暴食の悪魔
躊躇うな
「おらっ、出すぞ!」
「ぁ……っか……ぁ…………」
重なっている男と女の体が一瞬びくりと震えた。余韻を楽しむかのように男は荒い息を繰り返しながらもゆっくりとその腰を動かす。対して女は動かなかった。いやもう動かない。首にはくっきりと男の手の痕が残っていて口はだらし無く開いたままもう閉じることはない。上を向いた黒目が感情の全てを失い、その体からは生気を感じない。
「ふぅ、最高だったぜ。おら、お前もするんだろ? まだ冷たくなるには少し時間があるぜ」
男は罪悪感など微塵もない笑顔を僕に向ける。僕の世界を恨む良心がその笑顔を不愉快だと僕に訴える。けど弱者の僕が男にそれを言うことはない。
「いや、いやぁああああ! 離して、痛いっ! 痛い痛い痛いッ!」
「……っち。隣は手こずってんのか。おい、俺はちょっと様子を見てくるが、お前もするなら早くしろよ」
隣の部屋の騒音を聞き男が部屋を出て行く。残されたのはもう息をしていない女と僕だけだ。
ああ、この世界は残酷だ。力ある者が奪う事を許され、力ない者は奪われる事を強制される。クソみたいで大嫌いな世界だ。
この女は強かった。捕まって嬲られている最中も僕への憎悪は絶やさなかった。突かれる度に出る声に色など含まれず、最後の最後まで僕への憎悪の言葉だった。
心は折れず誇り高かった。それがより一層あの男の嗜虐心を燻ったのだが、殴られようと何をされようと決してその態度は崩れなかった。
けど、女は死んだのだ。結局、あれだけ僕を殺すと言っていたのに僕に指一本触れることも出来ずに死んだのだ。
もう動かない女のところまで行き、僕はゆっくりとその体に覆い被さる。そして先程入っていた男のものを塗り替えるように入念に動かす。物言わぬ口に何度も自分の口を重ね、舌を絡め、噛む。動きは激しさを増していく。征服するんだ。征服しろ、征服しろ。僕より圧倒的に強かったこの女を喰らえ。あの男じゃない。僕の物にするんだ。
「は、はは。殺すって? ほら、殺してみろよ、なあっ! 殺してみろよっ!」
彼女の体のあちこちを殴る。魔物との戦闘で傷ついただろう古傷を舐めて、男に殴られた痣に口付けをする。そうして綺麗にしたあと、その上から僕が新しい傷をつける。
ああ、僕は強い。お前より強い。だから何をしてもいいんだ。それで恨まれるのは筋違いだ。だってみんなそうだろ。悪いのは僕じゃない。力の無いお前とそれを罰しないこの世界が悪いんだ。
……僕の良心が悲鳴をあげる。頭痛として現れるそれから逃げるように腰を振りつづけた。そして僕の顔はあの男と同じように笑っていた。
*
暴食の悪魔。今じゃ大半の人がお伽話だと思い込んでいる実在した人物。ナターリアの話では男は何でも食べたらしい。動物も魔物も人も。そして精霊すらも食べたと言われている。欲望のまま食べ尽くした男が最後に訪れたのが帝国と魔法国の間に広がる山脈だと言う。
帝国領最北端の小さな村から更に北に行くとその山はある。帝国と魔法国を分断するように横に連なった山脈は上に行くほど荒れた山肌が露出して、麓へ下るほど緑は戻っていく。まるで山の緑だけを食べたようなその様相が暴食の悪魔の最後の地として語られるようになった理由らしい。他にも本来ならいる筈の動物や魔物の姿がこの山では見ないことも理由の一つになっている。
その様子から村の人は未だに悪魔が生きていると信じてこの山には立ち寄らないらしい。魔法国に行きたいのなら山を迂回すればいいと言う。その分距離はあるが、何より身体的な問題と精神的な問題をどちらも気にする必要がないからだそうだ。それは勿論旅人や商人も同じだ。その山を登る人は一年に一人いるかどうかと聞いた。それも大抵が奇妙な趣味を持った変人らしい。
一つ前の村で情報収集をしてみると変人を見る目で私を見ながら男がそう言った。行き先はわかったのだが、正確な位置が掴めていない。山に誰も登らないとなると連なっているどの山が悪魔の最期の場所なのかわからない。
