3月21日 -and we are-

 会場となるカラオケ店に着いた陽向ひなたに、先に来ていた和海なごみが意外そうに訊ねる。

「あら、詩葉うたはさんと一緒じゃないんですね?」

「うん、今日はね。結樹ゆきさん……はもう来てるか、希和まれかずさんと一緒なんじゃない? 方向同じだし」

 陽向から当たり障りのない回答をしておくと、和海は「そっか、積もる話もありそうですしね」と答えた。実際、その通りなのだろう。


 今日、詩葉は希和と一緒に来る――ということを、陽向は事前に聞いていた。希和は何かよくないものを溜め込んでいる、だから会えるうちに話をつけておきたいと詩葉は語っていたのだ。確かに、受験明けに久しぶりに見た希和は、どこか雰囲気が違っていたのだが、それこそ受験疲れなのではと陽向は思っていた。


 とはいえ、陽向よりもずっと長い間――恐らく、この場にいる誰よりも真剣に希和と向き合ってきたのが詩葉である。彼女が言うなら何かあるのだろう。


 実際に。珍しく集合時間のギリギリに現われた詩葉は、心配事を解決してきた、みたいな顔をしていた。希和との間合いも、心なしか以前より近い。

 近づいてきた詩葉に目で問うと、彼女は微笑んでOKサインを出す――心おきなく今日を楽しめる、そんな表情ならそれで良い。


「じゃあみんな揃ったので、入りましょう!」

 沙由さゆに続いてカラオケ店に入っていく、三学年と松垣まつがき先生――人数が多いと動きがちょっとまごつく、そんな違和感すら懐かしい。


 *


「さて、最初に言っておくけれど」

 個室に入ったところで、すぐに先生が話しだす。

「三月のお見送り会なんだしね――今日の私は、先生ではない!

 顧問とかじゃなく、一緒に過ごしてきたお姉さんみたいな、そんなノリで歌うけどいいね? いいよね!」

「いいじゃん~! はいじゃあこれ」

 真っ先に乗ってきた藤風が電子目次本を差し出し。


「あ、いい? じゃあ奈々ちゃん、歌いま~っす!」


 やや懐かしいアイドルソングが音大仕込みの発声で響く、廊下の人が気になること必至の時間……も、それはそれで楽しいのだが。

 

 曲が終わり、拍手が――お世辞ではなくガチで上手かったための喝采が響く中、陽向はマイクを手に取り。

「あの先生」

「うん!」

「すごく上手かったし聴いてて楽しかったんですけど、そういう企画じゃないんですよね今日」

「……うん」

「よっし沙由、やろっか」

「ね……えっと先生、素晴らしいオープニングアクトをありがとうございます。では改めて、『42期生卒業記念カーニバル・輝く! 雪坂デミー賞』をお送りします」


 厳かに言ってのけた沙由と、ぱちぱちと手を叩く下級生と。

「――なんか混ざりすぎだよね!?」

 即座に突っ込んだ希和と。

「まあ楽しそうだし良いじゃん!」

 とりあえずタンバリンを鳴らしている詩葉だった。


 意見を取り込みすぎてよく分からなくなったタイトルはさておき、ちゃんと準備された企画である。卒業生が入部したときまで遡り、演奏の動画や音源を集めてDVDに再編集。それをボックス内で上映しつつ、それぞれ語るなり歌うなえい好きに参加する。

 加えて、卒業生それぞれの活躍を賞として振り返る、というコーナーもある。


「まずは二年前での碧雪へきせつ祭になります、私たちは入学前ですし先生もいらっしゃる前ですね。キヨくん、再生ポチッとにゃん」

「わん!」


 タイトルに続き、映し出されたのは体育館のステージ。ひとり紅葉もみじがピアノの前に腰掛け、イントロを弾きだす――そうか、このときは「Seasons Of Love」だったのか。詩葉は「RENT」は知っているだろうか、いつか一緒に舞台を観にいこう。他の部員が歌いながら合流するのを観て、藤風ふじかぜが「うっわ、ウチの動きダッサ!」と悲鳴を上げ、すぐに希和が「僕よりずっと良いじゃん……このとき居ないけど」と返す。和可奈わかな真田さなだが競うようにソロを歌い上げるのを見て、結樹が「好きだったな」と呟く。

 続くコンクールの曲。当時は歌っていなかった部員も聴き馴染んでいたらしく、揃って主旋律を歌っていた。今の詩葉と共に、知り合ってもいない頃の詩葉のメロディーをなぞる。

