Ⅳ. Playing Voice, Praising Noise~高校二年/二学期~

Ⅳ-1 I have a promise.

和枝かずえくん


 私が、誰かから聞いた話で、涙が零れるような人間だったとは思っていなかったです。

 けど、君の方がずっと、ずっと痛いはずだから。もう泣かないです。


 彼女から、気づいてしまった本当の気持ちを打ち明けられたときに。自分が「してあげたい」ことじゃなくて、彼女にとって本当に必要なことを優先できた君は、本当に優しい人だと思います。そんな君を、私は本当に尊敬しています。


 それでも。どうしても伝えたいことがあります。向き合うべき何もかもから逃げ出した私に、言う資格なんてないかもしれません。身勝手で我が儘な押し付けかもしれません。君に怒られても当然だと思います。


 私は君に、君を彩ってきた「好き」から、逃げてほしくないです。

 君が彼女とできないことが、どんなに多くたって。君にしかしてあげられないことを、彼女は絶対に必要としています。それを諦めてほしくないです。


 きっと君は、彼女の友達として、ずっと優しさを贈り続けていたんだと思います。

 けど、友達を越えた先に、叶わない「好き」を伝えた先に、まだ君が知らない君が、君が本当に出会いたい彼女が、きっといます。

 出会ってほしいと、切に願います。


 だから、約束してくれませんか。

 彼女との関係を、背を向けたままで終わらせないことを。


 つむぎ



バスが大学前の停留所に着くと、前に座っていた学生らしき若者の集団も立ち上がり、定期券らしきカードを運転手に見せて降りていった。やはりここの生徒だったかと思いながら、希和まれかず結樹ゆきと共に運賃を支払い、バスから降りる。


 日本でも屈指の山国であり、有名な避暑地や高原も抱えている我が県であるが。海風の少ない盆地気候のため、この時期の日較差は大きい。つまり、燦燦とアスファルトへ飛び込んでいく八月の日射しは。

「……暑いな」

「心頭を滅却しましょう」

「それ、誤用の典型じゃなかったのか」 

 僕へ熱のない突っ込みを入れながら、結樹は日傘を差す。見慣れないその姿が、どことなく大人びて見えるのは……まあ、大人っぽいのはいつものことか。

 

 夏の道。いつだったか、歩いているうちに気分を悪くしていた詩葉のことが、頭をよぎる。

「僕の歩くペース速かったら、言ってくださいね?」

「心配しすぎだ、そもそも私の方が背が高いだろう……それにな。そういうのは口に出すもんじゃない。黙って合わせるのがスマートな男子だろう」

「アイタタタ」

「まあ、高校生ならそれくらい無作法な方が相応か……とはいえだ。速いって思っても言わない奴だって多いぞ。詩葉うたはとかはそうだ」

「……知ってます」


 詩葉のことをそこまで分かっているのに、どうして自分に向けられている感情の特別さは分からないのか、そう詰め寄りたくなる。

 

 結樹への恋に気づいてしまったと、詩葉に告げられ。

 詩葉を諦めてほしいと、陽向ひなたに告げられた、あの日から。


 驚くほど、滑稽なほど、希和は詩葉に対して「いつも通り」に接することができていた。

 ……実際、詩葉との関係性が特に変わった訳ではない。共有する秘密が、一つ増えただけの話だ。

 それだけだ。仮に僕の意識が、どう変わった所で。友人なのは、仲間なのは、変わらない。

 詩葉からしたら、今まで通りだ。


 変わってしまったのは、詩葉と結樹の……詩葉から見た結樹の距離。

 友情だと思い込んでいたそれが、叶いそうもない片想いだと気づいてしまって。そのことを気づかせたくなくて。

 懸命に、今まで通りを装う詩葉は、どうしようもなく、演じるのが下手だった。


「……私は詩葉に、何をしちゃったんだろうな」


 結樹らしくない、迷いに包まれた呟き。

 知っているその答えは、言えるはずがないから。

「君が弱ってる姿が、それだけショックだったんじゃないの?

 詩葉さん、君の強さを過大に見ているからさ。こんなに弱い所もあるんだって、受け入れるのに時間が掛かるだけで……いずれ、気持ちの整理もつくでしょう」


 的外れな回答で、時間を稼ぐ。しかし結局の所、詩葉が感情を整理する時間は必要なのも確かなのだ。

 きっと、陽向がその支えになってくれているはずだ。今の自分には、離れてそれを見守るしかない。

 

 それ以外にあり得る選択肢は、今は、考えたくなかった。


「彼女との関係を、背を向けたままで終わらせないことを」

 紡の言葉が脳裏をよぎる――それが真っ当だと分かるからこそ、その真心が、痛い。


「……だから、今はこれからのこと考えましょうよ」

 僕が無理に話題を切ると。結樹は不承そうにしながらも頷いて、今日の目的地に目をやる。

 

市内で唯一の大学であり、雪坂の生徒の進学先としてもメジャーである信野のぶの市立大学。僕は何度か学園祭に遊びに行ったこともあったが、行事のない平常のキャンパスを訪れるのは初めてだった。

