~花言葉~

白黒音夢

ハイドランジアの花束 1

前書き


日名・紫陽花

英名・Hydrangea


花言葉

冷淡/無情/高慢/辛抱強い愛情/あなたは美しいが冷淡だ


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 緩やかに傾斜している駐車場に車を停めると、無音だった世界に小さなノイズが走った。雨の音だ。空を見上げてみるといつの間にか灰色の雲が薄く重なっており、空を細雨が舞っていた。当然フロントガラスにも細かな雨が付いている。小さな斑点が幾つか重なって、小さな川を作っていた。

 運転していたのに、雨が降っていることに気が付かなかった。耳を欹てないと聞こえないほどに雨音が弱いからだろうか。

 今朝の天気予報で見た天気のマークは曇りのち晴れだった気がするし、気象予報士も雨脚が強くなるとは言っていなかった。おそらく通り雨のようなものだろう。

 幸い目的地は目の前だ。いちいち傘を開くのも馬鹿らしいし、このまま喫茶店に入ろう。

 霧雨に濡れながら歩いてると、駐車場の脇に植えられている紫陽花が目に映った。青紫色の紫陽花が雨露で彩られており、どこか幻想的にも見えたし、それは愁いを帯びているようにも見えた。

 クリーム色の扉を開けると、からんからんとドアベルの音が鳴った。ついで、女性店員がわたしに向かって挨拶をしてきた。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」

「二人です。あとでもう一人来るので」


 わたしが店員にそう告げると、彼女は何を勘違いしたのかニコッと笑い、「かしこまりました。お好きな席にお掛けになってください」と言った。

 友達や彼氏との待ち合わせだと思ったのだろう。

 間違いではないけれど……。

 自然と視線は下へと向いた。足元を見つめながら一番奥のテーブル席まで歩いていく。大きめのソファーに腰掛けてから、窓の外に目をやった。

 もし日が照っていれば、はめ込まれている大きなガラス窓を通して、暖かな陽光が室内に入り込んでくる。太陽の眩さに目を細めながら、外を歩いている人を眺めたり、遠くの山々を見遣るのがわたしは好きだったりする。

 何度もこの喫茶店に訪れているけど、わたしはその度にこの席に座っている。もちろんここから覗く景色の良さもあるけど、それだけでこの席に座っているわけではない。

 この席からは、喫茶店に併設されている駐車場が見える。

 彼氏がこの喫茶店を訪れるとき、こちら側の座っているとすぐに分かるのだ。

 とは言っても大抵は彼氏が先に喫茶店に着いていて、この席を陣取っていた。彼も同様の理由でこの席に座っている。花菜かなの姿が見えるから、だそうだ。

 ともあれ、わたしが早く着くなんて久方ぶりのことだった。


「もうちょっとかな?」


 自分でも気付かない内に声に出していたようで、驚いてしまった。自身が発してしまった言葉の意味を考えて、心の中がぞわっとした。

 彼氏が喫茶店に着くのが”もうちょっとかな?”

 それとも、この関係が終わるのが”もうちょっとかな?”

 どっちもか、と自分を納得させた。だけどわたしにしては随分と保った方だ。いまの彼氏――潮谷しおたに悠太ゆうたとは一年と二ヶ月、三ヶ月くらいか。そのくらい続いている。元彼は半年も持たなかったし、その前の彼氏に至っては三ヶ月も持たずに別れを告げられた。

 大抵、わたしは相手に振られるのだ。それでも普通に振られるのならばまだいい。けれど元彼には二股を掛けられていたし、その前の彼氏には別れ際に「お前つまんないんだよな」と言われて酷く傷付いたのも覚えている。

 時間を確認しようとして鞄の中からスマホを取り出すと、電源の落とされた液晶画面に自分の顔が映っていた。チラッと辺りを窺って、それからわたしは小さく微笑んでみた。当然、画面に映る女も小さく微笑んでいた。あまり可愛くない女が、そこで微笑んでいた。