……端から端まで全部探してもいいが、必ず聖玉があるわけではないだろうから出来るだけ無駄足は踏みたくない。やはり山から一番近い村に寄りもう一度情報収集をした方がいいか。
「旅人さんも魔法国ですよね。あそこはいいですよね。学者が多く、新しい魔法具も日々開発されていて寄る度に見たことのない魔法具が売られてます。私みたいな旅商人にとってはまさに金の種がばら撒かれているようなものですよ」
村を出てから勝手についてくる男が胡散臭い笑顔を浮かべる。荷馬車に乗っているくせに歩いている私を追い越すでもなく、世間話をするていで私の隣に並んでいる。
二頭立ての馬車だ。荷台の部分は小屋になっていて窓は付いてなく外からその中を見ることは出来ない。そして蔵のように入り口は施錠されていて、中からは扉を開けることはできない。大きくはないが、大人なら四人、子供なら六人は入るだろう。
時折物音がすることやその構造、そして帝国や魔法国では奴隷売買が禁止されていないことからその荷物が何なのか、中が見えなくても見当はつく。
何より、あの屋敷にいた時に掃除させられていた馬車に似ていた。大きさも素材も見栄えも全然違うが、その醜悪さは似ている。もっとも屋敷の馬車はこんな露骨ではなく、王国用に偽装されていたし、その持ち主も目の前の男のような小者ではなかったが。
男の目的は明確だ。私についてきて護衛料を節約する気なんだろう。何が旅商人だ。少しでも心証を良くしようと思ってついた嘘だろうが、その嘘で男の程度が知れる。
街道を行くなら頻繁に魔物は出ない。せいぜい足の遅いゴブリンかオークだろう。知能の低いそいつらが相手なら男の乗っている馬車なら十分逃げられるだろう。それでも私を利用するということは滅多に起こらないもしもの保険のつもりなのか、それとも心当たりがあるのか。どちらにせよ付き合ってやるつもりはない。
「それにしても女性一人で旅とは、余程腕に自信があるのでしょう? こうして出会ったのも気まぐれな風の聖霊の導きでしょう。道中お互いの旅の話でもして聖霊に花を捧げましょう。まずは私から話ましょうか」
私に会話をする気がないことを感じ取ったのか男は返事を必要としない自身の話に切り替えた。どこそこで商品を買っただとか、森の中で運良く綺麗で珍しい花を手に入れただとか、奴隷を手に入れた事を白々しくそれらしいことに置き換えている。
自由の象徴である風の聖霊は旅の話が大好きだと言われている。これは有名な冒険家の手記によく記されていたらしい。大陸を隈なく旅したと言われているこの冒険家は後に続く同業者から尊敬されている。話すことが出来なかったのではないかと噂される程彼は多くの手記を残し、またその記録は彼を尊敬する多くの者から高値で買い取られた。それらの一部は冒険家の教本になり、寝物語の一部になり、演劇という芸術になり、後世に広く伝わっていくものになる。
“この話を自由を愛する風の聖霊に捧ぐ”
彼から影響を受けた物には全てこの言葉が入る。今では旅の話をする時の常套文句となっている。
……自由を愛する精霊に嬉々として自由を害した話を捧げるなんてな。馬鹿なのか、肝が座っているのか。
「綺麗な花を摘むのに苦労しましてね。汚い虫が邪魔するように群がってくるんですよ。花も可哀想でしたよ、年中虫にたかられるのは」
「――エーリャを返せッ!」
声、というより殺気に体が反応する。いつでも抜けるように剣に手を添えた。殺気の反応は横道から姿を現し、十人がかりで左右を挟まれた。尖った耳をしている。男女混合のエルフが十人弓を構えていた。多くの者の狙いは隣の男に向けられているが、何人かは私の方に狙いを向けている。
護衛と勘違いされたか。面倒な。
「攫った同胞を返してもらおうか」
「このクズめ! エーリャを返せ!」
