Ⅴ-9 So we are on the same stage.

 六月。じめじめとした外気を吹き飛ばすように、ミュージカルに向けて熱のこもった練習が続いていた。


「はいお疲れ様、みんな座って!」

 八宵やよいの指示を受けて、それぞれがメモの準備に移る。いま練習していたのは、終盤の救出作戦。「クシコス・ポスト」に乗せて、ほぼ全員の歌と踊りが入り乱れるという、物語としてもパフォーマンスとしてもクライマックスのシーンだ。希和まれかずの詞と松垣まつがき先生のアレンジに加え、藤風ふじかぜ浜津はまづを中心に発案された振り付けも入っている……当然、難易度は高い。


「歌については松垣先生にお任せするので、それ以外について。

 まずは結樹ゆき、最初の会話での動きがちょっとコミカルすぎる。他のシーンだとリーダーっぽい風格が出てるから、それ意識して」

「風格……ありがとう、見直してみる」

うたちゃんの掛け声に合わせる所のポーズ、だいぶ揃ってきた。ただそこから散らばるのがまごついて見える……すぐに照明でウィングスにフォーカスするようにするから、そこに間に合うようにしようか。浜ちゃん、後で相談いい?」

「分かりました、スムーズな動き考えときます」


 実際に合わせる中で、振りや演出が前向きにブラッシュアップされていくこともある。しかし、多くの課題は。

「龍トリオ、まだまだ頭と尻尾の動きがちぐはぐだね。バックの拍の基準、しっかり覚えて」

「アクアズ、他の人が喋ってるときの視線も意識しよっか。黙ってるときも演技は続いているんだよ」

 思うようにいかず、足りない所を埋める段階のままだった。

 当然、元から振り付けが苦手だった希和も課題だらけである。


「視線といえば飯田いいだくん、離れてるはずの人に視線が行きすぎ。それぞれが目の前に集中しながらも、心はつながっているってのを歌で表わしているんでしょ? そこでキョロキョロしてるの勿体ないよ」

「申し訳ない、分かっているけど反射で」

 これまで、歌でタイミングを合わせるときは指揮者や周りと視線を交わしていた。しかし今回は、音楽や台詞だけを頼りに見えない相手とタイミングを合わせなければいけないシーンが多いのだ。

