ハイドランジアの花束 3

前書き


日名・紫陽花

英名・Hydrangea


花言葉

冷淡/無情/高慢/辛抱強い愛情/あなたは美しいが冷淡だ

移り気・浮気・変節

七変化←NEW!!



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 抜け出した先のファミレスで話をしてみると、潮谷君はいまプロのイラストレーターになっているということだった。地方雑誌の表紙を手掛けたり、幾つかのライトノベルの挿絵を担当しているらしい。さほど有名ではないものの、ギリギリ食いつないでいける程度には稼いでいると言っていた。

 美術系の大学に通っていた頃、とある――その手の分野の素人であるわたしですら知っている――出版社から仕事をもらって、プロとしての仕事を始めることに至ったらしい。当然と言うべきか、やはり学業と仕事の両立は難しかったそうで、大学を退学した。


「退学してからはずっと描いてるよ。……あ、でも毎日ジョギングはしてるかな。絵描きってインドアに見えるけどさ、結構体力勝負なところがあるからヒッキーってわけじゃないんだ」

「確かに健康そうな体つきしてるよね。なんか、昔よりガッチリしてる気がする」

「そうかな?」


 そうでもないと思うけどなあ、と呟いて、それから自身の体じぃっと眺め、納得のいっていない顔で首を傾げた。

 彼はわたしの言った言葉の意味を分かっていないんだろうなあ、と内心で苦笑した。

 私が差したのは身体的な成長だけではなかった。ガッチリしているように見えるのは、潮谷君の背負っているものが大きくなったからだ。趣味から仕事へと変化し、単なる自己満足ではなく責任が伴うようになる。辛いこともあっただろう。重責に押し潰されそうになったこともあっただろう。けれど、潮谷君はそこで結果を出し続けてきた。相応の努力を重ね、プロとして応え続けている。

 だから昔より肩幅が広く見えるのだ。身体が大きく見えるのだ。


「凄いなあ」


 とわたしが呟くと、潮谷君は苦笑を浮かべた。


「昔も言われた気がする」

「たくさん言ったような気がする」


 んでこれも昔言ったけど、と前置きして、


「全然凄くないよ。垂らされたほっそい糸に必死にしがみついて、どうにかこうにかここまで来たって感じなんだよ。だから全然、ホントに凄くなんかない」


 重ねた努力を努力だと思わないこと。それ自体が既に凄いことなのだ。と、わたしは思うけど、感覚の違いはどこまでいっても平行線だ。わたしは曖昧に笑うことに努めて疑問をぶつけてみた。


「なんで同窓会の時に、イラストレーターだって教えてくれなかったの?」


 周囲に人が居ると話しづらい話題なことは確かだろう。だけど言葉に出来ないほどだろうか。内緒と小声で言って口を閉ざすほどだろうか。


「んー」


 言葉を探しているのかもしれない、濁したいのかもしれない。とにかく潮谷君はちょっと前のわたしと同じような曖昧な笑みを口元に浮かべ、しかしそれをすぐに引っ込めた。


「誰か他の連中に聞かれてたら、馬鹿にされたかもしれないだろ?」

「やっぱり気にするよね」

「そりゃ、気にするさ。フリーターって言っただけであんなに馬鹿にされたからさ。絵を描いてちょこちょこ稼いで足りなかったら肉体労働してます。なんて言ったら何を言われるか……」


 げんなりしながら呟く彼を励ましたかったけど、上手な言葉は出てこない。


「しょうがないよ」


 とだけ言った。

 潮谷君は小さく首肯すると、オウムのようにわたしの言葉を繰り返した。


「しょうがないよな」


 何度かわたし達はその言葉を繰り返し続けた。一段落したあと、潮谷君は何かを思い出したようにショルダーバッグからスマフォを取り出し、顔を顰めた。


「どうしたの?」

「えーっと。そろそろ仕事の締め切りが本当にヤバいみたいなんだよね。だからこの辺で帰るよ」

「……もしかしてここに来るのを一瞬躊躇ったのってそれ?」

「そうそう。締め切りが迫ってたんだけど、気晴らしになればって思って同窓会に行ったんだよ」


 恥ずかしそうに鼻を掻きながら「まあ、結局なんにもならなかったんだけどさ」と吐き出した。確かにそうだろう。気を遣いながら他者の雑言に頷いていたのだから、ストレスが解決されたかどうかで言えばノーのはずだ。それなのに、なんだか潮谷君は嬉しそうだった。


