Ⅳ-8 Wanna hear your new voice.
体育祭から遡ること、数週間前。
題材が決まってすぐに、
「動くのと声で演じるの、か……ヒナちゃんは、私はどっちが似合うと思う?」
「詩葉さんがお芝居してるときの表情はすごく見たい。ただ、今回は遠くて顔はよく見えないから……だったら声で聞きたいかな。ほら、
言い終わってから、「どっちが似合うか」という質問に「どっちが見たいか」で答えてしまっていたことに気づく。しかし詩葉は、陽向の答えに随分と嬉しそうだった。
「そっか、私も新しい声の出し方、探したいかも。だったら……ねえ、一緒にヒーロー役、やってみない?」
期待を込めた詩葉の提案に、陽向は勢いよく頷いた。
「うん、やろう。ふたりで」
「ほんと? 良かった、一度こういう格好いい役にもなってみたかったからさ」
君がなりたい君になるために、私はなんだってやる――そう決めていた陽向にとっては、詩葉の気持ちを前向きに変えるチャンスだった。同時に、詩葉にとっての陽向の存在を大きくするステップにもつながる。
陽向と一緒の私が好きだ――詩葉にそう思ってもらえる所から。
*
そして迎えた当日。
“桃太郎さん、桃太郎さん。お腰につけた、きびだんご。ひとつ私に下さいな”
全体での歌に続き、他メンバーによるハミングをバックに、桃太郎の声を担当する詩葉による台詞が入る。それに合わせ、小走りでレーンを移動していた陽向は客席を向く。
変声期前のピュアな少年ボイスをイメージして、これまでにない声の出し方を試行錯誤してきた詩葉の台詞にシンクロさせながら。腕を大きく回し、刀を振り上げ、ガッツポーズ。数十メートル先からも見えるように、とにかく動きは大げさに。
“桃から生まれた桃太郎、鬼を退治して手柄を立て、お姫様をゲットするために! 仲間をきびだんごで釣りながら、目指せ鬼ヶ島!”
台詞は誰もが知る展開をなぞりつつも、希和を中心として合間合間にアレンジを加えていった。
“やりましょう、やりましょう。これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう”
歌の中を歩いていき、最初に出会う仲間は犬。前かがみになってぴょこぴょこと動き回る
“桃太郎の兄貴、おいらも退治に加えてほしいっす”
“ありがとう犬くん、ところでどうして鬼退治に行きたいんだい”
“群れの奴ら全員、倒しちまったんで。もっと強い奴に会いに行きたいんすよ”
そして犬(香永)から上がる遠吠え。桃太郎(陽向)の「お手」に答えた犬(清水)は、陽向の周りを駆けまわりながら先へ進む……私の数倍は走ることになるのか、頑張れキヨくん。
“行きましょう、行きましょう。あなたについてどこまでも。家来になって行きましょう”
誰もが知るメロディの繰り返しだからこそ、フレーズごとにアレンジを変え、マイク担当の五人それぞれがめまぐるしく動き回る展開になっている。騒がしい中で細かな表現が伝わるとは思えないが、和声の鮮やかさの輪郭だけでも伝わるはずだ。
次に出会う仲間は猿。道にちょこんと腰を下ろした
“あ~、それきびだんご? 良かったら分けてくれませんか?”
“いいよ猿さん、代わりに鬼退治についてきてくれるかい?”
“めんどくさいけど、一生きびだんご分けてくれるならお供しますよ“
“分かった、一生分けてあげるから、お願い”
てくてくと、まっすぐに立って歩いていく猿と桃太郎の間を、相変わらず犬は前傾姿勢で駆け回っている。ちらりと清水の表情を見ると、かなりの汗の量ながらも目は輝いていた。
最後に出会うのは雉。両の羽根をはためかせながら一行に近づく
“そこの桃の若武者くんよ。ぜひ、この僕も戦列に加えてはくれないかい“
“わ、わかむ?……ありがたいけど、どうしてだい?”