 

数日前、信野大に進学した和可奈わかなから、結樹と僕に連絡があった。雪坂合唱部と、ゴスペルを通して関わりたいと考えている大学生がおり、公式に共演を提案する前に現役部員の意見を聞きたいという。

 単なるコラボとしては労力が大きく、二学期全体を費やすような企画であること。加えて、これまでの合唱とは技術面のアプローチも大きく異なることから、慎重に検討したいらしい。


 正門の前に着くと、ほどなくして和可奈も中から出てきた。夏を全力で楽しもうと言わんばかりに、陽光に晒された素肌が眩しい。それでいて肌の白さが保たれている辺り、見えないケアは万全なのだろう。

「やっほー、ようこそ信野大へ!」

 和可奈は挨拶の後に結樹に抱きつき、顔をまじまじと見つめる。

「……結樹、なんか大人になった?」

 結樹は困ったような笑みを浮かべてから、答える。


「そうかもしれません。ちゃんと、恋に区切りがついたので」


 僕は手短に報告を受けていたとはいえ、和可奈にも打ち明けるとは予想していなかったため面食らう。そもそも、結樹と真田の関係について、和可奈が知っているとは思っていなかった。

 しかし、和可奈はその一言で全て察したらしく。優しく、結樹の手を包んだ。


「そっか。よく頑張ったね」

「話聞いてくれて、ありがとうございました」

「いえいえ。後悔、してない?」

「ええ、全く。彼のおかげで頑張れた私を、誇りに思えます……これからも、頑張れます」


 迷いのない、しかし痛みが微かに残る結樹の言葉に、和可奈は頷いてから手をほどく。そして和可奈は次いで、僕の目を覗き込む。心の内を見透かすような瞳。


「……先輩?」

「ふーん……いや、何でもないよ。行こっか」

 恐ろしく勘のいいこの先輩には、きっと色々が露見しているのだろう。そんな認識を改めつつ、僕は楽しげに先を歩く和可奈に続いた。


 

 多様な格好をした学生たちが賑やかに、あるいは黙々とそれぞれの活動に打ち込んでいる間を歩き、サークル棟の一室に到着する。

「じゃ、入って」

「お邪魔します……」


 軽音サークルの一つらしい、その部屋にいたのは二名。

 まず一人は、前に一度会ったことがある弦賀つるが陸斗りくと。かつて伴奏者として合唱部に協力していた、和可奈の彼氏。相変わらず爽やかで、つくづく和可奈とお似合いである。


 もう一人は、恐らく会ったことはない男性だった。黒人……という括りが適切なのかは分からないが、明らかに外国人。それなりに若そうではある。

 彼は立ち上がると、僕と結樹へ快活な笑みを向ける。

「はじめまして、ジェームズ・フレディ・ルーカスといいます。和可奈にお願いして、皆さんをお呼びしたのは私です。来てくれて、ありがとうございます」

 少し違和感はあるが、流暢で聞き取りやすい日本語だった。

 結樹と僕も挨拶と自己紹介を返すと、ジェームズは確かめるように復唱する。なおジェームズは、ファーストネームとミドルネームの頭をつなげて「ジェフ」と呼ばれているらしい。


 全員が互いの名前を把握した所で、弦賀が口を開く。

「さてさて。話したいことは色々あるんだけども、まずは結論から言います。

 ジェフと。俺たち信野大の音楽サークル。そして君たち、雪坂高校の合唱部で。

 全く新しい、ゴスペルのステージを創りたい」


 ゴスペルというと、昨年度の合同演奏会で披露した「You Are Good」がそうだったが。口ぶりからするに、合唱部とは全く違うスタイルを想定しているらしい。同様に感じたらしい、結樹が説明を促す。

「興味深いお話ですが、具体的には」


「ジェフがプロデュース兼ヘッドライナー。俺たちが楽器の演奏。そして君たちが合唱隊クワイア。機材の都合上、会場はライブハウスになると思う」

 弦賀の説明に、和可奈も補足を入れる。

「つまり、生声ではなくマイクを通します。加えて、発声法からして私たちがやってきたような合唱とは全く違います……つまり、これまでの合唱部のスキルは通用するとは限らないです」


「……それだけ聞くと、あんまり僕らが向いているとは思えないんですが」

 恐る恐る、しかし素直に僕が口を出すと。

「ええ、難しいお願いなのは分かっています。しかし、あなた達とでしか伝えられないモノが、確かにある」

 ジェームズの真摯な表情と言葉には。何か、切実な衝動が、深く熱い物語が秘められているようで。


「ジェフ。その想いをこの子たちに分かってもらうために、あなた自身の話が必要です」

 和可奈の言葉に、ジェームズは頷く。

「ええ。少し長い話になりますが、聞いてください」

 

 ジェームズの声を聞いた瞬間、僕の脳内を、歓迎し難い直感が走り抜ける。

 これは。もうこの世にいない人のことを、語る声だ。


「叶えたい約束があるんです。天国にいる、日本人の友達とした約束です」

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