#7 小さな手を取り合って / 月野陽向

 ウィングスが捌ける間、陽向と詩葉は水分で喉を濡らす。僅かな休息が済んだのを読むように、八宵が照明をフェードイン。一瞬だけ手をつないでから、先に詩葉が駆けだしていく。


 ステージの中ほどで立ち止まったギラハは、耐えかねたように座り込む。

「待って、ギラハ!」

 呼びかけてから、陽向もステージへ。追いついたキーナは、屈み込んでギラハの肩を掴む。

「諦めないで、私も手伝うから!」

「でも……」

「飛べる私と、泳げるギラハ。二人で力を合わせれば、どこでも探せるって」

 自信満々に主張するキーナだったが、ギラハは目を伏せた。

「私、泳げないんだよ」

「……そうなの?」

「アクアズなのに、泳げなくて。だから、誰かに手伝ってもらうしかなかったの。

 昔、溺れている誰かを助けようと飛び込んで、そうしたら私も溺れちゃったくらいに、泳げないんだよ」


 ギラハにとっての情けない記憶は、キーナにとっては探し続けていた誰かの証だった。


「そのときに溺れていたの、私だよ」

 見つけた――甘美で切実な衝撃。詩葉を初めて目にしたあのときをトレースし、キーナの言葉に乗せる。

「え……でも私、気づいたら溺れてたんだよ?」

「駆けつけてくれた仲間が、こっそり教えてくれたの。小さなアクアズが必死に私を助けて、岸まで運んでくれた、けどすぐに自分が流されちゃったんだって……だから、他のアクアズがどんなに酷いことしてたとしても、私にとっては恩人なんだよ。運命の友達なんだよ。助けたいんだよ」


 運命。省いても意味は通る、それでも希和が預けてくれた言葉。

 彼なりの葛藤と納得が導いた物語を、全力で届けきるために。


 驚きに満ちたギラハの目を覗きこみ、心に手を伸ばすようにアカペラで歌い出す。メロディは再び「白鳥」から。


“君の優しさこそ、何より強い

大事な奇跡だから、次は私が“


 手を伸ばし返すように、ギラハから「悲愴」のメロディ。取り残された自身を奮わせたメロディが、差し伸べられた手への答えになる。


“お願い、その手を貸して。優しさを信じて、奇跡を描こう“


 手をつないで、二人の声が重なる。


“この手を、取り合えるんだ

私たちはずっと、独りじゃなかったよ”


 女性を愛する女性がどこかにいることは知っていた。自分だけではないという知識もあった。

 それでも、詩葉もそうだと分かるまでは。独りきりの世界だった――それでも、独りじゃなかったのだ。


“力を、重ねるために

ひとりひとりに、違う、色が芽生えたんだ”


 誰にとっても明らかな意味なんて要らない。

 私にとっての意味なら、君の声とでしか完成しないこの響きで充分だ――君が泳げない意味なんて、私たちの奇跡の始まりで充分だ。


「けど、ひどいことばかりしてきた私たちを、どうしたら助けてもらえるかな?」

 困り顔で言うギラハに、キーナはしばらく唸ってから声を上げる。

「そうだ! あのね……」


 照明がフェードアウトするのに合わせて、声を落としていく。二人で上手側に捌け、他のウィングスたちにステージを譲る。つないだままの手から、詩葉の中のやわらかなときめきが分かる。以前は本番に弱いタイプと言っていたが、今の詩葉は緊張をエンジンに取り込めている側だ。


「キーナ、遅いですね……様子見てきます?」

 何やら落ち着かない様子のダーズの提案を、

「あの子だって大きいんだ、あんまり心配することないだろ」

 ライズがばっさりと切り捨てる。空詠の男役の演技は、アニメでの少年役を思わせるほど堂に入ったものだった。同性の好みはガーリーに偏っているつもりだったが、自分もちょっとドキドキするくらいの。