“鬼退治で名を挙げて、お嫁に行ったあの子を振り向かせたいんだよ”
色男らしく、優雅に回ってみせる……つもりが、バランスを崩す希和。何も起きていなかったかのように前進を再開する一行に、雉(希和)は慌ててついて行く。
“そりゃ進めそりゃ進め。一度に攻めて攻めやぶり”
トラックの最後の直線に差し掛かった所で、原曲通りに進んでいたコードがマイナーへと転調。それに合わせ、一行はそれぞれ臨戦の構えを取る。ここからはスペースが必要な立ち回りの場面になるため、しばらく他の部が通り過ぎていくのを待つ。
背後の希和が、翼を広げた姿勢のまま段取りを確認する。
「いまセンター、バスケ部の1 on 1が終わったでしょ、次に写真部のモデル撮影ごっこが入るから、それ終わったら僕らです……みんな、くれぐれも怪我には気を付けて」
刀の柄に手を掛けたまま、陽向は答える。
「了解です。先輩、信じて跳びますからね」
そして出番が来た所で、再び歌が始まる。
“つぶしてしまえ鬼ヶ島”
テンポを落とし、悲壮感あふれる和音が鬼の登場を演出。その変調と共に、野太い
“よく来たな小僧共。度胸だけは褒めてやる、さっさと帰るがいい”
答える桃太郎。
“そうはいかないさ。返してもらわなきゃいけないモノが、たくさんあるんだ”
まっすぐに筋の通った詩葉の声を背に受け、陽向は刀を抜く――君がこんなに格好よく声を乗せた役だ、私が決められなくてどうする。
“俺は何も手放しはしない。持って帰りたくば、奪ってみるがいい!”
“おもしろい、おもしろい。残らず鬼を攻めふせて。ぶんどりものを、えんやらや”
歌詞こそ原曲通りだが、これまで繰り返してきた旋律とは全く違う。
大作アクション映画のクライマックスでオーケストラが奏でているような、勇壮かつ荘厳な旋律。引退してから物足りなさを感じていた
喧噪に満ちた運動公園の空気が、束の間ながらも一気に塗り替わった。その中で、トラックでは鬼退治の場面が演じられる。
先陣を切った桃太郎(陽向)だが、鬼(藤風)の片腕のひと振りにいなされる――藤風が陽向の刀を受け止めるタイミングは練習通り、勢いをつけて地面を転がった陽向はちゃんと無傷だ。
続いて家来たちが三方から攻めかかるも、鬼の振り回す金棒に後ずさる――清水は練習よりも大きく動いているし、沙由と希和もしっかりと間を詰めている。
そして鬼に立候補した藤風は、重装備の衣装をものともせず、取り回しづらい長い金棒を見栄え良く振り回している。歌だけでなくダンスも磨くため、身体を鍛えているという言は伊達ではなかった。
歌が止み、一行を圧倒してきた鬼(福坂)の哄笑が響く。台詞というより音の流れとして表現していると彼は語っていたが、知り合った頃からは想像もつかないくらい芸達者だ。
“兄貴、まず隙を作るでやんす”
“鬼さんを空振りさせよ~”
“高い所が有利じゃないか、僕を使いたまえよ”
犬(香永)、猿(春菜)、雉(結樹)の提案に、桃太郎(詩葉)は反撃の気合を入れる。
“うん、じゃあみんな――行くよっ!”
詩葉のこの「行くよ」があれば、自分はどんな辛い瞬間だって踏み出せそうだ――そう言ったら、詩葉は盛大に照れていたが。それは誇張でもなんでもなく、空気を震わせる詩葉のその声は、鮮烈な快感となって陽向を奮わせていた。
鬼(藤風)に向かっていった犬(清水)は、飛びかかる途中で急停止。犬のフェイントにつられて金棒を振りきった鬼に猿(沙由)が飛びつき、遅れて犬も組みつく。
両側を掴まれて身動きを制限された鬼の前に、翼を広げた雉(希和)が立ち、腰を曲げる。
そして桃太郎(陽向)は、雉の背に飛び乗り、空中から鬼へと斬りかかる――という算段。
そもそも運動経験が乏しい部員の多い合唱部にとって、手数の多い殺陣は難しいし、目を瞠るようなアクロバットもできない。
しかし、意外性のある振り付けと、会場じゅうに響く声が上手くかみ合えば、相応の見せ場を演出することができる――という工夫。
つまりは。ここからの一瞬、音を担う詩葉と、動きを担う陽向との連携が全てであり。
これだけ「息の合う」ふたりは校内にいないでしょうと、そんな陽向の自信を証明するための機会でもあった。
さあ、聴かせて。君の知らない、君の声。
詩葉が息を吸うのと同時に、助走に入る。
“はあ―――ぁぁぁっ”
徐々に音高を上げていく詩葉の裂帛の気合いと共に、陽向は速度を上げ、希和の背中に向かう――崩れないって信じてますからね、先輩。
詩葉の声が途切れた瞬間、陽向は希和の直前まで来ていた。タイミングは練習通り。
よし――詩葉さん。最高の一瞬、ふたりで作るよ。
“とうっ”
希和の背を踏み台に飛び上がり、刀を振りかざす。
斜め下の藤風との間合いも練習通り。
“――らぁあ!!”
