Ⅳ-3 "Love" between my dear friends.

 ジェームズと今後の相談をした後、希和まれかず和可奈わかなに頼んで、二人で話す時間を取ってもらっていた。

「すみません、先輩も忙しいのに」

「大丈夫だよ、むしろ声かけてくれて安心した」

「……僕、そんなに深刻な顔してました?」

「他の人には分からないかもしれないけどね。私、人の表情に敏感すぎるみたいで」

 倉名くらなが前に言っていた。和可奈は人の感情を読み取るのも、それに対処するのも上手い……上手すぎて、抱え込むと。

 そこに付け込むような真似は申し訳なかったのだが。今の和可奈には、素直に頼っていいようにも思えた。


「誰とのことかは言えないですし、もし和可奈さんが悟っても他言してほしくはないのですが」

 詩葉うたはの秘密は、まだ秘密のままにしなくてはいけない。明かすのは、本人じゃなきゃいけない。

「うん、安心して」

「自分の好きな人が、自分と恋人としては結ばれないことが分かっていたとして。それでも想いを伝えることに、どんな意味があるか……一般論じゃなくて、和可奈さんがどう思うか、聞きたいです」


 和可奈は目を逸らさず、少し間を置いてから口を開く。

「結論から言うとね。どんな関係性に落ち着こうと、誰かに特別な感情を寄せてもらえるのは、かけがえのない力になると思います」

 半ば予想通りの回答。しかしそこに続けられた言葉は、予想外だった。


「けどそれだけじゃ説得力ないと思うから、根拠を話すね。

 私ね、陸斗りくとさんと結婚できるか、分からないんだ」

「……あんなに仲が良いのに、ですか?」


 彼女たちカップルが一緒にいるのを見た機会は、数えるほどしかない。さらに、僕は弦賀つるがのことをよく知らない。

 それでも、和可奈と弦賀が互いに寄せる感情は、この上なく純粋な好意であるように思えたし、これほど似合いのカップルもそういないように思えていた。


「自分で言うのもなんだけど。彼氏と彼女としての相性は、すごくいいと思う。勿論、私は陸斗さんのことは大好きだし、陸斗さんも好きでいてくれてるはず。

 けど、その先のことを考えると、どうしても、すれ違ってしまうの」

 和可奈の声は、いつも通りの明るい色だ。


「ところで、飯田いいだくん。結婚の先に、子育てって必須だと思う?」

 急な転換に戸惑いつつも、僕は答えた。

「必須ということはないでしょう。産めない、育てられない理由だって様々でしょうし、可能だろうと、誰かに強制される筋合いはないはずです」

「うん。じゃあ、君自身はどうしたい? 誰かと結婚できたと仮定して」

「……まず、僕と結婚してくれる女性がいるのかって所から微妙なんですが。

 相手の意志を曲げたくはないですが。それでも僕は、産んでほしい、一緒に育てたいって頼むと思います。家族に、社会に無事に育ててくれた恩っていうのは、自分たちが育てる番に回ることでしか報いられないと考えているので」

 漠然と考えてはいたが、明確に誰かに伝えるのは初めてだと思いながら、言い終える。


「そっか、君もちゃんと考えてるんだ……それでね。

 陸斗さんは、君と似た考えです。もっと明確に、子供を育てることを自分たちの義務だって考えている人です。

 そして私はというと。自分が子供を産み育てることが、すごく、すごく怖いです。できれば、そうせずに生きたいです」


 意外だった。虐待の被害者である奏恵や、縛られることが嫌いな藤風ならともかく、和可奈は子育てに積極的な人だろうと感じていたし、母親としての素質も十分なように思えていたからだ。


「多分、意外だって思うんじゃないかな。

 けどね。君が思う以上に、私は人に対して厳しい人間なんだ。自分も他人も、短所が目についてばっかりで。だから短所は意識して目をつぶるようにして、長所は意識して褒めたり探したりして、それでやっと、みんなを良いと思えて、仲良くなれる。

 勿論、合唱部のみんなのことは大好きだよ。そこに嘘はない、けどその感情の前にフィルターがあるのも確か。


 けど、自分の子供に。一番に責任を負わなきゃいけない母親として、それができると思えなくて……きっと、私の願うように育ってくれないその子に、仕方なく迷惑をかけてしまうその子に、耐えられなくなってしまう。

 奏恵かなえのお母さんみたいな酷いことを、してしまう。そんな予感がするんだ」


 そんなことはない、あなたを母親に持つ子供はきっと幸運だ――そう直感してはいたが。しかし、和可奈の苦悩をロクに知らない自分が、軽率にそう言えるはずもなく。

 言葉を見つけられなかった僕へ、和可奈は話を続ける。

「このことは、だいぶ前に陸斗さんに打ち明けてて。何度も話し合って、もしふたりの考えが変わらなかったら、そのときは別れようって決めてます。けど、そう決断する前は、お互いが好きでいる限り、恋人を続けようとも決めてます」