 そこへ、ギラハを連れたキーナが戻ってくる。

「ああ、おかえり……って、また連れてきたの?」

 困惑したようなダーズを背に、ライズは怒りを露わにする。

「いい加減にしろ、アクアズなんかもう」

「聞いて!」

 大声でライズを遮り、キーナは主張する。

「この子は、ギラハは、私を助けてくれたアクアズだよ」

「……ああ、あの時に流されちゃった」

 思い出したように声をあげるダーズを遮り、ライズはキーナに詰め寄る。

「勘違いするなキーナ、もしそいつがいなくたって、俺たちが助けた。だから義理立てする必要なんてない!」

「分からないよ、遅れて助からなかったかもしれない。どっちにしろ、仲間じゃないはずの私を助けてくれたのは確かだもん」

「黙れ、だとしてもアクアズは俺たちみんなを苦しめたんだ!」


「あの!」

 白熱する言い合いに、ギラハが割って入る。

「いま許してほしいなんて言いません。だから、これから私たちに協力させてくれませんか。助けてもらったら、アクアズのみんなで」

 ギラハの提案に、今度はカッタから疑いが掛けられる。

「協力ってなんだよ、あんたらは自分たちの狩りのことしか考えていないだろう!」


 空気を変えるように流れ出すのは、オッフェンバックのオペレッタ「地獄のオルフェ」序曲の第三部――別名「天国と地獄」、運動会でおなじみのパートだ。

 弦と木管の掛け合いをイントロに、八分音符にキーナの言葉を乗せていく。


“敵のままなんて勿体ないよ、私たちは誰とでも手を組める”

 続けてギラハ。

“いがみ合うのでなく重ね合ったら、もっと幸せな暮らしになります”


 唸る金管に乗る、ライズの反発。経験者だけあって、空詠は喋りと歌のブレンドが上手い。

“俺たち、これで十分。あんたらの、手を借りはしない”

 そこへ、ギラハに興味を覚えたダーズの仲裁が入る。そうはいっても三年目というべきか、出会った頃の頼りなさは随分と薄い――わざわざ陽向が言うことでもないが。

“まあまあちょっと、聞いてみましょう? 便利になるなら、それが一番”


 再びギラハのターン。加勢を得て、先ほどよりも明るく強気に。物語を紡いでいく伸びやかな歌声を、特等席で聴けるのが何よりも誇らしい。

“仲間に代わってお伝えしましょう、川の中には溢れる恵み

 魚に貝に水草に石に、きっと他では手に入らない”


 語尾を被せつつ、ギラハの主張をキーナも後押しする。

“助けた代わりに分けてもらえば、危ない場所に行かずに済むよ”

 

 二人での台詞。お互いに呼吸を読み合おうとしなくても、自然にピタリと揃う。


“だから、一緒に”


 シンバルが加わってアグレッシブになる伴奏に、フォルテの歌声。


“さあ変わろう、寂しく冷たい

 憎み合いを終え共に歩もう”


 ギラハとキーナの提案に、ダーズも賛同する。陽向と詩葉とのハーモニーに、希和も加わる。彼の低音と自分たちが心地よく響き合うだなんて、以前は思いもしなかった。この三人だけでの和音なんて、これが最初で最後だろうか――刹那に覗いた感慨と寂しさを振り切り、高らかに彼らの希望を謳いあげる。


“手を差し伸べるそれが始まり

未来を変える鍵になるさ”


「もういい!」

 ライズは怒声を上げて歌をかき消し、背を向けて考え込む。

「……カッタ、お前はどうしたい?」

 カッタは苦々しげに俯いてから、ゆっくりと立ち上がる――嫌悪は消えないが納得はした、そんな内心が無言でも伝わる。

「許そうなんて思わない。それでも、ここでアクアズを見殺しにしたって、何か良くなる訳でもないだろう。昨日が変わらないなら、未来が良くなる方を選ぼうと思う」

「いいのか?」

「後は兄さんが決めなよ」

 ライズは頷くと、ギラハたちに向き直り重い口を開く。


「いいだろう。助けてやる」

「ありがとうございます!」

 息を呑み勢いよく頭を下げるギラハに、即座にライズは釘を刺す。

「その代わり! 約束、ちゃんと守ってもらうぞ」

「はい、説得してみせます。だからどうか、お願いします!」


 ギラハとライズの交渉が決着した所で、キーナは二人の手を取り提案した。

「じゃあ、流された場所を探しに行こう。早速、ウィングスの速さの見せ所だよ?」

「ああ、ギラハとカッタはここにいてくれ。すぐに戻ってくる。キーナ、ダーズ、行くぞ」

「やった!」

「合点です」

 ライズの指示に二人が答え、歩き出した所で暗転。

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