「だからさ。笹原さんが誘ってくれて嬉しかったよ」


 大真面目な顔でそんな台詞を言うから少し気恥ずかしかったけど、潮谷君の目は真っ直ぐにわたしを射貫いていて、ただただわたしの目を見つめていた。


「話、聞いてくれてありがとう」


 不意に過去の記憶が流れた。

 たった一度だけ会話をした日、雨の中でわたしはその台詞を聞いた。嬉しそうな顔で、はにかみながら潮谷君は同じ台詞を言ったのだ。


「ううん。わたしの方こそ。ありがとう。またね」


 伝票を持っていき、支払ってる彼を見ながら思う。

 時間が無いのなら支払いなんてわたしに任せればいいのに。誘ったのはわたしだし、そもそも値段だって千円もしないのだ。男性だからだろうか。見栄を張りたかったのだろうか。

 たぶんそうじゃない。帰り間際、潮谷君は柔らかな表情で微笑んでいた。もしわたしが「なんで払ってくれたの?」と聞いたらこう答えるはずだ。「俺の話を聞いてくれたお礼だよ」と。

 残されたファミレス内で、残りのココアを飲みながら考える。

 どうして真っ直ぐなんだろう、と。

 わたしのような人間はどうしても言葉を濁してしまう場面がある。わき上がってきた想いをそのままに伝えるのが気恥ずかしかったり、特別意味もなく伝えることが出来なかったりだとか、色々とあるけど。でも潮谷君はちゃんと思いを伝えられるのだ。かと思えば他人を攻撃することは出来なくて。そういうところは不器用だ。

 きっと、外界と接する時間よりも内側に籠もる時間が多いからスレていないのだろう。たとえば他の人間に向けてしまうような浅薄な感情の全てを、線の一本一本に込めてきたのだ。もしかしたら、浅慮なことに遣うエネルギーを持ち合わせていないのかもしれない。

 月日が経つごとに日常に押し流されるようにしてみんな変わっていくけれど、悠太は良くも悪くも変わっていなかった。日常生活の多くを絵に捧げていたからだろう。他者との交流が僅かだった、とも言えるけど。

 その変化のなさ……朴訥さに惹かれていた。でも、朴訥さなんて言葉で彼を表すのはなんだか違う気もする。

 今までに出会ったことのない種類の人だから興味深いだけなのかもしれない。勝手な言葉で美化して、自身の恣意をいいように形にしてしまっただけなのかもしれない。わたしが失恋直後で、元彼から言われた「つまらない」という言葉が尾を引いていたのかもしれない。だから特別見た目が格好いいわけでもなくて、女性経験が少なそうな悠太を選んだのかもしれない。駆け引きだとか打算だとか、利己的な考え方とは無関係な場所に立っている人が良かったのかもしれない。

 とにかくわたしは同窓会の直後に潮谷君――悠太と交際を始めた。彼の呼び名を名前にしたのもこの頃だった。かなり鈍感な人だったからわたしから沢山のアプローチをかけた。とは言っても悠太の生活は煩忙を極めていたし、仕事に手を抜く人じゃなかったから、デートだってごくまれに出掛けるくらいだった。

 まあ、普通のデートではなかったように思うけど。

 水族館や動物園に行っても、彼は大抵デジカメのフレームを覗いていた。真剣な表情を崩さずに写真を撮って、フレームから目を離したと思ったら今度は自身の目で目的の対象物を見つめていた。悠太の瞳はただそれだけを捉えていた。

 糖分なんて皆無だ。

 肩に手を置いてくれと言ってるんじゃない。腰に手を回せと言ってるんじゃない。けれどそういうものを期待してしまっていた。今までの彼氏はみんなそんな感じだったから余計に楽さを感じた。全然違う。

