第45話

 リナは顔を上げ、僕の顔を一瞥したが、


「嫌っ!」


 こちらに伸ばしかけた手をすぐに引っ込め、その場にへたり込んだまま上半身を逸らしてしまった。僕は右手を額に、左手を腰に当てながら、深いため息をついた。やはり子供は子供、ということだろうか。リナの精神年齢だと診断されている『十』の文字が、瞼の裏に現れては揺らめいた。


 すると、後ろからたたたっ、と誰かが駆けてくる足音がした。秀介に間違いない。


「こ、これはどうなってるんだ?」


 警備員、リナ、そして僕と視線を回した秀介に、僕は肩を竦めて答えた。


「まあ、いろいろとな」


 その時、はっと気がついた。


「秀介、本部から医療設備を積んだバンを一台、この遊園地の正面ゲートに寄越してくれないか?」

「あ、ああ。構わねえけど……。俺が借りたジープは?」

「今はそれどころじゃない」


 今さらながら、僕は秀介の安直な判断に怒りを覚えた。自衛隊のジープなんて目立つ車ではなく、乗用車を借りてくればよかったのだ。今さら秀介を責めてもどうにもならないので、黙ってはおくが。

 すると、


「こちら、ゲート14、応援を、寄越して、ください……」


 先ほどの警備員が、無線で増援を求めていた。ゼイゼイという息の合間に喋っているような感じだ。


「ここはまずい。すぐに出るぞ」

「分かった」


 僕の緊張感が伝わったのか、秀介は素直に頷いた。それから、


「リナ、大丈夫か? 立てる?」


 リナは視線を落とし、延々と涙を流し続けていたが、自分のそばにいるのが僕ではなく秀介であることに気づいて、素直にその手を取った。


         ※


 揺れるバンの中で、リナは軽い鎮静剤を打たれ、ベッドに寝かされた。反対側の窓際には、僕と秀介が腰を下ろしている。

 僕は秀介に、リナの能力のことを打ち明けた。病室の花瓶、裏庭の木の枝、そして今日のアトラクションについて、などなど。秀介は初めこそ驚いたものの、『確かにそうかもな……』と納得の呟きを漏らした。

 

 白衣の医師たちがリナの前から離れると、リナはゆっくりとこちらに首を向けた。


「お兄ちゃん」

「何?」

「何だ?」


 用件が分からないので、僕と秀介は揃ってリナの方を注視した。


「お母さん、見つからなかった……」


 再びリナの目に涙が溢れてくる。

 もしかしたら、今日出かけるというイベントのリナにとっての目的は、高見玲子を探すことではなかったのだろうか。それが上手くはかどらないので、癇癪を起こして遊園地のアトラクションを暴走させた。

 いかにも子供らしい考え方だ、感情丸出しだな、と思ったが、そんなリナに手を上げてしまった僕はどうなんだろう。


 本部に到着した僕たちは、医療バンから降りて解散した。リナはそのまま、ドクターの待つ医療室へと向かってゆく。担架に乗せられたリナは、しきりに『悪い人、犯罪者……』とうわごとのように繰り返していた。

 僕と秀介は顔を見合わせ、お互いに肩を竦めて見せてから、気まずいなりに言葉を交わした。


「んじゃ」

「ああ」


 そして、その日は別れた。


 いつの間にか汗でびしょびしょになっていた僕は、ひとまずシャワーを浴び、正面玄関に戻ってドア近くにある灰皿のわきで煙草を吹かした。フィルター部分をくわえながら、壁に寄りかかって両腕を組む。

 リナは一体、これからどうなるんだろう? 高見玲子との面会はあり得るのか? そうでもなければあまりに不憫ではないか。


 と、その時、ヴーン、という軽い振動音が鳴った。


「ん」


 ポケットの中の携帯端末が震えている。福田からだ。


「もしもし?」

《これは秘匿回線か?》

「もちろん」

《魔女の次の潜伏場所、分かったぞ》


 僕はその場で飛び跳ねかねんほどに驚いた。

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