Ⅰ-4 Though we can't be one,

 印象が鮮明に残っているうちに、と。

 合唱部を訪れたその日の夜、希和まれかずは記事の構想を練っていた。


 自分が何より伝えるべきなのは、つまりは自分が感じた魅力なのであって。

 目の前で歌を聴いたときの感動と、あの空間の心地良さが何に由来していたのか。それを説明する、伝えるための言葉を探す。


【表情による感情の表現、生で初めて分かる音の動き・圧……】

 とりあえず、メモにしていく。

 ……しかし、良かったな。本当に。

 一年生が入ってまだ間もないこともあり、完成からは程遠い、と和可奈先輩は苦笑まじりに言っていたのだが。それにしても。

【心が洗われるような、感覚が彩られるような、そんな気分だった】

 また思いつくか分からないぶん、浮かんだフレーズはメモしておく。


 そして、予想以上に仲が良かった。部員全員の仲が、と言えるほど観察していないのも確かだが、少なくとも自身のイメージだったり経験だったり、それらからすれば意外なほど柔らかかったし、眩しかった。

 中村なかむら先輩の言い方を見るに、過去には確執なんかもあったようで、そこまで追いかけて知りたいという興味もあり……それは、さすがに出来ないが。


 そうだ、メール。

 海野うんの先生が練習に毎回来ている訳ではないので、和可奈先輩を通じて連絡を取ることになり。アドレスを交換していた。


 お礼と挨拶と、後はこれからをどうしようか……とりあえず。

 仲良くなりたい。もっと、そちら側へ行きたい。そのためにも、もう少し見学に行って、同じ時間を過ごしてみて……と、そこまで考えて。

 結局は自分の楽しさ、気持ちよさに沿っているだけなんじゃないか、それじゃまた同じ間違いになるんじゃないか。そんな思いが胸を刺してきた。


 ……けど、まあ。どちらにせよ、取材は必要な訳で。それに今回は、教訓をちゃんと持っているから。


 >山野先輩

 今日は温かく迎えてくださり、ありがとうございました。

 想像以上に楽しかったですし、歌にも感動しました。

 これからまた色々な一面を知れると思うと、さらに楽しみです。

 また来週の早いうちにお邪魔したいのですが、都合のいい日はいつでしょう?



 数十分後。


 >いいだくん!

 こちらこそ、来てくれて嬉しかったです

 取材されるなんて初めてだったから、ちょっと舞い上がってたかも

 

