終 きみにやどる

 コッチ、コッチ。

 その夜、宗一郎はベッドの上で布団を被って丸くなっていた。

 時計をぼんやりと見つめているが、一秒一秒がとてつもなく早く感じる。

 もっと遅くなれ。もっと、考えさせてくれ。


 コッチ、コッチ。

 秒針は情け容赦なく、規則的に時を刻んでゆく。

 天子、天子、天子。頭の中は天子でいっぱいだった。

 自分は本当に天子が好きだったんだと、宗一郎は確信する。

 我ながら、気づくのが遅かった。


 最初はただ気の毒で、捨てられた子犬のようで可愛かったから、とりあえず面倒を見ていた。神様のくせに好奇心こうきしんかたまりで、あれはなに、これはなに、とうるさかった。

 そのうるさいヤツはいなくなり、今はとても静かだ。 

 また、ぽっかりと心に穴が開いたように感じる。


 再び、大切な友人を失った。

 でも、この気持ちは友人を失くしたときよりも悲しい。

「なんで俺なんか助けたんだ。バカ野郎。こんなバカで友達もいない、どうしようもない俺を助けて死にやがって」


 会いたい。


「俺を一人ぼっちにさせやがって――」


 また、天子に会いたい。


           ・・・


 宗一郎は、瞼を涙でいっぱいにして朝を迎えた。

 寝ている間も泣いていたようで、枕を涙で濡らすという言葉をで行くような惨状だった。

 どうやら、珍しく目覚まし時計の時刻よりも早めに起きてしまったらしい。


 あの日と同じように。


 チラリ、と脇に置かれた携帯電話を見やる。

 あの日、スヤスヤと寝ていた天子。

 いつも起きたら、気持ちよさそうに寝ていた天子。

 今は、携帯電話の上には誰もいない。


「バカ――」


 また、今日から独りだ。

 そうだ。友人と喧嘩別けんかわかれをしてからずっと独りだったじゃないか。

 それにこれは、元々ただのお守りだったんだ。

 宗一郎は自分自身に言い聞かせた。

 そう、ただのお守りだったじゃない――か。


 しかし、お守りを見るだけで心臓を鷲掴わしづかみにされたような苦しみが湧き上がってくる。

 宗一郎は携帯電話を手に取ると、お守りを外した。


「俺は、お前のことが、好きだった。今さらだけど、ごめんな。恥ずかしくて……ずっと言えなかった」

 今は寂しい独り言だ。

 宗一郎はお守りをベッドに置くと、扉のノブに手をかける。


「ハ、ハハ」


 少し、あきれた様な声が背中に投げかけられる。


「いやぁ全く――キミは歯の浮くようなセリフをよく言えたものだね。見ておくれよ……ホラ、僕の顔が真っ赤じゃないか」


 ゆっくりと、宗一郎は振り返る。

 流れるような烏の濡羽色の長髪に、亜麻色の瞳。

 そして携帯電話より一回り大きい背丈せたけになっていた。

 それがお守りの上で、照れくさそうに頭を掻いていた。

 宗一郎は、それが天子だとすぐに解った。


「天子――?」


「また、会えたね……ソウイチロウ」


 照れくさそうに、頬を掻く天子。


「なんで……」


「ソウイチロウが、僕のことを信仰――想っていてくれたからさ」


 天子は、ゆっくりと語り始めた。

 信仰は神を想う心ということ、加護かごの力は信仰心しんこうしんから生まれること。

 広く知られた神ならば、自然と信仰心は高められ、加護の力は強大となる。


 しかし、生まれたばかりの天子を知っている人間は宗一郎しかいなかった。だから、加護の力はとても弱いものであり、鉄骨が落ちてきたときに、加護の力を使い果たしてしまったという。

 しかし、天子が消えてからも、信仰心は途絶とだえることはなかった。むしろ、強まったという。


「暗闇の中で、ずっとキミの心を感じたよ。その、好きだとか、会いたい、とか」


 宗一郎の顔が沸騰ふっとうしたやかんのように、熱を帯びる。

 天子は続けた。


「それでね、その信仰心のおかげで僕の神階を上げてもらえることになったんだ。だから僕が持つ加護の力は、より強いものとなってまたココに戻ってこれたんだ」


 お守りからふわり、と浮かび上がり、宗一郎の目の前に近づく。

 それは息がかかるような距離だった。


「それに、もうお守りの制約は受けないんだ。だから、お守りから離れてもよくなったんだ」


 じゃあ――もう、ここにいなくてもいいんだな。

 そんな言葉が出そうになる。

 その前に、天子は少し照れくさそうに、宗一郎に告げた。


「でも……今度は、キミに宿っちゃったみたい――なんだ」


 時が止まったように感じた。

 天子が、俺に? 思わず聞き返してしまう。

 やはり恥ずかしそうに、うん、と頷く。


「ソウイチロウの心がね、空っぽになってたんだ。このままじゃ、ソウイチロウは人間としては生きていけなくなりそうだった」


「だから……?」


「うん。ただし、今度はソウイチロウから離れられなくなっちゃったけどね……あ、違うんだ! これは決してその、離れたくないっていう訳じゃないんだよ。離れ、られないんだからね」


 いやだなぁ、もう……。手をパタパタと振り、火照る身体を冷やそうとする天子。



「じゃあ、さ。これから――ずっと、一緒にいられるのか?」


「当然じゃないか。もう、ずっと一緒なんだよ。離れられ――ないんだからね」

 てへへ、えヘヘ。

 天子と宗一郎は互いの顔を見合わせ、笑った。

 無邪気に微笑む少女を見つめて、宗一郎は確信した。

 自分にはこいつ天子がいないと駄目なんだ――と。


 ふと、天子の後ろにある時計が視界に入る。そして宗一郎の顔がみるみる青ざめていく。

目覚まし時計のアラームがセットされていなかったようで、短針は既に八時を指していた。遅刻は確実である。


「うわ、やばい遅刻する! ていうか遅刻確定だよ!!」


「なんだって。それはまずい……ソウイチロウ、足を出してくれ。はやぶさよりも速くなるように、僕のぱわぁあっぷした加護の力をかけてあげるよ」


「やめろ! 俺の脚だけが先に学校へ着いてそうだから――おわ、何で玄関にテレビが!? 昨日の占いで、今日へ送られたテレビか! 邪魔くさい!!」


 勢い良く家を飛び出していく宗一郎。

 こんなに騒がしく登校するのは、初めてだ。

 天子に出会う前は、本当に何もかもが冷めていた。

 何も感じずに、全てがどうでもいいと思っていた。

 だが、今は少し違うような気がした。

 心に暖かいものを感じる。

 これは、自分の胸に宿る、天子の温もりなのだろうか。

 宗一郎は、駅へと駆けていく。


 天子と、共に。

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