三 壊れた理由

 なにから話したらいいだろう。なにから話したら伝わるだろう。正直僕自身まだ混乱しているところがある。


 え? 最初からゆっくり話したらいい?

 そうだね。それが一番いいかもしれない、ありがとう。


 僕はこの島の生まれじゃないんだ。けど、どこの生まれかもわからない。海岸で記憶喪失になって倒れていた。そして僕は長様の家に引き取られて育つことになったんだ。君も知っているサウルとは、義理の兄弟ってことになるかな。


 ああ。君が僕のことを知らないのは当然のことだよ。僕と君が対面するのは、今日よりも後のことなんだから。

 それで僕はこれといって何事もなく、何の問題もなく成長していった。恋人もできた。ちょっとシリにしかれてるって感じがしないでもなかったけど、ちゃんと仲はよかったんだよ。


 でもね、ある日その恋人は行方不明になってしまった。島中のみんなが探したけれど見つからなかった。なんだか彼女本人に、見つけられたくない、という意思があるみたいに見つからなかったんだ。


 三日経った日に、彼女は見つかった。海の浅瀬で体を水につけた状態の彼女を釣り人が見つけたんだ。


 実は彼女は、僕と同様に記憶喪失になって島に来た人だった。そして、いなくなっていた三日の間で何かを思い出したようだった。その思い出したことについて考えたくて、姿を消していたらしい。


 そして海に浸かっていたのはその思い出したことのせいで、自ら命を絶ちたくなったのかもしれない。それはなんとなくわかったんだけど、何を思い出したのか、それについて何を思ったのかは教えてくれなかった。


 長時間海に浸かっていた彼女は凍えていて、医者に見てもらうことになった。命に別状はなかったけれど、おなかの中に赤ちゃんがいることがわかった。


 おなかに赤ちゃんがいるのに、どうして自ら命を経つようなことをしたのか、彼女自身が助かったとしても赤ちゃんが死んでしまうかもしれないことをしたのか――彼女はみなに問いただされたけれど何も答えなかった。僕にも何も言ってくれなかった。


 僕を信用してくれていないのかと思って、少し悲しかったけれど、でも彼女が何かを抱えていることだけは分かった。そんな彼女の心を支えたいと思った。彼女と家族になって支えたいと思った。その思いを告げると彼女は泣きながら頷いてくれた。今思うと、そのときの彼女の涙はうれし涙じゃなかったのかもしれない。でも、僕と彼女はそうやって夫婦になったんだ。


 子供が生まれて数年間、幸せな日々が続いた。本当に幸せな日々だった。

 けど…………君ももちろん知ってるだろう。アヴァリエ様が持っているあの天秤は、世界のバランスを保っているんだって。そしてそのバランスをとっているのが、天秤の皿の上にのっている二人の神様なんだって。


 彼女は――妻は、その神様の一人だったんだ。


 ああ、ワケがわからないのはわかるよ。僕もそれをはじめて知ったときにはワケがわからなかったから。

 けど、アヴァリエ様に飾られている二人の神様は、飾り、というか象徴、というか、とにかく本物の神様が別に存在していて、その一人が妻だったんだ。


 そして妻は女の子を生んだ。


 つまり、どういうことかわかる? 女の子の神様が乗っていた天秤のお皿にもう一人、女の子が乗ることになったってこと。だから、天秤のバランスが崩れたってことだ。


 世界の崩壊が始まったのは、娘が十歳になったときだった。いつもどおりに朝食を食べているところだった。娘が唐突に静かに笑いながら「天秤のバランスが崩れちゃったね」って言ったんだ。そしたら朝なのに外が真っ暗になった。驚いて窓の外を見たら、外にいる人間が誰一人動いてなかった。人だけじゃなく、鳥や家畜たちも、風でしなった木も元に戻らずに止まっていた。

