ハイドランジアの花束 2

前書き


日名・紫陽花

英名・Hydrangea


花言葉

冷淡/無情/高慢/辛抱強い愛情/あなたは美しいが冷淡だ

移り気・浮気・変節←NEW!!




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 さほど親しくもない友人から「同窓会やるんだけど出る?」とLINEが送られてきたのは二ヶ月前のことだった。卒業して既に五年が経過していて、皆様々な場所で生活している。だから全員の参加は不可能だろうけど、地元に残っている人で集まらないかということらしかった。ストレス発散にもなるしいいかな、と思ってチェーン居酒屋に来てみたのだが――


「あれ。森田は?」

「見る限りじゃ居ないな。これからくるかもしれねえけど、まあ来ないだろ」

「つまんねえよなあ。来てたら訊いてみたかったのに」

「何をだよ?」

「落ちたとき、どんな気持ちだったかをさ」


 不登校気味になっちまったもんなあ、と聞こえたけど、気遣う口調じゃなかった。どこか馬鹿にしているような、せせら笑うような声だった。


「つうかそもそも誰か連絡したのか?」

「知らねー。俺はアイツの連絡先知らねえしなあ。誰か居ねえのか。LINE知ってる奴」


 大声で騒ぎ立てる彼らを視界に入れないようにした。直接話し掛けられてしまえば不快な気持ちに拍車が掛かって今すぐ帰りたくなる。低俗な会話の応酬を聞くだけの同窓会にメリットはないし、別に帰っても問題はないだろうと思う。そう思うんだけど、ここで帰ってしまったら、森田さんとの約束を破ることになる。いや、それ自体はどうってことないんだけど、約束を破るとハーゲンダッツを奢らなきゃいけないのだ。会費で四千円も取られた上、更に余計なお金を使うのは断固拒否したいところだった。

『途中で帰ったらハーゲンダッツ奢ってね』

 という森田さんの声を思い出して苦笑した。彼女との交流は高校生の頃から続いており、この場に居る同級生よりもよっぽど多くの頻度で会っている。当然、同窓会が開催される旨を伝えたけど、森田さんは同窓会に出ることを固辞した。


「笑われるのは分かってるし、私も笑えるくらいにはなってきたから行ってもいいんだけどね。でも、きっと私が行かない方が皆楽しめると思う。酒のツマミになるでしょ」


 つい先週、森田さんと会ったときに聞いたセリフだった。酔いが回っていたから定かな記憶ではないけど、確かそんなことを言っていたはずだ。

 それに私、花の大学生だしね――

 そう付け加えた森田さんは、はっきりと笑みを溢していた。憑き物の落ちたような笑みだったから、わたしの脳裏に印象深く刻まれていた。

 同級生が揶揄していたことは事実だ。森田さんは東大に落ちてしまった。そのあと出席日数ギリギリで高校を卒業して、一年間浪人してから地元の私立大学を受験した。現在は大学四年生でキャンパスライフの最終年を味わっている。多くの友達が居るようで、遊びに誘っても「ごめん! もう予定入れちゃってるんだ!」と断られることが多い。

 高校時代の姿が目に浮かんだ。降り掛かる重圧に対して必死に耐えて、視線を浴びないように息を殺して……そんな姿が目に浮かんだ。それが今でははっきりと笑う女性になっている。明らかな変化だ。自分の過去を笑えるくらいには傷が癒えたのかもしれない。『酒のツマミになるでしょ』と言い切った彼女は、本当に昔とは違って見えた。

 森田さん一人だけが同窓会を欠席する。それがなんだか嫌だったから、


「じゃあわたしも行かない」


 と告げた。

 でも、森田さんはゆるゆると首を振って、わたしを諭すように言ったのだ。


「だめ。花菜ちゃんは行かなきゃ。別に行く理由はないかもしれないけど、行かない理由はもっとないでしょ。それに、楽しい話もあるかもしれないよ?」


 ――ああでも花菜ちゃん途中で帰ってきそうだな。

 と漏らした。正解だ。恐らく森田さんをネタにするだろうし、わたしは不快になるだろう。それさえ見越した森田さんが、ポンと手を打って「それじゃあこうしよう。途中で帰ったらハーゲンダッツ奢って」と言ってきたのだ。私にメリットの無い約束だったけど、酩酊状態の思考では何も考えられず、言われるがままに頷いたのだ。


「きっと楽しい話があるよ」


 森田さんが何度かこぼしていたセリフだけど、今のところは楽しい話の一つもなかった。

 大卒なのに中小企業に勤めているだとか、誰それが浪人しただの仕事を辞めただの、そんな話ばかりが聞こえてきた。


「なあ、どう思うよ」


 そんなふうに周りから話を振られても、わたしには何も答えようがなかった。

 結果として見えるものが情けなくあっても、わたし達からは過程を見ることはできない。背負った荷物の重さは本人にしか量ることができないから、外野がとやかく言える問題じゃあない。

