あとがき


 おまもりやどり――通称おまやど(私だけが勝手によんでる通称)を読んでいただき、有難う御座いました。


 本来、このようなあとがきを載せることはあまり好きではありません。

 作者の蛇足でしかないと思っている私が何故書こうと思ったのか――。

(ここからちょっとどうでもいい話です)



 それは、最後の話を予約投稿していたのにも関わらず、『終 きみにやどる』を投稿した時点で完全に『完結済』にしなかったためです。

 土曜日に気づいた私は完結済をしたのですが、嗚呼、時は無情なり。最新の完結済の欄に載りませんでした……苦肉の策として、あとがきを足して完結済に載るようにしました。

 本当に御免なさい。ご愛読いただいた方とカクヨムに謝罪を申し上げます。


 しかし、ただ無意味な内容にしないためそれらしいあとがきを綴らせていただきます。


 皆様は神様はとどういうものだと思っていますか?

 苦しい時や辛いときにお祈りするのに、もっともな存在だと思っていませんか?

 私も痛いときや辛いとき、とりあえず神様に祈ってました。

 ですが、祈っても治らない時は『くそ、神め!』と思いました。

 おまもりやどりを書くにあたり、そもそも神様ってなんだろうと原点に戻り、神道を色々調べてみました。

 そうした結果、私の祈りは神道好きや氏子から見れば鼻で笑われる程度の祈りだったことが解りました。


 日本の神道に限った話ですが、神社にお参りする際は様々な手順があります。 

 まず、鳥居に挨拶(会釈)を行います。これはドアをノックするのと同義で、失礼しますという意味を込めて頭を下げます。

 また、参道の中心は歩かないなど、割愛しますが様々な決まりがあります。

 そして御神体が鎮座している社の前で、二礼二拍手。自分の名前と住所を頭に浮かべ、神に感謝します。そこでようやく、自分が誰かを神に伝え、そしてお願いをするのです。

 それを知ったとき、自らがどれだけの手順を飛ばして、一方的に神様にお願いしていたんだろう、と初めて解りました。

 逆に言えば『どれだけの人間が正しい神へのお願いをしているのか』という悲しい現実に行き着きました。

 苦しいときは神様に頼んで、願いが叶わなかったら神様を恨む。

 そんな理不尽な扱いを人間から、メディアからされている神様のことを、少しでも知ってもらえたらと思ったから、書きました。

 

 いきなり社にやってきた人間が「お金が増えますように」「受験に合格できますように」「○○とうまくいきますように」なんて、名前も名乗らず一方的に願いを頭の中で思い浮かべて、去っていく。

 そんな神様への理不尽さを描きたかったのです。

 

 天子は、純粋な生まれたばかりの神様で宗一郎を幸せにしたいと願いますが、お守りを買った神社の神様はそんな人間の理不尽さと身勝手さに対しての怒りとして、登場させました。

 

 本当は、どちらが正しいのでしょうか?

 私は神様に会ったことがないので、どちらが正しいのか解りません。

 

 再び、お礼を申し上げます。

 最後まで読んでいただき、有難う御座いました。


 もしも興味がわきましたら、一円でもよいので、お賽銭をもってお近くの神様に会いに行ってみてはどうでしょうか。

 もっとも、日本の神様は私たち人間と同じで気まぐれ故に、あなたの願いが叶うとは限りませんのであしからず。


にもより。

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