 お待たせ致しましたと声が聞こえて、わたしは視線を上げた。そこには居たのは相変わらず過剰な笑みを浮かべている店員だった。確かにここは店員の態度や接客が悪いわけではないけれど、それにしてもここまで愛想の良い店だっただろうか。

 内心で首を傾げながら、彼女が持ってきたアイスコーヒーを受け取った。


「ありがとう」


 そう言ったあと、わたしはカトラリーボックスからスティックシュガーとミルクを一つずつ入れた。ストローを差してクルクルと混ぜると、真っ黒な液体にそれらが溶けていった。攪拌されて褐色に近くなったコーヒーを口に含む。

 種類には詳しくないけどコーヒー豆の匂いがちゃんと香ってきた。それからスッキリとした苦みが鼻から抜けていった。


「このあとどうする?」


 不意にそんな声が聞こえ、驚きながら目をそちらに向けた。すると斜め向かいのテーブル席に居る男性。いや、男子か。まだ顔つきが男子だ。少なくとも二十代になったばかりだろう。その幼い感じの男の子が、隣に座っている女子――恐らく男の子と同い年くらいだ――に声を掛けていた。


「うーん。どうしよっか。タカ君はどうしたい?」

「どうしましょ……」

「もー。ちゃんとエスコートしてよね」

「ごめんごめん」

「それでホントどうするの?」

「この辺ぶらつくとか、どう?」

「えー。うっそでしょ」

「うん。ないよね。分かってるから怒らないで。冗談」

「まああたしはそれでもいいけどさ」


 タカ君と呼ばれていた男の子は、女の子への話し掛け方がドコか初々しい。それとは対照的に、女の子には余裕があった。雰囲気が女の子って感じじゃない。立派な女性だ。受け答えも慣れている風に見えるし、表情も作っているように見える。今は怒っているように、呆れているように、そんな風に見せているけど、男の子に向けている目の中には柔らかさがあった。温かみがあった。


「あ、見て」


 スマホを弄っていた女の子が、何かを指し示した。


「版画展……そんなんやってるんだ。この辺でやってるの?」

「隣町だって。どうする?」

「行こっか。っていうかなんも調べてなくてごめん……」

「別に気にしてないから。次はちゃんとしてよね」


 さりげなく次もあるよって告げている。きっと彼女はタカ君のことが好きなのだ。タカ君を見つめている女の子の眼差しがそう言っている。


「ちなみにさ」

「うん?」

「なんで予定立てなかったの?」

「えーっとな」


 男の子が気まずそうな顔をしながら言う。


「昨日夜色々と調べてたんですが」

「が?」

「あまりの緊張で何も頭に入らなくてですね」


 なにそれ、と女の子がケラケラと笑った。


「そんなに緊張してるの?」

「めっちゃしてます」

「あたしだよ?」

「あたしだからだよ……」


 タカ君が苦笑しながら吐き出した言葉に女の子が微笑んで、それからおもむろにタカ君の手を握った。


「えっ。何」

「ううん。ホントに緊張してるんだなあって。手汗凄いね!」


 タカ君はとっても狼狽えている。気恥ずかしそうにしているし、何より耳が真っ赤になっていた。手を繋いだまま、二人は喋っていく。


「ねえ。これ美味しそう」

「ケーキセット……って食べるの? 昼飯代わり?」

「やだなあ。お昼はまたあっちで食べるに決まってるでしょ。甘いものは別腹って知ってる?」


 この席からだとどうでもいいことまで丸わかりだ。女の子が注文をしてる際、チラチラと胸元に向かっているタカ君の視線だとか。注文し終わってから女の子が振り返る瞬間、タカ君がサッと視線を外す様子だとか。その妙な視線の揺れ方の意味に気付いているのに気付かない振りをしてあげる女の子の理解の良さだとか。そんなどうでもいいことが分かってしまった。