 と、はっきり言うこともできないから、曖昧な笑みを浮かべて相槌を打っていた。そんなことを続けていると、次第に話を振られることもなくなってきた。

 やっぱり、疲れるよ。二次会なんて絶対に行かない。四千円も払ってなんで来たんだろう。

 適当に抜けだそう。そしてハーゲンダッツを買って、森田さんに会いに行こう。

 ため息を隠しながら舐めるようにビールを飲んでいると、遠くで声が聞こえた。


「今何してんの?」

「あー……フリーターだよ」

「フリーターかよ」

「昔からパッとしねえヤツだったからなあ」


 しょうがねえよ。しょうがないわねえ。

 あからさまな嘲笑が聞こえ、目を向けた先に居たのが潮谷君だった。高校の頃より少し伸びた前髪が見えた。どうやらフリーターと名乗ったのが彼だったらしく、そう告げた潮谷君に対して同級生の誰もが憐憫と侮蔑の目を向けていた。けれど、直接貶しはしない。小さな毒を含ませた言葉を繰り返して、潮谷君を傷付けていく。傷付いているはずなのに、潮谷君は笑っていた。口元を上げながら対応していた。

 ほんとな。俺なんもできねえからな。そうそう。いやお前はすげえよ。

 同級生の言葉に相槌を打ち、自分を貶め、他者を褒めていた。ときおり伏せた目に影が落ちていたのを見て、少しだけ胸が痛んだ。

 感情は次第に共鳴していく。先ほど森田さんを馬鹿にしたときと同じだ。一人が潮谷君を馬鹿にすれば違う誰かが同じように潮谷君を嘲笑し、そしてまた違う誰かが微かな毒を吐き、気付けば誰もが潮谷君を笑っていた。

 共通項で自分たちを括り、その枠に入らない異物を省いていくことで安心したいのだ。自分が底辺ではないと認識するために、より下層で生きている人間を慰めるのだ。

 高校を卒業して五年も経てば新入社員だった頃とは違い、後輩も増えて負う責任も大きくなっているだろう。大卒なら社会人一年目だ。新しい世界に飛び込んだばかりで右往左往しているのかもしれない。

 まあ要は誰だって心の底によどよどとした気持ちが沈殿してしまうのだ。澱は吐き出すことで浄化され、また不条理な日々を生きていくことができる。それはまだ理解できる。

 けれど、他人にそれをぶつけて何になるのだろうか。

 そりゃあ、わたしだって人並みに辛いことはある。先日異動してきた上司にセクハラまがいのことをされ、それを女上司に相談したら「あの人は力持ってるから。楯突くとクビだよ。慣れるしかないよ」というなんの解決にもならないアドバイスを頂いたし――

 はあ。

 一つ息を吐いて、今度は勢いよくビールを飲んだ。苦みが喉を通り抜ける。

 この苦さには慣れたけど、未だに社会の掟ってのには慣れない。何が悲しくて会社の飲み会に出なきゃいけないのだ。

 別に仕事だけがストレスなのではない。プライベートのことだって愚痴しか出てこない。森田さんと会ったときにも散々罵詈雑言を吐いてきたけど、彼氏――元彼が浮気をしていたのだ。

 具体的に言えば、元彼の家にこっそりと遊びに行ったらわたしじゃない女性とヤッていた。

 バタンと扉を開けたままわたしは固まってしまったけれど、元彼はわたしが部屋に入ったことにも動じず、動いていた。

 『動じず、動いていた』ってちょっと面白い表現だ。言葉遊びみたい。

 ……まったく面白くない上に遊ばれていたのはわたしだったってオチなんだけども。

 今はこうやって頭の中で整理できて、馬鹿みたいな指摘もできるけど、現場を目撃した瞬間の心臓の跳ねっぷりと混乱具合は一生忘れないし、その後の彼氏が言った弁明の言葉は生まれ変わっても忘れないと思う。


「俺さあ。一人のオンナと付き合うことって出来ないんだわあ。カナはきっとそういうの許せないだろお?」


 心がすうっと冷めていくのが分かった。いや、これはないでしょ。こんな間延びした喋り方をして、そしてなんだって? 『カナはきっとこういうの許せないだろお?』ってなに? わたしじゃなくたって大抵の人間は許せないよ。ふざけんな。そんな自分本位、許せるわけないじゃない。つうか母音伸ばすな。

 こんなにも心の中は荒れている。様々な感情がグルグルと胸の内を駆け巡っている。

 なのに、だけど、わたしは何も言えなかった。二の句を継げないともまた違うんだけど、とにかくわたしは何も言えなくて、ただただ黙って彼の都合の良い言い分――なのかどうかも分からないけれど――を聞いていた。