 曲の終わり際、希和が担当した校内新聞の紙面が映される。「よく知ってたね?」と驚き半分、嬉しさ半分で言った希和に、「あれで興味持った人、クラスにもいますよ」と沙由が答える。「このオシャレな文字、由那ゆなさんだよ」と詩葉も嬉しそうだ。


 体育祭での音符リレー。「なんで希さんがコケる役になったんです?」と訊ねる清水に、春菜はるなが「まれくんは初めてのステージだったから歓迎も込めてね」と答えた後、「……後は陽子ようこさんがMキャラ認定したからだよ」と付け足す。「合唱ずっとやってますけど、考えもしなかったですねこういうの」と、和海も意外そうだった。


 市内高校の合同演奏会。「一番キツかった練習これかも」とぼやく希和に、「けど本番すごく楽しかったじゃん?」と詩葉が言う、その横顔がたまらなく愛しい。陽向がいるのは、あのとき描いた夢よりももっと胸躍る現実だ。


 年度が明けて、画面の中に陽向たちも登場する。碧雪祭での「ドレミの歌」、「このときからしょうくんと一緒に低音担当だったよね」と春菜が笑う。中村なかむらのラップパートに張り合うように清水が猛然と歌うも、途中で歌詞を飛ばして希和に笑われている。コンクールでの「ヒスイ」は泰地たいちもイチオシだったらしく、由那と真田のソロを聴きながら「一緒にやりたかった」と羨ましそうだ。


 体育祭での「桃太郎」リレー。「陽向さんのバトン回し、体操とかやってたんですか?」と和海に聞かれ、「未経験だけど愛で何とかしたよ」と答える――本当にあの頃は、勉強と部活以外に何をしていただろうか。陽向にとっての合唱部は、詩葉との心身の境界が溶けていく過程でもあった。詩葉が引退してもずっと、隣から声が聞こえる気がする。


 HumaNoiseでのゴスペルライブ、そして今年のミュージカル。照明、衣装、ステージ、全てが非日常であったひとときは、見返すと夢のようでもあった。讃え合って、懐かしんで、ちょっとからかってみたりもしながら、ひとりひとりの努力と成果に光を当て、それぞれの視点や言葉で彩っていく今の幸福だって、いつかの自分にとっては夢のようだった。当時の役割に関係なく、歌って、踊って、語って、笑う、こんな温かな時間は。


 詩葉のことを心から愛している、それだけじゃない。

 性別、年齢、磨いてきた技芸、目指す姿――そんな違いを越えて、ひとりひとりが愛しかった。痛いほど離れがたくはないし、好ましく思えない一面だってあるけれど、もう無関心ではいられない。好き、嫌い、どうでもいい、そうやって明確に世界を分けていた頃には戻れない。好きのグラデーションは、人の輝きの広がりは、思っていたよりもずっと曖昧で、豊かで、それでも。


「やっぱり、一緒に歌ってる私が好き」

 詩葉の視線の先、歌声を重ねる詩葉と陽向。

「私も」

 答えながら、詩葉に身体を寄せる――どんなに輝かしい可能性の中からでも、私は君を選ぶんだ。どんな息苦しい世界でも、君とがいいんだ。



 そして振り返りが終わり、(松垣先生のおごりということで相当な量がオーダーされた)フード類も片付いたところで。


「――さて、ご覧いただいた三年間の全てを、雪坂デミー賞のノミネートとしまして」

 沙由が語った言い回しに卒業生が吹き出す。

「全てがノミネート……まあ、発想としては面白いしエモくて良いんじゃない?」

 希和の答えに、清水が「でしょ?」とにんまりする。妙なセンスはだいたい彼が出発だ。


「主に卒業生の皆さんを候補として、我々が選考を行いました……ではまず、歌に関する所から。

 まずはハーモニー賞、春菜さんです」

「え、ほんと!?」

「はい。音程の覚えやブレなさは第一、というのがアルトからの太鼓判でした。また先生からも、細かいニュアンスはまずは春菜さんに教え込んでお手本にしたかった、という証言をいただいてます」

