魂を解き放ち者

@yorishiro

Episode 0 ―The EARTH―

第一話

「くそ、なんでこんなことに……」


 アキトは唇を噛む。

 床に尻餅をついた格好で憎々しげにそれを見上げる。


 まさに死の象徴だった。

 全身を漆黒の衣に包み、頭部もまた同色のフードで覆われていた。


 ダンジョンで周囲を照らすような明かりもほとんどないからだろうか、その表情は窺いしれない。

 唯一、爛々と光る二つの紅い双眸が、矮小なヒューマンを見下ろしていた。


「低層にポップするなんて聞いてないぞ……」


 アキトは忌々し気に呟くが、死の象徴は意にもかいさないようだ。

 ただ無言のままに細長い右腕を宙に掲げた。


 その手に握っているのもこれまた黒い長尺の柄だ。

 先端には半三日月型の鋭い鎌が下向きについていた。

 そこだけが、唯一異なる色彩を放っていた。

 いや、正確にいうとその刃も漆黒であったが、紅い斑模様で覆われていたのだ。

 形の定まらない斑模様は重力に逆らえず、刃先へと移動し、床へとポタポタと零れ落ちる。


 アキトは改めて自分の周囲を見回す。 

 あちこちに首のない死体が転がっていた。

 凄惨としか言えない光景だった。


「こんなの絶対おかしい……」


 そいつは死神と呼ばれ皆から恐れられている存在だった。

 大鎌の刃を濡らす血は戦友達のものだ。


 すでに助けるべき者は存在しない。

 それは同時にアキトを助けてくれる存在もいないということだ。


「あ――」


 死神が大鎌を振り下ろした。

 ポカンと開いたアキトの口からは間抜けな声しかでなかった。

 死の瀬戸際だからだろうか、死神の動作は随分と緩慢だった。

 黒光りする凶刃は自らの首を正確に斬り落とすであろうことがよくわかった。


 それでも、アキトにはどうすることもできなかった。

 防ぐことも、避けることすら叶わない。

 なぜなら、すでに彼の右膝から先は失われていたからだ。

 機動性を完全に失っていた。

 武器となる愛剣は死神の後の床に無造作に転がっていた。


 おそらく一瞬で首と胴体が離れることだろう。

 アキトは生を諦めて目を瞑ることにした。


 ――キンという甲高い金属音が響いた。


 いつまでたってもアキトに痛みは襲ってこなかった。

 不思議なことだった。

 狙いがそれて金属の鎧に当たったとしても衝撃くらいは感じるはずだった。


「大丈夫っ!? 早く逃げて!」


 若い女性の声がした。アキトは首を傾げる。

 生き残りは自分を除くと一人もいないはずだ。

 ボス部屋なので、援軍が入って来るとも思えない。


 アキトは恐る恐る目蓋を開く。

 目の前を白い残像が横切った。


 暗闇のなかで白銀の鎧が煌めく。 


「え? 光っている?」


 女剣士の体全体が薄いオーラのようなもので覆われていた。

 装備のエフェクトだろうか。

 それとも新しいスキルだろうか。

 少なくともアキトがこれまでに一度も見た事がないものだった。


「なにぼさっとしてるの! そこにいると戦闘の邪魔なのよ!」


「ご、ごめん……。でも……」


「ぐずぐずしない!」


「そんなこと言っても……立てないんだよ」


「それでも男なの! そんなの気合で生やしなさい!」


 無茶苦茶な話だった。

 人の足は蜥蜴の尻尾のようには勝手には生えないのだ。

 それにアキトは回復系の魔法は一切使えなかった。


「申し訳ありません。セレナ様は少しばかり脳みそが筋肉なものですから」


「ルイス聞こえているわよ!」


「え……」


 いつのまにか僧衣の少年がアキトの傍らに屈んでいた。

 彼がルイスなのだろう。


「ちょっと動かないでくださいね」


 ルイスが白い手袋を嵌めた右手をアキトの膝へと翳す。

 淡くて優しい光が零れる。

 見る間に欠損していた膝から先が正常な姿を取り戻していった。


「無詠唱スキルなんてあったんだ……」

 

