Ⅴ-2 When my story graduate from you,
春休みも終盤に近付いたその日。
「……という風に、ご両親は私とヒナちゃんのことを全部受け容れてくれたので。もう娘みたいに
「それは何より、しかしお母さんもなかなか強烈ね……」
「そうはいっても、詩葉さんが外に出るのそんなに楽じゃないでしょ? もう高三だし」
詩葉の両親は学業には厳しい。二年生になってからの詩葉の成績はやや上向き、特に後半は好調だったらしく、外出の制限もそれなりに緩くなっていたらしいが、受験の年となっては厳しさもぶり返すように思えた。
「そうなんだけど、前よりも私の自由を尊重してくれている気がするし、それに」
詩葉は、教材の詰まったバッグを指して笑う。
「友達と勉強会という名目なので」
「……君も世間擦れしてきたな?」
「実際、ヒナちゃんが習った範囲なら勉強教えてもらうこともあるんだよ」
「まあ、優秀だもんね彼女……」
試験の成績は学年トップが珍しくないらしいし、自主的に先取りで勉強している英語に至っては、現段階でセンター九割は固いという。僕だってそれなりに良い点は出せているが、彼女と張り合うのは御免だ。
「けど、三年かあ……来年の今頃、私たちどこにいるんだろうね」
来年。上手くいけば大学生、あるいは浪人生。少なくとも高校生ではない。
「僕は国公立の……できたら首都圏って感じだけど」
それは同時に、慣れ親しんだ人間関係から遠ざかることも意味していた。少なくとも、こうして詩葉が近くにいる日々が続くことは、恐らくはない――だとしても。
「とりあえず、お互い元気なら良いや」
同じ空の下で、同じ思い出の延長を歩けているとしたら。その様子が所々で伝わってくれば。それで充分なようにも思えた。
「えへへ、そうだね。きっと元気だよ、みんな」
*
月野家に到着した二人を、喜色満面、メイクもばっちりの陽向が出迎えた……正確には詩葉を、だが。
「おかえり詩葉、ご飯とかお風呂より先にまずは、ひ・な・た?」
おなじみのテンプレが、最短距離にアレンジされていた。
「ただいま、今日はそういう日じゃないんだからね」
早くも新婚感の滲む空気に脱力しつつも、希和も続けて挨拶する。
「お邪魔します、陽向さん」
「あ、お疲れ様です。じゃあ詩葉、こっち!」
僕にはおざなりに答えてから、いそいそと詩葉を自室へと引っ張っていく陽向。その奥から、父らしき人物が顔を出す。
「初めまして、ようこそ」
「お邪魔します、雪坂高校合唱部の飯田希和と申します」
「陽向の父の
陽向とは随分と違った、穏やかながらもスマートな雰囲気。
「しかし、陽向の男子の友達に会うのは初めてだよ。普通だったら、やれ彼氏かと大騒ぎする所だけど……」
「聞いているとは思いますが、そういう興味は一切持たれていませんので」
「ああ、分かっているとも……けど安心したよ。あの子が男性を毛嫌いしているんじゃと心配していたから」
「それは……僕からは何とも言えませんが」
僕だって以前は嫌われていたのだが、それを言えるはずもなく。ただ他の男子部員との関係だって、仲が良いかはともかく悪くはないのだ。
「少なくとも僕にとっては、楽しい友人で、頼もしい仲間ですよ」
「それはありがとう。今後も娘を頼むよ」
陽向の部屋へ。きっちり扉が閉まっていたのでノックすると、ややあってから招き入れられる。
「それじゃあ、早速はじめ……」
言いかけたところで、妙に顔を紅くして俯いている詩葉が目に入る。続けて陽向、満足そうな物足りなさそうな。
「……お楽しみは僕がいないときにしてくれるかい?」
「何か勘違いしていますね、彼女に挨拶していただけですよ」