どの練習よりも勇壮でキレのある詩葉の声に導かれるように、振り下ろしながら着地。眼前の三十センチを通過する刀に合わせ、藤風は後ろ向きに跳び、サイドの沙由と清水が藤風を押す。
“ぐ、ぐおお。ま、参った、参ったぞう!”
逃げ去っていく鬼。そして歌は最後のフレーズへ。
“万々歳、万々歳。お供の犬や猿、雉は、勇んで車をエンヤラヤ”
そして最後にまた、C(気を付け)-G(礼)-C(直れ)の和音に合わせてお辞儀をしてから、一気にトラックを駆け抜け、次の部活に場を譲る。
ゴール先へ捌けてから、本部前から撤収してきたマイク担当陣と合流する。
「ヒナちゃん! ヒナちゃん!」
緊張から解き放たれた所為か、昂揚が収まらないのか、とにかくいつになくテンションの高い詩葉が、私へ一直線に走ってきて。
「お疲れ様でした、詩葉さ――」
返事を待たずに飛びついてきた詩葉を抱きとめる。待ち望んでいた感触と、遅れてついてきた「詩葉が喜んでいる」という安堵と達成感で、思わず笑い声が洩れる。
「えへへ、格好よかったですよ詩葉さん」
「だったらヒナちゃんと一緒だったからだよ!」
見つめ合った詩葉の表情には、誇らしげな達成感が浮かんでいて。その主語が「私」じゃなくて、「私と陽向」であることが、たまらなく嬉しい。
「決め技の一瞬、すごく気持ちよかった。こんなに私が変われたの、ヒナちゃんがずっと一緒に練習してくれたからだよ」
「そう思ってくれたならとても嬉しいです、けど詩葉さんが格好いいのは、詩葉さんが頑張ったからですよ」
コンクール直後に結樹への失恋に直面してから、ふた月。あの日の泣き顔から、今日の誇らしげな顔まで、折れかけていた自分の心を進ませ続けてきたのは詩葉自身で。
けど、そこに陽向がいなかったら、もっと遠回りになっていただろうという自負がある。
だから、これからも。君のたったひとりの特別になるために。君の新しい声を聴くために。
「これからまた、
頷いてくれた詩葉の笑顔が、陽向にとっては今日の最高のご褒美で、明日からの指針なんだ。
楽しみにしていてね、詩葉さん。私たちはまだ、私たちの限界を知らないから――いくらだって、新しい私たちに会えるんだから。
*
同じ頃。
希和は、この企画に協力してくれていた演劇部の二年生女子、
「いや~芸達者ぞろいでビックリだったよ、合唱部のみんな。元から色んな芸に手を出してたとは聞いてたけどさ。面倒の見甲斐がありました」
上機嫌で話す八宵。
「それは良かったです、ほんとに助かりました。けど、演劇さんは今回のリレー出てない訳だし、僕らが一方的にお世話になりっ放しで良かったんです?」
「いいってことよ! だからその代わりさ」
八宵は悪戯っぽい笑みを浮かべ、拳を差し出す。
「ウチらがこのまま過疎ってたら、今度は合唱部の力を借りたい」
取引というほど、厳密に決めていた訳ではないが。今回で演劇的な表現が気に入ったら、次はミュージカルのような作品を共に創ってみないかという誘いは受けていた。部員不足が深刻な演劇部の現役部員は、コンクールは難しくてもせめて校内での発表は実現したい、という所まで追い込まれているらしく、共演者としての目星はつけられているようなのだ。
「僕がはっきりイエスって言う訳にもいかないけど。少なくとも僕はまたご一緒したいし、みんなも今回はすごく楽しんでいたと思います。だから、よければ」
拳を突き合わせて応えると、八宵はにっと笑った。
「ありがたい……そうだ、ちょっと思ったんだけど。飯田くんってもしかして、シナリオ書ける人?」
背中がぞくりとする。以前だったら隠していたし、阿達にそう聞かれたときも否定していた。けど、今は不思議と。
「……あれを書けてるって評価していいのかは疑問だけど。僕は書いてるつもりです、小説」
自分の可能性を広げること、知らない自分に出会うこと。
そのためには。知られるのが怖かった自分の一面を知ってもらうことも、一つのきっかけになるんだと。そう感じ始めていた。
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