閑話フラン


 クーリンツの街に来たのは聖霊が関わった事件に詳しい奴がいると聞いたからだ。帝国領土のここにも当然のように二年前の手配書が大量に配られているがすれ違う奴も門を守る衛士すらも私を怪しむ素ぶりはない。


 足元に落ちていた手配書の似顔絵に目を向ける。金色の髪と青い瞳。何も知らない無垢な子供の顔が描いてある。表情なんて無いが見た者がこの子供の笑う顔を想像させるには十分な程綺麗な顔立ちだった。


 一瞥したあとその顔を踏みつけて進む。


 皆が綺麗だと褒めてくれたあの髪はもう無い。目にかかり視界を彷徨く髪は色が抜け切った老婆のそれだ。

 皆が好きだと言ってくれた瞳はもう無い。無知な頃の輝きなんて要らない。人に好きだと言われる必要なんてない。私の瞳はもう殺意と憎悪で濁り切っている。

 あの時の笑顔も、あの時の拗ねた顔も、あの時の喜ぶ顔も泣き顔も、何もかも全て捨てて来た。


 今の私は昔の私と違う。こんな似顔絵で捕まる筈がない。写真ならば尚更だ。もし昔の私を知っている人がいても気付かずに通り過ぎるだろう。それでいい。あの頃のクオンはもう死んだんだ。



 暫く歩くと目的の場所についた。止まり木の宿。看板にはそう書かれているが、宿は表向きの姿だ。真の姿は膨大な知識量を誇る情報屋だと聞いた。その話を完全に信じたわけではないが、他に当てがないのも事実だ。


 ドアを開けて入ると同時に素早く宿の中を見渡す。内装は普通だ。少し小さいが他の宿屋と変わった点はない。客らしき者はいない。受付に一組の男女がいるだけだ。


 二人と目が合うと瞬時に男の方が警戒しながら一歩前に出た。

 どうやら情報屋は女の方で男はその護衛みたいだ。女を庇うような行動でそう判断する。男は武器を持っていない。格闘、暗器、魔法、男がどんな戦い方をするのか考えながら女の所まで歩く。


「聞きたいことがある」


「……何を知りたいんだ」


 男が低い声で返すが、私はお前じゃないと一瞥した後女を見る。


「ああ、私のほうなのか。なら名前を教えてくれるかな」


「……何故、名乗る必要がある」


「ん? ああ、うちはね客から名前を記録することにしてるのさ。どこのどんな人でもそれは変わらない。例えそれが自国や他国のお偉いさんでもね」


 この女まさか私の正体に気づいたのか!?


 牽制の為に剣に手を置くと瞬時に男が背に女を隠した。男と睨み合う。いつ戦闘になってもおかしくない程に空気が張り詰めていく。

 そんな一触即発の空気を壊したのはそのきっかけとなった女だった。


「やめなさい」


 護衛の頭を叩くと、女は立ち上がり護衛と私の間に立つ。


「おい下がれ。この女は危険だ」


「威圧するから彼女も警戒するのよ。あなたもやめておきなさい。暴れて困るのはあなたよ。それがわからないほど馬鹿ではないでしょう」


 やはりこの女は私の素性に気付いているのだろう。私がこの男と争えば騒ぎを聞きつけた兵士がやって来る。そうなれば困るのはお前だとこの女は言ったのだ。

 ……素性もバレている以上、ここは一旦従った方がいいか。


(全くあなたみたいな細い女性が旦那に勝てるわけないでしょ。それも魔法も使えないこの距離で、無謀にも程があるわ)


 剣から手を離すと男から警戒の色が少しだけ薄れた。雇い主の言う通り、取り敢えずは様子を見るつもりなんだろう。完全に警戒を解いたわけではないが、これが護衛にとっての最大の譲歩なのだろう。


「さて、話を戻すわね。名前を聞くと言っても別にそれを流用するとかではないのよ。ただ単に昔からの癖みたいなもので記録として残し定期的に見返すの。その人がいつ利用したのか、どの頻度でどのくらい利用したのか。覚えておけば次に繋がることもあるのよ。だから別に本名じゃなくていいの。私達とあなたの間でだけわかればいいのだから偽名だっていいのよ」


 つまり今のところ誰にも言うつもりはないということか。そして偽名を使えと。何一つ信用は出来ないが言ってることは一理ある。

 偽名か……、考えたことなかったな。


 全く関連のないものは呼ばれても気付かない可能性がある。何も思い浮かばないでいると目にかかる白髪に意識が向いた。全然違うけどあの月光のように綺麗な髪を思い出す。


 ……貴女とは程遠いものだけど、どうか貴女の名前を使うことを許して。


 これなら常に目の前をうろつくので忘れることもないし、自分の名前だと思い込めるだろう。


「……フランだ」


「私はナターリアよ。じゃあフラン、一泊銅貨十五枚だけど何泊にする?」


 的外れな言葉に自分が未だ試されている事を知る。護衛の男が一瞬顔を背けた。恐らく笑っているのだろう。私は銀貨を五枚台の上に叩き、顔を寄せ殺意を込めて睨む。


「お前の知識に用がある。聖霊に関わる事を知っているんだろう」


 殺意に男が反応する。だがやはり女は片手を広げ男を抑えると、私の目を真っ直ぐに見返した。そして殺意などものともせずに満面の笑みを浮かべた。


「なるほどなるほど。つまり貴女は私の同士というわけだ。歓迎しよう同士フラン。先達として私の知識を貴女に授けよう」


 言ってることはわからないが、どうやら私は合格したらしい。


 これで一歩でも近づけたのだろうか。止まるつもりも止まったつもりもない。ただ進んでいるのかどうかがわからなかった。何一つ手掛かりの無いまま歩き続けてきたけど、ようやくどこに向かえばいいのかがわかるかも知れない。

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