Ⅳ-7 Musical theater of blue sky.

 運動公園で行われている体育祭も中盤に差し掛かった頃の、二年生のスタンドにて。

「そいじゃウチ、そろそろ行くから!」

 早くも暑さにバテ気味のクラスメイトたちを横目に、藤風ふじかぜはクラブリレーの準備へ向かおうとしていた。

「お~っす、ガンバ!」

「うん、写真よろ!」


 グラウンドへ向かう途中、ちょうど競技を終えて引き返してきた友人と行き会う。

「やっほ、日和ひより。ナイスぶっちぎり」

「ありがとうあき、まあ一応陸上部だからね」

 坂井さかい日和。二年になってから知り合った陸上部の女子で、先ほどの四百メートル走では華麗な首位ゴールを決めていた……のだが、それに喜んでいる気配は、いまいち薄い。

 なんだろう。やるべきことを間違わずにできて安心、というような。


 一緒に過ごしていると気配りが上手いなと思うし、勉強にも真面目だし、部活でも活躍しているらしいし、それでいて喋りやすいしぶっちゃけ可愛いし、それなりに男子からのモテ度も高い。少なくとも藤風自身よりは色々とウケがいい……のは、既に彼氏がいる身からするとあまり問題ではないとして。

 長所が沢山ある割に、どこか自信に欠けているというか、何事にもノリ切れないでいるこの友人のことが、藤風には少し心配だった。


「部活でやってようと、すごいもんはすごい、格好いいもんは格好いい!」

 にっと笑って肩を叩くと、つられたように日和も笑う。

「うん、ありがとう。明は合唱部の?」

「そーそー、役者デビューするから見ててよ」


 話しながら、ふと一年前を思い出す。合唱部が楽しいと、ようやく迷わずに言えるようになった頃だったか。

 それからゴスペルやって、後輩が入ってきて、学祭でラップやって、本気でコンクールに取り組んで。

 迷い迷いに、渋々ながら入部に踏み切った当初が嘘のように。今の合唱部は、こんなにも楽しくて、熱くて、愛しい。


 だから日和。いつか日和にも、そんな何かが見つかりますように――そんな念を送りつつ、藤風は日和とハイタッチを交わしてから集合場所へと向かう。


 日和が「空」を見上げ、飛び込みたい世界を自ら選ぶのは、もう少し先のことだった。


 *

 同じ頃。三年生のスタンド席。


「じゃあ、飯田いいだ君は合唱部でも色々とセンスを発揮している訳ですね」

「おうよ。並みの高校生の言語力じゃねえよ、作詞家とか小説家とかなれるんじゃねえのって思うくらい」


 中村なかむらと話しているのは、クラスメイトの阿達あだち史郎しろう。去年の一学期、希和まれかずと共に合唱部特集記事を担当した報道編集委員だ。

 当時は同期の誰も阿達と親交はなく、阿達も部員と接することは少なかったため、希和の印象ばかりが残っていたが。進級して同じクラスになり、「そういえば、記事を担当していた奴じゃん」と話しかけてみれば、意外と話の合う男子だった。


「委員会の方はどうなのよ、希和はまだ報道編集やってるんだろ?」

「ええ。あの合唱部記事ほど尖った内容は書いていないですが、堅実に良質な記事を書き続けていますし、誌面の提案も積極的です。

 ただ。あのときの、初期衝動に満ちた青臭い情熱は、こっちでは鳴りを潜めてますね。合唱部に取られた気分ですよ」

「取られたって、どんな言いがかりだ」


 すると右手から、耳が覚えた気配が近づいてくるのに気づく。

「よお直也なおや、リレー観ようぜ」

 陽子ようこ由那ゆなだった。

「ケイと紅葉もみじは?」

「二人で観るってさ。スタンドの一番端っこにでもいるんじゃね」


 中村の背中越しに、由那と阿達の目が合う。

「えっと……あの、飯田くんの取材のときに、一緒に居た」

「ええ、阿達です。その節はどうも」

 手短に社交辞令を済ませようとする阿達に、由那は「あの!」と食い下がる。

「あのとき。私たちの記事に絵を描けて嬉しかったです、素敵なデザインにしてくれて、ありがとうございました」


 阿達が大幅にデザインを変更し、合唱部が自由に使えるスペースができたことを受けて、由那のイラストとレタリングが紙面を飾った……という共演。一度きりではあったが、由那にとっては大きな意味があったようだ。


「覚えてくれてましたか、嬉しいです。こちらこそ、紙面に彩りをありがとうございました」

 照れ交じりに答える阿達と、大きく頷く由那を見て。

 そして由那を見つめる陽子の晴れやかな笑顔を見て。

 高校生活が三年目になっても、新しい交差はいくらでも起こるものだな……というちょっとした感慨を、中村は覚えていた。


 各クラブの生徒たちが集まり出したグラウンドに目を移す。トラックのスタートラインの手前から見知った顔を探すと。

「なあ。あの辺の演劇っぽいコスしてる集団……」

「コス? ああ、確かにあいつらだな」


 合唱部の面々のうち、動物らしい扮装に身を包んでいるのが数名と、恒例の黒服姿が数名。吹奏楽部とは別の組であるらしいし、またマイク組とトラック組に分かれるだろうとは思われたが。

