第9話
「ああ、これはどうも、ドクター」
ひょっこり顔を出したのは、四十代半ばの男性医師だった。名前を平田吾郎という。ほっそりとした出で立ちで、口癖は『ドクターなんてほど大したもんじゃないですがね』だ。卑屈なのか謙遜しているのか、よく分からない。
それはさておき、僕は早速本題に入った。
「この少女に関する所見をお聞きしたいのですが」
「でしょうな」
短く呟くと、ドクターは手元の電子パッドを操作した。当然ながら慣れた手つきだ。
「ええと、彼女はまともな人間です。今のところはね。身体年齢は十四、五歳、脳内年齢は十歳前後といったところでしょうか。日本語を話せますし、日常生活はある程度の補助があればすぐに慣れるでしょう。そのあたりは諸橋二曹に一任されています」
まあ、母親のおっぱいが恋しい年齢は過ぎているでしょう――。
その一言に、僕はカッと赤面するのを感じた。基地内で変な噂が立たないといいが。
と、それよりも。
「なるほど!」
とわざと大きく頷いてから、僕はドクターに耳打ちした。
「……でもいいんですか? 秀介なんかに世話を任せて……」
「まあ上層部の決定ですから、大丈夫でしょう。それに失礼な言い方だが、兵士の代わりはたくさんいても、諸橋恵介博士、あなたの代わりはいない」
その言葉に、僕は黙り込んでしまった。僕らにとっても、里衣奈は『代わりのいない』存在だったのだ。
さっと少女の方を盗み見る。高見に僕らの家族構成が知られている可能性は少ないから、おそらく偶然なのだろう。だが、やはり似ている。
大きめの瞳に、すっと通った鼻筋。唇は薄く、顔の輪郭が綺麗な卵型をしている。
そうだな、里衣奈がこの年齢になっていたら、きっとこの少女に瓜二つだっただろう。
僕はパイプ椅子から立ち上がり、二人に声をかけようとして――思わず言葉を飲み込んだ。
秀介はリンゴの皮をむきながら、少女に笑いかけている。そんな秀介に好感を抱いたのか、少女の表情も朗らかだ。
……何だ? 心に靄がかかったような、一種の焦りのような、どこか物寂しいような、要するによく分からない感情が僕の心中で渦巻いた。
「ん? どうした兄貴?」
秀介が手を止めて視線を遣る。それは少女も同じだった。ベッドの上で半身を起こし、患者用のパジャマを着て、ぼんやりこちらを見つめている。
何か言って、誤魔化さなければ。この気持ちを他人に悟られたくはない。
えーと、何か話題になりそうなことは――。
「リ、リナにしよう」
「は?」
突然の僕の提案に、怪訝な顔を隠そうともしない秀介。だが、構わず僕は続けた。
「その子の名前だよ。ずっと『保護した少女』で通すのはかわいそうだろ?」
僕は『何言ってんだよ兄貴!』という反発を予想した。しかし秀介は
「ああ、俺は構わねえけど」
とあっさり認めてしまった。何だか拍子抜けだ。しかし考えてみれば、きっと秀介にも、彼女に名前をつけてやりたいという気持ちがあったのかもしれない。ただの『少女』ではなく。
「よし、今日からお前はリナだ!」
「リ……ナ?」
これが、僕が初めて聞いた少女、改めリナの声だった。
「よろしくな、リナ」
すると、ぼんやりとした表情のまま、リナはゆっくりと頷いた。するとその視線が、唐突に僕に飛んだ。
「あなたは……誰?」
真っ直ぐ見つめられて、思わず一歩、引き下がりそうになる。しかしそれは、彼女を怖がったり、嫌悪したりする感情からではなく、逆に眩い宝石を前に怯んでしまったような、そんな感覚だった。
「ぼ、僕は諸橋恵介」
「もろはし……け、い、けい……?」
「け・い・す・け」
「けいすけ……恵介」
「そう! よろしくね、リナ」
すると心を開いてくれたのか、リナはゆっくりと笑みを浮かべ、こくり、と頷いた。
が、しかし。
「恵介は、誰?」
「え?」
ど、どういう意味だ?
「えっと……」
「俺の兄貴」
不機嫌そうな声で、秀介が答えた。
「兄貴……お兄さん?」
「そう」
「そう」
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