第61話

 スタン、スタンと足音が近づいてくる。やがてどこに配置されていたのか、スポットライトがバルコニーに当てられ、声の主が姿を現した。それが誰であるかは言うまでもあるまい。リナの目がこれでもか、というほどに見開かれた。

 ゾンビと同じように液状化・蒸発していく怪物の周囲で、兵士たちが一斉に銃口をその人物、高見玲子へと向ける。


「撃ち方待て。高見玲子、複数の非合法生物実験の罪で逮捕状が出ている! 直ちに投降しろ!」

 

 隊長が大声で告げる。しかし高見は、全く意に介さない。


「あーあ、これじゃあ駄目よねえ。せっかく丹精込めて造った実験体だったのに、やられちゃったかあ」


 演技がかったため息をつく。やられたと言っても、こちらの死者は数えきれないほどだし、負傷者の傷の具合も酷い。作戦としては、こちらが失敗だ。


「これじゃあ米軍とのお約束は、果たせそうにないわねえ」

「ごちゃごちゃうるせえぞ、さっさと降りてこい!! これ以上余計な口を利くんだったら、今度はその頭をぶっ飛ばしてやる!!」


 激昂した秀介が叫ぶ。

 はいはい分かりましたよ。そう言って、高見が奥の階段へ向かおうと踵を返す、その時だった。


「お母さん!!」


 はたと高見が足を止める。もう一度、『お母さん!!』。

 声のした方、僕らのいる周囲に高見が視線を走らせる。そこで、リナとバッチリと目が合ったのが、そばにいるだけで分かった。

 しかし、次に高見が発したのは、これまでにない空虚な言葉だった。


「あんた、誰?」

「えっ……」


 リナの表情が凍りついた。


「ああ、思い出した。前ここで私が造った被検体ね。はいはい。確かに私はあなたたちのお母さんみたいなポジションなんでしょうけど、それが何か?」

「何か、って……」


 言葉に詰まったリナに代わり、僕が声を上げた。


「彼女は自分が、何のために生まれてきたのかを知りたがってるんだ。あなたに懐いてもいたようだし、教えてやってくれないか? 彼女を造りだした理由を」


 すると、高見の顔から不気味な微笑みが消え失せ、代わりに、彼女は口角を引きつらせて笑い出した。


「はははっ、そんなこと気にしてたの!? ちょっと、冗談は止めてくれない?」


 膝に手を当て、腰を折った。ホールにその甲高い笑い声が響きわたる。


「その子を造った理由? ゾンビを一から生成するために、まずは人間からと思って試してみただけよ」

「ッ!!」


 僕は思わず、息が止まりそうになった。『試してみただけ』だと……?


「でっ、でも!」


 リナが必死に食い下がる。


「あの時――私がカプセルの中にいた時、あんなに笑いかけてくれたじゃない!!」

「あら、私、笑ってたのかしら?」

「えっ?」


 高見は顎に手をやった。


「もしかしたらそうかもしれないわね。自分の研究がどんどん形になっていくんだもの、楽しくなかったと言えば嘘になるわね。そりゃあ、私だって仮面をつけて生活しているんじゃないもの、笑顔にはなるでしょうね」

「じゃあ、お母さんは……。私に愛情を注いでくれたわけではなかったの?」


 そう言うリナの声は震えている。

 それを聞いた高見は、先ほどの怪物の雄叫びよりも大きな声で哄笑――否、嘲笑した。


「ぷっ、ははははははは!! 何それ!! 愛情、ですって? そんなもの、あるわけないじゃない!! 私が欲しかったのは、あなたの生体データだけ、毎日記録をつけていくの。そんな合間に、愛情が入り込む余地なんてないわよ!!」


 大笑いを続ける高見を見つめたまま、リナはふらり、と体勢を崩した。


「リナ、大丈夫か!?」


 秀介がリナを支えてやったが、リナはすとん、と上半身を落とし、膝をついてしまった。やがて俯き、右腕をダランと弛緩させる。

 その時の僕には、リナの心情を察することができなかった。しかし、理不尽ともいえる両親との別れなら、嫌というほど身についていた。問題は、親から子へと伝えられるべき『愛』という感情が、完全に欠落していたということだろう。


「愛情で研究が進められるわけないじゃない! ははっ、これは傑作だわ!」

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