声に反応して荷台の中から壁を叩く音が聞こえる。怒りや恨みの声が増していくと、奴隷商の男が私に視線を向けた。
「旅人様、どうか、」
「私には関係ない」
「そんなっ、どうか、どうか助けて下さい!」
歩き去ろうとした私の腕を男が必死に掴む。
「金なら払います! もしこいつらを殺さずに無力化出来たのなら売り払えば相当の額が手に入ります! こいつらは盗賊です! 殺してしまっても奴隷にして売り払っても心は痛まないでしょう!」
「ッふざけるな!」
怒声と共に矢が飛んでくる。エーリャと叫んでいた男の矢だ。その矢は男の足下に突き刺さった。殺気は十分に感じられた。けれどその切っ先は男に向けども、放つ矢は男の手前を狙っていた。牽制のつもりなんだろう。
「お前達人間はいつもそうだ! 俺達エルフを無理矢理攫うくせに、取り戻そうとすれば盗賊扱いをする! ならお前達がやってることはなんだ! 人間は許されて俺達エルフはダメなのか!」
矢を放った男が激情のまま叫んだ。その言葉に同調するように他のエルフ達の顔付きも変わる。
……耳障りで、目障りだ。
「動くな。次動けば当てる。十本の矢に狙われているということを自覚するんだな。そして大人しく我らの同胞を返すのならこの矢が放たれることはない。もしそれに応じないというのならその時は身をもって我らの怒りを味わうといい」
違うエルフの言葉だ。誰も何も言わないことからこの言葉はエルフの総意なんだろう。
ああ、耳障りにも程がある。自己保身と綺麗事で身を固めたこいつらに腹がたつ。
「……何故当てなかった」
「う、動くな! 本当に当てるぞ!」
エルフの構えてる弓が一斉に私に向くが、気にもとめず剣を抜いた。エルフの注意が私に向いた隙を見て奴隷商が懐に手を入れる。短剣でもナイフでもない。この男に接近しての戦闘なんて出来ないだろう。なら決まっている。最近流通しだした銃というものだろう。遺跡から発掘された魔術具を元に作られたとナターリアが言っていたな。殺傷能力は物や魔力によるが、速さなら弓に勝る。私に気を取られているうちに何人か撃って強行突破する気なのだろう。
最初はどうでもよかったが今は違う。銃を取り出した男の手を引き金を引くよりも早く斬りつける。深い傷ではない。痛みはあるだろうが腕を動かせなくなる程ではないはずだ。それでも痛みに慣れていないのか男は膝をつき叫び、銃を落とし斬られた腕を抑える。
「あぁぁあああぁぁあああああっ! 痛いっ痛い痛い痛い腕がぁぁああっ、なんでなんで!」
「うるさいな。黙れ殺すぞ」
奴隷商をしている癖に痛みに全く耐性がないのか。覚悟もなく、追われるヘマもする。こういう小者が攫う奴は自身より力の劣る女子供だろう。荷の中身はエルフの女子供か。なら尚更のことこのエルフ共に腹がたつ。
「なぜ矢を外した。お前達は躊躇いなく真っ先に撃つべきだった。逃走手段である馬を、仲間を攫った憎い敵を」
エルフの視線は戸惑うように私と男を行ったり来たりしている。
逃走手段など関係ない。本当は男を真っ先に撃つべきだった。それが無理なら馬を撃つべきだった。それなのにこいつらは狙うだけで、しかもわざわざ声を出し自ら居場所を教えた。やっと撃ったかと思えば牽制の為に足下を狙う。
「大人しく返せ? 返さないなら殺す? ふざけるな。大切な者を取り返したいのなら戸惑うな。敵に情けをかけるな。弱みを見せるな。殺せ。隙があれば殺せ。守りたいのなら殺せ。取り戻したいのなら殺せ。もしそれが出来ないのなら弱者らしく奪われることを許容しろ」
「なっ!? お、俺達はお前ら人間とは違う! 無闇矢鱈に命を奪いなどしない! 無用に殺して自分の手を、魂を血で汚す、お前ら人間とは違うんだ!」
「……ああ、そうか。お前らは仲間の為に汚れることを厭うのか、それを無用というのかッ!」
やはりこいつらは私の嫌いな腐った連中と変わらない。自分の事しか考えていない蛆と何ら変わらない。
「ならその選択の先を見ればいい」
