#13 終幕 -Proud of ourselves-

 二回目の公演と後片付けを終えた後。


「おっけ、確認終わり。劇、楽しかったよ」

「お、やった! そっちも最後までお疲れ様ね」


 教室の原状復帰の確認にきた碧雪祭実行委員が、八宵に見送られて去っていく。全体での片付けが終わった段階で他の部員は帰し、責任者として両部の代表のみが残っていたのだ。ちなみに結樹はクラスでの作業にヘルプで呼ばれたらしく、希和が代理である。


「無事に終わったというか、終わっちゃったというか……」

 希和の呟きに、八宵が大きく伸びをしながら訊ねる。

「寂しいかい?」

「正直、安心感の方が強いね。あれだけ色んな要素が絡んでると、どこから崩れるかも分かんなかったし……けど、思ってた以上に楽しかったからさ。もう出来ないのは寂しいかも」

「うん、私も後ろから見ててすごく幸せだったもん。けどさ、私たちは何度だって再演できると思うんだよ」


 そう言いながら、八宵は頭をコツコツと叩く。

「記憶の中で?」

「そうそう。思い出しながら、あるいは記録を見ながら、そのときどんな景色だったか、どんな感情だったか、心でなぞるんだよ。

 舞台は一回きり、それは記憶の中でも一緒だよ……そうやって、かけがえのない瞬間は続くんだってのが私の持論」

「再演、ねえ」


 繰り返しながら、数時間前をなぞる。自分の思考が仲間のきらめきに変わる喜びも、この身体に誰かが乗り移る感覚も。終演後に褒めてくれた先輩たちの笑顔も、これまでに重ねてきた練習の全ても。


「こんなに忘れたくないのも、忘れてほしくないのも、初めてかも」

「それは宝物の証じゃん?」


 八宵に頷きながら、周囲に耳を澄ます。

 暮れかける日、来場客の賑わいとは別種の喧噪、祭りの後のだるっとした余韻。その中に混じる、聞き慣れた足音。


「いたいた、お疲れ様」

 顔を出したのは詩葉だった。両手に何やら包みを抱えている。

「やよちゃんもまれくんも、良かったら食べない? クラスで余っちゃったの、もらったんだ」

 差し出されたのはクレープだった。お昼から動き通しで、胃袋はそれなりに――かなり、食べ物を欲しがっていた頃だ。


「サンキュー詩ちゃん!」

「僕も、いただきます」

 自分のも持ってきたらしい詩葉と、三人でかぶりつく。


「……飯田くん、謎にクレープ似合わない?」

「八宵さんの感覚は謎だし、似合ってどうするんですか僕が」

「まれくん、甘いの好きなのは確かでしょ? 」

「それはそうだけど」

 可笑しそうに笑う詩葉に、突っ込む気力も失せる。詩葉と並んでデザートを食べられるだけでも充分に幸せな時間なのだ。


「これは完全に私の妄想なんだけどさ」

 やや唐突な前置きをしつつ、八宵は語り出す。

「今回の飯田くんのシナリオ、最初から詩ちゃんを主演にイメージして書いてたんじゃって思うんだよ」

 まさに図星ではあったが。観察眼の鋭い八宵である、察されていたのは不思議ではない。八宵の話は続く。

「答え合わせは求めてないし、そうだとしても別に良いんだけどさ。飯田くんが指名した訳ではなく、尋常に募って、沙由ちゃんと競って掴んだ座だし。

 私が言いたいのは、それだけ詩ちゃんとギラハは魂が通じてたってことなんだよ。そして詩ちゃんは、予想していた以上に……演劇部に欲しくなるくらい、いい演技を見せてくれたからさ。面白いものに参加させてくれたなって」


 悪戯っぽく語る八宵に、どう答えるべきか迷っていると。詩葉が先に口を開いた。

「私はただ、勝手にギラハちゃんに感情移入しただけだよ。周りと違うことが、誰かを助けるきっかけにもなるんだって。違う誰かと手を取り合えるんだって、そんな話が嬉しかったからさ」

 続けて、希和も答える。

「詩葉さんから聞いたある悩みだって、その一つだったけど。僕が抱えてきたコンプレックスとか、誰かの抱える疎外感とかに、前向きな意味を持たせられる話にしたかったんだよ。実際、そう思えたって話してくれた人もいたから」


 終演後、倉名に言われたのだ。周りに人がいる手前、「僕も僕なりにポジティブに過ごそうと思った」という婉曲な言い方だったが、恐らくはゲイであることを指していたのだろう。


「なるほどねえ……いずれにせよ、さ。一代限り、奇跡みたいな舞台だったと思うよ。

 だから次は私たちだけで奇跡にする番だよ」

 八宵が言っているのは、来月の高校演劇大会の地区大会のことだ。今月下旬の合唱部のコンクールと共に、お互いに観に行く約束はしてある。


「カッシーと私だって、なかなか良いコンビだと思うんだよ。二人だけの期間だって、二人で出来ることは全部やってきたし、あいつは私のことめちゃくちゃ好きだからさ。きっと、板の上の魔法を起こせると思う……まあ、男の子としての好きに応えられないのは申し訳なかったけど」