「この子はそういうの、分かってくれるんだわあ」

 彼はそう言って女の子を顎で指した。これが彼が選んだ子か、と思ってまじまじと見つめた。当たり前だけど、わたしとは違うタイプだった。まず派手な金髪が目に付いて、いかにも男受けしそうな子だと感じた。

 目がきりりと立っている。鼻も高い。少しエキゾチックな感じだ。よく見ると両耳にピアスの穴が開いている。胸が大きくて、お尻も出ている。

 やっぱり男の子にモテそうな身体だ。

 あまりにも長く見つめていたからか、彼女は怪訝な表情でわたしを見つめ返してきた。先ほどまで浮気相手でしかなかった彼女だけど、今の会話を聞いて自分が選ばれたのを理解したのだろう。わたしを見つめ返す目力が強くて、堂々としていた。

 わたしはやっぱり何も言えなくて、その内彼女の視線にいたたまれなくなって、わたしは逃げ帰るようにして彼のアパートを飛び出したのだった。何を思ったか、「ごめん」という言葉をお土産において。

 自分が吐き出した言葉が信じられなかった。ごめんって何。わたしは何を思ってごめんって言ったんだろう。

 はあ。

 思い出すとむしゃくしゃしてしまう。この話はやめよう。

 終わった話だけど、でもまだ二週間前のことだ。好きだった人を嫌いになるにはまだ時間が早すぎる。

 ”どうしてあんな男を選んだんだろう?”

 自室で泣きはらしながら、胸の痛みを堪えながら考えてみるものの答えは出なかった。一つの恋愛が終わる度に思案してみるけど、結局のところ、男を見る目がないってだけなのかもしれない。そもそも遊ばれて終わるだけの恋から学べるモノなど何もあるわけがないのだ。

 喧噪の中でフラフラと視線を彷徨わせていると、隅っこに座っていた潮谷君と目が合った。既に話題は次に移っているようで、潮谷君の周りには誰も居なかった。

 絵、まだ描いてるのかな?

 あの日、バス停で見た無彩色の紫陽花。その柔らかい輪郭を思い出しながら潮谷君の元まで向かっていくと、わたしに気付いた彼は口元に笑みを浮かべた。


「笹原さんだよね。久しぶり」

「久しぶりだね」


 わたしは高校時代から雰囲気に変化がないらしく、今日の同窓会でも友人達から「花菜は変わってないねえ。化粧も薄いし、まだ高校生でも通用するんじゃない?」と言われた。恐らく彼も一目でわたしの名前を思い出したはずだ。


「わたしってそんなに変化ない?」

「どういうこと?」


 友人達に言われたわたしの雰囲気についてのくだりを説明すると、彼はクスクスと笑った。


「確かに笹原さんは変わってないよね。一発で気付いたよ――まあ、ちゃんと喋ったことはあんまりなかったけど」


 あんまり、というか一回しかない。たった一度の邂逅だったけど、いや、一度きりの邂逅だったからこそわたしの記憶から消えなかった。


「そうだね。でも、わたしの高校時代で一番印象に残っている出来事って、潮谷君と話したこと……ううん。バス停で見た紫陽花の絵だったんだよ」

「そうなんだ」

「うん。凄かったから忘れられなくて。……今でも描いてる?」


 わたしが投げ掛けた言葉に対し、潮谷君は意味深な笑みを浮かべ、「内緒」と呟いた。

 あ、これはきっと描いてるぞ。

 直感でそう判断したけど、詳しい話を聞いてみたくなった。


「ここ抜けて話さない?」


 と提案すると、潮谷君はビックリしたような顔をしながらも頷いて、すぐに動き始めた。

 行動するの早っ、と驚いていると、その視線を察したのか「俺らが抜けても気付かないよ」と笑った。確かに同級生達は誰もこちらを見てなくて、数人ずつ固まって喋っていた。

 堂々と居酒屋から出てから、潮谷君に声を掛けた。


「ちょっと離れたところにファミレスが合ったと思うから、そこでいい?」


 分かったよ、と潮谷君は頷いたけど、思い出したように小さく声を漏らした。何か用事でもあったのだろうか。別に、最悪連絡先を交わして、あとで電話なりLINEなりで聞けばいいだけなんだけど。


「時間、大丈夫? 予定があるならまた今度でもいいよ?」

「あー。いや。あるっちゃあるんだけど、まだ大丈夫。あと二時間くらいは大丈夫なはず。きっと。たぶん」

「何それ……本当に大丈夫……?」


 大丈夫大丈夫、と言い放った潮谷君はどこか投げやりで。それがなんだか面白くて、わたしは笑ってしまった。不思議に思ったのか、潮谷君が「どうしたの?」と聞いてくるけど、わたしは首を振って答えた。

 なんでもないよ、と。

 むわっとした夏の空気を感じながら、わたし達はファミレスまでの道のりを歩いていく。

 楽しい話になるのかもしれないな、なんてことを考えながら。





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