第4話

 直後、僕は秀介に突き飛ばされた。もちろんゾンビのいる方へではなく、今来た曲がり角の方へだ。この距離だと、パタパタという銃撃音だけではなく、空薬莢が落ちて床を鳴らす金属質な打撃音も聞こえてくる。


 ゾンビの外見は、それこそ映画やゲームから飛び出してきたような、いかにも『ゾンビらしい』ゾンビだ。血色が悪く、頬はこけ、両腕を前に突き出しながら歩いてくる。

 もう一つ特徴を挙げると、実験体になったために、全員が白いシーツのようなものを身にまとっている、ということだ。月明かりが窓から差し込み、ぼんやりと彼らを視界に浮かび上がらせている。眼球が飛び出したり、脳が露出したり、挙句は臓器をずるずると引きずっている者までいる。


 それよりも、問題は別にあった。不快なのは、なんといっても、弾丸がゾンビという肉の塊に食い込む生々しい音だ。ズシャズシャと泥を掻き回すような音に混じって、液体の滴る音、喉から空気が排出される掠れた音、トマトか何かが潰れるような音。それらによって、滅茶苦茶な和音が形成される。


 僕は耳を塞ぎたかったが、それはできない。もしかしたら、この五人の防御網をすり抜けて、僕に迫ってくるゾンビがいるかもしれない。その時頼りになるのは、すぐに気づくだけの研ぎ澄まされた感覚と、今も右手で触れている二十二口径拳銃だけだ。


「リロードする! 後衛の二人、代われ!」


 復唱する間もなく、まるで手品のように一瞬で前衛の三人と後衛の二人はポジションを入れ替えた。そして再開される、生々しい狂騒曲。

 

 これだけの戦いをしていると、自分たちの『本当の敵』を見失いそうになる。だが、ゾンビなどは飽くまで架空の存在だったのだ。映画やゲームの世界にしか存在しなかったはずの、ウィルスに侵された人間の末路。しかし、それが現実に存在している以上、彼らを『製造した』者がいる。


 目星はついていた。

 高見玲子、三十歳。元・分子生物学者兼理学医療博士。

 五年ほど前から消息不明で、その道のエキスパートといえば彼女くらいのものだった。ゾンビを製造して何をしようと企んでいるのかは計り知れないが、危険人物であることに変わりはない。

 今回のゾンビ事件は、最初にゾンビが確認されてから四度目となる。地元の猟友会が安易に山入りして返り討ちに遭い、多数の犠牲者を出したとのことだ。そして特定されたゾンビの巣窟が、この洋館だった。


「敵の数は!?」

「残り一体、距離、五十メートル!」

「よし、ちょうどいい。博士!」

「ああ、準備してる!」


 すると秀介は自動小銃をその場に置いて、残るゾンビの方へと駆け出した。ゾンビの死体で足を滑らせそうになりながらも、秀介は一気に距離を詰めていく。そして、動きの緩慢なゾンビの胸に、強烈な膝蹴りを見舞った。


「ふっ!」


 後ろに仰け反ったゾンビは、しかし、転倒することなく、バネ人形のように上半身を前傾にし、勢いのまま秀介に噛みついた。が、その牙が刺さったのは、秀介が肘につけている強化プロテクターだ。

 秀介はそのまま立ち投げのようにゾンビの足をつっかけ、鼻先から思いっきり床に叩きつけた。


「博士、もう大丈夫だ!」

「あ、ああ!」


 僕は特殊な液体の入った小瓶を手に立ち上がった。両脇を兵士に守られるようにして、倒れ込んだゾンビに近づく。ここからは僕の専門分野だ。


「今回採取するのは背筋です。切り取りますね」


 周りに軽く説明しながら、僕は我ながら慣れた手つきで、すっとゾンビの背中にナイフを差し入れた。酷い腐乱臭がするが、こればかりは仕方がない。二センチ四方に切り取った肉片を、小瓶の液体に浸す。兵士たちは、神妙な面持ちで僕の作業を見つめている。

 どうして研究畑の僕が、安全の保証もない戦場へ同行しなければならないのか。その理由は、ゾンビはその活動停止後、すぐに液化・蒸発してしまうからだ。これではサンプリングしてゾンビの正体を確かめることができない。

 そこで、ゾンビ研究の権威になってしまった僕が、戦闘部隊とともに戦場に赴き、サンプルを取らなければならないというわけだ。


 今日はだいぶさっさと済んだな。ゾンビが蒸発する気配もないし、その前にサンプリングが終わったのはよかった。……ん? 待てよ?


「秀介、このゾンビ、まだ活動を停止してないんじゃないのか?」

「何言ってんだ、現にこうして――」

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