「ミュージカル的な?」

「わかんねえ、けどさ」


 隣でグラウンドを見つめる陽子の横顔は、現役時代には見られなかった色の楽しさに染まっていた。

「何が来ようと、めっちゃ楽しみじゃんよ!」


 *


 クラス対抗である体育祭において、順位に関係のないお楽しみ企画として設定されているのがクラブリレーである。形式も人数も問わず、ただレーンを一周すればいいというこの企画では、各クラブの奇想天外な発想が炸裂するのが恒例である。

 それは今年の合唱部も例外ではなく。


「雉も鳴かずば撃たれまい、されど鳴かぬなら殺してしまえなのでどっちにしろ死ぬ雉の話でもしますか」

「死ぬリスクが鬼神のように激甚すぎて生き地獄だよ、雉だけに」

 被り物と衣装で犬に扮した清水しみずのボケに、同じく雉に扮した希和はボケで返す。くだらないやり取りに楽しそうな表情をするこの後輩に、最近の希和は何かと助けられていた。


 今年の合唱部の演目は、昔話の王道中の王道である「桃太郎」である。

 扮装してトラックを回りながら役の動きを演じるモーション役と、本部近くのマイクで歌と声の演技を担当するボイス役、二人で一役である。


 詩葉うたはがボイス、陽向ひなたがモーションの桃太郎。

 香永かえがボイス、清水しみずがモーションの犬。

 春菜はるながボイス、沙由さゆがモーションの猿。

 結樹ゆきがボイス、希和がモーションの雉。

 福坂ふくさかがボイス、藤風がモーションの鬼。

 合唱部十名が漏れなくキャストの、異色の音楽寸劇である。

 

 去年の、マイク担当とリレー担当を分けるという方式が好評だったことを受けて、今年はよりキャッチーで親しみやすい表現をしてみよう、という話になり。

「誰でも知っている昔話の歌を」「レーン一周で物語が完結するような」という糸口から桃太郎を選び。

 さらには、春菜を通じてその話を聞いた演劇部から、準備面での協力の申し出があった。三年生引退による部員不足で、活動時間を持て余していたらしい。

 それ以来、演劇部員のアドバイスを受けながら衣装を作り、台詞読みや振り付け、人によっては立ち回りの練習を重ね。結樹と希和は各クラブとの調整に粘り……と、予想以上にハードだった準備期間を経て、当日に至る。


「けど、ちゃんと晴れてくれて良かったですよね。爽やかな青空は合唱日和……今日だと鬼退治日和です」

「鬼退治日和って人生で今日くらいしか使わないよ! けど確かに気持ちいいよね、合唱部による青空劇場! って宣伝したくなる」

 沙由と詩葉が話す通りに、空の青と飛行機雲の白とのコントラストが綺麗な、爽快な晴天だった。普段は屋内で歌う僕らにとっては、確かに開放的な気分になれる舞台だ。


 体育委員から、スタートが近づいたとアナウンスがある。


「じゃあ詩葉さん、特訓の成果を叫びに乗せて」

「うん。かっこいいヒナちゃん、みんなに見せてあげて!」


「いいかキヨ、今日は萌え豚じゃなくて企業の犬だぞ、犬」

「どっちにしろひどくないかな、香永!?」


「猿はのんびり役だから、沙由ちゃん無理して動かなくても大丈夫だよ?」

「春菜さんありがとうございます、けどせっかくですから張り切っていきます!」


「色んな人に力を貸してもらったんだ、抜かりなくな、飯田」

「御意、音は結樹さんたちに任せたよ」


「迷ったら藤風先輩のペースで暴れてください、合わせます」

「よし来た、背中は任せるよ福坂!」


 号砲と同時に、マイク担当は本部前へと駆け出し、モーション担当は桃太郎役・陽向を置いて散っていく。雉役・希和がコース中盤の持ち場へ到着すると、クラスメイトで水泳部の遠麻とおまが近くにいた。競泳用水着一丁の遠麻は、羽根を模した希和の衣装に目を丸くする。

「なんだ飯田、暑そうな格好して」

「役作りって奴だよ、遠麻くんは涼しそうね」


 来た道を振り返ると、マイク陣による演奏が始まっていた。去年も行ったC(気を付け)-G(礼)-C(直れ)の和音に合わせてお辞儀をした後、陽向は刀をバトンのようにくるくると操って客席にアピールする。福坂の低音が刻むリズムに合わせて、女声陣が「桃太郎の歌」を歌い出した。

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