「自分と解釈違い起こしちゃ困るよ、せっかく君が熱いシナリオ書いてきたんだからさ……けど振り付けはだいぶ安定してきたと思うよ、そんなに卑下することなかったじゃん」

 しっかりダメ出しはしつつも褒めるべきは褒めるあたり、八宵は良い指導者だった。


 そして、松垣先生からもフィードバック。

「全体的に、縦もピッチもすごく良くなってきました。特に龍トリオ、あんなに難しいやり方なのに流石。

 けどまだまだ、台詞として受け取りにくい箇所が多いかな」

 音楽であり、同時に物語でもある今回。きっちりとしたメロではない表現なら、去年の体育祭やゴスペルライブでも経験していたが、ミュージカルのバランスはやはり難しい。

 それにも関わらずチャレンジを詰め込んだ、その反動も出てくる訳で。


「次、まれくんとヒナちゃんのラップ。や~っと合わせで出来たね?」

 先生の言う通り、希和が発案しながらも、これまでは個人練でしか成功してこなかったパートだった。

「もっと難しくない歌詞にしても成立するけど、このままにする?」

 先生の確認に、陽向ひなたと顔を見合わせて。

「……私から諦めようって言うと思います?」

 彼女らしい返答に、吹き出しつつも背中を押される。

「そうだね、諦める必要ないレベルまで持っていこう……この歌詞で行かせてください、僕にとっても会心のリリックなので」

「じゃあバッチリ頼むからね! ……けど君も変わったね~、昔はイケイケの先輩に囲まれて不安そうだったのに」

「ですね、色々経験して肝が据わったというか、面の皮が厚くなったというか……それに、最後ですし」


 そうして、それぞれが譲れない見せ場を背負いながら。着実に、しかし目まぐるしく、日々は巡り。


 *


 本番の前日。会場となる総合学習室では、舞台のセッティングが進んでいた。


「いや~今年は準備が楽……こんなに労働力あるのいいね、富豪か何かになった気分だよ」

 慣れない合唱部員を上手くまとめている八宵は、随分と上機嫌だった。

「くそうブルジョワジーめ、今にその傲慢な地位を粉砕してくれる!」

 威勢のいい怒鳴りで答えた樫井かしい。言葉の一部からコントを始めたがるのは希和も同じだが、樫井たちは迫真ぶりが違う。とはいえ。


「ネタだろうと芝居に手を抜かない役者魂は尊敬しますけど、元から奴隷根性フルスロットルなカッシーさんがちらつくので」

 演劇部一年生、渋永しぶながのツッコミは流石に言いすぎだったが。演技から雑用まで、やることなすことが八宵の影響下にあるのが普段の樫井だった。

「渋ちゃんひっどくない? 奴隷でなく相棒といってくれたまえよ、以心伝心で比翼連理の」

「以心伝心はともかく比翼連理は嫌だよ、カッシーがいなくても私は演劇やるぞ?」

「そんな言い方します!? ……まあ僕も、八宵さんいなくたって続けますけど」


 一方通行のようで息はしっかり合っている八宵と樫井。二人だけで活動していた時期もあったくらいだし、好きでなければここまで続かなかっただろう。八宵だって、樫井のスキルを前提にしてのディレクションを行うことも多いのだ。

「八宵さんは異性として魅力的なのも確かなので、絶対にそう見ないように頑張ってます」と樫井から聞いたことはあったが。そうやって、心躍る可能性を断ってでも心地いい間合いを守り抜いた、その姿は希和にとっても眩しかった。


「しかし、ここまで作り込むと本番だって実感が湧いてきますね」

 和海なごみの言う通り、普段から練習に使っている総合学習室の様子は、随分と様変わりしていた。


 窓は段ボールと暗幕で覆い、外から光を完全に遮断。

 椅子や机は全て撤去してから、入り口側に客席を設営。その後ろに、八宵・渋永が担当する照明・音響の調整卓を配置。

 教卓側には段差つきのステージを設営。その奥に暗幕で覆ったパネルを立て、サイドと正面を黒い背景(ホリゾント)にする。天井と床にレールを敷き、照明を設置。効果音が組み合わさることで、大空から洞窟まで広大な自然を表現する――と口で言うのは簡単だが。当初はピンと来る方法が掴めず、八宵と渋永は合同で練習していない間も試行錯誤を繰り返していたようだ。そうして出来上がった演出は、制約の中で想像力を掻き立てる演劇の醍醐味を見せつけるようなクオリティだった。そんな八宵も本来は役者側の部員で、大会では裏方を渋永に任せて主演を務めるというから、幅の広さには驚くばかりである。

 空間把握が大の苦手でこうした作業のたびに恐々としている希和がしっかり労働力となれたのも、八宵の資料作りや指示の上手さあってこそだった。「働き蜂と女王蜂みたいですね」と口を滑らせた清水はどやされていたが、指導役としての上手さは大いに見習いたい。


「腰に来たな……しかしこういう疲れも、今となっては名残惜しいよ」

 結樹の言う通り。声を掛け合いながら、あるいはたわいもなく駄弁りながら作業する時間には、他にはない緩い温もりがあった。一緒に味わう疲労感も心地良い……尤も、明日には抜けてくれないと困るのだが。

「もうじき勉強ばっかりになるからね~、そうだ結樹、たまに一緒に走らない?」

 うきうきとした詩葉の誘いに、結樹はげんなりとした声で答える。

「勉強の後にさらに疲れるつもりないよ、心の回復が優先……そもそもお前は走ると調子に乗るから却下だよ」

「ほら、自分よりちょっと早いペースの人との練習が良いって言うじゃん」

「じゃあ今度また、数学の勉強会でもやるか?」

「ううっ!」


 耳慣れたやり取りを聞きながら。五年前から当たり前にあった二人の声も、もう少しで聞けなくなると思い出す……まあ、今は通話アプリも充実しているし、一時期のぎくしゃくした距離を経てさらに近くなったし、離れてもたびたび言葉を交わすこともあるかもしれないが。


