参 神様と神様

「そんなにムスッとしないでおくれよ。そんなんじゃ、本当に悪い気が迷い込んできてしまうよ」


「うっさいよ」


 週があけて月曜日となった。

 少し早めの時間に家を出たため、大通りを歩く人の数が少ないように宗一郎は感じた。

 しかし、それよりも気になっているのは、今朝の天子とのやりとりだった。


          ・・・


 朝のニュース番組『おはようどうでしょう』。番組のコーナーの一つである星座占いで今日の宗一郎の運勢は最下位だった。


「へぇ、中々面白いね、占いって」


 そこに食いついてきたのが、天子である。


「ちょっと僕も、占いってヤツをやってみようかな」


 その後、テレビに向かって差し出した天子の手からまばゆい光が放たれ、目を開けてみると、居間のテレビは忽然こつぜんと姿を消していた。

 天子いわく、今日一日のテレビの存在を明日に送ってしまったとか。

 つまり天子は「今日運勢が悪いのなら、その存在と結果を明日に送ってしまえばいい」と思ったらしい。

 テレビを飛ばしても今日の運勢は変わらないわけで、出来れば占い師かテレビ局を明日に送ってほしかった。もっとも、それが本当に行われていたら、大惨事だいさんじではあるが。

 

         ・・・


 登校を急ぐ宗一郎の手のひらの上で、携帯電話に腰かけ小悪魔のように笑う天子を見て、宗一郎はふと、昨日の疑問を口にすることにした。


「なぁ、天子」


「なんだい?」


「その、本来宿るべき場所――神具に宿る方法が解ったら、どうするんだ」


 それを口にしないことは、いつのまにか二人の間では暗黙のルールとなっていた。

 初めこそ間違って宿ってしまい、動揺していた天子だが、今では神具に戻ろうとしている様子が全く見られない。

 しかし、彼女は神様だ。個人の感情を優先することよりも、信仰を集め、人々を平等に守らなければならないという責務せきむがある。

 天子の本心と神の義務。

 その二つが、天子の小さな身体の中でせめぎあっているのだろう。

 だが、このまま有耶無耶うやむやにしてズルズルと月日を重ねるのは、宗一郎にとっては辛かった。


 朝、目覚めたら唐突に天子がいなくなっていた、なんてことはごめんだった。

 かといって、天子が本来宿るべき刀へ宿るというのならば、それは神の義務ぎむであり、彼女の意思いしでもある。

 一介の人間である宗一郎に、彼女を引き止めることなどできない。

 だからこそ、宗一郎は天子の本当の気持ちが知りたかった。


「僕は――、僕は神様だ」


 その言葉を聞いた瞬間、宗一郎の身体は石のように重く、硬くなってしまった。

 期待していた何かが、どうしようもないものだと知ってしまった。

 邪魔だなぁ。そんな眼を向けられながら、両脇を人がすり抜けていく。

 川の流れをふさぐ岩のように、彼は動かない。

 宗一郎の頭の中は言い知れない不安、恐怖が暴れまわっていた。


 そうだ、彼女は神様なのだ。

 人間が神様を愛する? 人間風情が? 