「あれが挨拶だったらドキドキで壊れちゃうよ私!」
「え~、あれ以上だって経験済じゃん?」
「ふたりだけの時にして!」
キスか何かしていたのだろう。そうやって恥ずかしそうに抗議している詩葉も可愛いと思ってしまうあたり、僕もなかなかに順応が早い……その相手が他の男だったらと思うと吐きそうだったが。その点、紅葉とあれだけ仲良くしている結樹は凄いというべきか。
「けどヒナちゃん、今日はちゃんと服着ていて良かったよ」
詩葉の呟きに、思わず陽向の服装を観察する。特に妙なところはない、春らしいワンピースだが、今日はということは……
「……裸族?」
「とかじゃなくて、この前はだいぶ際どい感じの服だったから」
「当たり前ですよ、男子に見せる谷間も絶対領域もないですし」
「その方が僕としても心中穏やかですけどね?」
詩葉に対してのアプローチの激しさなら、重々承知していたつもりだったが。なんというかこう、色々と手遅れのようだった。
「それとも、詩葉は今日もえっちな私を期待してた?」
「そうじゃないです! はいはい、始めようまれくん!」
「了解、じゃあ最初のシーンだけど」
強引に場を進める詩葉に倣って資料を取り出すと、陽向も素直にパソコンを立ち上げた。
「じゃあまず冒頭、本編より過去。飛ぶ練習をしていたウィングスAが落水、主人公のアクアズAに助けられるシーンから」
キャラクターの名前は、配役が決まってから演者のイメージも踏まえてつける予定だったので、今はナンバリングだけだ。
「どんなイメージ? 空飛ぶってことは、やっぱり軽快な感じの?」
「いや、むしろ優雅に空を舞ってるような。後で、要請を拒まれた主人公にこのウィングスが寄り添う場面があるじゃん。そこでも同じメロディーを使いたいから、優しい曲調が合うと思う」
僕の言葉からイメージを汲み取ったらしい詩葉は、しばらく目を閉じてからハミングでメロディーを奏でる。
「こんな曲あったよね、」
「……薬か何かのCMだっけ?」
曖昧な記憶の僕と詩葉に反して、陽向は曲名も覚えていたらしい。
「『動物たちの謝肉祭』の『白鳥』ですね……ほら、これ」
すぐに動画サイトから演奏動画を見つけてくれた。
「そうそうこれ、鳥のイメージ残ってたのかも」
「ストライクだよ、さすが詩葉はイメージが上手い」
褒めのハードルがユルユルになっている陽向はさておき、僕にとってもハマる選曲だった。フレーズを一緒に口ずさみながら、言葉を探してみる。
「飛んでるんだから……風、雲、太陽、下は水で……」
旋律に乗る音の数。単語と文のリズム。
「風の、歌と、遊び……じゃないや、風の歌と戯れ」
浮かんだままに、口に出していく。
「太陽が上だから、背負う……乗せるでいくか、笑う太陽を……お日様の笑みを乗せ、これでどうだろ」
逃げないようにメモ。
「へえ、もうできちゃった……」
感心した様子の詩葉に、慌てて首を振る。
「いや、歌に馴染むかまだ分からないから……」
「じゃあやってみるね、音お願い」
そうして歌ってみれば、意外と似合うように思えて。
「……どうかな?」
「いい気がする、陽向さんは?」
「詞が希和さんなのがちょっと悔しいけど似合いますよ」
「良かった、ならこれを暫定に広げる形で。じゃあ、次に……」
そうやって、詩葉がフィーリングで曲を引用、タイトルが曖昧なら陽向が検索、希和が暫定で詞をつけるという流れで、意外にもテンポよく選曲は進み。
*
途中、「合唱部がファンタジー世界に転移したら」という設定の想像が異様に盛り上がるという寄り道を経ながらも、一通りの選曲が終わった夕方頃。
「昔から本が好きなのも、言葉に鋭いのも知ってたけどさ。まれくんがこんなにお話とか作るの得意なのは意外だったよ」
