Ⅳ-2 To inherit the soul of my friend in heaven.
ジェームズは12歳の頃までアメリカで育ち、それから研究者である両親の転勤に伴って来日した。母が日本で良い職場を見つけたため、このまま日本での定住を考えているらしい。
両親ともにルーツはアフリカ系であり、クリスチャンだった。そして父は長らく地元の教会の
聖歌隊を率いる父は格好よかったし、ジェームズも歌うのは大好きだった。歌が上手いとは昔から褒められていたし、ジェームズが唯一自信を持てることでもあった。
ある日、近所にジュンという日本人の少年がやってきた。ご近所さんの家へ、短期のホームステイに来たらしいのだが、徐々にホストファミリーとの間に摩擦が生じていき、ぽつんと公園に佇んでいることが増えていった。
それを見かねたジェームズは、言葉が通じないなりにジュンを遊びに誘う。あれこれと楽しめる遊びを試すうちに、言葉は通じなくても音楽は一緒に楽しめることに気づいたジェームズは、自分にとって一番身近な音楽、ゴスペルが歌われる教会にジュンを連れて行った。
歌詞なんて分からなくても、意味なんて分からなくても。リズムに体を踊らせて一緒に声を上げれば、歌を通して人から溢れるエネルギーはジュンにも伝わる。そんな確信があった。
その確信通りに、ゴスペルを間近で聴いたジュンは目を輝かせていた。すごい、格好いい、みたいなことを何度も言っていた。気に入ったのなら、ジュンも歌の輪に入ってみんなと仲良くなれればいい、そう父に提案した。
しかし一部の大人は、ジュンがゴスペルを歌うことを認めなかった。これは神様に捧げる歌であり、我々の信じる教えを信じない者に、信じようとする意志もない者に真似されたくはない、そう諭された。
*
「誤解しないでほしいのですが。クリスチャンの全てがそう思っている訳ではありません。むしろ多くのクリスチャンは、宗教に関わらず、多くの人にゴスペルに触れてほしいと感じているはずです。少なくとも私の実感では」
心配そうに補足するジェームズに、
*
共に歌うことを拒まれても、ジェームズは諦めたくなかった。ゴスペルに触れたジュンの表情の輝きが忘れられなくて、共に歌えば、もっと、もっと熱い煌めきに出会えるはずで。
だから、残りの時間をめいっぱいジュンと過ごしながら、「いつか一緒に歌おう」と約束して、帰国するジュンを見送った。
それからエアメールで連絡を取り合い。やがてジェームズも日本に来てからは、また二人で会ったりもした。二人だけで歌ったゴスペルは、とても楽しくて。けど、もっと広い場所で、多くの人と歌えた方が楽しいから。
いつか、国籍も宗教も、どんな立場も関係なく、自由にゴスペルを歌える場所を作ろう、そう語り合った。
そして、大学に進学したジェームズが、いよいよゴスペルサークルの立ち上げに動こうとしていた頃。それは起こった。
*
「二年半前。震災が起きて、ジュンは亡くなりました」
日本が取り返しのつかないほど変わってしまった震災ではあるが、希和の周囲に直接の被害を受けた人はいない。その爪痕の一端に、このような形で対面するとは思っていなかったが。
「……それは、辛かったですね」
「友達を失ったのは、ジュンが初めてでした。あれほど辛かったことは、他にないです。
しかし、そんな私の心を救ってくれたのもまた、ゴスペルでした。苦しい中で前を向くのが、悲しみの中で命を喜ぶのが、ゴスペルです。
だから私は、ジュンとの約束を忘れたくない。この日本で、ゴスペルという音楽の力を伝えられる場所を、ゴスペルを通して人々がつながれる場所を、作りたいんです」
話がひと段落した合図のように、ジェームズはペットボトルの焙じ茶で喉を湿らせる。彼が飲み終わるのを待ってから、希和は言った。
「ジェフさんの想いは分かりました。その深さも、伝わったと思ってます……しかし、僕ら、雪坂高校の合唱部に声を掛けたのはどうしてでしょう?」
「まずは、私がリクと
「陽子さんたちに……私たちは、何も聞いていませんが?」
結樹の言う通り、この前の五月に二人が信野大で和可奈と会ってきたという話は聞いていたが、ジェームズの話は特に聞いていない。すると、和可奈が言う。
「あの二人ね、ジェフの話にはすごく興味を持ってたし、自分たちが主役だったなら是非やりたいって言ってったの。
けど、もう引退しちゃうからさ。この話は、次の現役の君たちに判断してほしいって言ってたんだ」
常に前で引っ張ってきたようで、後輩に託す分には手を付けない。そんな先輩の優しいバランスが、心に沁みる。
「……去年、私たちでゴスペルを歌おうって言い出したのは
決意を固めたような声で、結樹が言った。
「音楽面だけで興味を持ったゴスペルの、その意味や背景を知るうちに、込められた強さに支えられるようになった。そう奏恵さんは言ってましたし、朧げながら、私たちもそれは感じていました。歌っていて、あんなに熱い気持ちになれたのは初めてで……その感動を、より多様な人たちと一緒に創れるなら、私は、挑戦したいです」
結樹は言い終えてから、僕に意見を促すかのように視線を送る。
「僕も結樹さんと同じです。ゴスペルというスタイル自体に興味を引かれています、合唱部の新しい一面が発揮できるようにも思えますし。
それに、ジェフさんとジュンさんのように、時を越えてつながる絆ってものを、僕は信じたいです」
ごくたまに、頭をよぎる。自分が突然に、この世界から消えてしまう可能性。
ゼロではない、しかし意識するにはあまりに低いその可能性は、このように実例を語られることで急に重みを増す。
それは自分が、ばかりでない。大事な誰かがいなくなってしまう可能性だって、等しくあって……僕には、その方が、怖い。
だからこそ。亡き友の想いを継承することが、遺された者の救いとなるような、そんな実例があるなら、関わりたいと思った。
「合唱との両立、時間的にも技術的にも簡単じゃないってのは、大丈夫?」
和可奈の指摘に、結樹は迷わず答える。
「それを含めて、決めるのは部全体です。だからまず、ジェフさんたちからの提案は、ぜひ頂きたいです」
「ええ。そもそも部員より先に、顧問の松垣先生が認めないと……もしかしたら、もっと色んな先生の許諾がないと、難しいかもしれませんし」
如何せん、前例がない。大勢で頑張った末、成果はぼろぼろかもしれない。
それでも、前例のない道こそ、踏み出す価値があると思えた。
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
微笑みながらジェームズが手を差し出し、結樹と、僕と握手する。
生まれた国も、信じる宗教も、何もかも違った僕らの。予想していた以上に大切な居場所となる、熱く温かい音楽の旅の、第一歩だった。
「私も嬉しいよ。またみんなと歌えるし、今度は
和可奈は楽しげに言いながら、弦賀と視線を交わす。弦賀の瞳にも、共演への期待が映っていた。
言葉に現れる以上の、ふたりの間の愛情と信頼の深さは、僕には眩しすぎて。
だからこそ、頼ってみたいと思えた。
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