 練習の雰囲気を知ってもらうなら、音楽室での練習が良いよね

 音楽室を使えるのが火水金だから、火曜日がいいかな。


 絵文字の踊る、可愛らしい文面だった。詩葉うたはが言う「狙っちゃダメな素敵な先輩」とは彼女だろうか……いや、そうではなく。


 火曜日にまた訪問する旨を返信してから、宿題の残りに移った。



 そして、二回目の訪問日。今日は初めから見学することにした。

 音楽室の扉をノックし、中へ入る。

「失礼しま―」

「おー、飯田いいだ!」

 声を上げ、こちらへ歩み寄り……そのまま、

「ちょ、っ!?」

 希和の首に腕を回す、中村先輩。

 前回の訪問で随分と打ち解けたものの、いきなりこれは。

「よぉよぉ、もう入部決めたの?」

「っ、な……違いますって、というか、あの」


 割と体格のある中村先輩に捕まると、なかなか苦しい。

 やんわりと振り解こうとすると、先輩が「うぐっ」と呻き声を上げた。

 力の抜けた隙にホールドを抜けると。

「おら直也なおや、お客さんに迷惑かけんな」

 女子の先輩に、尻のあたりを蹴られたらしい……またなんとも、仲の良い。

「いや、絡み合ってくれるのは眼福なんだけどさオレは」

 フォローしてくれたのかと思いきや、何だか不吉なことを言う彼女、名前は……

「っと、こんにちは鷹林たかばやし先輩」

「うん、よく来たね飯田くん。あと呼びにくかったら名前でいいよ」


 鷹林たかばやし陽子ようこ、二年生……短髪でスラックス着用の、ボーイッシュという概念がよく似合う先輩だった。

「あのな陽子、お前こそお客さんを巻き込むなお前の世界に」

 立ち直った中村先輩が呆れたように言うのを、陽子先輩はにっこりと流し。

「あれ飯田、もう来てたのか」

 結樹ゆきの声。振り向くと、いま入ってきたらしい結樹と、その背後に誰か。


「うん、今日は始まりから雰囲気知りたかっ」

「わあ!!」

 結樹の後ろから、和可奈先輩が飛び出してきた……いや、見え見えだったんですが。どう反応しろと。

「……あの、びっくりして欲しかったんですか?」

「えっと、えっとね……こういう時は、空気読んでノリよく行かなきゃ」

 お姉さん感を無理に押し出すように、和可奈先輩は言う。

 ……こう返したら失礼か、しかしこの雰囲気なら。

「まあ、スベるのは僕もしょっちゅうですから」

「ひどい!!」

 和可奈先輩はそう叫ぶなり結樹の背中に回り、彼女にすがりつく。

「あー、和可奈わかな先輩……」

 困惑しつつも、抱擁を甘受する結樹に。

「あーー!! 和可奈さん、ズルいですー!!」

 詩葉が抗議とともに駆け寄ろうとするも、結樹は冷たく睨んで制止して。


 そんなやり取りを眺めている希和に、

「可愛いって思ってんだろ」

 右からスッと顔を出した中村先輩が、低い声で囁く。

 図星であった、が。

「……いえ?」

「まあ、頑張り給えよ少年」

 出会って二日で見透かされているとしたら、相当にザルなのだが……


 と、そこで。

 音楽室のスピーカーから、チャイムが流れる……十六時ちょうど。

 和可奈先輩は顔を上げると、結樹の背中をポンと叩いて離れ、

「はーい、準備体操はじめまーす!」

 朗らかな号令とともに、部員が一斉に動き出す……迷っていると、「飯田、こっち」と中村先輩に手招きされる。

 混ざって体験していい、ということらしい。

「練習前には準備体操をいつもやっているんだけどね。いい発声の為には、身体をほぐしておく必要があるからって理由です」

 和可奈先輩が希和へ向けて説明してくれる。

「じゃあ、今日の当番は……最近二年で回してたもんね、倉名くん行こっか」

 指名されたのは、倉名くらな栄太えいた……二人いる三年生の、もう一人。パートはバスのようだが、中村先輩とは対照的に物静かで、スマートな雰囲気の先輩だ。

 彼は「了解」と返事をすると、前に進み出て。

「全身を伸ばします。いち、に、さん……」


 それから、関節やら体幹のストレッチをする。動き自体は、体育やらで慣れ親しんだものだが……音楽だろうと体操はするんだな、というのは少し意外だった。

 加えて。終わり際に「他にもあるぜ」と中村先輩が呟いていたので、基礎準備もなかなかに広そうだった。

 続いて、ピアノの周りに集まり……希和は「体験体験!」と連れられ、バスの先輩二人に挟まれる。

「次はブレスと発声です……とりあえず、真似してみよっか飯田くん」

「え、邪魔じゃないんですか?」

「大丈夫だよ、何事も体験!」

 和可奈先輩に勧められるままに、心の準備をする……ここで声を出す「フリ」するのも失礼だろうし、やってみようか。


 倉名先輩が小さな機械を操作すると、ピッピッピッ……という電子音が流れ出す。メトロノームのようだ。

 ピアノの前に座ったのは、二年の……確か、紅葉もみじ奏恵かなえさん。

「じゃあ、八拍ずつ吸って吐いて~から行きます!」

 そこからは、メトロノームに合わせて吸ってと吐いて、をいくつかのパターンで合わせて。加えて、ピアノに合わせてドッグブレス……腹を使って「ハッハッハッ」と力強く吐き出す呼吸法を実践し。

 途中で息が保たなくなったりすることもあったが、周りは「まあ、無理するな」かという目で見つつ自分の呼吸を続けていた……この辺の運動の背景なんかも、また聞いてみようか。


