Ⅰ-3 Welcome to our chorus club.
「今年度第二号の発行は六月の下旬を予定しています。よって校正まで含めた原稿の最終締切は六月の第一週。五月の下旬あたりには、それぞれ仕上げるつもりで動いて下さい」
「まずは記事の大まかな方向性を考えてもらって、それを私にチェックさせて下さい。ではこれ以降はしばらく、各自での行動になります。頑張って!」
「
会議室を出ながら、
「部活や生徒会に取材する際は、その責任者である先生に挨拶しておいた方が良いです。この場合は顧問である
そこまで言ってから、阿達先輩は希和に向き直る。
「俺はこの記事について、どういうことがやりたいとか、そういう感情はないので。方向性については、
気だるげというか無愛想というか、そんな口調だった。これは癖なんだろうか。
「それについては、自分から提案するつもりでしたが……しかし、フォローしてもらわないと、色々分からないですし」
「ああ、それは大丈夫です。制作の過程とか手順は俺が教えますから」
希和に敵意がある訳ではなさそうなので、これがデフォルトなんだろう。
記事の方向性を、ということだったが……まずは合唱部の雰囲気を知らないことには始まらなかった。そもそも、どういう発表の場があるかさえ把握していない訳で。まずは合唱部を訪れて、直に歌を聴いて。そこで感じたことから記事にしていこう。
締切までは一ヶ月以上ある。ひとまずは今後一週間で九瀬先生に相談できること、を目標にしよう。
翌日、職員室前。
ドア前の座席表を確認し、部屋へ入っていく。
海野先生は、社会科で主に歴史を担当しているらしい。白髪の混じった、五十代半ばの……そろそろ定年か、という男性教師だ。
「海野先生、少し宜しいですか」
「はい」
先生は椅子を回転させ、こちらへ向く。
「はじめまして、報道編集委員の一年二組、飯田希和です。今度の校内新聞で合唱部を取材させて頂くことになったので、伺いました」
「おお、取材とは嬉しいことで。そうだ、何か必要ですか」
「そうですね……練習にお邪魔して、見学したり話を聞いたりしたいなとは思っているんですが」
「なるほど、私から部員の方へ……今日の練習の時に話しておくので。えっと、明後日の放課後は来られますか」
「はい、大丈夫です」
委員会が無ければ、放課後はいつも暇だった。
「じゃあ明後日、音楽室に来てください。今は練習は六時までなので、それまでの好きな時間で構わないです」
「分かりました、ありがとうございます」
「えっと、一の二の飯田君、だね」
「はい」
「OKです……ぜひ楽しい記事を、期待してます」
翌日、昼休みの教室で。
「柊さん、」
「やほ――っ!!」
振り返りかけて、むせる詩葉。微妙に耳が赤い。ああ、こういうところも、可愛い。
「どうした、飯田」
呆れた目で詩葉を見つつ、結樹が促す。
「えっとね、」
詩葉が復帰するのを待ってから、話しだす。
「この前に話した、合唱部取材のことだけど。正式に決まりました」
「おー、やったね!宣伝してして!」
期待した通り、詩葉は嬉しいようだ。
「で、僕が取材担当になったから、また練習にお邪魔することになるのね」
「へえ、飯田が?」
「そう」
「……マジなの、飯田くんが取材なの」
そのまま笑い出す詩葉……まあ、面白いんだろうな。何かが。
「で、なんだけど。行くのに良い時間帯ってあるかな?海野先生はいつでもって言ってたけど」
「何がしたいかに依るな、話を聞きたいのか練習を見たいのか」
結樹は相変わらず呑み込みが早い。
「両方なんだけど、まずは後者かね」
「なるほど……五時くらいかな、じゃあ。合わせは後半にやることが多いし」
「分かった、ありがと」
じゃあ明日は十七時に、と決めた所で、詩葉が。
「ねえ飯田くん、うちの部のお姉さんたちみんな素敵だけど、狙っちゃダメだよ?」
「なんでその発想に行くんですかね……僕にそんな度胸があるとでも」
……本当に狙いたいのは君なんだけど、と。いつか言う気になれるのだろうか。
明くる日、木曜日の放課後。
今日の合唱部の練習場所である音楽室に向かいつつ、少しの緊張を希和は感じていた。
音楽室で合唱、というと。中学のときにクラス合唱を仕切っていたときの経験、それも悪い記憶が甦りがちなのだ。 自分のやる気ばかりが先走って、種々のネガティブな視線……呆れだったり戸惑いだったりが刺さったり。実際に迷惑をかけたり。そこからちゃんと学習したようでいて、結局は似たような失敗を繰り返そうとしているんじゃないかと、今更になった不安が頭をもたげてきたのだが。