詩葉のコメントに、笑みを洩らしながら答える。
「まあ、これが初めてじゃないからね」
「小説とか書いてみたことあった?」
「ありますねえ、読んでもらうのは気が引けるけど」
「私は読んでみたいよ? 記事とか歌詞とかは好きな訳だし」
「ああ、それは勿論、嬉しいんだけどね」
詩葉から僕への賞賛が続いているのが不満なのか、陽向が詩葉を後ろから抱きしめて頬ずりを始めた。その光景から目を逸らしつつ、返事を続ける。
「あまりにも、これまでの僕を、僕にとっての君たちを、投影しすぎたからさ。知らない人が読んでも誰のことか分からないけど、合唱部での僕を知っている人なら全部筒抜けだから。流石に恥ずかしくて」
およそ二年間、二次創作からオリジナルまで、掌編から長編まで、色々と書いてきて訳だが。結局、自分やその周辺の延長にあるキャラクターしか描けていないのだ。
「今回のミュージカルの設定だって、ウェブで読んでくれた人と相談して決めた訳だから、読んでくれる人がいる幸せは知っているし、それが君になるのもきっと幸せだと思う……だから、僕の物語が雪坂を卒業したら、また読んであげてほしいです」
隠し続けた自分の一面の開示は、背中に冷たい汗が滴るくらい、怖くもあったけど。
「そっか……うん、見せてくれるの待ってます。私が知らない、君の一面」
真剣に話を聞いてくれた詩葉の表情が、全部受け止めてくれていた。
黙って希和の話を聞いていた陽向が口を開く。
「先輩にもいたんですね、オンラインで支えてくれる人……私も、詩葉に告白する前は、セクマイアカウントで色々相談に乗ってもらってましたし」
「やっぱり君もか、学校とかだと話題に出しづらいしね」
「もう惚気垢と化してますが」
「ヒナちゃんが書いてるそのスーパー美少女は誰だろうって真剣に思ったよ……」
「う~た~は~だ~よっ」
そんな話を経て、帰り支度を始めながら。
「後少しで、新しい子たちも入ってくるんだよね」
詩葉の言う通り、新学期が始まればまた勧誘が始まる。去年はかなり好調だったが、合唱部に人手不足はつきものだ。
「男子が入ってくれたら嬉しいけどね、現状だとキヨくんがテナーひとりだし」
「そうでなくても、半分は抜けることになる訳ですからね……寂しいです……」
必然的に、数ヶ月後、自分たちが抜けた後のことが現実味を帯びてくる。
「私も寂しいけどさ。心配はしてないよ、ヒナちゃんたちのこと」
また抱きついてきた陽向を撫でながら、諭すように言う詩葉の声には。ちゃんと、先輩としての積み重ねも宿っていた。
「それは僕も同感。歌なら僕らに劣らず上手いし、人間性だって変わってきてるし。後輩の視線で見ても、不安はそんなにない」
懐きやすい賑やかさはそのまま、真剣さとのスイッチが上手くなった
前よりずっと、気持ちを言葉で伝えることが多くなった
勢いばかりでなく、周りへの目配りが濃やかになってきた
流されない芯を身につけるようになった
逞しくやり抜く心を、みんなにも伝播させるようになってきた陽向も。
後輩とは思えないくらい優秀な人たちで、それでも自分たちから継いでくれた気配は確かで。
「希望的観測だけどさ。僕らの歌を聴いて入ってくれる人たちに、そんなに悪い人はいないと思うよ」
合唱部を通して出会った人たち。合わないこともすれ違うことも多かったとはいえ、「悪い人」はいなかった。
「違うことすら、歌にできる場所だからさ。どんな人でも、きっと大丈夫」
一年前より、自信も愛しさも寂しさも強くなったのを、お互いに感じながら。
最後の春が、始まる。
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