Ⅴ-12 Our colorful eternity


 今回のコンクールの自由曲「虹の涙」は、松垣まつがき先生の思い入れや課題曲とのテーマの連続性からセレクトされた。歌の元となったのは文池ふみいけ唱子しょうこというアマチュアの詩人の作品なのだが。


「この文池さんは、昨年に事故で亡くなられました」

 初めて曲を渡された日のこと。先生の説明に、滲む無念。HumaNoise結成に至るジェームズの思い出もそうだったが、もう会えない誰かを語る声色には、詩葉はいつまでも慣れなかった。

「四十半ばの、まだまだ元気な方でした。子育てにパートに忙しい中で、伝えたくてたまらないからって詩を書いて。曲にするときに、若い子に歌ってほしいって言ってたそうです。自分の在り方に悩む誰かの力になれたら嬉しい、そう願っていたそうです」


 先生が語る願い。渡された歌詞。そこに込められた想いをなぞり、あの日の詩葉は気づいたら涙がこぼれていた。今日だって、思い出すと泣きそうになる。

 詩葉たちが直面してきた葛藤を、こんなに美しい詩に編んでくれた。

 そんな人がいたことが、その歌に会えたことが、たまらなく嬉しいから。

 たまらなく嬉しいのに、その気持ちを伝えようがないのが、その人の未来が奪われてしまったことが、どうしようもなく悔しい。 


 そしてこの合唱版を作編曲したのが、当日の伴奏を務める杉浦すぎうら伶奈れいな先生だ。松垣先生の指導を担当したこともある方で、普段はピアノ講師や奏者として東京を中心に活動しているが、曲の縁からコンクールの伴奏を格安で引き受けてくれた……というよりも。


「だって、ふみちゃんの願いだもの。私が力を貸さなきゃダメだよ」

 文池の志を引き継ぐべく、伴奏を買って出たという形らしい。


 悔しくても、手遅れに思えても。

 残された作品を、込められた想いを。その人が願ったように歌うことが、聴かせることが、遺された人なりの追悼に、賛辞になると信じながら。詩葉たちにとって最後のステージへ向けて、練習が進んでいた。



コンクールの前日。音楽室には杉浦先生も参加しての総仕上げが行われていた。


「私の伴奏、合ってるかな。歌ってて違和感あったら言ってね?」

「大丈夫です、いつもより自然と気持ちこもるくらいです!」

 休憩中、心配そうに聞いてきた杉滝先生に、詩葉は元気よく答えた。ポジティブな感想でも、意図しないと伝わりきらないことだってあるから、強調してでも届けたいのだ。感情が漏れてしまう気性だって、意識すれば強みになる。高校に入学した頃よりもずっと、らしい自分と理想の自分は上手く付き合えていた。


「先生みたいな大ベテランはどっしり構えてくれればいいんですよ~」

 じゃれるような松垣先生の声に、杉浦先生は口をとがらせる。

「大ベテランって、年を強調するような言い方はなんなのよ」

「だってそうじゃないですか、先生からしたら私も部員もみんな若者ですし?」

「へえ……ねえみんな、松垣先生が泣き虫なの知ってる?」

「ちょっと杉浦先生、なんの話ですか!?」

「涙もろいのは知ってますよ、ねえ皆さん」

「キヨくんお口チャック!」

 旧知の師弟ということで、気の置けない空気が流れる先生同士だった。年長のプロ奏者というと緊張しがちになるぶん、この空気はありがたい。


「松垣先生はともかく。普通科高校の部活って関わること少ないから、音楽科の子とはちょっと違った若さって新鮮だよ……それにしても、草食系男子が増えてるって本当なのね。あなたたち見てると実感しちゃう」

 杉浦先生による、男声陣に目をやりながらの何気ない発言に、詩葉の頬は固くなる。確かに今の男子部員はその手のアピールが薄いのだが。実は春菜はるなと付き合っているらしい福坂ふくさかや、和海なごみ空詠そらえの間で揺れている泰地たいちはともかく、希和まれかずの「肉欲」を拒んできたのは自分なのだ。見えにくい欲望をないものと扱ってしまうのは、便利かもしれないがフェアじゃない。


 ――そんな詩葉の内心を余所に、希和がパスを受け取っていた。

「そうなんですよ。去年の合宿でのバーベキューでの淑女の皆さん、男声陣が遠慮しているうちにまるで肉を霞のように」

「ウチらを肉食みたいに言うな!」

 芝居がかった希和の返答に、藤風ふじかぜが即座に叫び返し。

「――ああもう、無駄なツッコミしちゃったのムカつく!」

 そのまま悔しげに希和を睨みつける藤風の表情に、つられて詩葉も吹き出してしまう。


「いい食べっぷりでしたよ藤さん」

「あれ、ヤギの鳴き声が聞こえる」

「や、山羊……そりゃ本の虫だから紙は好物って解釈も……あっはい」

 なおもラリーを続けようとする希和と、ばっさりと無視してソプラノの輪に戻っていく藤風。女性陣に振り回されるのは希和の十八番だが、こうやって藤風とも下らないやり取りをするようになったことには、詩葉からは感慨を抱かずにはいられない。お互いに苦手なのを隠そうともしていなかった二年前に比べれば、随分と仲良くなったものだ。それくらい柔らかくなってきた空気がもうすぐ終わると思うと、やはり寂しい。