 たまらず咳き込む。樫井が八宵を意識していることは、八宵には秘密だった……と樫井から聞いていたのだが。

「カッシーくんに告白されたの?」

 希和が恐る恐る聞くと、八宵は困り顔で応える。

「いや。けどあれだけ一緒にいれば分かるよ、あいつ劇以外での演技下手だし……その上で、演劇仲間と恋愛したくない、熱中した日々を汚すリスクを背負いたくないっていう私の言い分をずっと尊重してくれてるんだよ。だから私は、樫井優太って仲間が大好きだ」


 自分たちの選択肢とは逆で、それでも。

「格好いいね、カッシーくん」

 詩葉の言葉に、深く頷く。

「格好いいでしょ? うちの後輩たちは最高なんだよ……だから次の舞台、楽しみにしていてよ」

「楽しみだよ。大事な共演者のその後、見逃す訳にはいかないでしょう」

「うん、私たちのコンクールもね。合唱っていいなって思わせてあげるから」


 

 部屋を出て結樹を迎えにいく途中、詩葉に袖を引かれる、

「どうかした?」

「ちゃんと言っておこうと思って。君の物語の主人公になれて、幸せだったよって」

「あ、ありがとう……けどここで言います?」

 お互いに直球な物言いをするようになってきたが、いつも人目につかない所でのことだったのだ。まだ生徒が行き交う校内というのは、なかなか緊張する。


「せっかくだしここで良いかなって。なんだか友情で青春な人たちがいたなって、誰かの思い出に残るのも素敵じゃない……君となら勘違いされてもいいし」

 随分と割り切りがよくなったなと驚きながら。ここで逃げたらダメだろうと、伝えるタイミングを探していた言葉を口にする。


「僕の方こそ。物語を誰かに演じてもらう、多分一度きりの機会で、君が最高の主演を見せてくれたこと。ずっと誇りに思えるから。僕がこの部にいて良かったでしょって、胸を張れるから……今さらだけどさ」

 詩葉は目を瞠って、それから瞑って、ぐっと距離を近づけて僕の襟を引く。つられて身をかがめると、耳元で言われる。


「三年間ずっと、君といる合唱部が好きだったんだからね」

 頬をつねってから身体を離し、振り向きざまに大声で。

「忘れないでよ、希和くん!」


 楽しそうに歩いていく背中を、慌てて追いかけながら。冷やかすような生暖かい視線が、いつもだったら詩葉に申し訳なく思っていたそれが。今はこの日限りのご褒美に思えた――なんて、陽向には到底言えないが。


 *


 〉紡さん


 ミュージカル、無事に成功できました。懸念していた心配はなく、期待していた以上に良い仕上がり、だったと思います。少なくとも僕は非常に楽しくて、至上に幸せな時間でした。こんな風に仲間を誇れたのも、劇ならではだったと思います。


 こんなに向いていない自分が部にいていいのだろうか、みんなを乱すノイズになっていないだろうか、そんな迷いを捨てられずにいた高校生活でした。ステージを重ねるにつれて、誰かに認めてもらうにつれて自信も芽生えてきたのですが。この部にいる自分をこんなに誇れたのは初めてでした。空想好きな奇特な奴がいても良かったでしょうと胸を張れるステージでした。


 踏み出す勇気をくれたのは紡さんでした。だから紡さんだって、胸を張れる舞台に出会えなかったら嘘です。きっと待ってます。

 これからの未来を紡ぐ戦い、お互いに悔いのないように頑張りましょう。


 和枝



 〉和枝くん


 お疲れ様でした、そして成功おめでとう!

 君も、例の女の子も、尊い輝きを見せていたんだって確信しています。居合わせた人にとっても、きっと楽しい思い出になったことでしょう。


 勇気をもらえていたのは私の方です。教室の悪意に負けて、人を信じられなくなってからずっと。和くんが伝えてくれる青春の感情に、人と出会って変わっていく君自身に、人と向き合うための勇気をもらってきました。

 高校とは最後まで向き合えずじまいでしたが。新しい場所で新しい人に向き合う勇気なら、ちゃんと充填できています。自分を、誰かを信じて、踏み出せます。


 頑張ったのは君と部活のみんなだと分かっていますが。それでも、そのきっかけになれた私と君のことが誇らしいです。ただ応援していただけの私だって、誰かの青春の光になれたんだって。おこがましいかもしれませんが、こんなに強固な誇りを抱けたのは久しぶりでした。


 だから、君に胸を張れる私になれるように、一日一日を積み重ね続けています。

 君も最後の挑戦、どうか悔いのないように謳いきってください。


 紡

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