 互いになんだか色々とぎこちない。恋人であるのなら茶化したりしているだろうし。これはきっと付き合ってはいないんだろう。お試し期間かもしれない。

 ……店の外で揺れていた紫陽花もそうだ。この二人の幼い付き合い方もそうだ。わたしと悠太が、初めて会った日のことを思い出させるには十分だった。

 ウェブを開いて『紫陽花』と言葉を打ち込む。すぐに綺麗な写真が表示された。



     ☆☆☆☆☆



 悠太と出会ったその日も小雨が降っていた。そんな中、わたしは母親の頼みを断れず、学校帰りにスーパーに寄ったのだった。小さくため息を吐きながら帰りを急いでいた。


「遅くなっちゃったなあ」


 独りごちながら、チラリと薄曇りの空を仰ぎ見る。敷き詰められた雲を割るような輝きが遠方で起きて、それから十秒ほど経って雷鳴が聞こえた。ゴロゴロと音が鳴って、少し身体に力が入った。意識してみると、傘を差した手に僅かな振動が響き続けているのが分かった。雨粒が傘に落ち、周りの地面に落ち、微かな音を立てては延々と広がり続けている。

 時折、さあっと風が吹いて、雨が斜めに降ってくる。そうすると傘を差していたってあんまり意味が無かった。肩とか、太ももだとか、その部分の制服が濡れてしまって気持ちが悪い。

 濡れた肩から掲げている大きめのバッグには今日使った授業道具が入っていて、これだけでも十分に重たいのに、更にジャガイモだのニンジンだの豚こまだの醤油だの……様々なモノが入っているビニール袋をぶら下げているのだ。これが腕にズッシリとくる。

 もう一度、今度は深くため息を吐く。

 わたしじゃなくてお姉ちゃんに頼んでくれればよかったのに。

 幾つか年の離れているお姉ちゃんは既に就職していて、通勤用の車を持っていた。だからこんなふうに重たい荷物を抱えなくても済むのだ。

 ほんとやだなあ、と思いながらバス停を通りすぎたとき、雨よけの小屋に人の影を感じた。一瞬映った人影はわたしと似ている制服を着ていた。恐らくわたしと一緒で西木高校の生徒だ。頭が下がっていて、顔は見えなかったけどきっと男子だ。ボサボサめの黒髪が見えた。

 こんなところで何をしているんだろう。バスを待っているのだろうか。でも、何か作業をしていたようにも思う。

 どうしよう、と思った。何故だかその人が何をしているのか無性に気になったのだ。

 立ち止まって、少し考える。下着の裏側までベッタリと張り付くような不快感がわたしの足を家へと急がせていたし、昨日の夜中に録画していた番組を観たかった。

 だからいつもなら通り過ぎて、このまま自宅へと帰っていただろう。だけどわたしはそのとき、クルリと身体を反転させて引き返した。

 田舎のバス停に何も期待はしていないけど、それにしてもなんにもない。古ぼけた水色のベンチが置いてあるだけだった。本当に単なる雨よけの小屋だ。

 ポツンと、という表現がよく似合うベンチに。これまたポツンと男子が座っていた。線の細い男子で、如何にも文系ですって雰囲気だった。そしてやっぱり見かけたことのある顔だった。廊下で何度かすれ違っているはずだ。きっと、たぶん。

 そんな朧気な記憶の彼は膝元にあるスケッチブックを凝視していて、わたしがこの場所に入ってきたことに気付いていない様子だった。

 傘を畳んで近付くと、彼はようやく顔を上げた。

 うお、と声を出したあと、「何か用?」と尋ねてきた。


「用事なんかないよ」

「……何しに来たんだ?」

「んー。あなたが何をしているのかを見に来たの」


 なんだそれ、と小さく笑ってから、彼はまたスケッチブックを眺め始めた。そして普段見かけないようなペンケースから、やたらと先の尖った鉛筆を取り出した。


「模写でもしてるの?」

「うん」

「見ててもいい?」


 隣に座りながらそう訊くと、彼は苦笑しながら「つまんないと思うよ」と言った。


「全然つまんなくないよ。これすごい」


 すごいすごい、とわたしははしゃいでいた。


「全然。大したことないよ」


 返事を返してくれたけど、彼は視線をこちらに向けなかった。その目はどこまでもスケッチブックに向かっていた。彼が持っているのはただの鉛筆だ。それなのに、彼が手を動かしていくと、線がただの線じゃなくなった。輪郭を得た、という表現が適しているのかもしれない。ぼやけた線が繋がって、絵になっていくのだ。なんだか魔法みたいだ。

