第53話

「おにい……ちゃん?」


 僕の肩が口元に当たり、リナはもごもごとした声で呼びかけた。


「本当に、どうしたの?」

「……ない」

「えっ?」

「情けない」


 僕はいつの間にか、自分の心情を吐露していた。リナを抱きしめた姿勢のまま、僕は、語った。


「いいかいリナ、君がこの世に生まれてきたってことは、君には幸せになる権利があるってことなんだ。君はもっといろんな体験をして、考えて、そして未来を創っていけるはずだったんだ。それなのに……。それなのに!!」


 と一気呵成に述べ切った。それから先は、嗚咽になってしまった。情けない。本当に、情けない。

 しかし、リナの応答はすぐに返ってきた。


「大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 それもどこか、楽しげであるかのような口調で。


「お兄ちゃんたちは、私の部屋で私に親切にしてくれた。笑わせてくれたし、一緒に千羽鶴も折ってくれた。私、とっても嬉しかったんだよ? 裏庭で遊んだ時も、遊園地に行った時も」


 僕はリナの身体から顔を離し、そっと彼女の肩に手を載せた。


「そんなことで、よかったのか」

「どういうこと?」

「僕たちには、そんな些細なことしかできなかった。それでもリナは、幸せだったのか」


 すると、涙の膜の向こうからでも分かるような満面の笑みで、リナは大きく


「うん!!」


 と頷いた。

 次の瞬間、僕は糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。膝をつき、前屈みになって両の掌を床に押し当てる。


「お兄ちゃん、どうしたの?」


 リナの無邪気な問いかけに応じる余力は、もはやその時の僕には残っていなかった。涙も鼻水も一緒くたになって、床を湿らせていく。

 ただ、僕がひたすらに思ったこと。それは、


『ごめん』

『ありがとう』


 この二語だけだった。口に出して言ったかどうかは定かではない。

 僕を心配してしゃがみ込んだリナの気配を最後に、僕の意識は途切れた。


         ※


 目を開けると、防弾ガラス越しに朝日が差し込んできた。寝ぼけたままで、なんとか頭の歯車を回転させようとする。そして、はっとした。


「リナっ!!」


 叫ぶと同時、僕は勢いよくベッドから上半身を起こした。


「リナ……」


 落ち着いてみれば、そこは自分の部屋だった。リナはいない。リナの前にひざまずいた後、どうやってこの部屋に戻ってきたのか、その記憶もろとも前後不覚に陥っている。


 僕は一つ大きなため息をつき、額に手をやった。軽く冷房がかかっているのに、汗びっしょりだった。

 昨日のことは全て夢だったらいいのに――。だが、そうはいかないようだ。ドクターとの話し合いからリナとの天体観測、そしてリナを抱きしめた時に感じた温かさ。それらは極めて明瞭だった。


 僕は自らを落ち着ける方法を考えた。

 煙草を一服するか、それともシャワーを浴びに行くか。後者だな。

 僕はバスタオルや洗面用具をまとめて部屋を出た。


 シャワーを終えて、部屋に戻る。シガレットケースと百円ライターを手に取り、すれ違う兵士や研究員たちと挨拶を交わしながら正面玄関へ。昨日あまり吸えなかったぶん、思いっきり煙を肺に送り込んだ。


「はあーーー……」


 反動で煙が勢いよく口から吐き出される。

 肺を満足させた僕は、次にどこへ行こうか迷った。リナの病室か、秀介たちの看護室か、食堂か。

 このまま食堂に直行、というのはあまりに不謹慎だろう。かといって、リナに顔を合わせる勇気はまだ湧いてこない。ということは、秀介の看護室だな。

 しかし、彼とはちょうど廊下で出くわすことになった。


「秀介!」

「おう、兄貴」 

「お前、もう怪我の方はいいのか?」

「でなけりゃまだ看護室にいるよ。まだ少し背中が引きつるけど……問題ねえだろ」

「そう、か……」


 僕はほっと胸を撫で下ろした。しかし同時に、僕の脳裏に真っ黒な影がよぎった。

 リナのことは、秀介は知っているのだろうか? でなければ、今話してやるべき事柄だろうか?

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