 それが何回か続いてから。

「じゃあ、発声に行きまーす。母音スケールから。奏恵、お願い」

「あいうえお」を一つずつ、メロディをつけて……というのから始まり。

 同じ音で伸ばしたり、呪文のようなフレーズだったり。ついていくのを途中で諦めた回もあったが、これも一つ一つ意味があるんだろうな……と、希和は部員たちの真面目な表情に目を配っていた。


「和可奈さん、あと何かやります?」

 弾いていたピアノから手を離し、紅葉先輩が問いかける。メニューは一通り終わった、ということだろうか。

「そうだね……せっかくだし、今日はドレミやろうか」

 和可奈先輩がそう答えると、倉名先輩がスッと棚の方に動き、また小さな機械を持ってくる。

「えっと、先に呼んだ方が伸ばして、後に呼んだ方が歌うんだからね……あ、飯田くんは聴いてて大丈夫」

 希和ではついて行けてないのは和可奈先輩も察していてくれていたのだろう、ありがたかった。


 紅葉先輩が弾き出したのは、「ドレミの歌」のようだった。

「はい、春菜はるな由那ゆなから」

 それに合わせ、和可奈先輩が歌うように言いながら、二人を指さす。


 ドの音程、春菜が伸ばす。

 ドはドーナツのド、と歌うのは二年の加藤かとう由那ゆな先輩。

 レの音程、今度は由那先輩が伸ばし。

 レはレモンのレ、と春菜が歌う。


 片方が音階を伸ばしつつ、もう片方は元のメロディを歌う……かつ、その割り振りはいきなり指名されるということか。

 そう理解しはじめた所で、

「結樹と倉名」

 由那先輩のレの途中で、和可奈先輩の指示。

 ミはみんなのミ、倉名先輩の優しげなバス。

 ファはファイトのファ。結樹の芯のある歌声。

「直也と詩ちゃん」

 ソは青い空。詩葉の澄んだ声と、中村先輩の力強いロングトーン。

「ケイと陽子」

 ラはラッパのラ。楽しそうな表情の陽子先輩と、豊かなテナーを響かせる真田さなだ恵一けいいち先輩。

「明と奏恵」

 シは幸せよ。一年の……藤風ふじかぜあきさんは、強い感じの声。そしてピアノを弾きつつ歌い上げる紅葉先輩。

「由那!」

 さあ歌いましょう……と、一オクターブ高く響かせる由那先輩。大人しそうな方だったが、今はずいぶんと得意そうだった。

 口ずさみつつ、彼女を嬉しそうに見つめる陽子先輩。


 ドミミ、ミソソ、レファファ、ラシシ、と。

 フレーズごとに違う声が、歌をなぞり、空間を彩っていく。

 高らかに楽しげに、ときに不安げに。


「はい、直也と結樹」

 どんな時にも

 列を組んで

 心地よい緊張感と共に、声が響く。

「倉名と詩ちゃん」

 みんな楽しく

 ファイトを持って。

 視線を合わせて、表情を分け合って。

「春菜と私」

 空を仰いで

 未知の高揚とグルーヴが、知らないうちに身体を動かす。

「明と陽子」

 ラララララララ

 言葉が見つからない楽しさは、しかし絶対に伝えたい楽しさだった。

「ケイと奏恵」

 幸せの歌


 ……まさに、音楽の楽しさというか、幸せが包むような。その声の下に、心が重なるような。

 そんな感覚に浸っていると、

「飯田くん!」

 笑顔の和可奈先輩が希和を指さし――え!?

「――さあ、うたいましょう」

 思い切りで歌うと、和可奈先輩はにこっと指でOKサインを作り。

「みんなで!」

 ドレミファソラシド、ソ、ド

 最後の音階を全員で歌って、ピアノが止んだ。

 ……格好よくて、それでいて温かくて。

 これを体感できたのは、間違いなく幸せだった。そんなひと時。


「はい、みんなお疲れ様です!……えっと、そだね。春菜ちゃんは音が下がらないように、明ちゃんは喉声が目立っちゃうかな。陽子、テンション上がるのは分かるけど走っちゃダメね、あと倉名くんは声明るくね……今はこんな所かな。それじゃあ各パート、自由曲の音取りお願いします!」