「踏み出す時は、人の善意を信じることにしています」と。
……よし、行こうか。ドアをノックする。
「失礼します、」
ドアを開けると、パート練習中だったのだろうか、何人かずつで固まった部員たちが目に入った。
「海野先生にお話していた、報道編集の飯田です」
気付いたらしい詩葉が、にいっとピースを向けてくる。
「あ、はーい!」
ピアノに向かっていた女子生徒……刺繍から察するに三年生、がこちらへ歩いてきた。
「初めまして、部長の
「一年の飯田希和です。合唱部の取材をさせてもらうことになりました、宜しくお願いします」
微妙に噛みそうになりつつ、自己紹介をして。
「はい、海野先生から聞いてます。どんな内容ですか?」
言葉の端々に音符がつくような、明るい先輩だった。
「それが、まだあまり決まってないんですね。この号から新しく、一面使って部活の特集を組むんですが」
「え、一面全部で
驚いたように言う和可奈先輩。
「ええ、その予定です。だから、どんな記事にするかを考えるためにも、これから見学させてもらおうと思ってます」
「なるほどー、なるほどー」
和可奈先輩は、楽しそうに身体を揺らす。
「じゃあ、まずは話を聴いてもらいたいんだけど……
何人かの名前を呟くと、男子部員の方へ歩いていって話しかける。
「ねえ、課題はバス音取り大丈夫だよね?」
「だいだいオーケーっすよ、どうしたんすか?」
「合わせ始めるまで、報道編集の子と親睦を」
その二年生の男子部員は、他に二人いた男子部員の顔を見回してから、
「了解っす!」
と、こちらへ歩いてきた。
「どうも初めまして、二年の中村直也です!」
やたらテンションの高くて体格のいい、文化部というよりは運動部らしい先輩だった。
「初めまして、一年の飯田希和です。宜しくお願いします」
自己紹介を返すと、
「おっけ、飯田くんね。俺ら合唱部のこと、どれくらい知ってる?」
説明モードに入ってくれたようだった。
「いえ、ほとんど……
「……マジ?」
ずいぶんと驚いたようだった。
「ええ、視聴覚室で」
「おお……初めて聞いたぞ、その経路。いや嬉しいんだけど」
「そんなものなんですかね、ともかくそこで聴いて、」
言葉に迷う。上手だとか凄いだとか……そういう、技量に関することを変に言うのは違う気がした。恐らくではあるが、自分たちより上手い演奏をいくつも知っている側にとっては、素直に受け取れない節もあるような気がしたのだ。
だから、僕はこう続けた。
「合唱とか音楽とかほとんど分からないんですけど、好きだなって、心地いいなって思いましたよ」
僕には、技量を量る感性も経験もない。けど、その不足で「好き」という主観が覆る必要はない。だから感想に「好き」は使いやすいんじゃないか、というのは受け売りではあるのだが。
「――飯田くんよ、最っ高!!」
中村先輩は、僕の手を取ってぶんぶんと振る……気に入ってもらえたようなのは安心だが、さすがにフレンドリーがすぎないだろうか。
「いやね~、俺ら基本的に日陰要員だからさ! 身内以外に褒められること少ないんだよね」
しみじみと語る中村先輩と、こちらを伺う女子部員のみなさん……どうやら面白がられているようだ。
「えっと、ひとまずなんですけど。合唱部は今、何に向けて練習してるんですか?」
まずは簡単にでも、状況を把握しておきたい。
「そっか、説明せねばだね。メインが、七月にあるNHKコンクール……飯田くんが聴いてくれたやつね。我々にとっての最大の舞台……甲子園とか普門館とか箱根とかみたいなもんだと思って、って箱根は高校じゃないけどさ」
あまり意味を感じられないセルフツッコミだった、
「そこで歌うのが課題曲と自由曲でしたっけ」
相槌のつもりで、軽く調べてきたことを言ってみる。
「そう、中学の課題曲はポップ系のアーティストが絡んだりするじゃん、高校は知られてなさ極めてるけど。いま練習してて、このあと合わせするのもその二曲だね。
後は六月末の学祭でも歌わせてもらえるからね。体制が代わるまでは、とりあえずはこの二つがステージかな」
「なるほど、ありがとうございます。ちなみに、部の全体でこの人数、ですか?」
結樹から人数だけは聞いていたが、構成は気になっていた。
「今日は揃って……いるな、そう十一人。四十期……いまの三年が二人、俺ら二年が五人、一年が四人だな」
「三年生、二人だけなんですか?」
「そう。昔はもっとあったんだけど、色々あってね。マジで苦労背負ってるよ、先輩ふたりは」