 アキトは唖然としていた。

 本来、回復魔法とはそんな簡単な代物ではない。

 舌を噛みそうなほど長ったらしい呪文なのだ。

 一語でも間違えると発動すらしない。

 集中する必要があるし、時間もかかる。

 このため、詠唱中は無防備になるのは避けられない。

 戦闘中は余程周りを固められていない限り、自殺行為にしかならないといえた。

 なのであまり人気職ではなかった。


「き、きみたちは上位プレイヤーなのか?」


「さて……。残念ですが、私にはあなたの仰っていることは理解できません。我々は”解き放つ者”です」


「それはギルド名?」


 それは聞いたことのない名前だった。

 アキトは高位のギルド名は全て暗記している自信がある。

 Sランクの死神を一瞬といえども一人で抑えている剣士。

 そして無詠唱の高位僧侶。

 にも関わらず、無名なのは解せなかった。


「そうですね。ギルドと呼べなくもないですが……」


「そこ! 無駄話しない! さっさと後ろに下がりなさい!」


 後ろを振り返って叫ぶ女剣士のセレナ。

 その剣幕に押されるように男二人は後ずさる。


「あ、でも、回復してもらったから僕も援護した方がいいんじゃないか?」


「いえ、それは回復といいますか、貴方の残存体力を消費して自然治癒力を高めただけです」


 自然治癒で足が生えるとは初耳だった。


「それに、あの程度であればセレナ様一人で十分ですよ」


「あの程度って……」


 Sランクモンスターをソロで倒す。

 そんなこと出来るのは完全なる廃人と呼ばれる一握りの変態しかいないはずだ。


 アキトはそう思ったがそれを口にはしなかった。懸命な判断である。

 白の剣士はまごうことない美少女なのだ。

 アバターは美人だが、実際は廃人だろうし、そもそも美人顔な女性ほど怒らせると後が怖いのだ。


 アキトの人生は決して長いとは言えない。

 それでも、これまでの苦い経験からそれを心に刻みつけていた。


「さて、あなたは何人喰ったのかしら?」


 セレナは口角をつりあげると、ゆっくりと自らの愛刀を上段に構える。


 アキトは思った。やっぱりやばい人だったかと。

 剣を握ると人格が変わるタイプなのかもしれない。

 自らの感性に従って間違いはなかったと胸を撫でおろす。


「しかしなんだよ、あのエフェクト」


 刃先からは直視できないほどの強い光が放たれていた。

 あり得ない光景だった。

 このゲームでは武器は純粋に物理的な攻撃力しかもたないはずだ。

 属性すら付与できない。


 しかし、その白銀の光は、先程アキトを治療したのと同じような聖なる力を感じさせた。


「え――」


 アキトは本日何度目かの間抜けな声を発する。

 知らぬまにセレナは剣を振り下ろした格好で静止していた。


 余所見したわけではないのに、アキトにはまったく見えなかった。

 いくらレベル差があるとはいえ太刀筋すら見えないのはありえない。


 しかも、剣から白い斬撃が生み出されていた。

 一瞬で死神へと襲い掛かり――。


「キョォォオオオオォォォ」


 不気味な断末魔とともに真っ二つになり、死神は霧散していった。


「そんな……。Sランクを一撃なんて」


 呆然と立ちすくむアキトの眼前で、セレナは首を傾げる。


「ルイス、これはどういうこと? 魂が出てこないわよ」


「はて、おかしいですね」


 ルイスも合点がいかないのか、アキトに問いかける。


「ここで命を断たれた方々は先程の死族に殺されたわけではないのですか?」

 

「え、死族? ああ、さっきの死神のこと? そうだよ。全員、奴にやられたんだけど」


「ならなぜ解放されないのよ! もしかしてこの世界の死族は新種なの!?」


 セレナが物凄い形相でアキトに迫る。


「ちょ! 締まる! 締まってるから!?」


「いいから答えなさいよ!」


「だ、だから!?」


 興奮のあまり、アキトの胸ぐらを掴みあげるセレナ。

 完全にアキトの体が宙に浮いていた。

 持ちやすかったのか、イベントアイテムの蝶ネクタイを掴んでいた。 


 首が締まってアキトの顔が赤く染まっていた。

 こいつらは一体何なんだ。

 言ってることもやってることも無茶苦茶じゃないか。


 薄れゆく意識のなか、ふとセレナと目があった。

 あ、やっぱり美少女だけあって、睫毛が長いなぁ。


 なぜか、そんなどうでも良いことを考えてしまった。


「あ、セレナ様、まずいですよ」


 アキトのなけなしであったHPは、こうして尽きてしまった。

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