あきちゃん」

「なに、詩葉?」

「まれくんをヤギにする案、それなりに仲良くないと出てこない――へぐっ」

飯田いいだとは仲良くないもん~ってか詩葉のほっぺ超きもちいいんだけど」

 ……仲良し扱いは忘れた頃にでいいかもしれない、そのたびに頬をむにむにされるのは楽しいけど面倒だ。



 それから通し練習と仕上げを行い、いよいよ締めに入る。


「それでは恒例、各学年の代表による決起スピーチです」

 車座の端なのに、そこが中心だと誰もが察する位置からの結樹の声。彼女が務める進行を見られるのは、最後から何度目だろうか。

「まずは一年……といっても二人か。海に頼もうかな」

「はい!」

 心の準備していたらしい和海は、立ち上がって淀みなく語りはじめる。


「まずは先輩方、先生方、ここまでご指導ありがとうございました。成長にはとても充実を感じていますし、純粋に楽しいです」

 小学校から合唱を続けてきたらしい和海は、「感情」を表情に出すスキルが定着しているようだ。しかし、眉から首元までいっぱいに躍る色合いには、純粋な喜びも確かに通っているのだ。


「中学までの私は、美しく歌おう、良い評価をもらおうというのが主義でした。それは今でも変わりません、ゴールドに向けて毎日を重ねてきましたし、本番で全部出し切ります。けど、」

 闘士の表情から一転、柔らかく、寂しそうな色に染まる。

「誰かからの評価だけじゃなくて。私たちが私たちに、一番眩しい色を見つけられたら。それだって最高のステージになる、そんな予感でいっぱいです。金よりも眩しい色を見つけられる、そう思えるような仲間と歌えて幸せです……けど!

 私が謳いたいのは、最後まで上を目指し続ける私です、負けず嫌いの私です。タクトが下りる瞬間まで、どうか宜しくお願いします!」


 和海らしい、闘志を滲ませた笑顔。きっと自分たちが去った後は、よりコンクールに重点を置いた活動になるのだろう。だとしても、一緒に創った妖精たちの物語は少しも色あせない。


「続いて二年生……福坂、たまには語ってくれ」

 普段の口数が少ないことを当てこすった結樹の指名に、福坂は少し笑いつつ立ち上がる。


「はい、せっかくなので語らせていただきますね。

 歌で感情を表現しろって、よく言われるじゃないですか。俺はその意味をずっと、感情を読み取れるような音楽のための技術の話だと思っていました。勿論、その解釈だって間違ってはないと思います。

 ただ、コントロールできない感情なんて、いい音楽には邪魔だと思っていたんです。練習してきたことだってブレる、練習する場所自体が崩れる、そんな経験だってありました」


 接点は少ないなりに、詩葉にも察しがついていた。本当は歌うことが大好きなのに、憧れた人を愛したいのに、彼はその感情を警戒してばかりでいた。

「感情を身勝手に振り回すことは避けるべき、というのは勿論ですが。

 何かを愛しく想うことでも、悲しくて心を痛めることでも。理性とか打算でコントロールできない感情こそ音楽に籠ってしまうんだと、この場所で気づきました。

 客観的でロジカルな研鑽を積み上げていった一番上に乗る、どうしようもない感情。それが人の心を震わせると知ったから、俺は明日もそれを届けます」


 一度言葉を切って俯いてから、彼は決然と顔を上げる。


「美しい贈り物をくれた人と、道を違えてしまう。あるいは、二度と会えなくなってしまう。そんなことが、きっと何度も人生で訪れるのでしょう。

 それなら、その美しさを誰かに届ける自分でいたいです。それが俺にとっての音楽です。

 それを一緒に届けられるのが、皆さんで良かった――明日も、その先も、変わらない想いです」


 少し照れた様子で頭を下げた福坂に、気持ち盛大な拍手。腰を下ろした彼にじゃれつく希和、その笑顔が眩しい。性格もスタンスも合わないとしても同じパートなのだ、外野とはいえ詩葉からも通じ合いを願っていた。


「それじゃあ三年生、」

 結樹の一呼吸の間に、思考をなぞる。詩葉と希和はミュージカルでメインだった、今回は春菜か藤風だろう。ただここまでは合唱経験者が指名されてきたので、バランスを考えるとタイプの違う部員になるだろう、つまりは。


