弐「航空戦艦計画」 ~1924・7~
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軍艦土佐日記のうち、一番古い冊子より抜粋。
初代艦長の柏原大佐(当時)の名前が残っている。
新鋭艦土佐完成後の、旧式艦「扶桑」型の処遇について記されている。
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・大正十三年(1924年)七月某日
この「土佐」の調子は順調で、最大速度は目標の三十ノットを達成した。
砲撃のほうは相変わらずで、まともに戦えるようになるまでにはもう少しかかりそうである。
さておき。
「土佐」に火が入り、また姉妹艦の加賀もまもなく動き出すこととなったため、我が海軍は次の動きに入りつつある。
まずは、予定通り、巡洋戦艦「比叡」が、更なる改装のためにドック入りした。主な目的は、速力を現在の三十ノット超という大型艦としては異例というところまで引き上げ、対空火器の追加設置をすることになっている。
これから大きな役割を担うであろう航空母艦の、護衛に徹する改装である。(*1)
一方、初の国内設計として建造された超弩級戦艦の扶桑は、その処遇にいくつかの問題が起きていた。
初設計ということでいくつもの問題を抱えていたこともあるが、そもそも足が遅い。
いや、遅い遅いとわれているが、米英で建造された同時期の戦艦と比べて特に遅いわけではないのだ。この「土佐」や「長門」が二十六ノットを超えるうえ、「金剛」が三十ノットに引き上げられるということで、基準が変わってしまっただけである。
然して、改装するのであれば、二十五ノットの達成は最低条件である。
そのために、主砲を減らしてでも機関を強化すべしという方針だけは決定した。
減らすのであれば、前部以外のどれかである。
・案壱
中ほどの二基を取り払い、機関の増設、空母と同じ連装高角砲を両舷側に数基搭載。
至極まっとうな案である。当初はこの案が有力であった。
・案弐
後部二基を取り払い、機関の増設、水上機甲板を新たに設ける。
航空母艦「天城」型が二隻とも震災で損傷してしまい、いったん建造中止に追い込まれてしまったため、航空戦力の補完として水上機を搭載する案である。
建造中止・解体が決まっていた、神戸と長崎で「愛宕」「高尾」の同型艦を、急遽「天城」「赤城」として作り直しをはじめてはいたが、工事は遅れており、竣工は数年後である。
・案参
前方二基の主砲だけを残し、残る全体に飛行甲板を敷く。
飛行甲板が短く、前方の構造物が邪魔で危険であるとして直ぐに廃案になると思われたが、環境を横に寄せるか、飛行甲板を斜めにしたらどうかと食い下がる者がいたため、しばらくは検討されていた。
いずれにせよこのような改装をするくらいなら、予算的にも工期的にも空母を一から作ったほうが良いということになり、却下された。
最終的には、案弐が採用された。
高角砲を艦橋の両側に追加するという修正つきではある。
主砲を取り払ったところに簡易的な板張りの甲板を設け、射出機と小さな格納庫を埋め込むことになっている。甲板追加による重量増加は避け、その分は防御力に回す方針だ。
技官の話によると、尻が軽くなった分舵取りがしやすくなるであろうとのことだ。
予断ではあるが、 食い下がった者はかの有名な平賀氏である。
あまりにしつこく食い下がるもので、現場からも諸提督からも顰蹙を買い、実績のある彼も二線級に放り出されてしまったらしい。
彼が中枢に残っていたらどうか、考えただけで楽しくもあり、恐ろしくもある。
一人の艦長でしかない自分は、今は与えられた艦を最大限に生かすことだけを考える所存である。
*1:金剛型二隻は、1935年より第二次改装を受け、“超”高速巡洋戦艦化、並びに主砲を英戦艦ジョージ五世とほぼ同型の、日英共同開発による新型に換装される。
また、扶桑方二隻についても、後の第二次改装時に金剛型と同じ新型主砲に換装される。
(編集者)
軍艦土佐日記――遣欧艦隊奮戦記より ぷよ夫 @PuyO_O
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