第4話
不意の来訪者の突拍子もないひと言に虚を突かれた耕作は、対応が一瞬遅れ「何の仮装?」と返すのが精一杯だった。
どうやら宗一朗の知り合いらしい。耕作は、どうする? といった顔を宗一朗へ向けた。
「えっと、これは部屋着の上にウインドブレーカーをはおっただけで、と言っても部屋着はジャージなので、下はジーンズに履き替えていて……つまるところ仮装ではありません」
自分のどうにか返したひと言に律儀に答える加世に、耕作はまたも虚を突かれた。無言でテーブルへ戻ると「交代」と言って座り込んだ。
「とりあえず、入ってきなよ」
宗一朗がその場から声をかけた。
「お邪魔します」
加世は靴を脱ぐと、すたすたといった足取りで入ってきた。宗一朗に促されて座る。
今は夜の八時。それほど遅い時間とは言えないまでも、人の家を訪ねる時間としてはいかがなものか。まして女が一人暮らしの男の部屋を、などと耕作は酔った頭で考える。
「会社の同僚の、加世」宗一朗が紹介した。「同期入社だけど、年下」
「じゃあ、何か仕事のことで?」耕作が加世に尋ねる。
「いえ、仕事じゃなく、宗さんの手料理をごちそうになりに」と言って、ちらりと宗一朗の顔を見て笑った。「勝手に来ました」
またこのパターンか、耕作は思った。流されやすい質の宗一朗は、こういう押しの強い女に昔からすぐになびいてしまう。半年前に別れた女も、確か似たようなきっかけでつき合い始めたはずだ。こんな時間に突然訪ねてきて、しかも開口一番「トリックオアトリート」とか言う女だぞ。耕作は不審げな顔を宗一朗に向け「名前で呼び合うような間柄なのか?」と聞いた。
宗一朗は、ああ、という顔で「職場に同じ名字が二人いるんだ」と答えると加世に向かって言った。「何か食わせるよ」
「来客中とはつゆ知らず失礼しました」
殊勝な様子で加世は耕作に向かってぺこりと頭を下げた。
宗一朗とは三ヶ月ほど会っていなかったし、そのくらいの時間があれば行きつけのスナックもできるだろうし、女の一人もできるだろう。まったく、こんな具合に暮らしに入り込まれて、毎度引っかき回された挙句、あっさりと立ち去られる。進歩のない男だ。宗一朗本人は「台風みたいだよ」と言って気にするふうもないけれど、半年前に女と別れた時はめずらしくもめたのだったか。足の遅い台風がたっぷりと雨を降らせて、土砂災害を引き起こしたようだった、と宗一朗がぼやいていた。
いい匂いがただよってきた。宗一朗が中華スープに火を入れ直しているらしい。居室とキッチンを仕切る引戸は、閉てられていないので、ガスコンロの前に立つ宗一朗の丸まった背中が見える。
「この前、偶然会ったんだ。この近くに住んでるらしい」
宗一朗は耕作に向かってそう言うと加世の前に、中華スープをよそったボウルを置いた。湯気を立てるボウルの中には、くたくたになったキャベツ、細切りのニンジン、煮くずれたジャガイモ、肉だんごが三つ入っている。加世は「いただきます」と言ってスプーンを手に取った。「わあ、ショウガのいい香り」
大振りのスプーンをボウルの中でくるりと回してひと口すすると、くすくす笑った。「スープがジャガイモ味になってる」
「煮込み過ぎてジャガイモがくずれちまった」
加世は、いいえいいえと首を振る。「おいしい!」
「すりおろしたショウガを肉だんごに練り込んである」
「じゃあ、肉だんごも手作り?」
「当然」
なるほどねー、すごいねー、私は作らないけどねー、と間延びした口調で笑いながら、加世は肉だんごをかじりスープを口にはこぶ。
「そこはほら、もうちょっと話を広げるとこだろう」
耕作は言いながらも、でも今の笑顔は悪くない、うまそうに食べる笑顔はいい、と思ってしまう。
「市販の『中華だしの素』で作った普通のスープだよ。前に鶏のガラや野菜を六時間煮込んでダシを取ったこともあるけど、スープのことばかりに手間をかけていられない」
そう言って宗一朗は耕作に向き直った。「あんまり加世を威嚇するな」
「威嚇なんかしてないぞ。ただちょっと胡散臭い女だなあ、と思っただけだ」
「聞こえてます」
にこやかに応じる加世の笑顔を見て耕作は、あれ、何かすごくいいかも、という気分が湧いてきた。
そこで思い出したように宗一朗は加世に、耕作を紹介した。
「小学生の時からの友達! 永いつき合いなんですねー」加世が目を丸くする。「あっ、忘れるところだった。おみやげ」
加世は持ってきたカンバス地の大きなトートバッグに手をつっこみ、日本酒の四合瓶を取り出した。
「おっ、刈穂!」耕作が歓声を上げる。
日本酒を持参してくるとは分かってるじゃないか。事前にリサーチでもしていたのか。いや、会社の同僚なら日頃のつき合いの中で、宗一朗の好みくらい耳にしているかもしれない。純米酒のコクのあるタイプを選んだところに酒飲みのセンスを感じる。
「日本酒から始めるか?」宗一朗が加世に聞く。
「うん。ロング缶のビールを一本、家で飲んだから。勢いをつけるために」
加世は答えて、宗一朗から大振りのぐい呑みを受け取った。加世は、耕作、宗一朗、自分の順に刈穂を注ぐと杯を掲げた。「おジャマしてます」
宗一朗が出した塩辛とインゲンの白和えを少しずつつまみ、時おり中華スープを飲みながら加世はちびちびと、いいペースで杯を重ねる。
「ちょうどいい漬かり具合、この塩辛」加世がまた杯を空けた。
耕作は宗一朗と顔を見合わせ「堂に入ってる」と感心して言った。
「刈穂、どうですか?」加世があからさまに含みのある笑顔を耕作に向けた。「耕作さん」
「うまいよ。日本酒はよく飲むの?」耕作もにやりとして答える。「加世ちゃん」
「飲みますよ。友達と出かけたり、たまに一人でも。家飲みはあまりしないかなあ。私、料理はしないので」
加世がにっこりと微笑み返す。
「家庭的な料理が食べたくなったら、ここに来ればいい」
「そうさせてもらいます。今日は初訪問だったんですが」
「勝手に話を進めるなよ」
酒が入り、加世の舌も滑らかになるようだった。
「今日の初訪問の目的は?」
「近くに住んでいることが分かったので、ご近所づき合いの一環として、表敬訪問?」
「で、本音は?」
「宗さんとのキョリを一歩縮めようと思いまして……」
加世の当意即妙の答えに、耕作は今度こそ確実に好感を持った。加世のぐい呑みに酒を注ぐ。
「今度、飲みに行こうか? 来週あたり」
「明日はダメなんですか?」
「明日はデートだ。俺」
「三人で?」
「宗一朗がいない方が話しやすいこともあるだろう?」
「なるほど、分かりました。宗さんとは昼間に会うことにします」
「哲学堂公園あたりでいいのか?」
「せめて豊島園くらいには、行きたい……」
「豊島園は閉園したぞ」
「じゃあ、西武園で」
耕作が加世と連絡先の交換を始めた。
耕作のいつものノリだ。そんな様子を眺めて宗一朗は思った。そして塩辛をつまみ、空いている自分のグラスを満たすため、刈穂の四合瓶に手を伸ばした。まだ宵の口である。
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