Ⅳ. Playing Voice, Praising Noise~高校二年/二学期~
Ⅳ-1 I have a promise.
〉
私が、誰かから聞いた話で、涙が零れるような人間だったとは思っていなかったです。
けど、君の方がずっと、ずっと痛いはずだから。もう泣かないです。
彼女から、気づいてしまった本当の気持ちを打ち明けられたときに。自分が「してあげたい」ことじゃなくて、彼女にとって本当に必要なことを優先できた君は、本当に優しい人だと思います。そんな君を、私は本当に尊敬しています。
それでも。どうしても伝えたいことがあります。向き合うべき何もかもから逃げ出した私に、言う資格なんてないかもしれません。身勝手で我が儘な押し付けかもしれません。君に怒られても当然だと思います。
私は君に、君を彩ってきた「好き」から、逃げてほしくないです。
君が彼女とできないことが、どんなに多くたって。君にしかしてあげられないことを、彼女は絶対に必要としています。それを諦めてほしくないです。
きっと君は、彼女の友達として、ずっと優しさを贈り続けていたんだと思います。
けど、友達を越えた先に、叶わない「好き」を伝えた先に、まだ君が知らない君が、君が本当に出会いたい彼女が、きっといます。
出会ってほしいと、切に願います。
だから、約束してくれませんか。
彼女との関係を、背を向けたままで終わらせないことを。
*
バスが大学前の停留所に着くと、前に座っていた学生らしき若者の集団も立ち上がり、定期券らしきカードを運転手に見せて降りていった。やはりここの生徒だったかと思いながら、
日本でも屈指の山国であり、有名な避暑地や高原も抱えている我が県であるが。海風の少ない盆地気候のため、この時期の日較差は大きい。つまり、燦燦とアスファルトへ飛び込んでいく八月の日射しは。
「……暑いな」
「心頭を滅却しましょう」
「それ、誤用の典型じゃなかったのか」
僕へ熱のない突っ込みを入れながら、結樹は日傘を差す。見慣れないその姿が、どことなく大人びて見えるのは……まあ、大人っぽいのはいつものことか。
夏の道。いつだったか、歩いているうちに気分を悪くしていた詩葉のことが、頭をよぎる。
「僕の歩くペース速かったら、言ってくださいね?」
「心配しすぎだ、そもそも私の方が背が高いだろう……それにな。そういうのは口に出すもんじゃない。黙って合わせるのがスマートな男子だろう」
「アイタタタ」
「まあ、高校生ならそれくらい無作法な方が相応か……とはいえだ。速いって思っても言わない奴だって多いぞ。
「……知ってます」
詩葉のことをそこまで分かっているのに、どうして自分に向けられている感情の特別さは分からないのか、そう詰め寄りたくなる。
結樹への恋に気づいてしまったと、詩葉に告げられ。
詩葉を諦めてほしいと、
驚くほど、滑稽なほど、希和は詩葉に対して「いつも通り」に接することができていた。
……実際、詩葉との関係性が特に変わった訳ではない。共有する秘密が、一つ増えただけの話だ。
それだけだ。仮に僕の意識が、どう変わった所で。友人なのは、仲間なのは、変わらない。
詩葉からしたら、今まで通りだ。
変わってしまったのは、詩葉と結樹の……詩葉から見た結樹の距離。
友情だと思い込んでいたそれが、叶いそうもない片想いだと気づいてしまって。そのことを気づかせたくなくて。
懸命に、今まで通りを装う詩葉は、どうしようもなく、演じるのが下手だった。
「……私は詩葉に、何をしちゃったんだろうな」
結樹らしくない、迷いに包まれた呟き。
知っているその答えは、言えるはずがないから。
「君が弱ってる姿が、それだけショックだったんじゃないの?