荷台の壁に剣を一閃する。所詮木だ。難なく切り開かれたその中には五人の女エルフがボロ布を着せられて座っていた。足枷はされていないが両手は縄で縛られている。嫌気がする臭いと、腿のあたりにある血の跡、乱れたままの髪や格好で今まで何をされていたのかを知る。当然だ。男女問わずエルフの奴隷の使用目的は決まってそれだ。
奴隷商の男は隷属の輪を買う程の資産がないんだろう。魔力を狂わす毒草がある。それを使い魔法を封じれば力で劣る女エルフなど攫うも犯すも簡単だ。娼館の真似事をしながら限界まで使い潰し、最後は壊れたエルフをその手の愛好家に売り払うつもりだったんだろう。
急に差し込んだ光にも中のエルフ達の反応は薄かった。だが一人だけ状況を把握しようと周りを見渡している奴がいる。声に反応して壁を叩いていたのはこいつだろう。
瞳には絶望の色、そしてそれに劣らない憎悪を宿している。この捕らわれていたエルフ達の姿や瞳を見ても外のエルフ達が弓を引くことはなかった。怒りを露わにしながらも間抜けのように突っ立っているだけだ。
「立て」
女達に近づき隠していた短剣やナイフを床に落としていく。ついでに手の縄も斬っていく。目の前に落ちた武器に女達は僅かに反応を示した。
「あのエルフ達は奴隷商が大人しくお前達を解放するのなら殺す気はないそうだ。今の状況なら大人しく解放するだろう。奴隷商は命が助かり、お前達エルフも故郷に帰れる。誰も傷つかない、傷つけないで終わらそう。そう外のエルフ達は思っているだろうな。お前達の傷を見て見ぬふりをする気だ」
たしか十日程前と奴隷商は言っていた。娼館の真似事をして稼ぐ気の奴が寄った街や村は一つや二つじゃないだろう。何人の男に乱暴をされてきたかはわからない。どれだけの心の傷を負ったのかはわからない。そんなもの本人にしか知りようがない。けどこの状態の奴が明日から以前と同じでいられる筈がない。それぐらいは誰でもわかる。
「そこの男を生かし故郷に帰るか、殺して故郷に帰るか。どちらを取ろうと以前のような日常は帰ってこないことはわかっているな」
男を生かすのならいつまた襲われるかわからない恐怖に怯えて過ごすことになる。男が生きている限りこの恐怖が無くなることはない。
男を殺すのならその瞬間を何度も夢に見るだろう。その憎悪や恐怖は消えるが忘れることはなく、また一度汚れてしまった手は決して元には戻らない。どれだけ長く生きようと一生その感覚を忘れることはない。
この女達は選ばないといけない。既に傷付いた心で、今後どう苦しみたいのかを自分で選択しなければならない。
「私達の体は、とっくに汚れきっている。今更手が汚れるのがなんだっていうの」
覚悟を決めた目をして一人の女が短剣を拾う。それに続くように他の女達も拾っていく。ぼろぼろの体を更に憎悪で焦がす。その覚悟を見ても外のエルフ達は何も出来ない。あいつらに何かをする資格がない。
女達はふらふらとしながらそれでも一歩、確実に一歩と武器を手に進む。奴隷商はその迫力に腰を抜かし立ち上がることも落とした銃を拾うことも出来ないでいる。口を震わせ、歯を鳴らし、痛みなど気にする余裕もなく立ち上がれないかわりに腕と足を必死で動かす。ばらばらの動きに体はどう動いていいのかわからず迫る女達との距離は縮まる一方だ。
そしてその距離がゼロとなり、一人が短剣を振り上げ男の腹を目掛けて振り下ろした。一人、また一人と武器を振り下ろす。何度も何度も、男の全身を穴だらけにするように何度も何度も何度も刺し続ける。
「死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねッ――」
繰り返される動きと言葉は男が生き絶えても終わることはなかった。
この醜い世界で カカオ @kakao-80
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