1
昨夜、強い雨が降り注いだ山は、燦々と輝く太陽に照らされて輝いていた。朝露を葉に乗せた木々は、さわさわと吹く風に目一杯茂らせた緑をそよがせている。
そんな木々達を流れる川は、昨日の雨のせいで少し騒がしくなっていた。時にゆっくり、時に速くと流れを変えながら、木の葉を乗せて川魚達とお話しながらサラサラと流れている。
そんな山の上に、悲しげな表情をした一つの雲が浮かんでいた。太陽に照らされているはずなのに暗く、風に流されている様子は何に抗おうともしない、無気力な様子に見える。
ゆらゆらと流れる雲の下は、変わらず生の力に満ち溢れている。流れる川や目一杯輝く木々、佇んでいる石までも活力に溢れている。しかし雲は、それをただ悲しい様子で見ているだけだった。それが一層、雲の悲しげな様子を浮き彫りにしていた。
「ねえ、雲さん」
不意に、誰かが雲に話しかけていた。見るとそれは、雲の下で流れていた川だった。
「おや、どうしたんだい? 私に何か用かな?」
「ねえ、どうしてそんな悲しそうな顔をしているの?」
川は混じり気のない、綺麗な声で雲に聞いた。雲は少しだけ黙った後に、川に向かってゆっくりと喋り始めた。
「実は……ちょっと悲しいことがあってね」
「悲しいこと?」
「ああ、昨日、私の大事なお友達がいなくなってしまったんだ」
「お友達?」
「うん、そいつとは生まれ時からずっと一緒にいてね。一緒に海や街を見たり、楽しくおしゃべりしたり、今でも忘れない、良い思い出だよ」
思い出すように語る雲の声は、とても弾んでいた。さっきまでの悲しい様子とは違う雰囲気に、川も思わず笑顔になる。
「雲さんとその人は仲良しだったんだね!」
「ああ、そうだね」
雲は少しだけ楽しそうに笑ったが、川の方を見てまた悲しそうな表情に戻った。
「どうしたの?」
笑顔のまま聞いてくる川に、雲は表情を変えないまま話を続けた。
「昨日の夜……風がとても冷たかったな、あの時も私達はいつものように一緒にいた。だけど、急にあいつが叫び始めたんだ、重い、体が重いよ、ってね」
「体が重い?」
「あいつはずっと叫び続けていたよ、重い、重いよって……それからしばらくして、あいつは突然苦しみ始めた」
雲は目を閉じ、身を凍らせてしまう程に冷たく鋭い風が吹き荒れる、昨日のことを思い出した。
「助けて、体が、体が溶けていくよ……体が溶けて……無くなっていくよ……」
頭の中で何度も聴こえてくる声を、雲は何度も呟いた。昨日からずっと頭の中に残り続けている、忘れたくても忘れられない悲痛な叫びを、雲はしばらく呟き続けた。
川はそれを、黙って聞いていた。しかし、不思議と怖いという感情は出てこなかった。それよりも湧いて出てくるのは、何度も繰り返している雲の悲しさだった。
「……それから、一際強い風が吹いてね、悲鳴を上げるあいつをどこかに運んでいってしまったんだ。しばらくは声だけが聞こえていたんだが……それもしばらくしたら聞こえなくなってしまったよ」
「いなくなっちゃったの?」
「さあ、ね。どこかにいるのかもしれないし、もう溶けて完全に無くなってしまったかもしれない……もしかしたら違う風に運ばれてこの近くにいるのかもしれない……って、あはは、怖がらせてしまったかな?」
雲はそこで、川の方を見て小さく笑った。
しかし、雲の心配とは裏腹に川は穏やかな表情であり、怖がっている様子は見せていなかった。
「平気だよ! だって、僕はこれから海に行くんだから!」
「海に?」
「うん! 僕、今日から海に向かって旅に出るんだ! 海に向かうには強くなくっちゃいけないもん、だから僕、怖がったりなんかしないよ!」
川は、決意に満ちた表情で言った。
「あ、そうだ! ねえ雲さん、海にはね、色んな人がいっぱいいるんだよ! もし、雲さんのお友達を見つけたら、山で雲さんが探してたよ! って伝えておくね!」
「……そうか、ありがとう。じゃあ、お願いしようかな」
「うん! 絶対伝えるからね!」
川は力強く答え、一層表情を引き締めると雲に背を向けた。その先はどこまでも長く続いており、雲もその果てを見ることはできなかった。
「じゃあ、僕もう行くね! バイバイ! 雲さん!」
「あぁ、また、どこかで会おう」
川は雲に手を振ると、勢いよく駆け出していった。
その様子を、雲はしばらく眺めていた。時にゆっくり、時に速くと流れを変えながら、木の葉を乗せて川魚達とお話しながらサラサラと流れて海へと向かっていく川を、雲は見えなくなるまで見守っていた。
「バイバイ、か」
雲は、川が最後に言った言葉を思い出した。それと同時に蘇ってきたのは、少し前の楽しかった思い出。
「変わらないんだな、声」
思い出の中の声と、川の声は全く同じだった。初めて会った時、一緒に海や街を見た時、楽しくおしゃべりをしていた時の声と、何一つ変わっていない。
ただ一つ変わっていることは、川が雲のことを知らないということだけだった。それ以外は声も話し方も、雲が知っている思い出の中にいる声の主と全く同じであり、それが雲を余計に苦しめさせた。
もう、自分の知っているあいつはいない。あいつはたった今、何もかも捨てて遠くへと旅立っていってしまった。
不意に、冷たい風が雲に突き刺さった。昨日と同じ、身を凍らせてしまう程に冷たく鋭い風。あいつを溶かした、そしてこれから、自分をも溶かそうとする非情な風。
雲は少し考えた。またあいつと会えるだろうか、新しく生まれ変わった自分が、再びあいつと友達になれるだろうか。また二人で、目下に広がる海や街を眺めたり、悠々と空を漂いながらおしゃべりできるか、と。
「また、会えるといいな」
雲は、自分の体が徐々に重くなり、崩れ落ちていくのを感じながら、そっと目を閉じた。
その日の夜、山にはまた強い雨が降っていた。
また会えたら 朝海 有人 @oboromituki
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