Ⅳ-5 Receive and support each other.
夏休みの終盤。始業式より一足早く、合唱部の面々は部室に集まっていた。
先日、
ジェームズから参考資料として紹介されていた、本場のゴスペルアーティストに加え、日本で活動している大学サークルの映像などを観て。さらに、ゴスペルについての説明資料に目を通す。
二年生は去年の今頃、
一通りの確認が終わった所で、松垣先生が言う。
「ジェフくんが言ってるように、みんなが普段やってる合唱とは方法論が全く違うから、Nコンでの成績を第一に考える学校なら、普通はやらないと思います。回り道どころか、感覚が違くてマイナスにもなりかねないから。そもそも、生活サイクルの違う集団と一緒に練習するってのは、それだけでも大変。
けど、アメリカから来た人と、楽器やってる大学生と、前例のないステージを作るって機会は、すごく貴重だと思う。ほんとに、今ここでしか出来ないことだし、音楽で違う立場の人たちがつながるのは、理屈抜きで素晴らしいことだよ。
私から言うのはここまでだから、後はみんなで決めてください。やるとなっても、やめるとなっても、先生は張り切って指導します」
こうして、主導権は生徒たちに渡された。まず、結樹が流れを作る。
「大まかなメリットとデメリットは、先生の言った通りです。ただ、回り道をした後悔も、貴重な機会を逃した後悔も、背負うのは私たちです。だからそれぞれ、感じたことを自由に言ってほしい。今日話し合って、明日の投票で決めます」
最初に手を挙げたのは
「こういう、華やかで格好いいステージでの姿が実績として残れば、もっと色んな人が合唱部に興味を持ってくれると思います。それで部員の幅も広くなれば、きっとコンクールにもプラスになるはずです」
次に
「私は元々こういう歌がやりたくて、けど軽音がないから渋々合唱部にって感じだったじゃん。だから洋楽みたいなのも歌ってるよって言われたら、もっとスッキリ入ってたと思う。
けどさ、元からハーモニー重視の合唱をやりたいって人からしたら、こういうの逆に余計なんじゃないの? 私は分かんないけど」
続いて
「やる側も聴く側も楽しいと思います。
ただ、ずっと維持してきた発声の方法を、頭声寄りから胸声寄りって急に変えるのは難しいですし、元の形に戻すのも苦労しそうですし……どっちつかずになるリスクは、覚悟要ると思います」
希和も、前に結樹と話していた、しかし結樹は言いたがらないであろう懸念を口にする。
「そもそもこれまでの僕らの合唱は、常に先輩の技術に支えられてきたじゃないですか。個々の能力の優劣は簡単に言えることじゃないけど、全体で見たら技術も指導もレベルは落ちているはずで、そんな僕らがハードルの高い挑戦をするってのは、思っている以上に難しいことかもしれません」
僕の言葉に、
一方、
「先輩がいない分の力量が劣るのに対し、失った分をそのまま埋め合わせるというアプローチも勿論アリでしょう。けど、違う道を辿ることで、新たな価値を手に入れるという発想もできるはずではないでしょうか」
「僕は陽向さんほどポジティブに考えられないですけど、それくらいポジに振り切った方が伸びにつながる気がします」
さらに
「みんな成長早いから、技術の心配はそんなにしていないんだけど。クリスチャンのジェームズさんと、そうじゃない私たち……ごめんね、人によってはクリスチャンだよね。少なくとも、キリスト教に馴染みのない人の方が多い私たちで、ちゃんと心がシンクロできるのかなって」
「気持ちは分かるけど。だからこそ、共演する意味があるって話じゃないのか?」
「……そうだね、うん」
結樹の返答に、頷きながらも口ごもる春菜は、あるいはキリスト教文化に抵抗があるのだろうか。
僕は各意見のメモを取りながらも、正直な感想を口にする。
「呑気な感想だけどさ。ちゃんと両面の意見が出るって、いいことだと思う」
先生も口を挟む。