 おこがましいな。


 熱を持っていた宗一郎の胸が、徐々に冷めていく。

 それとは対照的に、着物の袖をもじもじとさせて、上目遣うわめづかいで宗一郎を見上げる天子。

「でも、でもね。僕は、キミのことが……」


 一生懸命伝えようとして口を開くが、それでも、言葉を選んでいるような顔だった。

 そんな天子の双眸そうぼうの奥、黒い瞳孔どうこうが動き出した。

 可愛らしい表情に、刀のようなするどさが混じる。


「うわ……何あれ」


「落ちるぞおー!!」


 周りを歩く数人が、ビルの建設現場の上に向かい叫んでいた。

 ふおん。

 空を見上げると、自分の何十倍もの大きさをした鉄骨てっこつが、宗一郎に向かって一直線に落ちてくる。


「逃げて!」


 天子の声で我に返ると、鉄骨は宗一郎の目前まで迫っていた。

 動けない。あまりの現実離げんじつばなれした出来事に、宗一郎の足は動かなかった。


「間に合え――!!」


 天子は空へと両手をかざした。

 一瞬にして周囲が灰色へと塗り変わる。

 鉄骨と共に落ちてくる砂埃すなぼこりが停止ボタンを押したかのように静止する。

 動くもの全ては景色にい付けられた。


 だが、鉄骨は落下をやめない。

 天子は眉をひそめると、何かのいんを描いた。

 宗一郎の頭上に、水のような波紋はもんが広がっていく。バリア、というやつだろうか。


「ふ――ぐぅぅぅぅっ!!」


 鉄骨と波紋とが衝突しょうとつする。広がる波紋が揺らぎ、耳をつんざくような破砕音はさいおんが響き、足元のアスファルトはひび割れていく。


「はは……やってくれるなぁ。えらい神もいたもんだね」


 天子を見やると、少し辛そうに、口元をゆがめていた。


「神……?」


「キミ、まさかとは思うけど……このお守りを買った神社で、何か罰当ばちあたりなことしたかい? 例えば――鳥居とりい小水しょうすいをかけたとか」


「バ、バカ! そんなことするわけないだろ。ただ、お御籤を引いたら大凶が出て、カッとなって捨てた……」


「ハハ、神の有難ありがたいお告げを捨てるなんて――でもさ、流石さすがにこれは少しやり過ぎなんじゃないかなぁ!!」


 ググ、と少しだけ鉄骨が押し戻されていく。それにれて、天子は口調を荒げた。


「いいかい? 人間がお告げを捨てたからってさ、神だって、やっていいことと、やっちゃいけないことがあるのさ! でもね、人間も悪いんだよ」


 チラリと宗一郎を見やる。


「人間はさ、大して信仰もしないくせに、いざとなったら神頼かみだのみするんだ。ひどいと思わないかい?」


 天子の言葉を聞いて、宗一郎は何も言えなかった。

 なんで守ってくれないんだ、神様の嘘吐うそつき。

 そうやって悪いことにあたると、いつも神様のせいにしてきた。

 そのくせ、自分ではどうにもならないことが起きると、決まって神様に救いを求める。

 まさに、宗一郎のことを指しているようだった。


「でも、僕は人間が好きだ! 例え罰当たりな行為を犯したとしても、無慈悲むじひに殺そうとする神なんて、僕はなりたくもない!!」


 天子はまっすぐな瞳で、鉄骨へと訴えかけている。

 もしかしたら彼女は、自分が罰当たりをした天ヶ先神社の神様と話しているのか。

 宗一郎は天子がにらんでいる方へと視線を向ける。

 もしあそこに神様がいるとするならば、自分の声も聞こえるかも知れない。


「あ、あのさ!」


 激しくぶつかり合う鉄骨と波紋の轟音ごうおんで、宗一郎の声は今にもえそうだった。

 それでも、宗一郎は腹に力を入れる。


「俺、誤解ごかいしてた! 神様って、いっつも気まぐれにしか助けてくれないと思ってた、肝心なときに守ってくれない意地悪なヤツだと思ってた」


「キミ……」


「でも、今は違う。天子と出会ってから、こんな神様もいるんだって、気づいたんだ。その、本当に――申し訳ございませんでしたぁ!!」


 なんで鉄骨に頭を下げているのか、自分にもよく解らなかった。

 でも、自分が悪いと思ったらあやまるべきだと、そのとき宗一郎は思った。

 ぐぐ。

 ぶつかり合う音が唐突とうとつに消え、鉄骨がコマ送りのように、ゆっくりと宗一郎の脇をすり抜けて、地上に落ちた。


「ふふ、やった……ね」


 言い終えて、携帯電話の上に倒れる天子。

 それは重さを感じさせない動きだった。

 同時に周りは色を取り戻していく。

 時間が動き出したことにより、土煙が上がり、破壊されたアスファルトの破片はへんが飛ぶ。

 宗一郎の頬や手足に少しばかり痛みが走るが、そんなことは気にもならなかった。


「天子――?」


「ハハ……神を説得した気分はどうだい? いやぁ――凄かったねぇ。あの顔、見たかい? いや、キミにはあの神自体、見えなかったか」


 空を見上げて、思い出したように笑う。


「こんな神、か。ひどいなぁ、僕はそんなに変な神だったかい」


 そうだ。こいつは変な神様だ。

 急に人のお守りに宿ってきたかと思ったら、携帯電話を壊しやがって。

 しかも勝手に居候いそうろうになったと思ったら、自分の家のようにくつろいで、お腹が減ったからポテトチップスが食べたいとか、イチゴ・オレを飲みたいとか、あげくの果てにはテレビが見たいとかわがままばっかり言い始めて……今朝なんてテレビそのものを消してしまった。


「キミ、ちょっといいかい?」


 弱々しい声が、宗一郎を我に返す。


「僕の身体を、携帯電話から離してもらえる、かな」


 水をすくい上げるように、倒れている天子を両手で包み込む。

 お守りから離れても、以前のように火花が散ることは無かった。


「やっぱりね……もう、制約は解かれたか。ということは――あらら」


 僅かに、天子の身体が色を失ってゆく。天子の身体が透け始めた。

 それに気づいた天子は、自分の手のひらを見つめて肩をすくめる。

「どうやら、加護の力を使いすぎたようだね……自分の身体まで維持できないみたい。いやあ、笑っちゃうなぁ」


 まるで他人事のように笑う。右腕を顔に乗せて両目を隠すと、ふぅと一息く。


「死んじゃうのかな――」


 その言葉に、宗一郎の胸が熱くなる。

 天子が死ぬ?

 天子がいなくなる?

 それは、天子が宿るべき場所に宿る、ということよりも、遥かに辛いことだった。

 死ぬということは、もう二度と会えないということなのだ。


「嘘だろ?」


「さぁ――解らない。死ぬとか死なないとか、考えたことなかったよ」


 神様が死ぬ、なんて考えられるわけもない。


「まぁ……ほら、いろいろ楽しかったよ? 僕はキミと出会えてよかった。だから僕は悲しくないよ」


 宗一郎は、それに聞き覚えがあった。昨日見ていたドラマの最終回にあった、友人が主人公の前で別れを告げるときのセリフだった。


「じゃあ、何でそんな悲しそうな顔をするんだよ」


「おや、本当かい……やだなぁ、女の子の泣き顔なんて見るもんじゃないよ」


 隠していた手が完全に消えていて、天子の顔が露になっていた。

 顔は涙でぐしゃぐしゃになっており、瞳は赤く腫れている。


「しかし、キミも酷い顔だなぁ。ハハハ」


 きっと、凄い顔をしているんだと思う。天子につられて、宗一郎も笑った。


「ハハハハハ」


「ハハハ、ハハ」


 笑ううちに、天子の身体はどんどんと薄くなっていった。


「ハハハ、ハハ」


 そして、宗一郎の笑い声だけが土煙つちけむりの中で木霊していた。

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