 そうして、作業が一段落した頃に。トラック制作で協力してもらった、信野のぶの大の鈴海すずうみが会場にやってきた。

「みんなやっほ~……って、なんでみんな制服じゃないの!?」

「そりゃ色々作業しますからジャージですよ」

 清水の突っ込みも意に介さず、鈴海は出迎えた藤風を捕まえてぶんぶんと揺さぶる。

「セーラー服だらけの空間に飛び込めるのを楽しみに、ボスのねちっこい説教を潜り抜けてきたのに! ひどい仕打ちだよ!」

「台詞が色々アウトです! けど明日のウチらは気合い入ってますから、それ楽しみにしてくださいって」

「え、マジ!」


 藤風の取りなしに、あっけなく満足げな表情を浮かべる鈴海。去年よりさらに愛が暴走している様子に、希和は探りを入れてみた。

「ずーみんさん、最近お疲れですか?」

「ぶっきーが全然構ってくれないんだもん」

 ドラムスの山吹やまぶきさとみ。去年はずっと鈴海と一緒にいたが、最近は学業が忙しいらしい。

「ぶっきーさんは看護ですからね、実習は忙しいと聞いてますし……」

 そう言う春菜はるなも、志望進路は看護系のはずだった。大人しそうに見えて芯は強いし、彼女らしい仕事だろう。


「そもそもお師匠だって暇じゃないでしょう? なのにこんなに手伝ってくれたの、マジで感謝してますからね」

 お師匠と呼んだのは清水。DTMにも興味があったらしく、高校チームとの連絡役も兼ねて、たびたび鈴海の家を訪れてトラック制作を見学していた。

「ほんとは研究とか就活で忙しくあるべきなんだけどね、可愛いみんなからの頼みだって自分を騙して打ち込みやってたの」

「なんて優しいハンディキャップ症候群……!」


「まあまあ、ゲストも来てくれたことですし、作業も一通り済んでますし」

「そうね、決起会いこっか」

 結樹と八宵のアナウンスで、一同で車座になる。「せっかくですし残しましょう」と、樫井がビデオを回し始めた。


「それでは、いよいよ明日が本番という訳で」

 八宵が口火を切る。結樹はそれほど口数が多い訳ではないので、八宵が進行を務めるのが通例になっていた。


「まずはみんな、ここまでお疲れ様。

 それぞれ初めてだらけの本番で不安かもしれないけど、私は心配してないです。みんなは上手い、みんなは格好いい、私は知ってます。

 カッシーが描いたポスターも可愛いし、声をかけてもらえる体感も例年以上だし。何より私たちには、応援してくれる人がこんなに居る――たくさんの人が、私たちを楽しみにしていてくれる」


 合唱部はそれほど注目を浴びる部活ではないし、さらに小規模な演劇部だってメジャーだとは言いがたいだろう。それを十分に知った上で、八宵は「たくさん」という言葉を選んでいる。他と比べてどうかじゃなく、思い浮かぶ顔がどれだけ心強いかで量っている。


「元々は私の我が儘で言い出した企画だけどさ。言ってよかったって思うよ、だってこんなに楽しいもん。回り道だけど、大した記録に残る訳じゃないけど、みんなと演れる今が、みんなと創れる世界が、こんなに大好きだもん。だから明日は、それをお客さんに届けよう」

 語りかけながら、ゆっくりと全体を見回す八宵。堂々とした、しかし捉えどころのない風のような立ち振る舞いは、いつだって部員たちに上を向かせてきた。


「という訳で、各分野のキーパーソンから言葉をもらいたいと思います」

 ロックオンされた、そんな感覚が希和の背に走る。


「じゃあまずは創造主、飯田先生から」

「ハードルを上げる言い方は止して!」

「お願いします飯田先生」

「松垣先生に言われるとほんとに教師になった気がします……というのは置いといて」


 樫井から向けられるビデオカメラから微妙に目を逸らしつつ、頭の中をまとめ、ふと過ぎった思い出を口にする。

「二年前、コンクールが終わった後に僕が入部して、合同演奏会の前にも決起会やって。前の部長の陽子ようこさんに指名されたことあったんですよ」

 遠い昔のことで、居合わせていたメンバーも同期くらいだが。思い出したらしい詩葉はぷっと吹き出していた。

「そのときは、取材しながら憧れていた先輩たちみたいになりたいって、そこに混ざりたいって、そればかり考えてました。勿論、一緒になろうって目標は合唱部だとすごく大事です。僕も少しずつだけど、溶け合う歌になってきたと思います。

 それでも、僕はやっぱり、誰かに歌を近づけるのが苦手なままでした。好きだけど、上手くなれたけど、得意にはなれないってことが、続けるほどに分かってきました。

 その分だけ。誰かと違うことを考えつくのは得意かもしれないって気づき始めました。そしてここは、そんな奇特さに活躍の機会をくれる場所でした。僕らしくあれる場所を、ありがとう」


