第59話
「くっ!」
血飛沫から頭を庇うようにして、秀介が腕をかざす。煙が晴れると、そこには巨人が悠々と立ちふさがっていた。先日の子供ゾンビとの戦いを思い出す。外見からは想像もつかない、驚異的な脚力だ。
さすがにグレネードを喰らって無傷ではなかったようで、身体のあちこちに、僅かな凹みが見える。しかしサブマシンガンから叩き込まれた弾丸は、怪物の表皮に大方弾かれていた。そしてさらにまずいことに、今の一斉射撃が、怪物の闘争本能に火を点けてしまったらしい。
怪物は人間の声を低く、何重にもしたような雄叫びをあげた。地下ホール入口に展開していた兵士たちに突進する。その巨体からは想像できない、すさまじい速さだ。
慌てて兵士たちは散開する。しかし、左右どちらに回避するか迷ったのか、一瞬だけ逡巡した兵士は、怪物の拳に呆気なく叩き潰された。血が雨のように降り注ぎ、大理石の敷き詰められた床を汚していく。
僕と秀介は、少し離れたところから、リナを背中に隠すようにしてその光景を眺めていた。しかし我慢を切らしたのか、秀介が一歩踏み出した。
「化け物が!!」
グレネードを連射する。さすがに一点に集中砲火を浴び、怪物はたたらを踏んだ。秀介の方へ頭を巡らせた怪物に向かい、反対側から別班が援護射撃をする。
怪物の方からは、グォン、という重低音が聞こえてきた。威嚇を通り越し、明らかに怒り狂っている。
直後、僕は目を瞠った。怪物がTの字を描くように両腕を広げ、肘から刀のような形状の部位を展開したのだ。まるで仕込みナイフのように。先ほど首を飛ばされた兵士は、この腕にやられたようだ。ぐるぐるとあたりを見回し、歯をむき出しにする怪物。
「全員止まるな! バラバラに展開して包囲しろ!!」
隊長が叫ぶ。しかし次の瞬間、またもや目を疑うような挙動を、怪物は取った。
屈強な後ろ足をバネに、床を蹴って回転しながら兵士たちに躍りかかったのだ。回転により殺傷半径を増した刀が、次々に兵士たちをなぎ倒し、切り刻んでいく。
「総員、距離を取れ!!」
秀介が叫んだ。それに応じてか、誰かが発煙筒を投擲する。怪物の視覚は、一時的にであれ、これで潰せる。と、思ったのだが。
怪物は手を組み合わせ、その腕を思いっきり振り下ろすことで、あっという間に煙を晴らしてしまった。ゴォン、という音と共に地響きが起き、床面が砕けて飛散する。
そして何を思ったのか、怪物は僕たちに背を向け、反対側に向かって突進した。
「うあああああああ!!」
壁際に追い詰められた兵士が自動小銃を乱射する。しかし案の定、怪物の突進は止まらない。すると怪物は、その巨大な腕で兵士を握りしめた。果物を握り潰すような音がして、兵士の下半身が床に落ちた。
ここからはよく見えなかったが、恐らく怪物は兵士を捕食したのだ。奴の目には、僕たちのことが餌に見えている。ゾンビと同じだ。
一旦、怪物の突進を見切ることができる程度に離れながら、兵士たちは全員で、半円状に怪物を取り囲んだ。怪物は、次にどこへ突進しようか、逡巡しているようでもある。眼球がぎょろぎょろと動き、あたりの様子を窺う。
と、見せかけて。
怪物は、なんとその場でバク転をした。僕らのいる方へ向かって、仰向けになるように倒れ込んできたのだ。重い衝撃音を残して、怪物は床面を転がるようにこちらに転がってくる。そしてその場でくるりと回転し、体勢を整え、僕たちに向かって牙をむいた。
「逃げろ!!」
秀介が叫び、僕とリナを突き飛ばす。反動で自らも横っ飛びした瞬の足先を、怪物の肘に仕込まれた爪が掠め、背後の壁をえぐり取る。
「ぐっ!」
その衝撃で、秀介は壁に頭部を強打した。避けられたことを察したように、怪物は秀介の方へと頭部を向ける。しかし、秀介は倒れ込んだまま、ろくに身動きできないでいた。
「秀介!!」
父さんだけではなく、弟の秀介まで怪物に殺されてしまうのか。僕の心がさっと絶望の色に染まった、その時だった。
ピタリ、と怪物は動きを止めた。
「なっ、何だ!?」
まさか――。
そう思って振り返ると、リナが右手をかざしていた。
「リナ、お前……!」
僕は察した。リナは念力で、怪物の動きを麻痺させているのだ。
「お兄ちゃん、早く……早くあいつを……倒して!!」
今だ。やるなら今しかない。
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