「集中砲火でごめんね、大好きだよ!」

 松垣先生に労われ、春菜は笑顔を返す。


「続いて。ハイトーン賞、詩葉さん」

「わーい!」

 なんとなく流れを察していたのだろう、詩葉はピースで答える。

「先生より『元からソプラノらしい声だったけど、迫力や音域の広さはたゆまぬ努力によるものです』、そして私もソロがいつも楽しみでした……陽向、追記ある?」

「後で個人的に言うので大丈夫です!」

 実際、今夜は月野家に詩葉が泊まりにくるのだ。


「カリスマ賞、結樹さん」

「おお……ありがとう、けど何それ?」

「いわゆる格好いいで賞と思ってもらえれば。隣で聞いてて気が引き締まる、HumaNoiseでのリードが最高だった、タキシード着て壁ドンしてほしい、などの意見が」

「待った最後の何、詩葉がねじこんだの?」

「松垣先生のコメントですね」

 沙由に言及された先生が、壁際に立って結樹を手招きする。

「……タキシードが手に入ったら前向きに検討します」

「その格好でもいいから! 先生の頼みと思って!」

「だって今日は先生ではないと先ほど」

「しまった!」

 未遂、である。詩葉は安心したようながっかりしたような、微妙な顔をしていた……身長差がなさすぎて微妙だけど、陽向も後でやってみよう。


「……全員にやる流れ分かってきたけど、僕とか歌以外でやるしかなくない?」

「野暮言ってんじゃないよ、口に出しちゃうその態度が気に入らないのよ」

 希和の呟きに清水が反抗する。ただ希和の言う通り、賞に人を当てはめるのではなく、人から賞を発想する形で作られた、つまりはそういう企画である。


「はい、あきさんにはボルテージ賞です」

「いぇーい!」

 叫びつつ、手にしたマイクで一同をぐるっと指し示す藤風。

「まさにそういう所ですね……合唱部らしい綺麗さも素敵でしたが、やっぱりゴスペルとかでの煽りは最強だったよね、という声が圧倒的でした。私も、自分の壁を破ろうってときには明さんをイメージしてました。

 そして気になる希和さん、スピリット賞でした」

「お~ありがとう、ちなみに具体的には」

「詞の歌への反映、歌は感情を伝えるものだという意識、ですね。自分で書いていたのは勿論、元々ある歌詞への向き合うのに当たって、希和さんが補助線を引いてくれたことは多かったです。特にゴスペルは英語でしたし……後は作詞賞・脚本賞もですね。皆さん何かしらで手がけていましたけど、量が圧倒的でしたから。

 ここも含めて二周目です、一気に行きましょう!」


 結樹は出番の多さから「MC賞」と、他の組織との折衝に対する「外交賞」。

 春菜は細かな気遣いに対する「マネジメント賞」と、HumaNoiseでのリードの意外性から「ギャップ賞」。

 藤風はダンスやアクションに対する「舞闘賞」と、自身の衣装へのこだわりや他部員へのアドバイスから「ファッション賞」。


「そして詩葉さん……と陽向へ、デュエット賞です」

「私は自薦とかしてないですからね!」

 思わず陽向からも補足してしまったし、さすがに照れはあるのだが。

「いくら上手い声楽家どうしでもこの感じは出せないって先生でも思うもん。技術とか理論じゃ量りきれない絆の力、私もいい勉強になりました」

「こちらこそ。私もヒナちゃんも、先生が教えてくれたからこんなに歌えたんですよ」


 詩葉と先生の会話を静かな拍手で見守っていた沙由が、続けてマイクを取る。

「そして詩葉さんにはもう一つ、熱演賞です。これは桃太郎とかミュージカルでご存知の通り」

「ちなみに香永かえは、詩葉先輩をロリショタエンジェル賞にしようとか言ってました」

「それは雑談でポロッと言っただけだっつの!」

 暴露した清水へ香永がおしぼりを投げつけている。


「はい、粗相はや~め……では、最後に。

 最優秀主演賞、おひとりずつ。

 最優秀共演者賞、わたしたち! です!」

 

 ――それが言いたかっただけでしょ! と。課題曲オマージュを指摘する声が一斉に響くのを、詩葉と一緒に、笑いながら眺めていた。


 *


 解散した後。どちらからともなく、陽向と希和は近づく。

「おめでとうございます、先輩」

「ありがとう、企画してくれたのも嬉しかったよ――後、さ。

 任せたからな、これからのこと」


 これから。詩葉の陽向のこれから。希和が遠ざかる、ふたりでのこれから。


「安心してください。どんな社会でも、お互いがいればそれだけで大丈夫です――だから、あなたも」

「うん。君たちくらいにはお似合いの誰か、いつか紹介するから」

「ええ、覚えときますからね」


 ハイタッチして、詩葉に場所を譲る。

 詩葉が差し出した手を、希和が取り。お互いの瞳に、お互いを映して。


「じゃあ、」

「うん、」

「「いってらっしゃい」」


 その言葉に、数年ぶんの気持ちを詰め込んで。

 彼はひとり、私たちはふたり、反対に歩いていく。


 きっと。生きる世界も、歩いていく道も、これから遠ざかっていくばかりなのだろうけれど、それでも。

 

 すぐ隣で聞こえる声。詩葉も、全く同じ気持ちだったのだろう。


「――みんな、ずっと幸せだといいな」

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