「……弦賀さんが、産みたくないあなたを拒むのは、許せるんですか」

「言いたいことは分かるよ。けどね、陸斗さんが育てなきゃって……命をつながなきゃって思う理由も知ってるから、そこを変えてなんて言えない」

「別れるかもしれないのに深める愛は、辛くないんですか」

「辛くないっていうと嘘かな。

 けどね。もしお別れしたとしても、陸斗さんが私を愛してくれたことを、私は一生、誇りに思える。それに、陸斗さんが言ってくれたから気づけた自分の価値が、たくさんあるから。陸斗さんに出会える前は、もっと自分のことをつまらない人間だと思ってたから。

 だから私は、好きになってくれた人が……愛してくれる人がいることの強さを、信じてる」


 自分を愛する存在。詩葉にはもう、陽向ひなたがいる。

 それでも、陽向だけでは足りない理由が、一つでもあるなら。

 もう一人が居ることで埋まる心の空白が、一つでもあるなら。


「……だいぶ話が逸れちゃったけど、私にはこんな根拠があります。

 最後に辿りつく関係が、どうであっても。今この瞬間、自分を世界で一番に、特別に大事にしてくれる人がいるというのは、すごく幸せです」

「だから僕にも、伝えてほしい、と?」

 僕の問いに、和可奈は笑顔で頷く。


「君の好きな子が誰かは、聞きません。

 けど、もしかしたら、私にとっても大事な子かもしれないから。だとしたら、大事な人と大事な人の間に、素敵な【好き】が芽生えるなら、それはとても嬉しいことだと思います。

 たとえそこに、結ばれはしない切なさがあったとしても。君たちはその向こうで、かけがえのない絆を手にできる。私はそう信じてるよ」


 子育てを巡るすれ違いがあるとはいえ、いまの和可奈と陸斗は、紛れもなく恋人として付き合っている訳で。心も身体も、お互いを向いている訳で。その意味で、僕と詩葉の現状をそのまま投影できはしない。

 それでも、完璧な、模範のような彼女たちの間にも、そんな葛藤があるという事実は、少なからず、踏み出す勇気の源になった。


 後は、僕にそれだけの価値があるかどうか。


「これは完全に、仮定の質問なんですけど。

 もし、僕の好きな人が和可奈さんだと言ったら、嫌ですか?」

「嬉しいし、その分だけ切ないよ」

 即答だった。

「男の子だったら誰でもいいって訳じゃないけど。少なくとも君は、君からの好意を支えに思えるくらいに大事で素敵な人だし、陸斗さんがいなかったらOKするかもしれない。

 けど、やっぱり、今の私には陸斗さんしかいないから。断るしかないんだけど……迷いはなくても、やっぱり辛くはなっちゃう、かな」


 いくらか気を遣った返答かもしれないが、僕には真心に思えた。

 だから。自分の脆い部分を晒してまで、向き合ってくれた彼女に、精一杯の感謝を返したい。


「ありがとうございます……あなたという先輩に会えて、良かったです」

「え、え、こちらこそ……相変わらず言葉がまっすぐだなあ。

 それで、少しは君の力になれたかな」

「ええ、非常に。また前を……彼女の方を、向けそうです」

「なら良かった。念のためだけど、私が話したことは内緒にしておいてね?」

 頷いてから。話を聞きながら脳裏に浮かんでいたことを、素直に伝える。


「こう言われるの、嫌かもしれないですけど。和可奈さんは……和可奈さんと陸斗さんは、きっと、素晴らしいお母さんとお父さんになれると思います。

 勿論、大変で辛いことばかりかもしれません。それでも、あなたが思う以上に、あなたは独りじゃなくて、助けたいと思う人は沢山いるし、この世界はあなたに優しいはずです。少なくとも僕は、弱さも至らなさも含めて、あなたたちが築く家庭を応援したい……あなたたちに、幸せに、添い遂げてほしい」


 和可奈は目を見開いて、数秒の後に答えた。

「そうだね、もっと前向きになって、私を信じてもいいかもしれない。それに……陸斗さんとなら、なんだって大丈夫な気がする」


 頷く僕に、和可奈は歩み寄ってから両手を伸ばし、掌で頬を挟む。

「――!?」

 突然の近い距離と柔らかい温度に驚きつつ、固まっている僕に。和可奈は微笑んで、優しく語りかける。


「関係性を塗り替えるのは、どっちにとっても痛いけど」

 中村なかむらから、陽子ようこへ。

 結樹ゆきから、真田さなだへ。

 あるいはさらに昔、和可奈と陸斗の間で。

 秘めていた想いを告白するとき、彼らの胸にあったのは。どう関係性が変わっても絆は壊れないという、お互いへの信頼だったのかもしれない。

「その痛みを受け入れられる、自分と、その子を信じて。

 君にしか言えない言葉を、届けてあげて――さあ、次は、君の番だよ」

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