最終話 太陽と月を結ぶ
桜の花びらが落ちる。音もなくひとつまたひとつと。
通りの両手側に桜並木。ずっと先の橋まで続いている。花びらの絨毯。視界は一面桜色。
柚希は満開の桜の中を歩く。
いつか春人と歩いたこの道とも今日でお別れだ。
最後の挨拶を終えて、柚希は駅へと向かう。
ずっと地元を離れるつもりでいたけれど、こだわりはいつの間にか消えていた。とても大切な思い出がこの町には出来たから。
最初はどうなるかと思ったけれど、職場のみんなはとても柚希に優しかった。とても一人前とはいえないし、迷惑をかけることもあったけれど、できることをひとつずつ。いつの間にか居場所もできた。
後ろの方で声がした気がする。柚希はゆっくりと振り返った。
舞い散る桜の花びら。桜並木をこちらへ駆けてくる。
その3人が柚希は誰なのか知っている。けれど、柚希には一瞬懐かしい光景に見えた。
高校入学の頃、3人でこの道を歩いたかもしれない。春人と麻衣と柚希の3人。春人と麻衣がまだ慣れない学校生活に緊張しているのか、いつもより元気に大きな声で冗談を言う。柚希の歩く速度に合わせて前をくるくると輪を描くように歩くふたり。ふたり以上に緊張していたであろう柚希の気持ちをほぐす意図があったのかもしれない。それを追いかけて歩いた柚希。桜の花びらに可憐な麻衣。春人の煌めくような姿。
そんな幻影がいくつもの揺れ落ちる花びらの中に見えた。
「――ユズ先輩!」
柚希に駆け寄ったのは同僚の3人。後輩だが、とても自分は3人にとって先輩だと言い張れるような存在ではなかったと思う。
「忘れものだよ!」
その手には花束。
最後の挨拶のときに、柚希が受け取った花束だ。受け取っておいて忘れてくるなんて相変わらずひどいと思う。言い訳はない。けれど3人は優しげな笑顔だった。
「ユズちゃん先輩、ホントにだいじょうぶ? いつでも戻ってきていいからね!」
どちらが先輩なのか分からない。けれどそれがいつもの調子だった。柚希はこの3人にもたくさん助けてもらった。
「……ありがとう、ごめんね」
柚希は花束を受け取る。
助けられたのは3人の後輩だけではない。直属の上司にはたくさん苦言ももらったが丁寧にいろんなことを教えてくれた。柚希に内示を手渡したときはきっと本人よりも不安な顔をしていたのではないかと思う。同僚は要領良く作業を終わらせる方法をいくつも教えてくれた。大きな声で「内緒だよ」と言ったが、それは実際の標準で、教えてもらうまで柚希は気付かなかった。たくさんの人に助けられてここにいる。
そんな職場も今日で終わりだ。柚希はこの町から離れた都市に異動になった。だからこの町とはお別れ。
早く離れたかった地元だったはずなのに、今では名残惜しい。
柚希は3人とは言葉を交わして別れた。何度も励ましの言葉を言わせる自分が情けなく思うけれど、そうでない自分になろうという気持ちと勇気が湧いた。柚希は向き直るとまた駅の方へと歩き出す。
仰ぐ空は晴天。日差しは夏のようだ。足下を確認すると、桜色の絨毯の上をはっきりとした柚希の影が後ろを付いてきていた。
気が付けば、いつも影が伸びる方へと歩いてしまう自分がいた。太陽に背を向けて。
追いかけてしまうのは夜空に上る月。柚希は月だったから。
月を結ぶ。
結月(ゆづき)。それは柚希が両親に与えられた名前だった。
何を結ぶのか。月に。
どんな意味が込められていたのか柚希は知らない。けれど今は、分からないなら意味は自分で見出せばいいと思う。
月は太陽に結ぼう。輝く太陽の行方を追いかけて、月を結ぶ糸を引く。
同じ空にいられたのはほんの少しの間だけだったのかもしれない。
太陽を追いかける月もいつかは沈む。けれど、それは太陽がいなくなった夜空をひとりで渡りきったずっと先。
西の空、月が地平線に沈みゆくそのときに、きっとまた太陽には会えるのだから。
――ひとりでもだいじょうぶ。
そんなことを言えば、春人は笑うのだろうか。
そうだ。春が残した欠片もたくさん集めて届けよう。いつか会えるそのとき、両手いっぱいにして言うのだ。
――忘れ物だよ、春人くん。
春人はきっと困った笑顔で迎えてくれる。意味がわからないなんて言いながら。意味なんて柚希にも分からない。だから与えればいいと思う。相応しい意味を。
そんなことを考えながら柚希は桜並木を歩く。
散りゆくいくつもの花びらがふわりと浮き上がるのが分かった。
大気が揺れて、静かだった通りに突風が吹く。柚希は咄嗟に目をつむった。強い風が通りすぎて柚希の頬を何かがかすめる。痛くはない。ふわりとした何か。
わずかに目を開いて確認する。
視界は白い嵐。
風の音とともに真っ白な奔流に飲みこまれていく。
これは現実なのだろうか。夢をみているのだろうか。
春風に巻き上げられて、桜の花びらが一斉に大空へと舞い上がった。
無数の花片が空へと昇ると、前触れもなく旋風は力を失った。音がなくなり一転して舞い上がった桜の欠片が一面に降り注ぐ。
これほど、清らかな、鮮やかな光景を柚希は目にしたことがない。
晴れた空から桜の雨が降る。
解き放たれた桜の白は、まさに天真爛漫。
光さえも攪乱するほどの、純粋な自由がそこにあった。
春人がみせた景色だと考えるのはおかしいだろうか。当然、おかしいのだろう。けれどそれでまったく構わないと柚希は思う。
――またね春人くん。わたしは生きるよ、その日まで。
この先は自分で歩こう。柚希がたどり着くその場所まで。
柚希を救えるのは、誰でもない。きっと自分自身だ。
桜の雨を見上げ、柚希は心に誓った。
欠けた月を結ぶ -Connecting the time of lost- なるゆら @yurai-narusawa
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