Ⅲ-12 Be the happiest girl in the world.
私はずっと、あなたに恋をしていました。
あなたがいるだけで、私の過ごす今という時間がとても価値あるように思えました。私あが
ありがとうございました。
――この恋を終わらせるための言葉。あなたに届けるために、少しでも美しく伝わるように、何度も、何度も、考えた言葉。
コンクールが終わった翌日の放課後。結樹は真田に告白するべく、彼を学校に近い公園に呼んでいた。七月末の晴れ渡る空から注ぐ、太陽の暑さは少しも感じないのに。汗は止まる気配がなかった――学校を出る前に、身だしなみはあんなに確認したのに。
叶う可能性が万に一つもない、むしろ叶ってはいけない、この想いを。真田に伝えるべきかは、ずっと迷ってきた。一時は、自分だけの中に閉じ込め通そうとした。
しかし、五月頃。
「結樹さ、ケイのこと好きなんだよね?」
「いいんだ、好きって気持ちは何も間違ってない」
「けど、真田先輩に。奏恵さん以外の女子からの好意なんて、必要ないじゃないですか」
必要ないどころか、邪魔なのでは、と。
だから結樹が真田へ、好きだと伝えることは、少なくとも真田にとって価値あることではないと考えていたのだが。
「あのな、結樹。確かにケイには、奏恵以外の彼女候補っていう存在はいらない。
けどな。結樹という後輩は、ケイには必要だ。それ以上に、奏恵には必要だ」
「奏恵さんに……?」
「そう。お前が思ってる以上に、奏恵はお前のことが大切だ。だから、部活が終わったらもう会わないなんて、あいつは望んでない。お前もだろ?」
「はい。奏恵さんは、尊敬する……大事で、大好きな、先輩です。ずっと、つながっていたいです。叶うのなら、真田先輩とも、ずっと」
確かめるように答える結樹に、陽子はほっとしたような顔をする。
「ああ、そうだと思ったよ。良かった。
その上で、だ。気持ちを隠したままあいつらと向き合うのと、一度伝えてから向き合うの、結樹が自分らしく過ごせるのは、どっちだ?」
「私らしく、ですか……」
今。真田や紅葉と一緒にいて。心の悲鳴を自覚せざるを得ないくらい、結樹の感情は膨れ上がっていた――自分ひとりで鎮めることが叶わないのではと、危ぶまれるほどに。
彼らが卒業して、距離が遠くなれば。次に会えるときは、平気でいられる――いや。
会えないほど。私は彼を、好きになってしまう。自分はそういう人間だ。
そうなれば今度、会うのが怖くなってしまう。
「……十年後も、あのふたりに会える自分でいるために。そんな理由で告白して、いいんでしょうか」
「元々、理由なんていらないんだ。そこにそんな理由があれば、あいつらはきっと喜ぶ」
伝えよう。それが、私にとっての誠実だ。真心だ。
心に決めて――その先に確実に待つ言葉を思い、目の奥が、疼いた。
「陽子さん」
「うん?」
こんなことを頼むのは、どれくらいぶりだろうか。
「少し、抱きしめてくれませんか」
ぎゅう、と。
返事の代わりに、すぐに。ほっとする温もりが、結樹を包んだ。
「結樹の気持ち、分かるなんて言えないけどさ。きっと、お前らはすごくいい関係になれると思うんだ……なってほしい」
「なりたいです。いつか、この痛みだって、あって良かったって思えるくらいに」
そして、今。
待ち合わせた時刻の少し前、結樹が来てから数分後に、聞きなれた足音。
確かめたくて、けど気づきたくなくて――迷いは、すぐに消える。
「結樹」
「――はい」
真田が姓でなく名で呼んでくれるようになったのは、この前の三月からだったか。
自分の名前がこんなに好きになれたのは、初めてだった。
「お呼び立てしてすみません、お忙しいのに」
「いや、構わないさ。練習中、ゆっくり話す機会もなかったしな」
汗が首筋をなぞる。心臓が暴れる――落ち着け、自分。