「けどその分、仲良さそうじゃありません?」
話を聞きつつ、なんとなく周りの雰囲気も伺ったりしているのだが。随分と和やかな、それでいて怠さのない部室に感じられた。
「……仲良くなった、んだろうな」
どこか思い出すような中村先輩。その後ろから、和可奈先輩が近づいてくる。
なぜか僕を見て、静かにしてろとでも言うように口に人差し指を当てながら。
「まあね、対外的には仲良いアピするんだけ――ウワッ!?」
そのまま彼女は、中村先輩の脇腹をつついていた……やっぱり仲良いじゃないですか。
「何すんすか、和可奈さん!?」
「後輩に余計なこと言わないの、直也」
和可奈先輩はお姉さんぶったような口調で言う。
「で、飯田くんなんだけど。その辺で座って聴いてて……直也、椅子を」
「いや良いですって!」
和可奈先輩はにっと笑ってから、「はーい、課題曲の合わせしまーす!」と全体へ声をかける。
思い思いに返事をしながら、弧のような隊形になる部員たち。
一対多数で、微妙に緊張しつつ合唱部と向かい合う。
部員が並んだのを確認し、和可奈先輩が口を開く。
「それでは今日のお客さんを」
「あ、飯田く……あ」
言いかけて、そのまま口を押えて一歩下がる詩葉。
遮られたことに抗議するように、詩葉を指さした手をぶんぶん振る和可奈先輩。
「……詩葉ちゃんだから仕方ない」
「うちの柊がすみません」
別の先輩と結樹にフォローのような何かを入れられつつ。
「……はい! 今日のお客さんです。報道編集委員の飯田希和くん」
そう言うと、どこからともなく拍手が向けられる。
慌てて立ち上がり、頭を下げて応じる。
「飯田くんは、今度の学校新聞でウチの特集記事を書いてくれるそうです。しかも、一面全部使って紹介してくれるそうなので!」
楽しそうに説明する和可奈先輩に続き、「すごいじゃん」「ついに我々に光が」といった声が上がる――また、ひと安心。
「はい飯田くん、ひと言どうぞ!」
「あ、はい。一の二の飯田希和です、皆さんを取材させてもらうことになりました。これからしばらくお邪魔することになりますので、よろしくお願いします」
振られるような気がしてなんとなく考えてはいたが、口が上手く回るはずもなく……とはいえ、一応の挨拶はできた。
「ちなみに、具体的な内容はまだ決まっていないとのことなので。リクエストがある人は」
「――そうですね、言ってもらえると嬉しいです」
和可奈先輩が助け舟を出してくれた。
「それじゃあ歌いましょうか。今年度の課題曲、『もう一度』です。どんな曲でしょうか、じゃあ奏恵」
そう呼ばれた女子生徒は、少し考えてから、
「大切なものを失ってから、希望を見出すまでの歌……で、どうでしょう」
と答える。
「……です!」
和可奈先輩はそう言って笑ってから、一瞬瞳を閉じ……開くと、真剣な表情になる。
「では、聴いて下さい」
和可奈先輩の伸ばした手が、三角を二回描いて。
空気が、揺れる。摩擦音が流れ出す。
清らかなソプラノが、哀しげながら美しい旋律を紡ぎ出す。ひとりだけのテノールが、主旋に寄り添い。しっかりと束ねられたアルトが色を加え、ずんと低いバスが根のように支える。
一節が終わり、また空気が揺れて。
今度は、クレッシェンドが迫り、訴えるようにメロディが響く。
その瞬間に、作り手の想いが乗り移ったかのような表情が目に入った。
言葉の終わりで溶暗して。
ソプラノが綴り、三声が追いかけ、そして全体で。同じ言葉を重ねる。
冒頭のメロディから、また始まる。
今度は、クレッシェンドから男声と女声の掛け合いへ。
そして、希望が射しこむようなフレーズが響く。今度は、明るい表情が目に入る。
穏やかに、言葉の一音一音が重ねられる。今度は切なげに。
見たことのない表現に、さらに引き込まれる。
ソプラノと三声の掛け合いの後、曲名である「もう一度」が語られる。
ユニゾンで、ハーモニーで。
そして決意が響き、力強く昂揚する。
ぞくり、と来た。心が、熱くなる。
そして解き放たれたように、讃えるように歌声が輝く。
自由な心と、夢がある。
その証明を、力強く歌う。
明日への希望と決意を思いっきり響かせて、そこから穏やかに奏でて。
最後の和音が、心地よく広がって。
和可奈先輩が手を伸ばし、円を描いて音を切る。
そしてその手を、僕へ向けて。
「ようこそ、私たちの合唱部へ」
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