3月11日 -Our hope is, -

「それでは、結樹ゆきとまれくんの合格を祝して――」

 乾杯、の響く信野のぶの大のサークル棟。つい最近になってようやく進路の確定した結樹と希和まれかずが、先輩たちへの報告を兼ねて訪れていたのだ。大学は春休みに入っていたが、今日はHumaNoiseの練習日とのことで、その終わり際に呼ばれた形だ。


「しかし希和が都会って、こう、ぶっちゃけ不安なんだが」

 中村なかむらに言われる。さっきストレートに褒められたときはちょっと痒かった。これくらいでちょうどいい。

「どうやってもシティボーイになれないとは散々言われてます」

 希和は首都圏の公立大の法律系学部に進むことになったのだ。有名かはともかくこの立地である、難易度はそれなりに高かったし、最後まで気の抜けない受験期だった。

「けど、やっぱり難関突破の快挙だよ~! 取材で来たときに、この子は優秀だなって直感したのは正解だった」

 ニコニコな和可奈わかなを前には。今日くらいは素直に褒められておこうか、という気分にもなった。ずっと、この先輩には弱い。


「そして結樹ちゃんはさらに雪深そうな所に……結樹ちゃんだけに」

由那ゆなさん、正直非常に寒いのですが」

「雪だけに?」

「さては疲れてらっしゃいますね?」

 結樹は北陸の国立大の薬学部に進むことになった。薬剤師になりたいとは出会った頃から語っていたが、順当にそれを叶えつつあるようだ。


 春菜はるなは推薦で県内の看護大に合格、これも志望通り。藤風ふじかぜも都内の私大の経済系に合格しており、これも志望通りらしい。この四人は順調なのだが。


「けど詩葉うたはちゃんなあ……本人の希望っていうけど、浪人って心配だなあ」

「ああ見えて、奥底での我の強さは私たちの中でも一番強いですから。応援してやりましょう」

 和可奈と結樹の話す通り。詩葉は志望校に届かず、浪人を決めていた。


 とはいえ、詩葉の成績が不振だったという訳ではない。高校入学当初は成績に伸び悩んでいたが、二年生の後半――陽向ひなたと交際が始まった辺り、からの伸びは著しく。それを受けて、受動的にではなく真摯に進路を考えるようになった詩葉は文系トップクラスの女子大を志望するようになったのだ。

 当初はあまりにもレベルの差が大きく、親や教員からの反対も強かったというが。頑なに理想を曲げずプレゼンを続けたこと、射程範囲内といえるまで学力を引き上げたことから、浪人も視野に入れてのチャレンジを認めさせたらしい。


「誰にもできると思われていなかった理想を、追いかけ続けてきたのが私ですから。その先で出会った皆さんにも、諦めてほしくないです……詩葉さんだけでなく、皆さんひとりひとり」

 ジェームズの言葉に、それぞれが頷く。前例のなさに負けなかった、その一例を知っていることは心強い。


 そして、今日やるべきことはもう一つ。


 *


 ラジオ越しのアナウンスに合わせて、その場の全員で黙祷を捧げる。


「……時間が経てば悲しみも減るだろう、そう以前は考えていたのですが。残るものですね」

 震災で旧友のジュンをなくしたジェームズ。言葉以上に、表情が沈痛を物語っていた。当事者でない希和からは、どんな共感や励ましの言葉も意味がないように思えて、ゆっくりと頷くしかない。

「それでも。こうして共にある皆さんのことは、共に歌えた皆さんのことは、やはり私にとっての希望なのです」

 顔を上げたジェームズと目が合い、希和も「こちらこそ」と答えた。


「この前の夏のコンクールで歌った曲は、作詞された方が亡くなられているんです」

 追悼、ということで思い出したのだろう。結樹は文池ふみいけさんの曲に言及する。

「美しい心を持った方がもう亡くなられている、そんな悲しみに触れることが増えて。それはきっと、尽きることない悲しみなのだと思います。出会いが怖くなることも増えました。

 それでも私は、歌うことで人生に触れられたと感じました。HumaNoiseでも、ジュンさんに触れられたと感じました。だから……」


 珍しく結樹が言いよどんだ、その先を希和が引き継ぐ。

「私たちの現在だって、一緒にいた誰かに宿るから。でしょ?」

 結樹は苦笑しながら頷いて、改めて口を開く。

「自分に降りかかる別れを恐れすぎないで理想を追いかけよう、そう思えた部活動でもありました」

「僕がジェフさんと作ろうって話してる歌も、そういう感情をテーマにしようって考えてるんですよ」

 コンクールや受験に追われ、話が出てから一年も経ってしまっているが。HumaNoiseで歌う曲を希和とジェームズとで作ろう、というプランはお互いに共有しているのだ。


 ジェームズもいくらか柔らかい表情になって頷いた。

「ええ。私も、自分に待っている出会いを逃さずにいたいです……けどやはり、悲しい別れは無い方がいいですから」

 和可奈も真剣な面持ちで、ジェームズの言葉を引き継ぐ。

「結樹ちゃんも、まれくんも。新しい場所での一人暮らし、どうか気をつけてね」


「はい、みなさんも」

 微笑む結樹に続き、希和からも。

「ええ、ちゃんと世間を疑って暮らしていきますよ……同じステージじゃなくても、また一緒に音楽しにきますから」


 また。いつか。

 約束は、どちらかが忘れてしまうかもしれない、何かに阻まれるかもしれない。

 その可能性を目の当たりにしながらも、それでも約束を重ねておきたくなるのが、その場所に湧いた愛着なのだろう。

 帰りたいと思える場所が、こんなに増えたから。これから訪れる、誰のことも知らない場所だって、今はそれほど怖くなかった。

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