「……明、頼んだ」

「えっウチ? ムード合わなくない?」

「合わないからだよ、ほら立った立った」


 なおも唸りながら立ち上がった藤風は、大きく息を吸って表情を引きしめた。

「ゴスペルのときもそうだったけど。今回は特に、歌詞を考える機会が多かったです。勿論、大事なことです。

 ただ、よく話すけど、ウチはそういうのが苦手です。そもそも、元の意味も調べないで洋楽とかK-POP歌うような人です。深く歌詞を考えたりするのはこれからも苦手だし、自分で作ったりするような感覚は一生分からないんじゃないかな。

 けどね。みんなと考えて、みんなで向き合って。分からなかったはずの、歌の言葉にのめり込む感情が、ウチなりに分かるようになりました。自分だけじゃ見つけられなかった歌い方です、それが歌えて幸せです」


 二年前。詩葉にとって唯一の、同パートの同級生として出会った彼女。

 上手いし格好いいのに、傍から見ても分かるくらい居心地が悪そうだった――それから、二年。


「最初からさ。軽音がないから二の次で入った合唱部だった。そもそも、雪坂ゆきさかに入ったのもウチじゃなくて親の意向だった。やりたいことばっかり選んでたら、見つけていなかった場所がここです。選ばなかったはずの場所にいるウチが、出会えたみんなが、ヤバイくらい大好きだから、

 その出会いを、私は奇跡と呼びたい。その先に辛いことがあっても、ずっと心を照らしてくれる奇跡と呼びたい」


 藤風が向けるウィンクに、詩葉の心臓が跳ねる――ああもう、魅せるのが上手いなあ。


「向きも趣味もバラバラな、みんなの色を重ねて。他もどんな青春より眩しい、キッラキラな奇跡を始めましょう――明でした!」

 

 ミュージカルでの決めセリフを引用しつつ、誇らしげにピースを決めた藤風。後輩たちと一緒に歓声を上げつつ、詩葉からもウインクを返した――高校を出ても、きっとまた一緒に歌おうね。


 満足げに手を叩いてから、結樹は教師陣に体を向ける。

「それでは、杉浦先生からも宜しいですか」

「ええ。ふみちゃんはずっと、未来の誰かの心を温めたい、そう願いながら詩を編んでいました。その願いを受け継ぐつもりで、私が合唱にしました。願いを受け取ったみんなの歌を、きっと天国で喜んでいるはずです……気休めでなくそう言えるようになったのは、もう一度この曲を愛せたのは、みんなが歌ってくれたからです。ありがとう、明日は一緒に最高の音楽を創りましょう」


「はい、宜しくお願いします。では松垣先生」

「うん。私はみんなよりも数年しか長く生きていないけど、やっぱり高校の頃に比べて、悲しくて悔しいお別れが増えてきました。人と出会うこと、一緒に思い出を作ること、怖くなることもあります。みんなも、いずれ同じ気持ちになってしまうんだと思います。

 それでもね。音楽は、芸術もスポーツも娯楽だってそう、人と分かち合ったぶんだけ人生を豊かにしてくれるって、心を強くしてくれるって。そう信じてるから、伝えたいから、私は教師を選びました。

 明日のステージ、魂を懸けて創る歌は、この先ずっとみんなを支えてくれるはずです。

 支えられるように、熱く丁寧に、歌に魂を込めていきましょう。評価を越えて残る成果は、よりよい評価を目指し続けた人にだけ訪れるってのが持論だからね。青春史上最高のみんなを楽しみにしてます」


「はい、お見せします……それでは最後、気合い入れましょうか」

 結樹の合図に続いて、円になって手を重ねていく。気づいたら隣にいる陽向、一瞬だけ寂しさを覗かせた後、決意を覗かせて見つめ返してくれた――そうだよ、君はこうでなくっちゃ。


「煽りフレーズの考案は飯田先生です」

「その補足は蛇足だと毎回」

 恒例となった結樹と希和のキャッチボール、それだって最後だろうから。

「名コンビだもんね!」

 詩葉が上げた声に、二人して眉に皺を寄せる。結樹はあしらうように、希和は困ったように。

「私たちにとってはそうでしたよ、ねえ詩葉さん」

「ねえ」

 沙由と一緒にさらに圧を掛けると、根負けしたらしい結樹が吹き出した。


「はいはい――では稀代の相棒より、最後の檄となります」


 結樹の声も。希和くんの言葉も。こんなに長い間、私に力をくれたんだよ――息を止めて耳を澄ませる。


「絶望より深く、運命より強く、どんな涙より温かく。

 私たちだけの色彩で、響き続ける永遠を――紡ぎましょう!」

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