「そうだよそうだよ~、幽霊ばっかの会議なんていくらでもあるし。どの年代からも、どの意見持ってる人からも発言が出るのは良いチームの証」
じゃあ僕もまた、と手を挙げたのは清水。
「僕は高校から合唱始めた人間なので、信頼性は薄いかもしれませんが。多分ゴスペルって合唱よりは、どストレートに感情をぶつけられると思うんですよ。身体も自由に動かせますし。音楽で人の心を動かすのが僕らの目標なら、こういうエネルギッシュに振り切った演奏も糧になるんじゃないでしょうか」
次にコンクールまで一年しかないのと同様、今いるメンバーで歌いたい音楽に挑戦できるのも一年しかない。それを分かっているからこそ、選択にはあらゆる視点が必要だった。
それからさらに細かな意見交換を続けてから、翌日の投票まで各自で考えることとなった。また、体育祭でのクラブリレーについても、ネタ出しだけやっておく。
自分たち二年生が部を引っ張る代になって、どうなることかと思ったが。学年を問わず全員が積極的に参加しており、運営面での心配はそれほどないように思えた……しかしやはり、全員がエースのようだった先輩の離脱は、痛い。
その不安は、元から劣等意識を抱えていた僕のみならず、励ます側に立つことの多い結樹も強く感じているようで。
今日は帰りが揃った、詩葉と結樹と僕での、電車の中。
「春菜も香永も上手いから、アルトの心配はそんなにしてないんだけど。ただ、先輩に甘えてた分が誤魔化せなくなって、自分の下手さが分かりやすくなってる。
後、
結樹が洩らす悩みに、詩葉が答える。
「先輩たちみたいには出来ないのは、仕方ないけど。お互いへの垣根が低い分、欠点を認め合って、補い合って、いいチームになれるんじゃないかな」
僕も、詩葉を後押しする。
「一方的に導けなくても、教え合えばいい……多分、三年の先輩たちだって、和可奈さんたちから引き継いだときは手探りだったはずだよ」
二人がかりのフォローに、結樹は苦笑を浮かべる。
「詩葉も飯田も、たまに頼るけどさ……二人同時に励まされるっての、これはこれで妙だな」
「結樹さんだって等身大の高校生なんだから、もっと詩葉お姉ちゃんに頼ってもいいんでは」
「飯田がその言い方するの、絶妙に気味が悪いな」
「まれくんの所為で台無しだよ!」
「……ごめんなさい」
あえてふざけた言い回しに返ってくるのは、普段通りの空気。その変わらなさに安堵する。
「けどさ。誰か一人が秀でてなくても、お互いを受け入れて、みんなで高め合って補い合って、というのは私たちの根っこになるだろうから……それでも、結樹にしかできないことって沢山あるから。最後まで一緒に歌うためにも、困ったら頼ってね、本当に」
詩葉に真剣に語り掛けられた結樹は、優しく微笑んでから詩葉の頭を撫でる。撫でられて笑う詩葉の……その笑顔の裏に、どれだけの葛藤があるのだろう。
降りる結樹を見送ってから、詩葉は重荷を下ろしたかのように、大きく息を吐き出した。
「大丈夫。ちゃんと【親友】の空気だったよ」
自覚してしまった結樹への恋を、結樹に悟られないように。詩葉は意識して、「これまで通り」に結樹と接していたはずだ。
「なら良かった……意識しちゃった後だと、ふたりきりより、まれくんと一緒の方が話しやすいや」
「それは何より。居ることが助けになるなら、いくらだって手伝うよ」
「うん。お願いします」
詩葉は控え目に笑って頷いてから、ついさっき結樹に撫でられた場所に、確かめるように触れて、目を閉じる。その表情には、切なさも喜びも混在しているようで。
その人が、叶いそうもない片想いの相手だとしても。
「今でも。結樹さんのそばにいるのは、嬉しい?」
「うん……自分を抑えなきゃって思うのは辛いけど。それでも、そばにいたい」
僕もだよ。
「結樹さんが、君の気持ちを受け入れてくれる可能性は」
「あると思うよ。けど、結樹が好きなのは男の人だって……他の色んな形を知った上でも、そうだって確信してるから。だから結樹の中の私は、友達で……結樹と同じ【好き】でいたい」