 まあでも、冷静に考えれば十人十色だし、わたしは悠太の自己が存在しているところに惹かれたんだ。わたしの思っている普通と異なっていることくらい分かっていたことだ。

 それに彼にとっては久々の外出なんだ。そもそも普段はずうっとパソコンの前に座っていて、外出の時間さえ取れないのだ。使用できる自由時間をどんなふうに使おうが自由。

 わたしが悠太に引っ付いてきただけと考えれば、ほんの少し心が軽くなった。

 せわしなく視線を移している悠太に声を掛ける。


「面白い?」

「面白い」


 それなら良かった。と思っていると、今度は悠太がわたしに問い掛けてきた。


「……けど、花菜はどう? 楽しいか?」


 楽しい楽しくないの二択で問われると返答に困ってしまう。楽しくないってわけじゃないけど……。


「ごめんな」


 わたしの顔で察したのか悠太は謝ってきた。いつもはうっすらと浮かべている笑みが消えていた。影を落としていた。

 これじゃ駄目だ。違う。そんな言葉を言わせるために付き合ったんじゃない。

 気合いを入れるために自分の頬を二度ほど叩く。


「突然どうしたの?」


 わたしの奇行に驚いて目を丸くしていた。


「ううん。ちょっとね。っていうか謝らないでよ。はっきりと楽しいって言えないけど、かと言って楽しくないってわけでもないから」


 なんだそれと首を傾げる悠太に語りかけるようにして告げた。


「一緒に居て落ち着けるよ。飽きたりなんかしないし、わたしは悠太に付いていくから」


 ほんの一瞬だけ目を見開き、それから照れたような表情を浮かべて悠太は館内を歩いていく。離れないようにわたしは悠太に付いてく。

 これでいい。

 悠太はそうやってどんどん前に進めばいいのだ。小石に躓いて転びそうになったり目的地が見えなくなっていたら、わたしが彼の手を取ればいい。繋いだ手を離さぬように握りしめ、悠太が再び歩き出せるようになるまでその熱を独り占めしていればいい。

 彼女になったわたしの特権なのだ。

 しかしわたしだけが決意を新たにしたところで、悠太の抱えている罪悪感が消失するわけではない。それを表すように、


「ごめんな」


 と口にしていた。

 こういう付き合い方が常識とは違うものだと理解していても、変化させることは難しいのだろう。時間の流れと共にこちらも悠太の人間性を理解し始めていた。

 どうしようもない感情と共に吐き出される掠れた謝罪の言葉。わたしはそれを確かに聞いていた。所在なさげに呟かれた言葉を、わたしの耳はしっかりと捉えていた。

 心の中で返す。

 大丈夫だよ。いいんだよ。

 そんなことは承知の上で付き合ってるんだよ、と。

 悠太は自身の思いをあまり口に出さないから、彼の行動や表情からしか察することができないけど、わたしに対して気を遣っているのは分かった。でも、わたしのことなんかでストレスなんて感じてほしくなかった。

 彼は感情の波の振り幅が大きい人なのだ。もちろん(わたしも含めた)他人には見せないようにしているけど、会う度にかなり様子が違う。笑顔を浮かべているときもあれば、ギュッと何かを堪えているようなときもあった。

 たとえば早朝のニュースで悲惨な映像を見てしまっただとか、幼児虐待の報道だとか、世界各国で起こるテロの詳細だとか。

 そういう、かなりの頻度で起こりうることが悠太の心に存在する琴線に触れてしまうらしかった。わたしならば仮にそれを知ったとしても流してしまう。確かに悲しいことだけど、わたしにはどうしようもないし、日常にはありとあらゆる不幸が付きまとうのだ。けれど悠太はそういう悲しい物事、世界に対して向き合ってしまう人だった。心に色々なものを溜めて、抱え込んでしまう。

 潮谷悠太という人間は行うと決めたことをどこまでも突き詰め、強靱な精神力を持って成し遂げる人――それが、悠太と付き合う以前に思っていた心証だった。

 けれど、後者は外れていた。外れに外れまくっていた。

 精神力なんて紙同然だ。

 だから、だからせめて、わたしとの付き合い方なんかでストレスを感じてほしくなかった。

 とは言っても難しい。『ストレスなんか感じてほしくない』と頭の中で思うのは簡単だけど、相手に楽を感じてもらうのはとっても高難度だ。それに、これはわたしの方から何かを変えなきゃだめなんだ。きっと悠太の性格、性質は変えられない。これからだって様々なことを気にしながら生きていくのだ。ただ、そこにわたしを入れてほしくはなかった。必要以上の気を遣ってほしくない。

 付き合い方の、上手なやりかたを。

 彼が心から笑ってくれるような、そんな付き合い方を考えようと決意した。




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~花言葉~ 白黒音夢 @monokuro_otomu

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