3月21日 -You and I-
合唱部で恒例となった、卒業生の送別(追い出し)イベント。今年は春休み中の土曜日に、カラオケボックスを貸し切ってこれまでの演奏曲を振り返る……という内容が企画されていた、のだが。
その前日、
「明日の追いコンだけどさ、良かったらまれくんと一緒に行けたらって」
「一緒に、ってのは道中のことだよね……ダメじゃない、けど」
引退直後に「距離を置こう」と宣言してから半年以上。すれ違えば少し話すし、部のイベントでは顔を合わせてもいたが。意図して二人だけになるのはずっと避けてきたし、そのことは詩葉も理解していたはずだ。
どうして今になって、という希和の戸惑いを、詩葉も電話越しに読み取ったのだろう。
「気まずいかな、とは私もちょっと思うよ。けど、これでまれくん離れちゃうし、私も浪人だからさ。次のステージに進む前に聞いてほしいこと、私には色々あるよ……それに。これから先も、たまには近い距離で君に会いたい」
詩葉にとっては、ちゃんと話しておくことが区切りなのだろう。そう考えると、希和側の理屈ばかりを押しつけるわけにもいかない。
「分かった、じゃあ集合が十一時だから……」
*
翌日。
「はい、私から。開けるのは帰ってからにしてね」
最寄り駅で合流してすぐ、詩葉は希和に紙袋を差し出した。
「これは……プレゼント、でいいの?」
「そう。ホワイトデーと、あと誕生日。遅くなっちゃったけど」
「そっか……ありがとう、僕からは渡せてないのに」
希和の誕生日は二月、詩葉の誕生日は十二月。共に引退後だったし、そうでなくても受験期真っ只中である。希和から詩葉へは簡素なメッセージこそ送ったが、それだけだ。
「だから、来年からはまれくんのお返し待ってていい?」
「僕のセンスが君に合うかは不安だけどね……」
宜しくね、と冗談めかして笑う詩葉は。きっと希和に、定期的に連絡を取る口実を提案しているのだろう。干渉はできるだけしない、それでも疎遠にはさせない、そんな間合いでいるために。
そこからの車中。拍子抜けするくらい、二人での話は弾んだ。二人の間にあったのは、実らなかった恋慕だけじゃない。同じ居場所で過ごしていたし、目指していた進路もそれほど離れていない。話したくなることなんて、充分すぎるくらいにあったのだ。
「やっぱりまれくん、すっごい気を張ってたよね? たまに廊下で見かけるときとか、見たことないくらい険しい顔してたもん」
「見てバレるレベルなの!? うん、確かに追い込んでたね……受験くらいストレートで成功させないと自分のこと認められないって、そんな感じだった」
「へえ……私は私で、本命には無理でも実力は出し切ろうってくらいだったから。けど本当に、パニックとか焦ったりとか全然なかったよ。ほら、センターの自己採点もこんな感じだったし」
「……上から目線で申し訳ないけどさ。中学の頃の詩葉さんを思い出すと、ほんと成長したなって」
「自分でもビックリしてるよ。まれくんにも結樹にもずっと追いつけないって思い込んできたけど、手を伸ばせば越えられそうな所まで来たから。それに、親に進路のことはっきり主張できるようになったのが一番大きいかな。ヒナちゃんがいてくれたおかげ」
「そういえば二年生もセンター解いたんじゃないの、何か聞いてる?」
「ヒナちゃんなら、英語で満点逃した~って反省してた」
「相変わらずバケモン……」
「あの子は規格外だから……けどやっぱり、ヒナちゃんと同時期に受験できるっての、ちょっと楽しみなんだ」
高い理想のためとはいえ、受験生を延長することを詩葉は気に病んでいるのはと感じていたのだが、希和の杞憂だったらしい。自分の努力で理想に近づこうとすることを、詩葉は前向きに選んでいる。
電車を降り、集合までの時間潰しに書店に立ち寄る。
「多分、実際に本とか見てた方がイメージ湧くからさ」
詩葉が立ち止まったのは、新書コーナーの一角。文芸コーナーほど頻繁にではないが、希和も数回ほど訪れたエリアだ。
「まれくんには、まだハッキリ言ってなかったよね。私が大学でやりたいの、こういう話です」
差し出された新書は、性にまつわるマイノリティの歴史や現状について、入門者向けに広く解説しているものだ。
「この著者の一人もビアンの方でね。歴史の中で、現代で、同性愛がどう――」