さあ、踏み出せ。
これは、新しい私になるための言葉だ。
「今日は。真田先輩にお伝えしたいことがあって、お時間いただきました」
「ああ。聞かせてほしい」
綺麗な瞳が、まっすぐに――まっすぐに、私を見つめる。
ずるい。その視界に私しかいないというだけで、こんなに心が弾むだなんて。
思わず、目を伏せて。息を吸い直してから、再び顔を上げる。
私を見てくれるこの人に、できるだけ、誠実に。
「真田先輩。
私はずっと、あなたに恋をしていました」
喉が、ずっと言いたかった言葉を紡いで。
真田の表情が、微かに動いて。
五感が「言った」ことを認識して――それが限界だった。
喉が、動いてくれない。声が、詰まる。言葉が、埋まる。
「――あ、が、」
言葉の代わりに、溢れたのは。頬を流れ落ちていく、これは、涙か。
あなたに伝える前に流しきった、はずなのに。
どうして。どうして、今になって。
少しでも美しい、少しでも凛とした私で、伝えたかったのに、これじゃ。
「結樹、ありがとう」
優しく私を呼ぶ声に、ごめんなさい、そう返そうとして。切れ切れになった言葉を、それでもあなたは受け取ってくれた。
「俺のことを、ずっと近くで見ていてくれた――俺たちのことを、ずっと支えてくれた結樹が、そう想ってくれたこと、とても嬉しいです」
こんなに、誠実に。こんなに優しく私と向き合ってくれるあなたの顔が、涙で、見えない。
「何も謝らないでほしい。その代わり、俺も謝らない。
俺は。あなたの恋人には、なれません。
それでも、あなたが好きでいてくれた俺のことを、心から、誇りに思います」
伝えるべきは、謝罪ではなくて。
「……ありが、とう、ござい、ます」
涙を拭う。真田を見つめる――笑っている。そうだ、私も、笑おう。
けど。涙はどうやっても、止まってくれない。
「――結樹」
背中を包む温もり。紅葉の声。
「ごめんね、結樹。ケイを誰かに渡したら、生きていけないあたしだからさ」
恋敵であるはずの紅葉がこの場にいることが、どうしてこんなに、嬉しいのだろう。
私を抱きしめる紅葉の手を、しっかりと握り締める。
「嫌な先輩だよね、我が儘だよね。分かってる。
それでも。あたしは、結樹っていう大事な後輩に。あたしのこと、好きでいてほしい。
今は嫌いでいい、何年経ってもいい。あたしのこと、好きになってくれないかな」
心の強張りを解すように優しい、しかし大事な所を勘違いしている紅葉の言葉に。
ちゃんと、返さないと。私の、本当の気持ち。
「謝らないでください。それに、私は。奏恵さんのこと、今だって大好きです。大切です。だから」
ゆっくりと紅葉の手を解いてから、向き合う。初めて見るような、泣きそうな紅葉の瞳を、しっかりと見つめる。
これまで出会ってきた人の中で、こんなに不幸な生い立ちをした人は紅葉の他にいない――それが、今の結樹の実感だから。
塗り替えてみせて。これまでの何もかもを。
だって、あなたは。
「世界で一番、格好いい人と一緒なんですから。
世界で一番、幸せな女性になってください!」
叫んだ言葉に、紅葉は目を見開いてから、笑う。
「分かった、約束する――だから、私がちゃんと幸せになったかどうか。何度も確かめに来てよね、その目で」
*
一人で歩く帰り道。大切な何かが解き放たれた後の、心の感触を結樹は確かめる。
目指していた伝え方からは程遠くなってしまったけど。ちゃんと伝えられた。約束もできた。
これで、この先も、胸を張ってふたりに会える。それで十分だ。
――ああ、でも。やっぱり、まだ、辛いな。
少し疎ましかったり、うるさかったりもするけれど。私の一番弱い所まで、優しく抱きしめてくれる、かけがえのない親友に。
この痛みを、聞いてほしい。
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