 僕と妻と娘以外のすべての時間が止まってしまった。


 これが僕の時代で起きた世界の崩壊だったんだ。

 このとき妻はやっと話してくれた。行方不明になってた間に思い出したことを。

 自分が天秤の神様だってこと。


 初めて島に来たとき、どこからかやってきたのではなく、霊体の状態でずっと島に住んでいたこと。

 島の人たちに見つかったのはその日、体が霊体から実体になったからだってこと。

 実体化した反動からか記憶喪失になってしまったこと。けれど今は神の記憶に目覚めたこと。


 神に目覚めた時点で自分のおなかには赤ちゃんがいて、産めば世界が崩壊するのがわかっていたこと。

 だから、赤ちゃんを殺すために海に浸かっていたこと。でも一度失敗したら、もう殺すことなんてできなくなってしまったこと。

 そして話し終えた彼女は言ったんだ。


『だからこんなことが起こったのは私の責任なの』


 と。


『あなたが巻き込まれる必要はない』


 と。


 僕は妻を責める気はなかったけれど……。そんな状況でも彼女と娘と一緒にいたいと思ったけれど。妻は僕に有無を言わさず神の力を使ったんだ。

 それが時間移動の能力だ。僕は君のいる今の時代に飛ばされた。


 今のこの時代にたどり着いたとき、僕は情けないほどに泣いていた。妻はなにを思って僕をここへ飛ばしたのだろうと。

 おそらくは罪の意識に耐えられなかったからだろうけど、彼女にとって僕は、それを乗り越えても一緒にいたい存在ではなかったのかと。僕はどんなことがあろうと、彼女のことを支えていきたかったのにと、くやしかった。


 ……え? ああ、うん。そうだね。実は僕も、最終的にはその考えにたどり着いた。


 妻はたぶん。君の言うように、普通の時間の流れの中で、新しく僕に幸せを見つけてほしかったんだ。

 でも、考えて実行したのはもっと別のことだった。


 どうすれば彼女に、世界崩壊という重い罪を背負わさずにすむか。

 思いついたのが、彼女に子供を産ませないことだった。彼女に恋人を作らせなければいいと思った。


 だから僕は、初めてこの島にたどり着いて、海岸で気を失っていた《僕》を探した。そして、将来絶対に妻の恋人にならないように、殺したんだ。


 僕はこの時点ですでに頭がおかしくなっていたのかもしれない。時代が違うからそれは別人だと解釈することもできたけど、僕は《僕》自身を殺して、目標を達成したと喜んだんだ。


 そのときだ。ありえないほどに、頭が激痛に苛まれた。もしかしたら過去の自分を殺したから、未来の自分である僕自身も消えてなくなるのかと思った。今までその可能性を考えもしなかったから少し焦ったけれど、自分は罪を犯したから受け入れるしかないとも思った。


 でもそうじゃなかった。いきなり背中から羽が生えた。どこからともなく、頭の中に記憶の洪水が流れ込んできた。その流れ込んできた記憶というのが、僕も、天秤の神様だったってことだった。

 驚いたけれど納得もした。妻も僕も、記憶喪失でこの島に来たのが共通していたし、お互いが天秤の神様だったからこそ惹かれあったんじゃないかって思った。


 けれど、そんな考えよりもそのときはもっともっと重大なことをしてしまったことに気がついた。

 僕はこの時代の《僕》を殺した。つまりはこの時代の天秤の神様を殺したことになる。天秤のバランスが崩れるって。


 僕の中にある、神の記憶が警鐘を鳴らしていた。この時代にも世界の崩壊がやってくる、って。

 後悔なんかしてる場合じゃなかった。両方の神様が死んでしまえば、今以上の完全な崩壊がやってくる。早く女の子の方の神様を保護して、完全な世界の崩壊を阻止しなければいけなかったんだ。