 さらさら。さらさら。

 手はせわしなく動いていた。力を入れているってわけじゃなくて、自然な感じ。


「これって記憶の中の紫陽花を書いてるの?」

「そんなわけないよ。ほら、そこにある」


 彼が鉛筆で指した先、小屋と外の境目には小さな鉢植えが置いてあった。一輪の紫陽花が見事に咲いていた。小雨が花を濡らしたおかげで、青紫が艶やかに光っている。妙な光沢感がある。輝いているようにも見える紫陽花は、この寂れたバス停にはそぐわない気もするし、唱和が取れているような気もした。

 まあ、そんなことはどうでもいい。それよりも――

 わたしは、すごっ、と声を出していた。


「すっごい。リアル。本物よりも本物っぽくて、この絵の方が好き」


 スケッチブックの中に出来上がりつつある紫陽花を見、わたしがそう告げると彼は顔をほころばせた。


「お世辞でも嬉しい」

「お世辞じゃないよ」


 というと、彼は少し困った顔をして、「嘘でも嬉しい」と言った。わざわざ言い換えてまで謙遜しなくてもいいのに。


「嘘でもないよ。っていうかホントにすごいよ。こんな絵、わたしには描けない」


 わたしに出来ないことは、たくさんある。というかほとんどできないんじゃないだろうか。

 彼に告げたように、わたしにはこんな絵は描けなかった。美声を持ってるわけじゃないから音楽だって人並みで。運動神経も可もなく不可もなく。当然学業も中の中だ。

 もしかしたらわたしにも秘められている才能があるのかもしれない。そんなことを夜中に妄想してみるものの、その妄想は現実になりそうもなかった。こういうのは諦めではない。そうじゃないけど、でも、だけど、どんなに頑張ったって手に入らないものがあるのもまた事実なのだ。

 たとえば、わたしの斜め前の席に座っている森田さんは才女だ。恐ろしいくらいに勉強ができる。どのくらいかって言うと、彼女は今年東大に受験する。受かるかどうかはともかくとして、受験できるレベルにあるそうだ。

「西木高校初の快挙だ!」と、担任や教師一同が揃って言っていたけど、森田さん自身は不安を感じているようだった。身の丈に合わない信頼の眼差しを向けられるのが怖いと溢して、近頃は顔を俯かせ、身を縮ませながら教室で授業を受けている。


「私は普通にしてるのに、なんでこんなに期待されるんだろう」


 森田さんの口癖だった。きっと森田さんの中で、普通の定義がぶっ飛んでるのだ。そして、理解していない。わたしや他の生徒から見れば圧倒的な学力なのだ。けれど彼女は理解していない。そうした圧倒的な才を持っている人間は、何も持っていない人間のことが分からない。

 きっとこの男の子もそうなのだ。

 花壇で咲いている紫陽花を見て、スケッチブックを見る。線の細いタッチ。柔らかな濃淡。私は玄人じゃないから絵の善し悪しなんてやっぱり分からないけど、すごいということだけは認識できた。そのすごさが才能とイコールなのかも分からない。だけど、心の琴線に触れる絵だった。

 そういう絵を描ける能力を手に入れているのに、彼はその価値が分からないのだ。


「好きだって言ってくれた人、初めてだよ」


 はにかみながらそう告げる彼は、相変わらず手を動かしていた。


「そんなわけないでしょー。こんなに素敵な絵を描けるんだから」

「すごいだとか、上手だとかは言われるけどさ。好きって言ってくれたのは君が初めてなんだよ」

「そうなんだ」

「上手いねって言われるのさ、嬉しいけど嬉しくないんだ。ホントはさ、好きだって言葉が嬉しいんだよ――」


 よほど嬉しかったのだろう。本当に嬉しそうに喋るから、わたしは彼の言葉を黙って聞いていた。美大に行くことを決心しただとか、ネットで開催しているイラストコンテストで注目されただとか、そんな話をしてくれた。