 歌詞を作って、台詞を考えて、シナリオを練って。それらが音楽になって、誰かの輝きのきっかけになった。

 それが叶う場所だからこんなにも自分らしく歌えたのだと、叶わなければどこかで背を向けていたと、振り返って思う。

 ここから離れたら歌えないかもしれない、そんな予感すらするほどに。


「だから最後に、昔から好きだった空想で、ステージに関われたことが本当に嬉しいです。

 みんなとだから創れた物語です――みんなの格好よさのきっかけになれたんだって信じてます。だから明日、見せてください。僕の空想を、みんなの煌めきで塗り替えてください」


 頭を下げる。拍手の中で腰を下ろして、自分が笑っていたことに気づく。


「じゃあ次、主演の詩ちゃん」

「はいっ」

 彼女も予想していたのだろう、すぐに返事をして立ち上がった。


「高校に入った頃、私は今よりずっと、自分に自信がない人間でした。人と違う一面を好きになれないまま、変えることはできない人間でした。

 それから歌を通して、人との出会いを通して。できることが増えるにつれて、受け容れてくれる人が増えるにつれて、私は私で良いんだって思えるようになりました。違ってたことにも意味があるって思えるようになりました」


 セクシャリティのことだけではない。考えるより先に声や動きが出る癖も、何かに集中しすぎてしまう癖も、「子供っぽい」と悩んでいた声も。詩葉は一つずつ、力につなげてきた。武器へと磨き上げてきた。


「だからね。違っていたっていいんだ、違う同士で手を取り合う優しさを信じていいんだってお話を演じるって聞いて嬉しくて。ギラハちゃんの葛藤と勇気をこの体で伝えたいって決めて、ここまで練習してきました」

 詩葉との思い出がイメージの源だったとは、最後まで言わないままだったが。僕が込めた気持ちを、彼女は余さず受け取ってくれたらしい。


「そう信じさせてくれたみんなと、一緒に届けられるのが嬉しいです――みんなの眩しい所、たくさん見せてね!」


 *


 帰宅してから、つむぎにメッセージを送る。


 〉紡さん


 いよいよ明日が、ミュージカルの本番です。今日は準備の後に決起会もやってきました。

 本番前日はいつでも、高揚と緊張と不安が綯い交ぜになって落ち着かないものですが。今日ばかりは、高揚と期待でいっぱいです。


 前も話しましたが、僕が合唱部に関わりだしたきっかけは、校内新聞での取材でした。運動も工作も何もかも苦手で、それでも言葉は好きで。

 音楽も聴くのは好きでしたが、演奏する方は元から苦手で。加えて、中学でクラス合唱を仕切っていたときに張り切りすぎて、色々と迷惑かけた経験もあったんです。だから、自分も歌おうだなんて思っていなくて、それでも居心地の良さに引き寄せられて加わって。


 他の学校だったら、向かないままの自分が嫌になって、本気で向き合う前に辞めていたと思います。その分も小説に費やしていた方が、いくらか人のためになった……少なくとも、迷惑をかけたり足を引っ張ることは少なかったと思います。


 この部活でもいないことが正解だった、そう考えたくなるときもありました。

 それでも今は。この半端者がこの部活で過ごせて、本当に良かったと思うのです。

 僕がいたから色づいた誰かのメロディがあったと、胸を張りたいのです。


 そう思えたのも、紡さんが見つけてくれたからでした。あなたが認めてくれたから、踏み出す勇気が生まれました。好きな人たちのかけがえのない色彩を、歌に掬うことができました。今は僕しか知らない、あなたとみんなとの絆の象徴が、明日のミュージカルです。


 どんなに離れていても、同じ舞台に僕らはいる――少なくとも僕はそう思っています。

 だからどうか、胸を張ってください。


 和枝かずえ



 僕からの連絡を予期していたのか、返事はすぐに来た。



 〉和くん


 言いたいこと多すぎてまとまらないので、手短に。


 君の部活のみんなにとって、君が好きだったその子にとって、一番の作詞者は君です。私は保証します。

 私を救ってくれた君の言葉が、大勢の人に響くこと、心から誇りに思います。


 心を重ねて、声を合わせて。君たちだけの奇跡を始めてください。


 紡


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