音楽劇「はぐれ妖精の冒険」

#0 幕が上がる前に

「だから沙由さゆも早く進路考えてって言ってるんだけどねえ~」

「大丈夫よ、言わないだけで色々考えてるもん沙由ちゃんは。うちの香永かえだってそう言ってるし」

 碧雪へきせつ祭の当日。相変わらず賑やかな母親たちの会話を聞き流しながら、倉名は久しぶりの母校の中を歩いていた。

 卒業して二年目。ここで過ごしていた三年間に、大学で過ごした日々の長さが徐々に追いついてくる。安心感よりも、どこか他人行儀な懐かしさが勝ってくる。直接交流のある後輩たちも今は三年生だ、「帰ってきた」という感覚でいられるのも今回が最後だろう。


 とはいえ。

「――倉名くらなさん!」

 ミュージカルの上演教室に向かう途中。馴染んだ声に、離れていた時間は一気に巻き戻されてしまう。見つけてくれた中村なかむらに手を振ると、母に声をかけてからそちらに向かう。

 信野のぶの大に進学した和可奈わかな、中村、由那ゆなの三人に合流。この前の三月も顔を合わせていたので、それほどご無沙汰していた訳ではないが。

「久しぶり。直也なおやはともかく、由那は随分と変わったね?」


 髪こそ染めていないが、顔立ちや服装は随分と華やかになった。出会った当初の、外面も内面も閉じこもりがちだった彼女に比べると、気持ちいいくらいの変わりぶりだった。

「ええ、和可奈さんにカスタムしていただきました」

「カスタムしちゃいました、えっへん」

 胸を張る和可奈。大事な後輩が同じ大学に来たことは、やはり相当に嬉しかったのだろう。


「出てった子たちは来れないんだったっけ?」

「そうそう。陽子ようこはサークルあるし、奏恵かなえたちはお金貯めたいからコンクール優先だって……しかし倉名くんも、よく毎回来てくれるね?」

 確かに、地元に進学したならともかく、県外から応援に来る先輩というのは珍しい方だった。それも、割と遠い距離を。

「金なら出すから帰ってこいって、親がよく言うからさ。それにほら、香永もいるし」

 嘘ではない。とはいえ、親交のあった一つ下のためならともかく、二年後になっても来ようとは考えていなかった。それでも来てしまったのは、想像以上に希和まれかずのことが気がかりだったからだ。


「後はまあ、ミュージカルってのが気になったのも確かだね。飯田いいだくんがメインで考えたんだっけ?」

「そうそう、まれくんがシナリオでうたちゃんが主演だって。なんだか微笑ましいというか……」

 曖昧にして流そうとする和可奈。ひょっとして、彼女も希和から何か聞いていたのだろうか。


「そういやあの二人、結局何かあったんすかね?」

 天然なのか敢えてなのか、直球で話題を続ける中村。

「まあ、あの空気だと何もなかった訳ではなさそうですけど……」

 由那の言う通り。希和が詩葉うたはを好きなのだろうという噂自体は、彼が取材に来た頃から上級生の間でよく出ていた。希和が口では否定していたことさえ、照れ隠しの表れだと受け取る人は多かった。可愛い後輩同士の、むずかゆいピュアな恋路――という印象を、他の上級生がいつまで抱いていたかは分からない。倉名の引退後はそんな余談からも遠ざかっていたからだ。


「付き合ったかどうかはともかく、仲よさそうなのは確かじゃないですか? ならそれ以上は本人に委ねようと思います、秘密にしておきたいみたいですし」

由那の結論に、和可奈も頷く。

「そうだね。余計な勘ぐりしないで、あの子たちが届けようとしてくれることをちゃんと観てあげよう」


 その後、HumaNoiseで共演していた鈴海すずうみ山吹やまぶきが合流。倉名とも顔馴染みではあったが、いまの現役部員とも相当に仲が良いのが伝わってきた。特に鈴海は伴奏の打ち込みも担当しているらしい、昔だったら想像もしなかったような共演だ。

 自分がいなくなった後も、眩しく変わり続ける彼らの舞台に。安堵しながら、微かな羨望が胸の隅に疼いた。



「お待たせしました、希和さん完了です」

「ほんっとに申し訳ない……」

 メイクを担当してくれた樫井かしいに詫びる。そもそも希和は顔に触れられることが少ないし、くすぐったがりなこともあり、ブラシが触れるたびに笑ってしまって作業にならなかったのだ。

「いえいえ……ただ、健康ドッグとか確実に地獄ですよね」

「だろうねえ、追加料金モノだよ……」


改めて鏡で仕上がりを確認する。これは確かに普段の自分からは、というよりも日本人男子の顔つきからは随分と印象が違う。ファンタジー世界の妖精を表現するためにはメイクが必要だという判断は、やはり正しかったようだ。


「みんな準備できたね、それじゃあ集合」

 八宵やよいに呼びかけられ、舞台裏のスペースに集まる。衣装も顔つきも普段とは大違いで、目が合うたびに不思議な新鮮さに包まれる。


「さてさて。これからの二公演が、私たちの本番です。私たちにとっては繰り返しの果ての二回でも、多くのお客さんにとっては一回きりです。

 私たちの努力が、魅力が、余さず届くように。集中して、けど楽しんで、舞台にしましょう――それでは」


 手を重ねる。演劇部流の気合い入れだ。


「いつかのどこかにいる、誰かの世界を。今ここにいる、みんなの手で。

 ここにしかない、心に向けて、」


「――届けましょう!」

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