 その中でも面白かったのが、紫陽花の花の構造についてだった。


「紫陽花って、花に見える部分がホントの花じゃないって知ってる?」

「どういうこと?」


 彼はおもむろに立ち上がってスケッチブックをベンチに置いた。そして紫陽花が咲いている鉢植えの元まで歩いていくと、わたしを手招きした。しゃがんでいる彼の側まで行って、同じようにしゃがみ込む。手鞠のような紫陽花の花弁を手に持ちながら彼は言った。


「これが花弁だと思うでしょ? でもこれは装飾花って言って、がくが発達しただけなんだ。で、ホントの花はこっち」


 そう言って花弁……じゃなくて装飾花、萼の部分をかき分けた。その奥には小さな小さな花の集まりがあった。


「えっ。この小さいのが花なの?」

「うん。これは真花って言って……真なる花って書いて真花ね。そういう名前なんだ」


 へえ、と言ってしばらく眺めていた。ざあざあと降る小雨がこの場に馴染んでくる頃、彼はポツリと漏らした。


「なんだか可哀想だよな」

「……何が?」

「ホントはこっちがちゃんとした花なのに、みんな装飾花の部分を見てる。それがなんだか不遇って言うか、可哀想っていうかさ」

「ちょっと分かるなあ。奥の真花、だっけ? こっちも綺麗なのにね。小さくて、可愛らしくて……ってまあ、わたしも知らなかったんだけどね」


 おどけるように笑ってみせると、彼も小さく笑った。


「実は俺も知らなかったんだけどね。花を観察をしてるときに気付いてさ。携帯で調べたんだ」

「なーんだ。一般常識かと思っちゃった」

「近頃はテレビとかで紹介されてるらしいから、きっと一般常識に近いものになるんじゃないかな?」

「勉強になりました」

「それほどでも」


 細く綺麗な指先で装飾花をなぞっている様を見ていると、彼は再び微かな声を出した。


「きっと、本当に綺麗なものってあんまり知られてないんだろうなあ」


 その言葉はまさしく、文字通り呟いただけ・・・・・のものだったのだろう。わたしに聞かせるための言葉なんかじゃなくて、ただただ口からこぼれてしまっただけのもの。だから聞き流せば良かったのに、でもわたしは彼の顔を一瞬見てしまった。どういうことなんだろう、と思いながら見つめてしまったのだ。

 彼自身も呟くつもりなんて無かったのだろう。言ったあと、「あ、しまった」というような顔をしていた。自分でもビックリと言った表情だ。そしてまたわたしの疑問に満ちた顔なんて見てしまったから尚更だ。

 ううん、と困った声を上げたあと、弁明するように言った。


「いやなんかさ。色々と考えちゃってさ」

「うん」

「つい言葉に出ちゃったっていうか」

「うん」


 ぼんやりと。でもあれこれと。川を流れる水みたいに思考が留まってくれないことなんてよくある。そしてそうやって物を考えていると、ついついそれが口に出てしまう。そんなこともよくある。だから慌てる必要なんてないのに。

 けどまあ、それを指摘するのも野暮ってヤツなのかもしれない。指摘すると殊更慌てるタイプの人もいるように思うし、なんだか彼はそういう人間に見えた。

 一通り喋り終えた頃を見計らってわたしは言った。


「それじゃ、そろそろ行くね」

「ありがとうな」


 何に対するお礼なのかは分からなかったけど、彼はもう一度言った。


「ホント、ありがとう――あ、そういえば名前は?」

笹原ささはら花菜かな。三年生。あなたは?」

「潮谷悠太。同じ三年だよ」


 じゃあね潮谷君。と言って、私は傘を差して外に出た。

 それが悠太との邂逅だった。そのあと悠太とは校内の廊下で顔を合わせるくらいしか機会がなくて、そのまま卒業してしまった。だけど、転機が訪れる。

 五年後に行われた同窓会で、わたし達は再び出会ったのだった。



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