好きな人に、どんな人間だと映りたいか。
コンクール前に、僕が結樹に投げかけた問い。
それぞれが直面した問いに、みな違う答えを出してきた。結樹は伝えることを、詩葉は隠すことを選んだ。
僕は。君を好きになった僕を受け止めてほしい。互いを受け入れて、違う形の好きを交わして、支え合えるような。そんなふたりでいたい。
「手伝うよ。僕も君たちとは、ずっと友達でいたい」
いてください。君に映る僕が、どれだけ変わっても。
電車を降りて。もう少し話がしたいという詩葉に連れられ、いつもの公園へ。
「改めて、だけど。この前は取り乱しちゃってごめんね」
「いや、動揺するのも無理はないし……結局、有効な対応ができたのは陽向さんだし」
「でも、あの瞬間、君になら言えるって思えて……言えるって思った人が君だけで。それが支えになったのも、確かだから」
自分の世界が崩れかけたとき、真っ先に浮かんだ人。
僕が詩葉にしてきたことは、無駄ではないと。あの日、陽向に言われたことは、確かに信じていいのかもしれない。
「……それは光栄に思っておくけど、さ。あれから、気持ちの整理はついた?」
「少しずつ、かな。ずっと、男の子に興味なかった……近づきたくないってばっか思ってたことに、やっと納得がいったし。後、ヒナちゃんにはこの悩みを相談できるんだって知ったのは、だいぶ助けになったかな。
けど。いつか男の人と結婚して、子供を産んでって……お母さんたちが求めてるような娘になるのは、無理っぽいなと改めて気づいて。これから、どう納得してもらおうって……それか、どう自分を変えようってことが、すごく怖い。どんな自分になりたいのかも、分からない」
平静を装った声とは裏腹に、俯いた視線は今にも泣きそうで、小さな手は固く握られて。
詩葉が、親からの呪縛を強く受けていることは感づいていた。それを差し引いても、描いていた未来とのギャップというのは、僕が思う以上に、痛いのだろう。
「それじゃ何の解決にならないかもしれないけどさ。
僕も陽向さんも、あるいは他の色んな人も。君がどんな人生を選ぼうと、君が君であるって一点だけで、肯定したいと思うから。ずっと、味方だから」
力のない言葉に。それでも詩葉は、安堵した表情を見せる。
「ありがとう……君と友達になれて、良かったです」
*
翌日。ジェームズからのゴスペルでの共演の誘いを受けるかどうか、匿名での投票を行った。
部員は十名。
賛成、六票。反対、四票。
決まりはしたものの、想定以上に拮抗していた賛否の比率に、心が曇る。
結樹と僕と松垣先生とで、解散後に改めて方針をまとめる。
「昨日の話し合いでの様子を見るに、誰が反対してたかは分かりそうですけど……」
僕の言葉に、先生は首を横に振る。
「そんなの意味ないよ。やるって決めたからには、前向いてベストを尽くすだけ……今どう思っていようと、やって良かったってみんなが思えるような経験にする、それだけ」
「ええ。また先生にお手間取らせますが、どうぞ宜しくお願いします」
真摯に答えて頭を下げる結樹に、慌てて倣う。
「任せといて。新しいこと、私もすごく楽しみだから」
それから数日後。晴れて学校からの許可が下り、正式に共演が決定。それを受け、ジェームズから連絡が来た。
信野市立大学からは、ジェームズや和可奈を含めて六人が参加すること。ライブ本番は十二月の下旬であり、それまでに可能であれば練習合宿も行うこと。
そしてグループの名称を、「
HumaNoise。小さく弱い、しかしかけがえのない、人間と人間が連なりつながり、どこまでも響かせる音色。この世界を肯定し、天国を揺るがす歌。
絶望的な距離を越え、希和たちの想いがつながる場所。
そんな、まだどこにもない音楽の旅路が、始まりを迎えていた。
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