「いや、僕はもう読んでたよ。去年の夏休みに」
「……あ、そうだった?」
「うん。
「初耳……私も、最初にヒナちゃんに渡されたのこの本でね。世界の広さに比べればまだ多くはないけれど、味方はちゃんといるんだって励まされたから。未来の女の子がもっと心強くなれる、そのための勉強がしたい……だから、日本で一番それに向いている大学を目指しています」
迷いなく語る詩葉の横顔。かつての幼い色合いは消え、誇り高く未来を見据える横顔は、眩しくて、眩しくて――隣が、苦しい。
「詩葉さんの理想。応援するよ、叶えてほしい……けど、」
明確になっていく不安を、喉元でかき消す。いま、彼女に言うことじゃない。
「いや、なんでもない。いこっか」
歩き出した希和の袖を、詩葉が掴む。
「まれくん。ちゃんと言って」
「……ごめん、いまの詩葉さんに言うことじゃないから」
「言ってよ。そんなに強ばった顔で、みんなに会ったらだめだよ」
逃げられない、そう悟った希和は詩葉に向き直る。
「詩葉さんが、社会を変えたいって願うのは。セクマイとして、女性として、だよね」
「うん。あの大学、ジェンダーまわり全般に熱心だから」
「その視点で、今の社会と戦おうってなったとき。僕は――男性に生まれて女性を求める僕らは、君たちの敵になってしまうんだろうと思ったんだよ。敵とか味方とか、詩葉さんは分けたくないって知ってるけど。この一年、色んな人のこと調べるごとに、どうしてもそうなる予感がして。仕方ないことだし、そうであっても応援するのは変わりないけど」
「……それは。変えようとする私たちを、君は傷つけようとしてるってこと?」
「そうじゃなくて、僕がどう思うか関係なく。この身体を、君たちは同じ側に立たせてくれないでしょう……傷つける側、奪う側だって捉えるでしょう」
――これから生きていく社会は、僕たちを取り込んでいく属性は。一緒に歩いてきた時間を、少しずつ引き裂いていく。一緒という実感を、束の間の幻想に変えていく。自分と違う立場を知る中で、詩葉たちの側から社会を変えようとする人に触れる中で、嫌でも見えてしまった未来の形だ。
「……確かにね。これから私が目指すのは、集団と集団を軸に、属性と属性を軸に、調べて、伝えて、戦う、そんなフィールドかもしれない。君と私が反対側にいる、そんな道かもしれない。
けど、今は。何かの代表じゃない、何かの一部じゃない、ひとりとひとりの話をするよ。柊詩葉と飯田希和の話をするよ。
私と君は、こんなに長い間。合わないことを認め合って、違うことを讃え合って、同じ時間をお互いで彩ってきたんだよ。ずれていく未来を祈り合っているんだよ。全部、本当で、消えなくて、誰にも否定させない誇らしいことだよ」
詩葉の手が、固く握りしめられていた希和の手を包む。
「それにね。私たちの距離を、君はいつも私に選ばせてくれたこと、ずっと覚えているから。きっと君は、ずっとそんな人でいてくれる――だからもう一回、言うよ。
私はずっと、君の味方だから。いつだって応援してるから。たとえお互いの立場がどんなに遠くても、お互いを遠ざける社会であっても、知らない誰かが君を悪に位置づけても。私は誰より、君の幸せを祈っているから、君と誰かの幸せを祝福するから。
君も、どうか、君を信じていて」
もう詩葉に頼らない、詩葉がいなくても前を向ける自分でありたい、そう決めていたのに。
結局、心に張っていた氷を解かしてくれるのは詩葉だった――独りで流しきったはずの涙がまだ疼く、それを振り切るように息を吸い込む。
「……ごめんね、ありがとう。青春全部かけて好きになったのが、詩葉さんで良かった」
「私こそありがとう、君が真剣に考えてくれて嬉しかった……けど、青春全部、じゃないでしょ。もっと楽しいのも、もっと好きになる人も、これからだよ」
「これから……うん、信じる」
詩葉の手が離れ、小指を突き出す。
「約束。今の君が驚くくらい、幸せな君になること」
頷いて指切りをする。自分よりずっと細い詩葉の指が、何より強く背中を押してくれていた。
「よしっと。じゃあ、いこっか。私たちが大好きなみんな、待ってるよ」
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