第2話

 三十分前のこと。

『僕』こと諸橋恵介は、狭い軍用ヘリコプターの人員収容デッキに腰を下ろしていた。


《地上部隊、A班待機中、B班所定位置へ移動中》

《監視班、ポイントに到達。準備よし》

《C班、突入口前三百メートル地点まで接近。指示を請う》

《地上誘導班、了解》


 いかにも剣呑な無線通信の合間を縫って、実戦部隊長の野太い声が響き渡る。


「諸君、我々は目標建物の屋上に降下、着陸する。目標上空到達までは、ちょうど今から三分後だ。各員、時間合わせ!」


 怒号にも近いその声に、僕は慌てて腕時計に目を下ろした。赤黒いランプに照らされたヘリの中で、緑色の蛍光表示が気色悪いコントラストを為している。さて、突入は現在時刻から三十分後だから、『A.D.2025/8/10 0:00am』っと。手早く時間を調整する。皆が腕時計を下ろす中、僕は対面する形で座っている四人の方をそっと窺った。


 全員が屈強な兵士たちだ。いや、兵士と呼ぶには語弊がある。何せ、十年ほど前から『自衛隊』を『軍』にするだのしないだのという議論が続いており、未だに妥協点が見つかっていないのだから。故に彼らを『自衛隊員』と呼ぶべきか『兵士』と呼ぶべきかは、全くもって不透明な状態である。僕は便宜上、『兵士』と呼ぶことにしているが。

 威圧感溢れる空気の中、さらに気を重くさせるのが、彼ら兵士の両脇のラックに掛けられた自動小銃の存在だ。あまり詳しくはないが、通常の九ミリ弾ではなく、十ミリ徹甲弾が装備されているという。拳銃しか与えられていない僕には、その自動小銃たちが実にいかついものに見えていた。そうは言っても、同行しながら守られるばかりの自分の身の上を考えれば、心強く思うべきなのだろう。


「諸橋博士、大丈夫ですか?」


 突然隊長に声をかけられ、僕は思わず肩を震わせた。


「え、ええ、これだけの方に守っていただけるんでしたら、私も安心です……」

「それはよかった。博士はお若いが……おいくつでしたかな?」

「二十二歳です」

「なるほど」


 隊長は無精髭の生えた顎をざりざりとさすった。


「そうは言っても、諸橋博士は『この分野』に関しては日本随一のスペシャリストだ。必ずお守りしますよ」

「あ、ありがとうございます」


 すると隊長は、じっと深い笑みを浮かべた。その表情を作っているのが、皺なのか古傷なのかは分からない。

 自分たちの自信を僕に見せて満足したのか、隊長は前方斜め向かいの自分の席にどっかりと腰を下ろし、腕組みをした。


 僕がほっと胸をなで下ろした、ちょうどその時だった。


「おい」


 隣の兵士に小突かれた。


「貧乏ゆすり、やめろよ」


 からかい半分のその言葉に、一瞬僕はカッとなった。怒りと羞恥心が混ざった状態で。


「貧乏ゆすりなんかじゃない!」


 と、小声で怒鳴るという高等テクニックを披露した。


「じゃああれか、隊長に声かけられてビビっちまったのか?」


 むむ。図星だ。だがここで引き下がるわけにはいかない。


「こっ、これからの作戦について考えてたんだ! 武者震いだよ!」

「全く分かりやすいねぇ、兄貴は」


 ふふん、と鼻で笑ったのは、このヘリに搭乗している八人――パイロットを含めて十人――のうちの一人、僕の弟、諸橋秀介だ。

 歳は十八。明らかに若い。それでこの頑強な兵士たちに溶け込んでいるのだから、大したものだ。ぱっと見は小柄だが、それ故に俊敏で勘も鋭い。今までも、他の兵士たちに引けを取らない『戦績』を上げてきている。まあ、今日の任務は僕の護衛だから、そんなに暴れる機会はないだろうが。


 そうこうするうちに、時間はあっという間に過ぎ去った。


「あと三十秒!」


 という隊長の声がする。そっと窓から外を見下ろすと、目標降下地点が見えた。――あれか。今回の攻撃目標は。


 一見したところ、ただの洋館だ。しかしそれが、関東北部のこんな山の中にあるのはなんとも不気味である。そしてその中で起こっているのであろう惨劇……。そう、それを根絶するために、僕たちは日々戦い、研究し、また次の戦いに臨んでいるのだ。

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