詩葉さん、君の強さを過大に見ているからさ。こんなに弱い所もあるんだって、受け入れるのに時間が掛かるだけで……いずれ、気持ちの整理もつくでしょう」
的外れな回答で、時間を稼ぐ。しかし結局の所、詩葉が感情を整理する時間は必要なのも確かなのだ。
きっと、陽向がその支えになってくれているはずだ。今の自分には、離れてそれを見守るしかない。
それ以外にあり得る選択肢は、今は、考えたくなかった。
「彼女との関係を、背を向けたままで終わらせないことを」
紡の言葉が脳裏をよぎる――それが真っ当だと分かるからこそ、その真心が、痛い。
「……だから、今はこれからのこと考えましょうよ」
僕が無理に話題を切ると。結樹は不承そうにしながらも頷いて、今日の目的地に目をやる。
市内で唯一の大学であり、雪坂の生徒の進学先としてもメジャーである
数日前、信野大に進学した
単なるコラボとしては労力が大きく、二学期全体を費やすような企画であること。加えて、これまでの合唱とは技術面のアプローチも大きく異なることから、慎重に検討したいらしい。
正門の前に着くと、ほどなくして和可奈も中から出てきた。夏を全力で楽しもうと言わんばかりに、陽光に晒された素肌が眩しい。それでいて肌の白さが保たれている辺り、見えないケアは万全なのだろう。
「やっほー、ようこそ信野大へ!」
和可奈は挨拶の後に結樹に抱きつき、顔をまじまじと見つめる。
「……結樹、なんか大人になった?」
結樹は困ったような笑みを浮かべてから、答える。
「そうかもしれません。ちゃんと、恋に区切りがついたので」
僕は手短に報告を受けていたとはいえ、和可奈にも打ち明けるとは予想していなかったため面食らう。そもそも、結樹と真田の関係について、和可奈が知っているとは思っていなかった。
しかし、和可奈はその一言で全て察したらしく。優しく、結樹の手を包んだ。
「そっか。よく頑張ったね」
「話聞いてくれて、ありがとうございました」
「いえいえ。後悔、してない?」
「ええ、全く。彼のおかげで頑張れた私を、誇りに思えます……これからも、頑張れます」
迷いのない、しかし痛みが微かに残る結樹の言葉に、和可奈は頷いてから手をほどく。そして和可奈は次いで、僕の目を覗き込む。心の内を見透かすような瞳。
「……先輩?」
「ふーん……いや、何でもないよ。行こっか」
恐ろしく勘のいいこの先輩には、きっと色々が露見しているのだろう。そんな認識を改めつつ、僕は楽しげに先を歩く和可奈に続いた。
多様な格好をした学生たちが賑やかに、あるいは黙々とそれぞれの活動に打ち込んでいる間を歩き、サークル棟の一室に到着する。
「じゃ、入って」
「お邪魔します……」
軽音サークルの一つらしい、その部屋にいたのは二名。
まず一人は、前に一度会ったことがある
もう一人は、恐らく会ったことはない男性だった。黒人……という括りが適切なのかは分からないが、明らかに外国人。それなりに若そうではある。
彼は立ち上がると、僕と結樹へ快活な笑みを向ける。
「はじめまして、ジェームズ・フレディ・ルーカスといいます。和可奈にお願いして、皆さんをお呼びしたのは私です。来てくれて、ありがとうございます」
少し違和感はあるが、流暢で聞き取りやすい日本語だった。
結樹と僕も挨拶と自己紹介を返すと、ジェームズは確かめるように復唱する。なおジェームズは、ファーストネームとミドルネームの頭をつなげて「ジェフ」と呼ばれているらしい。
全員が互いの名前を把握した所で、弦賀が口を開く。
「さてさて。話したいことは色々あるんだけども、まずは結論から言います。
ジェフと。俺たち信野大の音楽サークル。そして君たち、雪坂高校の合唱部で。
全く新しい、ゴスペルのステージを創りたい」
ゴスペルというと、昨年度の合同演奏会で披露した「You Are Good」がそうだったが。口ぶりからするに、合唱部とは全く違うスタイルを想定しているらしい。同様に感じたらしい、結樹が説明を促す。
「興味深いお話ですが、具体的には」
「ジェフがプロデュース兼ヘッドライナー。俺たちが楽器の演奏。そして君たちが
弦賀の説明に、和可奈も補足を入れる。
「つまり、生声ではなくマイクを通します。加えて、発声法からして私たちがやってきたような合唱とは全く違います……つまり、これまでの合唱部のスキルは通用するとは限らないです」
「……それだけ聞くと、あんまり僕らが向いているとは思えないんですが」
恐る恐る、しかし素直に僕が口を出すと。
「ええ、難しいお願いなのは分かっています。しかし、あなた達とでしか伝えられないモノが、確かにある」
ジェームズの真摯な表情と言葉には。何か、切実な衝動が、深く熱い物語が秘められているようで。
「ジェフ。その想いをこの子たちに分かってもらうために、あなた自身の話が必要です」
和可奈の言葉に、ジェームズは頷く。
「ええ。少し長い話になりますが、聞いてください」
ジェームズの声を聞いた瞬間、僕の脳内を、歓迎し難い直感が走り抜ける。
これは。もうこの世にいない人のことを、語る声だ。
「叶えたい約束があるんです。天国にいる、日本人の友達とした約束です」
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