第64話

 僕の部屋の前では、秀介が背中を壁に押し当てて佇んでいた。


「待たせたか?」


 秀介はこちらを見ようとはせず、肯定も否定もしなかった。


「まあ、入ってくれ」


 僕は自分のパスカードを通し、先に足を踏み入れた。秀介が続いて入ってくる。

 照明が点き、パソコンが自動で立ち上がる。


「適当に、そのへんに座ってくれ」


 ベッドを指さしながら僕は言った。秀介はそれに従ったが、やはり口を利こうとはしない。

 僕は彼に背を向け、パソコンの立体映像に見入った。だが、いや、当然かもしれないが、その情報が頭に入ってくることはない。

 しばし、季節外れの雪が降り積もったかのように、室内はシン、と静まり返った。


「安楽死させよう」


 呟くように、僕は言った。背後から必死に狼狽を隠そうとする気配がする。


「彼女の希望だ。無下にするわけにはいかない。これ以上、あんな身体で苦しい思いをさせるのは、あんまりだと僕は思う」


 そう言いながら、僕はデスクの一番上の引き出しを開けた。そこにあったのはものを、ゆっくりと手に取る。その直後だった。

 パン、という軽い音とともに、パソコンのディスプレイが砕け散った。僕は反対側に転がり、すっと立ち上がる。そして手にしていた拳銃を、同じく拳銃を構えた秀介へと向けた。違うのは、秀介の拳銃からだけ、硝煙が上がっているということだ。


 僕と秀介は、まさに今、命の駆け引きを行っていた。リナの運命を懸けて。


「本気じゃねえだろうな、兄貴?」

「お前こそ、本気で僕を殺そうとしているんじゃないのか?」


 再び、沈黙が舞い降りる。それを、僕はこちらから振り払うことにした。


「まあ兄弟だからな。お前が血迷って拳銃を取り出すかも、ぐらいのことは思っていたよ。まさか発砲するとは思わなかったけどな」

「兄貴を狙ったわけじゃない」

「脅しか?」

「そうだ」


 秀介の表情からは、何も読み取れなかった。ただ、諦念を抱き始めた僕と反対に、自らを制御できないでいる張り詰めた感覚が、秀介からは放たれていた。

 僕はふっと息をつき、拳銃を下ろした。秀介はまだ僕の胸を狙い続けていたようだが、そんなことはお構いなしだ。僕は拳銃にセーフティをかけ、弾倉を抜き、カバーを引いて初弾も取り出した。ゆっくりと、机の上に並べる。すると瞬も、カチリとセーフティをかけて、ゆっくりと拳銃をホルスターに戻した。


「兄貴、聞かせてくれ」

「何だ?」

「リナはもう、助からないのか」

「ああ」

「どうしてもか」

「そうだと思う」

「そうか」


 すると秀介は、無造作にベッドに腰かけた。そして、


「!!」


 僕は思いっきり、秀介を殴りつけていた。何故なら、彼は拳銃を取り上げ、自分の側頭部に当てようとしたからだ。

 狙いが外れ、僅かに秀介の頭部から出血が見られる。掠り傷だ。それよりも、唇を切った出血の方がよほど酷かった。しかし、僕は後悔など微塵もしていない。


「お前まで死んでどうする!? そんなことでリナが喜ぶとでも思ったのか!?」

「じゃあ兄貴は俺に、リナのいない世界で生きていけっていうのか!?」

「ああ、そのとおりだ!!」

「このっ!!」

 

 秀介は僕に殴りかかってきた。もちろん、訓練を受けている秀介の攻撃をかわすスキルなど、僕にはない。だが、僕からの攻撃をかわそうという思考も、今の秀介にはなかったようだ。


「この人でなし! 人殺しが!!」

「あの子にとっては、生かされていた方がよほど辛いんだ!! そんなことも分からないのか!!」


 僕と秀介は、床を転がり、互いの攻撃を防ぐこともせずに、ただひたすら拳を振り回し続けた。

 それはとても長い時間だったような気がする。しかし、発砲音を聞きつけた警備兵が飛び込んできて、僕と秀介を引き離したことを考えると、せいぜい三十秒程度のことだったのだろう。

 僕らはそれぞれ、警備兵に後ろから羽交い絞めにされた。互いの顔から血を流しながら。

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