    ▲ ▽ ▲ ▽



 彼――ジョオアの話に、私はほとんど言葉を挟まず耳を傾けていた。


 普通の状況で聞いても、何も信じることなんかできなかっただろうけれど、今はなんだか頭にするりと入ってくる。彼の背中の羽は天秤の神の証なのか……。


 ジョオアにも、悲しい別れや大変なことがあった。それはわかった。けれど、話を聞けばやっぱりこの《崩壊》は彼のせいで。ペリサデとチコカを殺したのもこの人なのだ。

 かと言って、憎しみが膨らんでくることもなかった。許すことも到底できなかったけれど。


「それで、私をさらったの?」

「……うん」

「私は、本当は天秤の神様なの?」

「そうだね」

「私は、あなたのいた未来では、あなたの奥さんだったの?」


 ジョオアの返事はなかった。なんだか申し訳なさそうに目をそらしている。


「そっか……」


 私は未来では、世界の崩壊を促して、ペリサデとチコカを殺した人の奥さんだったのか……。

 心が麻痺している。きっとものすごくイヤなことだと思うけど、もうなにをどう感じたらいいかわからない。


「ねる」


 唐突に、疲れがどっと押し寄せてきた。私はふらふらしながらもソファから立ち上がる。


「え? ああ。そうだね、一度落ち着いた方がいい。二階に子供の頃ゼファドーアが使ってたらしき子供部屋があるから――」

「知ってる。何度もここでかくれんぼしたもの」

「……ああ、そうか。うん。そうだったね」


 私はふらふらと二階への階段を上る。すでに夢の中にいるみたいだ。

 起きたら全部夢でした、なんて甘いことにはきっとならないんだろうな。



    * * * *



 朝。目が覚めて自分の部屋じゃないことに落胆する。

 部屋のカーテンを開けて、外を見る。家の周りは結界の青い光に包まれている。そしてその向こうに見える空は紫の雲が覆っている。


 ああ、やっぱりあのことが夢だった、なんてことにはならなかった……。


 やりきれない気分ではあったが、不思議ともう悲しみや怒りが湧いてこない。きっと昨日一日いろいろありすぎて、私の頭は正常から逸脱してしまったのだろう。


 ふと、泥だらけのままの儀式のドレスを着たまま眠っていたことに気がつく。

 別にこのままでもいいような気がしたが、部屋のクローゼットの中などを見てみる。


 ゼファドーアのお父さんがすべて捨てずにおいてあったのか、子供の服から大人の服まで、さまざまなサイズの服が並んでいた。

 かくれんぼで何度か隠れたことはあったが、並んでる服にどんなものがあるのか、ちゃんと見たことはなかったから、少し驚いた。


 私は心の中でゼファドーアに「借りさせてね」と断り、クローゼットの中から自分のサイズに合う服を探し、身につけた。灰色で長袖のワンピースだ。もっと綺麗な色の服もあったけれど、残念ながら今はそんなオシャレをする気分にはなれなかった。

 着替えた後、私はベッドの上に座ってぼんやりとしていたが、ノックの音がした。

 私は無視をしたが、少しの間をあけて扉が開かれ、ジョオアが顔を出した。


「ヒイカ。朝ごはんができてる。下に下りておいで」


 やっぱり私は無視をした。


「……そう……だね。昨日の今日だもんね。食欲がないのも当たり前だ。ごめんね」


 そう言って彼は扉を閉じた。階段を、落胆したようにゆっくり下りていく音が聞こえる。

 私はまだベッドの上でぼんやりとしていた。ご飯を食べること。生きること。

 みんな化け物になってしまったこの世界で、私だけ生きていく意味はあるのだろうか。


 意味。


 それがあるか、ないか。誰がどのようにして決めることなのだろう。

 自分自身なのだろうか。他人なのだろうか。それとも……神様なのだろうか?

 そこまで考えて、馬鹿馬鹿しいと首を振った。


 “他人”はもう、みんな化け物になってしまった。神様は、昨日のジョオアの話しを信じるなら、自分自身のことではないか。

 結局は、自分が生きたいかどうか。少なくとも、今の環境では決めるのは自分しかいない。


 自問自答する。今のこの環境で、それでも私は生きていたいだろうか?

 返答は意外なところから帰ってきた。

 つまりはおなかがなった。

 私はどうやらものを食べたいらしい。ということは少なくともこの体は生きることを望んでいるらしい。


 ふと、思い出す。ジョオアが化け物から私を助けてくれたことを。

 助けてくれたということは、生きていてほしいからそうしたということだ。生きる意味を決める存在が神様だとすれば、昨日の話を信じるならば彼もまた神様だ。


 ……………………。


 億劫ではあったが、私はベッドから降りて部屋から出て、階下に降りる。

 リビングのテーブルに、朝食が用意されていた。

 メルク鳥の卵で作られた目玉焼きと、そして私の大好きなレジニとトトのサラダだ。


「ああ。降りてきてくれたんだね。ご飯は無理に食べなくていいから」


 私はやはりジョオアの言葉を無視してテーブルに着いた。ジョオアが少し驚いた表情を見せた。

 食べた。味はよくわからなかったけど、とにかく食べた。


 違うんだから。神であるあなたが私に生きるように促してるから食べてるんじゃないんだから。私は単純におなかがすいたから食べてるんだから。

 生きる意味なんてどうでもいい。死ぬ理由なんてのも探すつもりもない。

 ならば私は本能に従って食べるだけだ。



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