 返事をしつつ散っていく部員たち。

「由那、ちょっとだけソプラノの音取りお願いしていい?」

 由那先輩が頷いたのを見ると、和可奈先輩は僕へ話しかける。

「飯田くん。どう、書きたいことって浮かんできたかな?」

「そうですね。僕が感じた、合唱の魅力は勿論なんですが。やっぱり皆さんがどういう気持ちで活動して、歌ってるかは気になるんですよね」

「私たちの気持ち……歌にどんな想いを込めてるか、とか?」

「はい。後は、活動してて何が楽しいかとか、何が大変で、どんな努力をしてるか、とか……」


 割とベタではあったが、それまでに考えていたことを、ひとまず伝える。

「わお、結構がっつり来てくれちゃう?」

「まあ、それくらいやった方が面白いかな、と思ったんですが……合唱部的にやりにくいですか?」

 明るく、どこかゆるい雰囲気も確かにあるが。真剣に音楽に向き合っている姿勢も、また確かに感じていたので、それも織り込みたいと思っていたのだが。

「ううん、大丈夫。みっちり聞いてっちゃって」

「ありがとうございます。項目を固めてから、また相談しますね」

「うん。あ、後ね。文化祭の宣伝もしてほしいな」

「文化祭ですか、七月の上旬でしたよね?」

「そう。例年、あんまりしっかり聴いてもらえなくて寂しくて」

 相変わらず、しょっぱい事情だった。

「分かりました、そこも頑張ります……しかし」

 今日のうちに確認しておきたかったことを終え、希和は話を移す。


「さっきのドレミ、すごく楽しかったです。どういう意図の練習なんですか?」

「お、やったね。サウンドオブミュージックって映画を参考にして、私たちで始めたんだけど。あれは一人一人、音の伸ばしを合わせたり、周りの声に頼らずピッチを合わせるようにってのと……後は、それぞれの歌い方の研究かな。ほら、あれに録音してたの」

 和可奈先輩がそう言って指さしたのは、倉名先輩が操作していた機械……なるほど、レコーダーか。

「そういう技術的な視点もあるんだけど。ドレミの歌は楽しいし、あのライブ感は気持ちいいからね……たまにやりたくなるんだよね、色んなリフレッシュも兼ねて」

「未体験の楽しさでしたし、なんか凄く温かかったんですよ」

 あの感覚は先輩も感じていたんだろうか、そう思いつつ伝達を試みる。

「あったかい……?」

 言葉を探す。伝わるようなフレーズは。

「というか……心が近くなる、通じ合う感覚っていうんですかね。それこそ、心が一つになってくような」


「なれないよ」

「……え?」

「一つになんかなれないんだよ、私たちは」

 和可奈先輩は、いつにな寂しげな表情をしていた……これは、間違えたか。

「あ、ごめんね飯田くん。私も昔は、音楽で一つになれるとかって思ってたんだけど。それは覆されちゃったからさ」

 以前から感じていた陰りの、一端が見えた気がした。

「……まあ、一つにってのは理想が過ぎる言い方かもしれないですけど。それでも僕は確かに、心が重なるような気持ちでしたよ」

「ありがとね、そう思ってくれるのは嬉しいな……そうだね」

 和可奈先輩は、また笑う。

「一つになんかなれないし、分かり合えない私たちだけど。それでも一緒に歌って、少しは通じ合えるから……だから合唱が好きなのかもねって、いま思ったよ」


 ――見つけた。僕が聞きたいことは、外へ伝えたいのは、そんな率直な感情だ。

 確かに抱えていて、けど外からは分からないような、そんな想いだ。


 いまの言葉は絶対に織り込もう、と考えていると。

「えっと、さてさて。今日は自由曲の練習だけど、この後も見てく? こっちもそこまで余裕ないから、見るだけになっちゃいそうだけど」

「ええ、見させて下さい。色々と吸収させてもらいます」


 そうして、周りを見渡しながら。

 この人たちみたいになりたかったなという憧憬と。

 いまさら、そんな風には変われないんだよなという微かな後悔が、首をもたげていた。

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